・ ・ ・
関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
2025年3月5日7:01 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「日本社会を支配する「暗黙のルール」…日本人が呪縛されている「恐るべき慣習」の正体
なぜ日本は停滞からなかなか抜け出せないのか? その背景には、日本社会を支配する「暗黙のルール」があったーー。
【写真】日本社会を支配する「暗黙のルール」…日本人が呪縛されている恐るべき慣習
社会学者・小熊英二さんが、硬直化した日本社会の原因を鋭く分析します。
※本記事は小熊英二『日本社会のしくみ』(講談社現代新書、2019年)から抜粋・編集したものです。
「社会の慣習」とは何か
本書が対象としているのは、日本社会を規定している「慣習の束」である。これを本書では、「しくみ」と呼んでいる。
慣習とは、人間の行動を規定すると同時に、行動によって形成されるものである。たとえていえば、筆跡や歩き方、ペンの持ち方のようなものだ。これらは、生まれた時から遺伝子で決まっているのではなく、日々の行動の蓄積で定着する。だがいったん定着してしまうと、日々の行動を規定するようになり、変えるのはむずかしい。
人間の社会は、その社会の構成員に共有された、慣習の束で規定されている。遺伝子で決まっているわけではなく、古代から存在するものでもないが、人々の日々の行動が蓄積され、暗黙のルールを形成する。それは必ずしも法律などに明文化されていないが、しばしば明文化された規定よりも影響力が大きい。ただしそれは永遠不変ではなく、人々の行動の積み重ねによって変化もする。
こうしたものは、自然科学の対象ではなかった。自然科学は永遠不変の法則を探究する。日々の行動の蓄積によって変化するようなものは、自然科学の対象にならない。
自然科学にあこがれて始まった社会科学も、永遠不変の法則を人間界のなかに探ろうとした。古典経済学は、その1つである。
アダム・スミスは、人間は交換によって利益を追求する永遠不変の天性があるのだ、という公理を設定した。公理は設定するものであって、証明することはできない。アダム・スミスも、この公理を証明しようなどとはしていない。とはいえこうした公理を出発点に据えたことで、経済学は自然科学を模倣した学問になりえた。
社会の「暗黙のルール」を探る
だが社会学という学問は、そうではなかった。ウェーバーやジンメル、デュルケームといった社会学の始祖たちが研究対象にしたのは、1つの社会が共有している暗黙のルールだった。古典経済学では説明できない人間の行動も、こうした暗黙のルールから説明できると彼らは主張したのである。
有名な例は、ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』である。ウェーバーは、当時のドイツの農場労働者が、経済学的には説明できない行動をとっていたことを指摘することから、この本を始めている。賃金を出来高払いにしても、彼らは今日の生活に必要な分を稼いだら、それ以上働こうとはしなかったのだ。
これは不合理な行動にもみえる。とはいえ、明日には死ぬかもしれないなら、今日のうちに明日の分まで働くのは馬鹿げている。明後日にどうなるかわからない社会で、出来高払いで労働効率があがったら、その方がむしろ不合理だ。それが合理的な行動なのは、未来が安定して続くという信念が、共有されている社会においてだけである。
ここからウェーバーは、資本を蓄積しようとする行動は、特定の未来観を暗黙のルールとして共有した社会からしか生まれないと考えた。そこから彼は、キリスト教各宗派の未来観を調べ、プロテスタントの一派を信じる社会から資本主義が発生したと主張した。その研究の方法論としては、宗教テキストを個別的に分析して、その社会の根底的な原理を探る方法がとられた。
なおウェーバーの著作で、日本語で「倫理」と訳されているドイツ語はEthikである。これは「エチケット」の語源としても知られる古代ギリシア語のエートスの派生語で、日々の行動の蓄積で体得された規範を指す。ペンの持ち方やスプーンの使い方といった「エチケット」も、日々の行動の蓄積で体得し、暗黙のルールとなるものだ。
ウェーバーは、こうした集合的な慣習が、ドイツ人が生まれた時から身につけている民族性Volkscharakterであるなどとは考えなかった。だが同時に、これが人々の行動を規定しており、一朝一夕では変えられないとも考えていた。
このような、1つの社会が共有している暗黙のルールを探る研究は、さまざまに行なわれてきた。有名なものを挙げるなら、教育学の領域で知られるピエール・ブルデューの仕事、社会保障の領域で著名なイエスタ・エスピン‐アンデルセンの仕事などがある。
とはいえ、1つの社会を規定している「しくみ」を何と呼ぶかについては、統一的な名称はない。ウェーバーはエートスEthikと呼び、ブルデューはハビトゥスhabitusと呼び、エスピン‐アンデルセンはレジームregimeと呼んだ。だがいずれも、日本語としてなじみのある言葉ではない。
そこで本書では、暫定的にこれを「しくみ」と呼ぶことにした。日本の読者を相手に、ラテン語や英語を使う必要もないだろうと考えたからである。
さらに連載記事<なぜ日本は「停滞」から抜け出せないのか…その「根本的な原因」>では、日本社会を支配する「暗黙のルール」の正体に迫っていきます。ぜひご覧ください。
小熊 英二(社会学者)
・ ・ ・
3月4日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「なぜ日本は「停滞」から抜け出せないのか…その「根本的な原因」
日本社会を支配する「暗黙のルール」
なぜ日本は停滞からなかなか抜け出せないのか? その背景には、日本社会を支配する「暗黙のルール」があったーー。
社会学者・小熊英二さんが、硬直化した日本社会の原因を鋭く分析します。
※本記事は小熊英二『日本社会のしくみ』(講談社現代新書、2019年)から抜粋・編集したものです。
恐るべき「同質集団」
2018年6月21日の『日本経済新聞』に、こんな記事が載った。タイトルは「経団連、この恐るべき同質集団」。
その内容は、経団連の正副会長19人の構成を調べたものだ。全員が日本人の男性で、最も若い人が62歳。起業や転職の経験者がゼロ。つまり、「年功序列や終身雇用、生え抜き主義といった日本の大企業システムの中にどっぷりとつかり、そこで成功してきた人たち」だとこの記事は報じている。
この記事は、19人のうち「会長以下12人が東大卒。次いで一橋大が3人、京大、横浜国大、慶応大、早稲田大が各1人だった」とも述べている。京大をのぞいて、すべてが首都圏の大学卒業生ばかりであることも、この記事は問題だと指摘している。
ただし、卒業した大学名は詳細に記されているが、学部や専攻については何も述べていない。学校名は問題だが、何を学んだかは問題ではないのだ。
なぜこうなるのか。そこには、どういう原理が働いているのか。そうした「日本社会のしくみ」は、いつの時代に、どうやって形成されたのか。それは、他の国のしくみとは、どこがどう違うのか。
この本では、そうした問題を探究する。
日本社会の構成原理
ここで、先の日経新聞の記事を手はじめに、日本社会を構成する原理を考えてみよう。
(1)まず、学歴が重要な指標となっている。ただし重要なのは学校名であり、何を学んだかではない。
(2)つぎに、年齢や勤続年数が、重要な指標となっている。ただしそれは、1つの企業での勤続年数であって、他の企業での職業経験は評価されない。
(3)その結果、都市と地方という対立が生じる。何を学んだかが重要なら、必ずしも首都圏の有名大学である必要はない。
(4)そして、女性と外国人が不利になる。女性は結婚と出産で、勤続年数を中断されがちだ。また他国企業での職業経験が評価されないなら、外国人は入りにくい。
このうち3と4、つまり「地方」「女性」「外国人」の問題は、1と2の結果として生じた問題と考えることができる。さらに非正規雇用や自営業との格差も、1と2の結果として生じたものだといえるだろう。
つまり、(1)何を学んだかが重要でない学歴重視、(2)1つの組織での勤続年数の重視、という2つが、「日本社会のしくみ」を構成する原理の重要な要素と考えられる。
またこうした「日本社会のしくみ」は、現代では、大きな閉塞感を生んでいる。女性や外国人に対する閉鎖性、「地方」や非正規雇用との格差などばかりではない。転職のしにくさ、高度人材獲得の困難、長時間労働のわりに生産性が低いこと、ワークライフバランスの悪さなど、多くの問題が指摘されている。
しかし、それに対する改革がなんども叫ばれているのに、なかなか変わっていかない。それはなぜなのか。そもそもこういう「社会のしくみ」は、どんな経緯でできあがってきたのか。この問題を探究することは、日本経済がピークだった時代から約30年が過ぎたいま、あらためて重要なことだろう。
さらに連載記事<社会を支配する「暗黙のルール」とは何か…日本社会を規定する「慣習の束」という「大問題」>では、日本社会を支配する「暗黙のルール」の正体に迫っていきます。ぜひご覧ください。
*本記事の抜粋元・小熊英二『日本社会のしくみ』(講談社現代新書)では、雇用、教育、社会保障、政治、アイデンティティ、ライフスタイルまでを規定している「社会のしくみ」をわかりやすく解説しています。なぜ日本がうまくいっていないのか、その原因を考えるヒントが詰まっています。社会学者・小熊英二さんの力作をぜひお読みください。
・ ・ ・