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2025年1月14日11:30 YAHOO!JAPANニュース 歴史人「「投げ込み寺」に葬られた遊女 「平均寿命22.7歳」の地獄… 体を売って稼いでも「天引き」され、医者にもかかれなかった吉原遊女の「悲惨な末路」
浄閑寺(荒川)
1月から放送が開始されたNHK大河ドラマ『べらぼう』。蔦屋重三郎(演:横浜流星)を主人公に、吉原の伝説の遊女・花の井(演:小芝風花)、田沼意次(演:渡辺謙)が登場。第1話では蔦重の恩人である遊女が亡くなり、裸の遺体が描かれ話題を呼んだが、浄閑寺の過去帳によれば亡くなった遊女たちの平均寿命は「22.7歳」という短さだった。改めて、吉原の労働環境について見ていこう。
■亡くなった遊女の「記録上の数」が少なすぎる理由
吉原で亡くなった遊女たちの遺体収容先、つまり「投込寺(なげこみでら)」として知られた三ノ輪・浄閑寺(現在の所在地は荒川区南千住)。寺の過去帳には遊女たちの名前が記されているといいます。
江戸の遊郭文化の影の部分を実地調査した西山松之助の名著『くるわ』によると、浄閑寺の過去帳に記された遊女と思われる人名は、寛保3年(1743年)から幕末までの125年のうち、1940人にのぼります。しかし、これはどう考えても「少ない」のですね。
NHK大河ドラマ『べらぼう』の主人公・蔦屋重三郎が数え年で26歳だった安永4年(1775年)版の「吉原細見」によれば、当時の吉原に2000人ほどの遊女がいたことが示されています。しかもこれはドラマ第1回でも描かれた、最下級の「河岸見世」などに所属する「端女郎」と呼ばれた下級遊女たちはカウントしていない数字なのです。それなのに浄閑寺の過去帳の遊女たちは125年で1940人「だけ」……。
幕末の安政2年(1855年)に江戸を襲った「安政大地震」では、吉原でも大量の死者を出しました。西山松之助は、このときの吉原での死者を約400人と推定していますが、それを前出の1940人にプラスしたところで、1年あたり平均で約18人の遊女「しか」、浄閑寺は供養していなかったことになります。
読経などは全カットで、寺の敷地に穴を掘って埋めてもらえるという最低限の供養。それをやっと受けられたのが、吉原に数千人以上いた遊女たちのうち1%以下だったと考えるほうが論理的ではないでしょうか。
■土葬してもらうことすら贅沢だった
ドラマ第1回で衰弱により亡くなり、投込寺では遺体から衣類が引き剥がされ、裸にされてしまったというあまりに不憫な遊女・朝顔ですが、背景には穴を掘っている人夫たちが映っていたので土葬はしてもらえたのでしょう。しかし、それだけでも現実では1パーセントの遊女にしか許されない「厚遇」だったことを忘れてはなりません。
浄閑寺の過去帳(西山松之助の『くるわ』に掲載)に記された遊女たちの享年によれば、彼女たちの平均寿命は「22.7歳」。若死にが多かったことが推測され、あまりにシビアな現実に言葉を失ってしまいます。
吉原では花魁など、上級の人気遊女が病気になれば、楼主(店主)が優れた医者を呼び、治療を受けさせることもよくありました。しかし、「中以下の遊女となると実にみじめ(西山松之助『くるわ』)」で、ドラマの朝顔のように物置部屋に死ぬまで寝かされているだけ。ときどき医者の診察を受けられたらラッキー、という話だったようです。
ドラマでは、出来心で付け火(放火)した遊女が映っていましたが、彼女は死罪です。そういう遊女は死んでも誰も引き取りません。また、仮に人気遊女が吉原では「大罪」とされた「足抜け(逃亡)」を試みた場合、過去帳に記された戒名にすら「売女(ばいじょ)」と記されたようですね。
小芝風花さん演じる伝説の花魁・花の井は、一晩に10両(=江戸中期のレートで考えると、現在の50~70万円程度に相当か)を稼いだそうですが、何百両、何千両という稼ぎを得たところで、彼女たちの手元にはほとんどお金は残りません。「亡八(ぼうはち/人としての徳を忘れ果てた情けない人間)」の楼主たちから「部屋の代金」「着物の代金」などと理由をつけられ、天引きされたからです。そして死した後は、モノ以下の扱いをうけてしまう……。
男たちの夢の街だった吉原ですが、遊女にとっては牢獄あるいは生き地獄だったといえるでしょう。
堀江宏樹
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1月9日 YAHOO!JAPANニュース 歴史人「NHK大河『べらぼう』セクシー女優を起用しショッキングな「ヌード遺体シーン」を描いたが… ドラマよりも残酷な「投げ込み寺」の現実とは
炎上とスキャンダルの歴史
堀江宏樹
1月から放送が開始されたNHK大河ドラマ『べらぼう』。蔦屋重三郎(演:横浜流星)を主人公に、吉原の伝説の遊女・花の井(演:小芝風花)、田沼意次(演:渡辺謙)が登場、語りの九郎助稲荷役を綾瀬はるかが務める。1話では、亡くなった遊女役にセクシー女優を起用し、衣服を剥かれた「裸の遺体」を描いて大きく話題になった。蔦重の恩人である女郎・朝顔(演:愛希れいか)が亡くなったあとに着物も奪われるという残酷なシーンだが、実際の吉原で遊女たちはどのように亡くなり、死後はどのような扱いを受けたのだろうか?
■異例のヌードで描いた「投込寺(なげこみでら)」
2025年の「大河ドラマ」、『べらぼう』。江戸最大の色街・吉原を舞台にした意欲作です。俳優さんたちが肌を見せるシーンが多いからでしょう、「インティマシーコーディネーター」が起用されたことでも話題となりました。
近年、注目が集まる「インティマシーコーディネーター」とは、ヌードや濡れ場の演技が必要とされる作品において、演じる側の俳優たち、演じさせる側の制作者の間に立って折衝したり、場合によっては俳優さんのケアを担当したりする重要な役職です。
『べらぼう』第一回でも、オールヌードが登場しました。しかし、それは濡れ場などではなく、吉原の遊女たちの不安定で悲惨な境遇を象徴する「投込寺(なげこみでら)」でのワンシーンだったので余計に驚かされましたね。
■貧しい農家の少女たちの「悲惨な末路」
遊女たちはドラマでも語られていたとおり、貧家の出身者ばかりです。江戸時代は「太平の世」などと語られがちですが、現在より平均気温が低く、飢饉や凶作が相次いでいました。江戸の吉原に売られてくるのは、農作物の出来不出来で生活が左右されがちだった東北地方などの貧しい農家の少女たちです。
だいたい十代後半くらいまでは先輩遊女の仕事を助ける禿(かむろ)として働き、その後は約10年ほどの年季を課され、遊女として色を売る人生がはじまるのでした。
『べらぼう』劇中、衰弱して亡くなった朝顔は、吉原でも一流店、つまり「大見世(おおみせ)」の遊女だったようですが、年季中に病気に蝕まれ、「河岸見世(かしみせ)」と呼ばれる最下層の遊女屋に転売され、そこで息を引き取ることになりました。
吉原は厳しい階級社会です。「大見世」、「中見世(ちゅうみせ)」、「小見世(こみせ)」とつづき、最後に位置するのが、街の四方を取り囲む、お歯黒溝に面した「河岸見世」でした。
しかし、どの「見世」の遊女であろうが、年季中に亡くなると皆同様に悲惨です。
彼女たちの遺体は、三ノ輪の浄閑寺(現在の所在地は荒川区南千住)など、全部で数か所あった「投込寺」として知られた寺の敷地内か門前へと運ばれ、ゴミのように廃棄されてしまったのです。
■衣が剥ぎ取られるどころか、遺体の一部を「再利用」されることも!?
浄閑寺の寺伝によると、「遊郭側から、誰それが亡くなったという連絡を受け、遺体が到着する前に穴を掘って準備していた」「読経などの供養はなかったが、過去帳に名前は記した」そうです(西山松之助『くるわ』の記述を要約)。そして、過去帳から判明する遊女の平均寿命はなんと「22.7歳」でした。
しかしこれは浄閑寺が非常に良心的な施設だったにすぎず、あるいは過去帳から埋葬された記録が残る遊女店主や客たちから愛されていたというだけ。基本的には寺の所定の場所に遺体は捨て置かれているだけで、鳥や獣に食わせるにまかせていたのではないか、と筆者には思われるのです。
ドラマでは遺体から衣が剥ぎ取られていましたが、これもおそらくまだラッキーな部類です。江戸時代は人間の身体の一部が薬になると信じられていましたし、他ならぬ吉原では、遊女から客への誠意の証として、身体の一部、たとえば髪や爪や小指(!)を抜いたり、切ったりして送る「心中立て」という習慣がありました。
投込寺の遊女たちの遺体の一部も密かに、あるいは公然と「再利用」されていたのではないか……とも考えてしまうのですね。華やかに見える吉原の現実は、ドラマで描かれた以上に悲惨で陰鬱だったのです。
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1月6日 YAHOO!JAPANニュース 歴史人「大河ドラマ『べらぼう』元花魁・朝顔の生涯からみる吉原の光と陰 落ちぶれた遊女の悲惨すぎる末路
NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』の初回が1月5日に放送された。1話から吉原遊郭の光と陰を描く衝撃の展開が続いたが、その象徴として登場したのが“朝顔姐さん”(演:愛希れいか)だろう。主人公・蔦屋重三郎(演:横浜流星)と幼馴染で人気花魁の花の井(演:小芝風花)が幼少期から姉代わりのように慕った女性だ。彼女の死をもって物語は新たな局面を迎える。今回はその朝顔という1人の遊女の生涯から、当時吉原にいた遊女たちの光と陰を見つめよう。
■吉原の華・花魁に至るまでの過酷な道
そもそも遊郭にいる遊女たちのほとんどは、貧しい家庭に生まれ、幼い頃に身売りされたり、半ば攫われるように連れて来られたりしていた。「人身売買」と表現されることもあるが、人身売買そのものはご法度だったため、建前として女衒(げぜん)を介して妓楼から前借金をして、娘を奉公に出すという体裁がとられた。もちろん本人の意思によるものではなく、家族の借金のかたとして望まぬ奉公を強いられていたことは言うまでもなく、人権侵害としか言いようのない習慣だったことはきちんと書き添えておきたい。
少女たちは「禿(かむろ)」として上級の遊女たちについて身の回りの世話をしながら姐さん方の立ち居振る舞いを間近で見て育ち、遊郭のしきたりを学んでいた。花の井もさくら(演:金子莉彩)とあやめ(演:吉田帆乃華)という2人の禿を抱えている。
禿のなかでも見込みがあると判断された少女は「振袖新造」となった。これは客をとらない、遊女の一歩手前の見習い段階である。一方、将来的に上級の遊女や花魁にはなれないと判断された少女たちは「留袖新造」となって、15歳頃から客をとるようになった。
やがて振袖新造は17~18歳頃に突出し・水揚げを経て一人前の遊女として華々しくデビューする。遊女のランクは時代によって名称等が異なる。『べらぼう』冒頭の明和9年(1772)~安永2年(1773)には「太夫」というランクがなくなっており、「呼出」「昼三」「付廻し」が「花魁」と呼ばれる高位の遊女となっていた。花魁になれるのは、容姿にも恵まれ、豊かな教養を身に着けた一握りの遊女だけである。
1話で登場した朝顔は、元々松葉屋の花魁だった。禿であるあざみ(幼少期の花の井/演:前田花)の面倒もよくみて、柯理(幼少期の重三郎/演:高木波瑠)やあざみに本の世界の面白さを伝えた人物だ。しかし、ただ優しいだけでは前述のような狭き門を潜り抜けて花魁にはなれない。きっと、過酷な環境に耐え忍びながら、血のにじむような努力を重ねて教養や遊女としての手練手管を身に着けてきたのだろう。
しかし、そんな彼女が身を寄せていたのは、河岸見世の「二文字屋」だった。ここは最下層の女郎が集まる場所で、年季が明けても行き場がない、客がつかなくなった、病気になったなど、その理由は様々だった。たった2畳ほどの間を与えられて破格の値段で客をとるという、筆舌に尽くしがたい劣悪な環境でどうにかその日をしのぎながら生きていたのである。
病気などで命を落とした遊女は、無縁仏として葬られた。新吉原ができた頃から遊女や遊郭関係者を弔ってきた浄閑寺が「投込寺」として知られているが、これは安政2年(1855)の大地震の際に吉原の遊女らが大勢亡くなり、まるで投げ込むように葬られたことからそう呼ばれるようになったものである。後に花又花酔の川柳で、「生まれては苦界、死しては浄閑寺」と詠まれた。
花の井のような高位の遊女らが艶やかに着飾り、禿や新造を引き連れて道中を行い、客は飲めや歌えやの大騒ぎ……そういった表面上の「吉原の光」と、かつては花魁として松葉屋を背負った朝顔をはじめ、数人の女郎が着物さえ剥ぎ取られて打ち捨てられる「吉原の陰」の対比は鮮烈だった。重三郎が生きる吉原、そして花の井をはじめとする遊女の苦悩は今後どのように描かれていくのか、注目である。
禿や新造を連れた花魁。自分についている妹分たちの面倒をみたり、必要な着物などの金も出した。
東京都立中央図書館蔵
<参考>
■菅野俊輔監修『図解 吉原遊郭入門』(宝島社)
■田中優子『遊郭と日本人』(講談社現代新書)
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1月12日 YAHOO!JAPANニュース 草の実堂「【江戸の遊女の実態】60人に1人が春を売っていた? ~吉原・岡場所の違いとは
NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」の第1回放送では、横浜流星さんが演じる主人公・蔦屋重三郎(通称:蔦重)が、吉原の下級遊女たちの困窮を岡場所の影響だと考え、奉行所に対して取り締まりを訴える場面が描かれました。
しかし、訴えは拒絶され、思い余った蔦重は老中・田沼意次に直訴しますが、逆に諭されてしまいます。
江戸の街には、遊女たちが働く場所として吉原や岡場所がありました。
今回は、これら吉原や岡場所の実態について詳しく紹介していきます。
「吉原」と「岡場所」の違い
画像:新吉原の桜。歌川広重 wiki.c
吉原と岡場所の大きな違いは、吉原は「幕府が公認した遊郭街」で、岡場所は「幕府非公認の私娼街」ということになります。
蔦屋重三郎こと蔦重が、1796(寛政8)年に刊行した『吉原細見』よると、当時の吉原には「大見世」と呼ばれる高級店が10軒、準高級店である「中見世」が29軒、大衆店の「小見世」が22軒。さらに、それよりも格下の「切見世」「河岸見世」が数件あったと記されています。
一方、岡場所は全盛期には江戸市内に70ヵ所ほどあったとされ、寺社の門前や広小路などいわゆる盛り場を中心に発展しました。
その代表的な場所を挙げると、赤坂・谷中・根津・深川・三田などがあり、江戸市中のいたるところに岡場所が形成されたのです。
また、全盛期というのは、吉原と異なり幕府非公認の私娼街である岡場所は、風紀の乱れや質素倹約などの理由でしばしば取り締まりを受けました。
特に、贅沢を嫌った松平定信の寛政の改革、水野忠邦の天保の改革では、大半の岡場所が取り潰しの憂き目にあったといいます。しかし、岡場所は改革の時期が終わると、しぶとく復活を遂げました。
吉原・岡場所にはどれくらいの女性がいたのか
画像:花魁 publishing domain
では、吉原・岡場所などには、何人くらいの遊女がいたのでしょうか。
幕府公認の吉原の遊女の数は、ほぼ確かな数字が出ますが、私娼街の岡場所の遊女の数は推測するしかありません。
吉原は火災など年によって遊女の増減があるものの、平均すると2,500人ほどと考えられます。そして岡場所は1カ所につき50人ほどとすると、70ヵ所で3,500人ほどと推測できます。
そうなると、吉原と岡場所を合わせて江戸市中には、6,000人ほどの遊女がいたということになるのです。
画像:深川の岡場所で働く軽子 wiki.c
しかし、春を売っていた女性の数はこれだけではありません。
「江戸四宿」といわれた宿場町である品川(東海道)・板橋(中山道)・内藤新宿(甲州街道)・千住(奥州街道)にも岡場所があり、しかも宿場にある各旅籠には「飯盛女」と呼ばれる女郎がおり、さらに江戸には「夜鷹」と呼ばれる最下級の娼婦たちもいました。
幕府は、岡場所や江戸四宿の飯盛女の存在は、一応は見て見ぬふりをしていました。しかし、岡場所や飯盛女の人気が高まり、その需要が増えると岡場所を取り締まったり、飯盛女の数を1軒の旅籠に付き2名までという規制を設けたのです。
吉原と岡場所を合わせて江戸市中には6,000人ほどの遊女・女郎がいたとしましたが、これに江戸四宿の飯盛女の上限950人を合わせると、江戸にはおおよそ7,000人の春をひさぐ女性がいたことになります。
画像:飯盛女と客 wiki.c
江戸の人口は約100万人で、男女比は男性60%に対し女性40%です。
したがって、40万人の女性のうち遊女などが占める割合は1.75%となり、おおよそ60人に1人の女性がそのような生業についていたということになります。
これに4,000人ほどいたとされる夜鷹を入れたら……その実態は調べるほど驚きの数字になってしまうのです。
しかし、これには理由がありました。
江戸に住む男性には独身が多く、建前として自由恋愛が許されていなかった江戸時代においては、そうした女性たちの需要が高かったのです。
江戸時代、女性と遊ぶのにかかった料金
画像:新吉原の仲の町 wiki.c
吉原・岡場所・飯盛女・夜鷹と紹介してきましたが、もちろんそれぞれの遊興費にも違いがありました。
吉原が高い料金がかかる一方、岡場所・飯盛女は比較的低料金でした。
また、吉原が何かとしきたりが厳しかったのに対し、岡場所は手軽に遊べたので、庶民や下級武士にはこちらの方が人気が高かったのです。
では、実際の料金体系を紹介しましょう。
吉原は高級店から大衆店まで多様な店があり、大衆店でも現代価格で4万円ほどかかり、高級店になるとその料金はまさに天井知らずでした。
高級店の遊女は「大夫」と呼ばれますが、その大夫と床入りするには最低3回は足を運び、宴席などを設ける必要がありました。そうした経費を全て含めると、500万円はかかったというから驚きです。
一方、岡場所は現在でいうちょいの間的な遊びでは、30分で約1,000円ほどで、ある程度の時間女性と遊んでも1万円半ばであったとされます。
また、宿場の旅籠にいた飯盛女は、幕末の品川宿での相場は、1万円弱から1万円半ばほどとされ、『東海道中膝栗毛』によると4,000円弱でも遊べると記されています。
画像:夜鷹 月岡芳年。publishing domain
対して夜鷹は、江戸時代の屋台の代表的な食べものである蕎麦一杯と同じ値段で、約350円という安さでした。
このことから「夜鷹蕎麦」という名が生まれたとされます。
吉原遊郭、岡場所、飯盛女、そして夜鷹といった存在は、現在の視点で見れば女性蔑視や差別の象徴とされる問題であることは否定できません。
そこで働いていた女性たちの多くは、貧困により自らの意思に反して苦界に身を落とさざるを得なかったのが実情です。
しかしながら、江戸時代の市民生活において、彼女たちは特定の役割を担っていたと言えます。その実態を知り、歴史的な背景を理解することは、現代を生きる私たちにとっても大切なことではないでしょうか。
※参考文献
『日本史深堀り講座』 青春出版社刊 2024.11
文 / 高野晃彰 校正 / 草の実堂編集部
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1月12日 YAHOO!JAPANニュース 集英社オンライン「大河『べらぼう』の全裸遺体となった下級遊女よりもひどい仕打ち…現代の吉原の嬢が受ける「梅毒をうつしに来る客」「重度の歯周病の客」のオンパレード
「べらぼう展」の看板と2019年に行なわれた「花魁道中」の様子
1月5日に放送が開始されたNHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』。江戸幕府公認の遊郭・吉原を舞台とし、第一話から「河岸(かし)女郎」と呼ばれた下級娼家の女郎・朝顔(愛希れいか)が餓死し裸で打ち捨てられるという衝撃のシーンが話題となったが、現在の吉原はいったいどうなっているのか、関係者に話を聞いた。
〈画像〉『べらぼう』遺体役で話題となった3人の“女優”たちのオフショットと“女優”藤さんの妖艶なバレリーナ姿
現代の吉原には「高級店、中級店、格安店」が40店舗ずつ
ドラマでは、花の井(小芝風花)のような「花魁」と呼ばれる上級遊女が常連客を迎えに出向く艶やかな「花魁道中」のシーンも映し出されたが、一方の下級女郎である朝顔は飯も十分に食えず餓死して裸で打ち捨てられる。
当時の吉原内では、店がある場所も上級と下級ではっきりと分かれていた。
花魁がいる店は大店(おおだな)といって街の中心部に、下級女郎の店は街の外周を囲む黒く濁った「お歯黒溝(おはぐろどぶ)」と呼ばれる溝沿いの「浄念(じょうねん)河岸」や「羅生門河岸」と呼ばれるエリアに軒を連ねていた。
現代の吉原にも大きく分けて高級店、中級店、格安店とあるが、店の場所は江戸時代のようにはっきりと分かれているわけではない。
現地を訪れると、遊郭で遊んだ男が名残惜しくて振り返った柳あたりにあったことから名付けられた「見返り柳」はまだ残されていた。吉原大門があったとされる場所には赤い柱が立ち、さらに『べらぼう』ブームに乗って蔦重が開業した書店を模した店などができていた。
吉原に事務所を構え、風俗嬢の宣材写真を撮り続けて14年目になるカメラマンの酒井よし彦氏は言う。
「現在は高級店、中級店、格安店がそれぞれ約40店舗ずつあり、全部でおよそ120店舗あると言われています。江戸時代の吉原と街の面積と道筋は変わっていませんが、エリアごとに店の格が分かれているようなことはありません。
月に80人くらいの女性を撮影しますが、撮影中は女の子から愚痴を聞くこともあります。安い店だから悪い客が集まるなんてことはなく、高い店でもなかなかひどい客が来ると嘆いていますよ」
「歯ブラシが血で真っ赤に染まるほど重度の歯周病の客も…」
最近は吉原でもインバウンド客を迎え入れる店が増えているようで、文化の違いから女性従業員に対しひどい扱いをしてくる客もいると、酒井氏は言う。
「インバウンド系の客の中でも、『女性は男性よりも劣位にある』という認識が強い文化圏の方は、髪をつかんで無理やり口淫させようとしてきたり、女の子を物のように扱う人も多いと聞きますね」
ただ、日本人客の中にもこんな困った客はいるようだ。
「首絞めが気持ちいいと感じる女性がいるとか、挿入時に腹をパンチするとオーガズムに達するとか、そういう間違った性知識を持ったお客様がいて、それを女の子に試そうとするようです」
実際に風俗店で働く女性数名にも話を聞いた。
最初は格安店、現在は中級店を経て高級店で働く吉原歴5年のAさん(31)は言う。
「格安店では口臭がきつい、爪が伸びてるといった不潔なお客様もいらっしゃいましたが、歯磨きさせると歯ブラシが血で真っ赤に染まっちゃうくらい重度の歯周病の方などもいらっしゃいました。
でも、そんな方ともキスをしなければいけないので、本当にメンタルがやられました。ただ、不潔な方は店のランク問わずいらっしゃいます」
「プレイ後に理不尽なクレームをつけて返金を求められた」
吉原の高級店には “即尺(入浴前に口淫する専門用語)”というプレイがあり、これを求めて来る客も多い。それであえてこんな嫌がらせをする客もいると言うのだ。
「お風呂に何日も入らずに来店される方がいます。高級店でもあまりに汚い方は入店を許可しない店がほとんどですが、独特なルールを持つ老舗店では“どんなに汚くてもお客様だから”と教えられるので、新人時代は涙を堪え、吐き気を我慢して接客をしたこともあります」
また、昨年吉原を引退するまで15年近く高級店で勤務した経験のあるBさん(42)は、こんな客を迎え入れたこともあるという。
「本当に汚くて臭いがキツいお客様が来たことがあります。新人時代なので断ることもできず、まずお風呂に入ってもらいましたが、垢もすごくたくさん出て……臭いも取れないし、そのお客様の後はお部屋が使えないほどでした」
さらにBさんは、別の利用者ではこんなトラブルに見舞われたという。
「偏った知識のお客様が、自分が望んでいたプレイができなかったと怒り始め、受付にクレームを言い出しました。“金を返せ、他店は返してくれたぞ”と。
おそらく他店の返金対応で味を占めて、私の店でも同じようにプレイして返金してもらおうと企んだのだと思います。本当にひどいお客様でした」
「梅毒に罹患した客」「婚姻届にサインして来店する客」
また、中には性感染症に罹患しているにもかかわらず、遊びに来る客もいると、Bさんは言う。
「いま現在、梅毒が全国で流行っていますが、近年の吉原で梅毒が最初に猛威を振るったのは2017年頃だと記憶しています。
その当時、梅毒に罹患されたお客様が来店されて、私の知り合いの女の子が罹ってしまったことがあります」
さらに、自由恋愛のもと、体の関係を持つサービスをする店ということもあり、客がストーカー化することも少なくないそうだ。
「あるお客様はお店にサインした婚姻届を持ってきました。その後、私の後をつけて自宅を特定して郵便物を漁った挙句、電話をかけてきました。
さすがにその方は出禁にしましたが、2023年5月に起きた、高級店で女性従業員がストーカー化した男性客に刺されて亡くなった事件の一歩手前のようなことは、吉原で働く子なら珍しい経験ではありません。
体を張って働いているのは、本当に昔も今も変わらないと思います」
現在、三ノ輪の浄閑寺には吉原で命を落とした遊女たちの慰霊のための「新吉原総霊塔」が建っている。
吉原で働く女性が健やかに過ごせることを願うばかりである。
取材・文/河合桃子 集英社オンライン編集部ニュース班
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