💍58)─1─いつからメディアは皇室を芸能ネタのように「消費」するようになったのか。〜No.176No.177 

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 メディア業界には、60年安保・70年安保崩れであるリベラル左派の反宗教無神論・反天皇反民族反日的日本人が存在する。
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 2025年3月3日 YAHOO!JAPANニュース Book Bang「いつからメディアは皇室を芸能ネタのように「消費」するようになったのか……皇室報道の150年を読み解いた一冊【書評】(レビュー)
 つねにメディアの注目の的となってきた天皇ご一家
 権威の代弁者か、象徴の伴走役か、消費に走る商業主義か? 
 メディアと皇室の関係を読み解いた論考『皇室とメディア―「権威」と「消費」をめぐる一五〇年史―』(新潮社)が刊行された。
 象徴天皇制について研究する名古屋大学大学院の河西秀哉准教授が、皇室報道の変遷をまとめた本作の読みどころとは? 
 関東学院大学教授で英国王室研究の第一人者である君塚直隆さんによる書評を紹介する。
 君塚直隆・評「皇室報道の変遷を教えてくれる名著」
 『皇室とメディア』河西秀哉[著](新潮社)
 「あなたがたにはいろいろと書かれてきたよね。でもあなたがたが私たちの写真を撮ることや、私たちについて書くのをやめたときのほうが正直恐ろしいんだよね」
 これはかつてイギリスのチャールズ皇太子(現チャールズ三世国王)が、マスメディアの集いに招かれておこなったスピーチの一節である。チャールズ国王の場合には、まさに生まれたときからつねにメディアの注目の的となり、結婚から離婚へ、さらにはその後の顛末など、話題に事欠かない日々を送られてきたのかもしれない。
 英王室にとっては、このようにメディアから書かれる(撮られる)ことと距離を取られることとの「塩梅」は難しいものであるが、それは日本の皇室にとっても同様であろう。
 本書は、戦後の日本の皇室、とりわけ平成期の天皇・皇后と皇族の歴史に関わる研究書や啓蒙書を数々ものしてきた第一人者が、ついに「皇室とメディア」について真正面から取り組んだきわめて意欲的な作品である。
 著者はまず、「自粛ムード」に包まれた昭和から平成と、「お祭りムード」が拡がっていた平成から令和という二つの代替わりに注目する。ここには天皇の「死と生」の問題だけではなく、これを報じたメディアの関わりが見え隠れする。著者は、明治以降の皇室とメディアとの関係を、「権威」「人間」「消費」という三つの概念をキーワードとして論じていく。それは天皇や皇室を「権威」として扱い一般国民とは異なる遠い存在と見る一方で、普通の国民と同じ「人間」として親近感をもち支持する志向があるとともに、芸能人のように天皇や皇室の動向・話題を「消費」する、まさに三すくみ状態を意味する。
 あるときには皇室に「権威」を求め、別の場合にはわれわれと同じ「人間」性を希求し、ときには「消費」する風潮が強まる。これは特に戦後の日本にあてはまる現象であろう。
 江戸時代までは京都御所の御簾のなかに閉じこもっていた天皇は、明治になり、国民の前に姿を現すことが求められた。しかし宮内省は当初、メディアを蔑むような態度を取り、新聞も雑誌も天皇に近づけなかった。これが大きく変わっていくのが、裕仁皇太子(のちの昭和天皇)のヨーロッパ訪問時(1921年)からのことである。渡欧に随行した記者たちと皇太子は親しく接する機会も格段に増え、宮内省とメディアの関係も変化していく。
 そしてアジア・太平洋戦争の敗戦により、皇室とメディアの関係は親密さを増していく。天皇制存続の危機に瀕し、メディアが苦悩する天皇の姿を報道することで、世の中の天皇への戦争責任追及の動きは和らげられていく。さらに戦後直後に始められた天皇の全国巡幸は、「人間」としての天皇像をアピールするため、戦前に比べて取材制限も大幅に緩和された。しかしそれは天皇や皇室にとっては諸刃の剣となり、昭和天皇の子女の結婚をめぐる報道のあり方には「プライバシーの侵害」とも受け取れる情況が生み出されていく。
 それが頂点に達したのが明仁皇太子と正田美智子の結婚にともなう「ミッチー・ブーム」だった。著者が鋭く指摘するとおり、「人間」や「消費」という側面が強くなるほど「権威」の側から天皇制を支えているものには好ましくない状態が生じる。それは大正末期に登場したラジオに加え、戦後の1950年代末に到来したテレビの時代になるとますます強まり、「皇室アルバム」(1959年放送開始)のように天皇や皇族らの活動を淡々と報ずる番組が現れる一方で、皇室はワイドショーにより「消費」されてもいく。
 昭和から平成の代替わりは、天皇や皇后がより国民に近づき「国民に寄り添う」皇室像が登場するきっかけとなった。しかしあまりにも国民に近づきすぎて国民に「人間」味を示した皇后に対する「権威」支持者側からのバッシングもメディアの責任となった。他方で、平成の天皇・皇后が自然災害の被災地への訪問と大戦の慰霊の旅という二つの柱を打ち出していく際に、これを積極的に報じて支援したのもまたメディアのなせる業だった。
 イギリスでも、「権威」「人間」「消費」の三つの要素は王室と報道のせめぎ合いの中で常に問題視された。しかもメディアが露骨に「王室の支持率」を世論調査で示す点では、日本よりさらにシビアとも考えられる。王室にとって一長一短ともいえるメディアのあり方が本論の冒頭でも紹介したチャールズ国王の言葉にもあらわれている。
 本書はこのような「メディアの功罪」を詳細にとらえつつも、明治以降に皇室が歩んだ一五〇年の歴史を新たな角度から論じ、現代までの皇室と報道の関係の変遷を理解する際に強力な道案内役になってくれる名著といえよう。
 [レビュアー]君塚直隆(関東学院大学教授)
 関東学院大学国際文化学部教授。1967年東京都生まれ。立教大学文学部史学科卒業。英国オックスフォード大学セント・アントニーズ・コレッジ留学。上智大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程修了。博士(史学)。東京大学客員助教授、神奈川県立外語短期大学教授などを経て、関東学院大学国際文化学部教授。専攻はイギリス政治外交史、ヨーロッパ国際政治史。著書に『立憲君主制の現在』(新潮選書/2018年サントリー学芸賞受賞)、『ヴィクトリア女王』(中公新書)、『エリザベス女王』(中公新書)、『物語 イギリスの歴史』(中公新書)、『ヨーロッパ近代史』(ちくま新書)、『悪党たちの大英帝国』(新潮選書)、『王室外交物語』(光文社新書)他多数。
 協力:新潮社 新潮社 波
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 YAHOO!JAPANニュース Book Bang「「自粛ムード」の昭和から平成と、「お祭りムード」の平成から令和という対照的な代替わりを演出した皇室報道 『皇室とメディア』(河西秀哉・著)試し読み
 皇室とメディア
 河西 秀哉  著
 価格:2,090円(税込)
 昭和から平成に代替わりする際は「自粛ムード」、平成から令和に代替わりするときは「お祭りムード」、さらにやたらと持ち上げる時もあれば、一転してバッシングに……このように極端に揺れ動く皇室報道は、いったいどのようなメカニズムで決まっているのでしょうか。
 象徴天皇制について研究する名古屋大学大学院の河西秀哉准教授は、皇室報道を「権威」「象徴」「消費」という3つのキーワードで分析している。河西さんの新刊『皇室とメディア――「権威」と「消費」をめぐる一五〇年史』(新潮選書)の「はじめに」から一部を抜粋・編集し、試し読みとして公開します。
 平成から令和へ
 2019(平成31)年4月30日夜の八時ごろ、私は東京・渋谷のNHKから六本木のテレビ朝日へ向かうため、タクシーに乗っていた。途中、渋谷駅前のスクランブル交差点を通過したとき、いつもの夜以上に多くの人々がいるのに気がついた。なぜそのような状況になっていたのだろうか。それは、この日が平成の最後の日だったからである。
 私がこの日に東京にいたのも、平成から令和へのいわゆる「代替わり」を伝えるテレビ番組に出演するためであった。平成最後の日であった4月30日、各局はそのための番組を様々に編成していた。通常のニュースが延長されたり、バラエティ色の強い特別番組が作られたりするなかで、平成という時代を回顧したり、平成の天皇・皇后のあゆみを紹介したりしていた。そして、平成が終わるまさにその瞬間に向けて、テレビではカウントダウンが行われた。元号が変わる前後の時間の各地の様子が中継され、渋谷の交差点もまさにその対象の一つとなっていた。そこに集まっていた人々は、私が先ほど見たときよりももっと多くなっており、まるで年末から新年にかけてのようなお祭り騒ぎであった。この「お祭り」に参加するために、何時間も前から渋谷の交差点に多くの人々が詰めかけていたのである。
 しかし、元号が変わるときにこうしたある種のイベントのような騒ぎが展開されたのは、近現代日本史上、初めてであった。近現代において元号が変わったのは、天皇が死去したときのみだったからである。それぞれの天皇の病気の様子はメディアを通じて伝えられたが、人の死である以上、ある程度の覚悟や予想はしていても、いつ何時(なんどき)そうなるのかはわからない。そして、天皇の死を以て起こる「代替わり」や元号の交代をカウントダウンするようなことは「不謹慎」に当たる。それゆえ、これまでにこうした現象は見られなかった。
 平成から令和への「代替わり」は、2016年8月8日に天皇が退位の意向を強くにじませた「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」をテレビなどのメディアを通じて発表し、それを受けて政府が「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」を開催、その後に「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が成立したことで、平成の天皇が日本近現代史上初めて「生前退位」することによって行われたものである。政府が政令によって、退位を4月30日と設定し、令和という元号も4月1日に前もって発表されており、平成最後の日が人々に印象づけられていた。
 メディアも元号制定に関するプロセスや令和という文言に関するエピソード、平成という時代や天皇・皇后のあゆみを段階を踏んで何度も報道し、一つの時代の区切りと新しい時代への期待感を盛りあげようとしていた。だからこそ、人々はこの「代替わり」に熱狂したと推測できる。繰り返される報道によって平成の終焉という感情が増幅し、人々は新しい時代への期待感をふくらませた結果、わざわざ渋谷などへ集まったのではないか。政治家や経済人、文化人などが平成を振り返る企画に登場するとともに、私を含めた研究者がメディアで平成の皇室に関する総括を展開したことも、時代の変化を印象づけたと思われる。天皇元号が変わることを、一つの時代の変化と同義で見ること、私たちはそうした感覚をどこかで内面化していたようにも思える。それは、繰り返すが、「代替わり」をめぐるメディアの報道によって具体化した。平成から令和への「代替わり」は、そうした状況のなかで展開されたのではないか。
 (以上は本編の一部です。詳細・続きは書籍にて)
 河西秀哉
 1977年、愛知県生まれ。名古屋大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(歴史学)。名古屋大学大学院人文学研究科准教授。著書に『「象徴天皇」の戦後史』(講談社選書メチエ)、『皇居の近現代史 開かれた皇室像の誕生』(吉川弘文館)、『近代天皇制から象徴天皇制へ 「象徴」への道程』(吉田書店)など。編著に『戦後史のなかの象徴天皇制』(吉田書店)、『平成の天皇制とは何か 制度と個人のはざまで』(共編、岩波書店)、『昭和天皇拝謁記 初代宮内庁長官田島道治の記録』(共編、岩波書店)など。
 皇室とメディア:「権威」と「消費」をめぐる一五〇年史
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