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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
大陸の都市は、高い城壁・深い堀・断崖絶壁に囲まれた閉鎖空間としての城塞都市・軍事要塞都市であった。存亡の脅威は、異民族・他国・政敵・異教徒による攻撃・侵略であった。
日本の都市は、低い塀・生け垣で仕切られ田畑に囲まれた開放空間としての非武装都市であった。生存の脅威は、人災や天災であった。
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日本民族は、数万年前から自然的宗教的文化的に花を愛(め)でる珍しい民族である。
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花を愛する心は、神道価値観の日本人、キリスト教価値観の西洋人、儒教価値観の中華人(中国人・朝鮮人)とは三者三様で微妙に違う。
人間は、同じ人間だから同じとは限らない。
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日本は、借景までも取り込んだ宗教的庭園文化、土弄りの箱庭文化。
西洋は、都市工学に基ずく高度な科学的公園文化、趣味人・教養人によるガーデニング文化
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日本のお花見・宴会文化は、西洋のピクニック・レジャー文化とは全然違うし、もしあれば中国や朝鮮の余暇文化とも違う。
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2025年3月6日 YAHOO!JAPANニュース ニューズウィーク日本版「公園のデザインに見る日本と欧州の防犯意識の違い
<誰にでも開かれている日本の公園が犯罪の温床になりやすい理由とは──>
(写真はイメージです) Julia Senkevich-Shutterstock
「入りやすく見えにくい場所」で犯罪が起きやすいという「犯罪機会論」は、防犯のグローバル・スタンダードであるにもかかわらず、日本では普及していない。その理由は、日本では城壁都市が作られてこなかったからだ。つまり、城壁都市こそが「入りやすく見えにくくするデザイン」のルーツなのである。【小宮信夫(立正大学教授[犯罪学]/社会学博士)】
防犯カメラが捉えた「あわや」の瞬間 深夜帰宅の女性を狙う、猛スピードの男
海外では、今から1万年前から城壁都市を作ってきた。言い換えれば、1万年前から犯罪機会論を実践してきたのである。一方、日本人は、中国に城壁都市があることは知っていたが、あえてそのデザインを輸入しなかった。そこまでの防犯意識や危機意識がなかったからだ。その歴史的事実が、現在の防犯対策におけるガラパゴス状態を生んでしまった。
<ゾーニングの効果>
犯罪機会論の有無が端的に現れるのが公園の設計だ。なぜなら、公園のデザインこそ、城壁都市そのものだからだ。海外の公園は、領域性(入りにくさ)と監視性(見えやすさ)に配慮して設計されている。しかし、日本の公園にはそうした配慮が乏しい。
子供を狙った犯罪者は公園に頻繁に現れる。なぜなら、子供がたくさんいるからだ。そのため、海外では公園を造る場合、公園を悪用する人は必ずいるという前提で、子供をだますことが難しくなるような工夫を凝らしている。それが犯罪機会論だ。
例えば、広々とした公園でも、遊具は1カ所に集め、そこをフェンスで囲っている。つまり、公園内を子供用のスペースと大人用のスペースに区分し、互いに入りにくい状況を作っているわけだ。こうした手法は、ゾーニング(すみ分け)と呼ばれている。フェンスで仕切られた遊び場では、子供専用のスペースに入るだけで、子供も周りの大人も警戒するので、だまして連れ出すことは難しい。
<日本とは全く異なる海外の公園>
(左)フランス・パリの公園(右)イギリス・ロンドンの公園 筆者撮影
ところが日本では、すべてのスペースがあらゆる人に開放され、遊具も集中することなく点在している。そのため、大人と子供が入り交じって公園を利用している。そこでは、子供の目の前に大人がいても、周囲が違和感を覚えることはない。子供が大人と話していても、不自然に感じる第三者はいない。そこに犯罪者が付け入るスキがあるのだ。
以下、海外の公園を10カ所ピックアップして紹介したい。いずれも筆者が撮影したものだが、写真から、これらの公園が城壁都市をそのまま縮小したかのようなデザインになっていることがお分かりいただけるだろう。
<フェンスに対する概念も真逆>
(左)ギリシャ・ロドスの公園(右)ポーランド・ビスクピンの公園 筆者撮影
繰り返しになるが、これらの公園に共通しているのはフェンスである。つまり、城壁都市における壁が公園ではフェンスに変わっているのだ。実は、このフェンスに対する概念も日本と海外では真逆である。それが端的に分かる例が、映画『フェンス』に対する見方の違いだ。
『フェンス』は、デンゼル・ワシントン監督・主演の映画。アカデミー賞の作品賞、主演男優賞、助演女優賞、脚色賞にノミネートされ、ビオラ・デイビスが助演女優賞を獲得した。それほど高い評価を得たにもかかわらず、不思議なことに、日本では劇場公開されなかった。
(左)クロアチア・ザグレブの公園(右)ウズベキスタン・ヒヴァの公園 筆者撮影
それはさておき、タイトルの「フェンス」が持つ学術的な意味については、『写真でわかる世界の防犯 ──遺跡・デザイン・まちづくり』(小学館)の中で詳しく触れた。簡単に言えば、「フェンスは守りの基本形であり、フェンシングやディフェンスともリンクするキーワード」ということだ。つまり、ポジティブな概念なのである。ところが、日本人の多くは、「檻のようだ」として、ネガティブな概念を抱いている。
(左)ベトナム・ホーチミンシティの公園(右)グアテマラ・グアテマラシティの公園 筆者撮影
<ポジティブにとらえる欧米人、ネガティブにとらえる日本人>
「フェンス」をめぐる欧米人と日本人の意識の違いは、映画『フェンス』に対する批評においても見て取れる。例えば、日本のある新聞では、「フェンス」の意味を、「人種間の壁であり、夫婦の溝であり、親子の葛藤である」と説明している。しかし、この解釈は的外れだ。欧米メディアの解釈とは異なる。
映画の中でビオラ・デイビスが歌っているゴスペル「JESUS BE A FENCE AROUND ME」(イエスよ、私を囲むフェンスになって)からも明らかなように、ここでの「フェンス」の意味は「人種差別という悪魔から家族を守るもの」だ。つまり、この映画は、フェンスの中に息子をつなぎとめて守りたい父親と、フェンスの外に出てリスク覚悟でチャレンジしたい息子、そして両者の気持ちが分かる母親が織りなす人間模様を描いた作品なのである。
<防犯意識に大きな相違>
(左)アルゼンチン・ブエノスアイレスの公園(右)タンザニア・モロゴロの公園 筆者撮影
たかが「フェンス」、されど「フェンス」。ポジティブにとらえる欧米人と、ネガティブにとらえる日本人との意識の違いは、映画の見方だけでなく、防犯意識や犯罪機会論に大きな相違をもたらす。その結果、日本の街は、「守り」の姿勢を取ることができず、無意識のうちに、犯罪に弱い場所を作り出してしまっているのである。
子供を犯罪から守りたければ、公園のデザインを見直し、フェンスの意義を認識することが必要ではないだろうか。
小宮信夫(立正大学教授[犯罪学]/社会学博士)
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