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日本は、アメリカなどの西側陣営諸国の支援を受けたがソ連の支援を拒絶した。
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2025年3月7日 MicrosoftStartニュース 読売新聞「関東大震災での米支援に感謝、学生らが送った744通を米で確認…東北大など調査
関東大震災で女性を救助した米軍人(右)に勲章を授与するクーリッジ大統領(左)(1924年3月)=米海軍歴史遺産司令部ホームページより
© 読売新聞
1923年の関東大震災で、米国からの支援に対して日本の学生らが送った感謝の手紙744通が米国内に保管されていることがわかった。東北大などの調査チームは手紙が送られた経緯を調べるため、学生の子孫を探している。7日から仙台市で開催される防災フォーラムで調査の詳細を発表する。(横浜支局 日下翔己)
■義援金100億円超
調査チームによると、1923年9月1日、カルビン・クーリッジ米大統領は震災発生を知ると、日本への支援を即決した。大正天皇に見舞いの電報を送り、アジア艦隊と陸軍フィリピン駐留部隊に救援物資の運搬を指示。寄付を呼びかける声明も全米に出した。
その結果、4日後から救援物資を積んだ船が横浜港に入り、ベッド6000床、食料750トンなどが届けられた。義援金も現在の価値で100億円以上に相当する総額1060万ドルに上った。調査チームの川内淳史・東北大准教授は「大統領主導による前例のない規模の人道支援だった」と話す。
■全国の学生から
学生らがお礼の手紙を送ったとの記録はあったが、手紙の行方はわからなかった。調査チームは2023年、米バーモント州に住むクーリッジ大統領の子孫が、手紙をとじた3冊の本を保管しているのを確認。写真に撮り、分析を進めてきた。
手紙は「The Japan Students Association(日本学生協会)」という団体が呼びかけ、被災地の大学や旧制中学だけでなく、東北から九州までの学校の学生らも多く参加。「両国の友情が永遠に続き、世界平和を築く礎となることを願ってやみません」などと英語でつづられていた。
■「災害外交」側面も
当時、米国では日本からの移民の排斥運動が活発化しており、川内准教授は「両国関係が悪化する中、米国には支援で関係緩和を狙う『災害外交』の意図があったのでは」と指摘する。
一方、日本の学生らが送った手紙について、川内准教授は日本政府も関わったとみており、「手紙で国民同士の友好を深める狙いがあったのでは」と推察する。
調査チームの一般財団法人「世界防災フォーラム」の吉野賢事務局長は「約100年前の交流を今後の国際防災や世界平和に生かせるようにしたい」と話す。
チームは7~9日に仙台市で開催される「世界防災フォーラム2025」で詳細を発表する。手紙に関する情報提供などは同フォーラムのメール (info@worldbosaiforum.com) へ。
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