🕯157)─2─日本では被災地で犠牲になった家族や友人の幽霊(御霊)の目撃談が急増する。〜No.332 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本の土地神話とは、資本主義価値観やマルクス主義価値観による私欲・強欲な金儲けではなく、日本神話価値観による土地には「神・霊・念」が宿るという宗教である。
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 日本神話の民族宗教では、日本の自然の至る所に八百万の神々が鎮座している。
 普遍宗教では、大地は天地創造絶対神が一日を創り、自然の至る所に生死を司る絶対神の御意思が宿っている。
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 多発する自然災害によって数千人から数十万人が犠牲になり、死者の魂・霊魂が日本全土に染み込み、死者は幽霊となって日本全土に徘徊している。
 日本国とは死者の国であり、日本民族は死者と共に生きる民族である。
 日本の幽霊は、御霊であって怨霊ではなく、生き残った家族や親族・友人を恨んではいない、むしろ生き残った事を喜び赦しと安堵、そして癒やしを与えている。
 それ故に、日本の幽霊を怖がり、忌み嫌う必要はない。
 日本民族は、そうして数万年を日本列島で生き続けてきた。それが、祖先を人神として崇める日本の民族宗教である。
 その象徴が、祭祀王の正統男系父系天皇である。
 戦後民主主義教育の優等生であるエセ保守やリベラル左派は、反宗教無神論・反天皇反民族反日的日本人である為に理解できない。
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 諫山創「人はいずれ死ぬ。ならば人生には意味がないのか?死んだ仲間もそうなのか?あの兵士たちも、無意味だったのか?いや違う‼あの兵士に意味を与えるのは我々だ‼あの勇敢な死者を‼哀れな死者を‼想うことができるのは生者である我々だ‼我々はここで死に、次の生者に意味を託す‼」(『進撃の巨人』)
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 映画・スペック「生と死を峻別する事に意味はない。
 他者が認ずれば死者とて生命を持ち、
 他者が認ずる事なければ生者とて死者の如し」
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 西行法師「何事の おはしますをば しらねども かたじけなさに 涙こぼるる」(伊勢神宮参拝して)
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 イザベラ・バード「わたしは死んだ過去の時代の霊魂が私の背後に近づいてくる、と感じた」(伊勢神宮参宮して)
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 H・P・ラヴクラフト「人類の感情の中で、何よりも古く、何よりも強烈なのは恐怖である」
 人類は、恐怖に打ち勝つ為と真理を究める為に宗教を編み出した。
 最強の恐怖とは「死」であり、究極の真理とは「生」である。
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 マルクス「宗教は阿片である」
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 2024年11月11日 YAHOO!JAPANニュース ナショナル ジオグラフィック日本版「自然災害が増えると幽霊の目撃談が増えるのはなぜなのか、東日本大震災やコロナ禍でも報告
 圧倒されそうな喪失に直面した人々が体験する、超自然的な「怪異」について
2005年8月29日に米国に上陸したハリケーンカトリーナは、米史上最大級の被害を出した。こうした災害の被災地では幽霊の目撃談がたびたび聞かれる。(Photograph by Erika Larsen, Redux)
 奇妙なことに、壊滅的な森林火災、ハリケーン、記録的な洪水の後などには、幽霊を見たという話を実際によく聞くようになる。これには、自然災害によって大きな被害を出した地域の人々が受けるトラウマが関係しているようだ。
 ギャラリー:絶対に「出る」 世界の心霊スポット20選
 悲しみは脳に強い影響を与えると話すのは、災害精神医学の専門家レスリー・ハートリー・ギース氏だ。「愛する人を亡くした後、その姿を見たり声を聞いたりしたという人は多いです。そして、自分は頭がおかしくなったのだと思うのです」。ギース氏は、2023年にハワイで発生した山火事の生存者のカウンセリングを行った。
 こうした超自然的な体験は、圧倒されそうな喪失に人がどう対処するかを反映しているのではないかと、心理学者たちは指摘する。
 例えば、英国で新型コロナウイルス感染症によるロックダウンが始まってから1カ月が経過したとき、死者の霊と交信できると信じる団体「スピリチュアリスト・ナショナル・ユニオン」では、会員申し込み数が325%も増加した。カトリックエクソシストや超常現象の調査会社にも依頼が殺到したという。
 さらに、マウイ島の火災、リビアの洪水、東日本大震災の生存者たちも、しばしば説明のつかない、不思議な現象と遭遇したと報告している。
 人々の生活を一変させる自然災害はこれからも起こるだろう。そして、それに伴って超自然現象への関心も高まっている。ということは、今後幽霊を信じる人も増えていくのだろうか。
 トラウマが作り出す幽霊
 生物学的なレベルで言えば、悲しみとトラウマは、コルチゾールなどのストレスホルモンを放出させ、睡眠不足や感覚過負荷といった症状を引き起こす。そんなとき、人は実際の記憶と区別がつかないほど現実的な幻覚を見ることがある。悲しみに暮れた人々が、亡くなった家族の姿を見たとか声を聞いたなどと訴えるのはそのためかもしれない。
 被災地では、非現実的な感覚が強くなる。鳴り響くサイレン、瞬く光、廃墟と化した学校の建物や道路の不気味な光景などはすべて、人を緊張状態に置き、ないものをあるかのように認識させようとする。
 苦しむ生存者が現実感消失や離人感(自分が自分でない感じ)といったものを覚えることもあると、ギース氏は言う。
 「この世界は現実ではない、または自分は以前の自分とは違うと感じたり、鏡を見ても自分自身の姿を見ることができなくなったりします」。この現象は、その人が本当に幽霊を見ているわけではなく、自分自身が幽霊であるかのように感じている可能性を示唆している。
 さらに、災害後の環境の状態もこうした感覚を増幅させる可能性がある。被災地では、崩れた建物や工業地域での火災から、水銀、ヒ素、農薬といった有毒な化学物質が放出される恐れがある。これらの汚染物質が飲料水に浸透すると、幻覚や、ときにはてんかんなどの発作を引き起こすこともある。また、「差し迫った破滅や恐怖の予感」がてんかんを誘発することもある。
 町や村が困難な復興に取り組むなか、放置された農地にも、人に幽霊を見させる要因が潜んでいる。というのは、作物が腐敗すると、精神毒性の高い麦角菌(ばっかくきん)が発生することがあるのだ。1690年代に米マサチューセッツ州セイラムで巻き起こった清教徒魔女裁判をめぐる集団ヒステリー騒動にも、この菌が関係していたのではないかという説もある。
 共同体をまとめ、悲しみに区切りをつける幽霊たち
 幽霊話は、怖がらせるためだけでなく、実用的で象徴的な道具として、様々な文化で生き続けてきたと、米ミズーリ大学の人類学者クリスティン・バンプール氏とトッド・バンプール氏は言う。両氏は、共著書『An Anthropological Study in Spirits(霊の人類学的研究)』のなかで、民間伝承がしばしば共同体を守り、ときには危険な場所や人物に近づかないよう注意喚起をする役割も果たすと指摘している。
 幽霊は、「欲望、怒り、その他の反社会的なものを何らかの形で警告する比喩的な危険として認識されているのかもしれません」と、クリスティン・バンプール氏は言う。
 幽霊の見た目は必ずしも人間であるとは限らないと、トッド・バンプール氏は言う。例えばスイスとイタリアにまたがるアルプスのような地域では、氷河の消失を悲しんで、山々が亡霊のように嘆いている姿を地元の人々は地形に見いだしている。世界中で、風景が大きく変わってしまうほどの破壊的な災害にあった人々が同様の体験をしていると、トッド氏は言う。
 それにしても、多くの社会がこれほど積極的に自らを怖がらせようとするのはなぜだろうか。
 「幽霊話は共同体を一つにまとめることができます」と、クリスティン・バンプール氏は言う。世代を超えて語り継がれてきた物語によって結ばれた社会的な絆は、社会の信仰体系を強化し、葬儀が正しく執り行われていることを確認し、死者がやり残した仕事を共同体が協力して完成させるよう促す役割を果たす。
 これは特に、危機のときに重要になってくる。例えば、2023年のトルコ地震の後、生存者は何もかもが破壊されたなかで愛する人の死を適切に嘆くこともままならなかった。世界保健機関(WHO)は、多くの人が死者を葬ることができず、「二次的トラウマ」が広く蔓延したと報告している。このような場合、人々が物語を語り、伝えあうことが、希望と記憶を生かし続ける助けとなる。
 2011年の東日本大震災後、各地で伝統的な怪談会が開かれた。被災者に取材して『津波の霊たち 3.11 死と生の物語』を書いたジャーナリストのリチャード・ロイド・パリー氏は、生存者たちがつながりを求め、区切りをつけるために、愛する人の霊に会うことを強く望んでいたと書いている。
 こうした災害の心理的影響は、被災地だけにとどまらない。2011年の津波発生後、災害精神医学を専門にするギース氏の同僚は、ハワイに住む日系人社会の心のケアの支援を求められたという。彼らもまた、太平洋の向こうの祖国で起こった出来事に衝撃を受けていた。
 「今後、幽霊を見たという人はもっと増えると思います」と、ギース氏は話す。人を、麻薬やアルコールに再び走らせるような誤情報や強い不安感もまた、すべて増加の一途をたどっているという。
 文=Daniel Seifert/訳=荒井ハンナ
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11月3日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「日本の「土地」には「神や霊や念」がやどっている…「日本の古典」を読むと、強くそう思える理由
 「和歌」と聞くと、どことなく自分と縁遠い存在だと感じてしまう人もいるかもしれません。
 【漫画】床上手な江戸・吉原の遊女たち…精力増強のために食べていた「意外なモノ」
 しかし、和歌はミュージカルにおける歌のような存在。何度か読み、うたってみて、和歌を「体に染み込ませ」ていくと、それまで無味乾燥だと感じていた古典文学が、彩り豊かなキラキラとした世界に変わりうる……能楽師の安田登氏はそんなふうに言います。
 安田氏の新著『「うた」で読む日本のすごい古典』から、そんな「和歌のマジック」についてご紹介していきます(第12回)。
 この記事は、『「日本の古典」と「西洋の古典」の大きなちがい…じつは「地名」の扱い方に、こんなに差があった』より続きます。
 前の記事では、日本の能では、登場人物(ワキ)が各地を漂泊する様子を、その地名を読み込みながら描いた「道行」という表現があることなどを見ました。西洋の古典にも似たような表現が見られますが、そこでは「地名」は比較的シンプルに、それほどの工夫をともなわうに扱われるのでした。しかし、日本の古典では……。
 和歌と枕との深い関係
 俊基卿の道行にも表れる「逢坂」は、地名そのものの中に恋しい人に会えない悲しさが含まれています。「逢坂」という名は「会ふ」という語を含みながら、「関」によって阻まれて会うことができない。さらにその関に流れる清水は涙の象徴にもなっていて、それらがすべて「逢坂」という地名に圧縮されているのです。
 心情を内包する土地、それが歌枕です。
 あ、そうそう。歌枕は、広義としては歌ことばやそれらを列挙した書物の意にも使われますが、本書では地名としての歌枕に限って使っていますし、これからもその意味で使うことが多いと思います。『俊頼髄脳』などによって、和歌に多く詠まれた土地が歌枕として認定されましたが、それにもあまりとらわれず、その後に準歌枕として認定された土地も含めて歌枕とします。
 ところで「歌枕」の「枕」とは何なのでしょうか。和歌では「枕詞」や「まくらごと」という言葉もあります。どうも和歌と枕とは関係が深そうです。
 民俗学者折口信夫は「まくら」というのは、神霊がうつるのを待つ装置(設備)だといいます。
 わが古代信仰では、神霊の寓りとして、色々の物を考へた。其中でも、祭時に当つて、最大切な神語を託宣する者の、神霊の移るを待つ設備が、まくらである。だから、其枕の中には、神霊が一時寓るとせられたのである。其神座とも言ふべき物に、頭を置くことが、霊の移入の方便となるので、外側の条件は、託宣者が仮睡すると言ふ形を取る訣である。(「文学様式の発生」折口信夫全集第7巻)※漢字は新字体に変更
 世界的に見ても特殊な日本の土地
 祭礼の夜、神霊はまくらに憑り移り、託宣者がそこに頭を置いて仮眠をすると、まくらに移った神霊が託宣者の中に入り「神語」を託宣するというのです。
 夢幻能の前半で、里人の姿で登場した幽霊(シテ)が一度消えると、旅人であるワキは「露を片敷く草枕」と草枕を敷いて仮寝をします。するとそこにシテがその本当の姿を現して再登場する。能においても草枕は神霊であるシテを待つための装置であり、仮寝はそのための儀式なのです。
 そして枕がそうであるならば、歌枕としての土地も神霊の宿る装置であり、だからこそ能のシテの「残念」はそこに留まるのでしょう。
 それにしてもたかが土地に神霊というのは少々大げさな気がします。しかし、日本の土地というのは、世界的に見てかなり特殊なのではないかと私は思っています。
 たとえば、日本では時代をあらわすのに地名を使います。奈良時代、平安(平安京)時代、鎌倉時代室町時代、そして江戸時代と。そして、時代を冠された土地は、その時代の性格をいつまでも保持します。平安京であった京都は、いまでも平安時代の面影を色濃く残していますし、鎌倉などもそうです。土地は時代の記憶をもったまま生き続けるのです。
 しかし、これは時代を冠された土地だけではありません。『風土記』や『古事記』などの中には地名命名の神話が多く載っています。
 ヤマタノオロチ退治を終えた建速須佐之男命が、自身の宮を造るために須賀の地にたどり着いたときに「この地にやって来て、私の心はすがすがしい(吾此の地に来、我が御心すがすがし)」と言ったことで、この地が須賀という名になったとか、あるいは神武天皇東征のとき、神武天皇の兄である五瀬命が、深傷の御手の血をお洗いになった土地が「血沼海」と呼ばれるようになったとか、そのような話は日本の神話にはたくさんあります。
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 『「日本の和歌」のスゴい力をご存知ですか…? 土地に記憶を封じ込める「驚きの技術」』(11月3日公開)へ続きます。
 安田 登(能楽師)
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11月3日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「「日本の和歌」のスゴい力をご存知ですか…? 土地に記憶を封じ込める「驚きの技術」
 安田 登能楽師
 「和歌」と聞くと、どことなく自分と縁遠い存在だと感じてしまう人もいるかもしれません。
 しかし、和歌はミュージカルにおける歌のような存在。何度か読み、うたってみて、和歌を「体に染み込ませ」ていくと、それまで無味乾燥だと感じていた古典文学が、彩り豊かなキラキラとした世界に変わりうる……能楽師の安田登氏はそんなふうに言います。
 安田氏の新著『「うた」で読む日本のすごい古典』から、そんな「和歌のマジック」についてご紹介していきます(第13回)。
 この記事は、『日本の「土地」には「神や霊や念」がやどっている…「日本の古典」を読むと、強くそう思える理由』から続きます。
 前の記事では、能には、登場人物(ワキ)が各地を漂泊する「道行」という表現が出てくること、そして、そうした表現からは、日本文化においては「土地」に神や霊などがやどると考えられてきたふしがうかがえることを紹介しました。
 「道行」に歌われる土地の一部が「歌枕」と呼ばれることもありますが、どうやらそのことが、日本の「土地の記憶」をより彩り豊かなものにしているようで……。
 歌は土地に記録される
 文字に書かれたものだけではありません。日本の地名はとても詩的で、そして物語を有するものが多い。その名を聞けば物語が脳裏に再生され、そしてその地に立てば眼前に神話が出現する、それが日本の土地なのです。
 土地は物語を記憶します。
 ただでさえ神話や物語、また心情をも記憶する土地なのに、歌枕はそこに歌の記憶が重なるので、さらに重層的になります。
 『袋草紙(藤原清輔)』には、竹田大夫国行という者が白河の関を通過する日には特別の装束を着て、髪を整えた。わけを問うと「いかで《けなり(褻なり:普段着)》にては過ぎん」と言ったといいます。そこまでしなくとも心ある歌人は歌枕をスルーすることはできません。そして歌を詠みます。
 すると、歌枕として認定されたときの元の歌に、旅人の詠んだ歌が重なる。さらに次の歌人が詠えば、また重なる。さらに次の歌人、次の歌人と無限に積み重ねられた歌は圧縮されて土地に記憶されます。
 そのアイコンが歌枕です。歌を詠むということは、そのアイコンをクリックするようなものです。歌人の詠歌によって、圧縮された歌の記憶は解凍され、それが一挙に押し寄せてきます。山本健吉は「白河の関は、言わば古歌の洪水である」と言いましたが、その波に吞まれる人もいるでしょう。そんな楽しみを味わえるのも歌を詠む人だからこそです。
 今回、歌枕と道行のことを書いたのは、本書ではときどき歌枕探訪をしようと思っているからです。私は歌を詠むことはできません。その代わり、ワキとして歌枕探訪や道行をしようと思っています。
 歌枕を追う
 ブルース・チャトウィンは『ソングライン』(北田絵里子訳)のなかで、アボリジニの道を紹介しています。ソングラインというのは、アボリジニの人たちが伝承する歌の中に登場する旅の軌跡です。精霊の声に導かれるがまま移動を続けたら、その軌跡がソングラインと呼ばれるようになったというのです。まさに道行。西洋の文学の中には道行は少ないと書きましたが、無文字文化だったアボリジニの人たちの中には道行はありました。
 かつて1ヵ月ほどネイティブ・アメリカンの方たちと旅をしたことがありましたが、彼らの聖地にも物語があり、その物語に導かれるままに旅をしました。そして聖地ごとに儀式をし、歌を歌い踊りました。旅の最後はパイプの石が取れる地でのサンダンスの儀礼です。ここで語られた神話は立体化されるのです。
 ソングラインの土地もネイティブ・アメリカンの聖地も、物語を持っているという以外にもうひとつ特徴があります。それは、その土地に行くと次に行くべき土地が示されるということです。
 これは能の道行もそうです。『高砂』という能には、以前はよく結婚式で謡われた「高砂や」の待謡があります。

 高砂やこの浦舟に帆をあげて。この浦舟に帆をあげて。
 月もろともに出で汐の。
 波の淡路の島影や。遠く鳴尾の沖すぎて
 はや住の江に着きにけり。はや住の江に着きにけり。

 「高砂や。此の浦舟に帆をあげて」と、高砂の浦から船出した神主たちが舳先に砕ける波の泡を見ていると、それが淡路島になります(波の淡路の島影や)。そして、その島影が遠くなると、やがて鳴尾潟が出現する(遠く鳴尾の沖すぎて)というように歌枕は掛詞や縁語によって次の歌枕を呼び出すのです。
 すごいでしょ、歌枕。
 皆さまもぜひ歌枕を追って、土地の記憶を解凍する吟行にお出かけください。
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 『日本の古典を読む時に「ものすごく重要」になる、兵庫県の「土地の名前」をご存知ですか?』(11月4日公開)へ続きます。
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 「日本の古典」と「西洋の古典」の大きなちがい…じつは「地名」の扱い方に、こんなに差があった
 安田 登能楽師
 「和歌」と聞くと、どことなく自分と縁遠い存在だと感じてしまう人もいるかもしれません。
 しかし、和歌はミュージカルにおける歌のような存在。何度か読み、うたってみて、和歌を「体に染み込ませ」ていくと、それまで無味乾燥だと感じていた古典文学が、彩り豊かなキラキラとした世界に変わりうる……能楽師の安田登氏はそんなふうに言います。
 安田氏の新著『「うた」で読む日本のすごい古典』から、そんな「和歌のマジック」についてご紹介していきます(第11回)。
 この記事は、『 さまざまな技術を駆使した「超絶技巧」、日本の古典に登場する「道行」のスゴさを堪能してみる』より続きます。
 前の記事では、能において、現実と夢幻のあいだにあって「神」や「幽霊」を呼び出す者として「ワキ」という役割があること、ワキはさまざまな場所を漂泊するが、その道中は「道行」という謡で表現されること、そして、そんな「道行」は、能が成立する以前、神話や軍記物語などでも描かれていることを解説しました。
 以下では、西洋の古典における「道行」がどのようなものだったか、それは日本の古典での「道行」とどう違ったのかを解説します。
 西洋の道行の歴史
 日本では神話時代からあった道行ですが、西洋の古典に目を向けてみると、『イーリアス』や『オデュッセイア』などの神話叙事詩ギリシャ悲劇などの中にはなかなか見あたりません。
 『オデュッセイア』は、ギリシャの英雄オデュッセウスの漂泊の旅を歌った叙事詩で、それ自体が道行的な作品なのですが、地名を読み込んで旅するといういわゆる道行形式のものは作品中に見つけることはできません。ただ、求婚者たちの霊魂が神に従って歩く、霊魂の道行があります。
 霊魂の群はちち、ちちと啼きつつ神に随い、助けの神ヘルメイアスはその先頭に立って、陰湿の道を導いて行った。オケアノスの流れを過ぎてレウカスの岩も過ぎ、陽の神の門を過ぎ、夢の住む国も過ぎると程もなく、世を去った者たちの影──すなわち霊魂の住む、彼岸の花(アスポデロス)の咲く野辺に着いた。(『オデュッセイアホメーロス)』24歌 松平千秋訳)

 十字架の修行とは
 ギリシャ悲劇では、アイスキュロスによる『アガメムノーン』の中に狼煙の道行、聖火(松明)の道行があります。
 そして合図のかがり火は、火をかざして駆ける早馬のように、かがりの報せをこの館まで送りとどけた。まずはイーダーの頂きからヘルメースの岩があるレームノス島へ、そして島から3番目の炎を高々とうけついだのは、
 ゼウスのましますアトースの断崖絶壁、
 こうして海原の背をかすめるように飛びこえていく
 松明のいきおいは、好きほうだいに光を散らし、
 (中略)……燃える火は、
 サローンの入江を眼下にのぞむ岬の大岩を
 跳びこえ、そして落ちてきました。届いたのです、
 荒蜘蛛山の尾根にまで、都のうらの見張りの塔に。
 そしてそこからアトレウス御殿に降りてきました。
 『アガメムノーン(アイスキュロス)』久保正彰訳

 西洋で道行といえば十字架の道行(Stations of the Cross)も有名です。イエス・キリストの死刑宣告から、ゴルゴタの丘への道を歩み、十字架にかけられ、埋葬され、そして復活するまで15の場面(留:stations)をたどる道行です。聖堂の壁にはおのおのの場面の聖画が掲げられ、聖堂内を歩きながら祈りを捧げます(復活は「留」には含めないことが多く、祈りも祭壇側に向かって行われる)。
 あるいは実際にキリスト受難の場を歩いたり、それぞれの場面を観想しながら祈りを捧げたりもします。バッハの『マタイ受難曲』では十字架を象った音型が使われます。
 日本の道行を知るものには、『オデュッセイア』の霊魂の道行も『アガメムノーン』の狼煙の道行も「道行」と呼ぶにはちょっと抵抗があります。地名は確かに読み込まれてはいるけれども、地名に重層的な意味はありません。
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 『 日本の「土地」には「神や霊や念」がやどっている…「日本の古典」を読むと、強くそう思える理由』(11月2日公開)へ続きます。
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