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・ ・{東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
世界の常識として、政府が災害が発生した時に対応や救済が遅れると、被災者や市民は激怒して暴動を起こし、武装反政府勢力は内乱や革命が起こした。
諸外国では、災害が起これば緊急事態として政治家ではなく軍人系政治家が国政の指揮権を握り陣頭に立ち、議会の権能と個人の権利を一時停止して、強権を持って軍隊を被災地に急行させ被災者の救済にあたった。
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日本の村山総理は、初動の遅さを国会で追及され「何分(なにぶん)初めてのことで……」と弁明して審議は紛糾した。
リベラル左派系メディアは革新系の身贔屓からそれ以上に追求する事なく有耶無耶に処理し、6,300人の犠牲者を無視して素直に謝った事に同情した。もしこれが保守党系総理の謝罪であれば「鬼の首」でも取ったように激しく追求して退陣に追い込んだ。それが、日本リベラル左派の歪な本性である。
日本の国民と被災民は、無力で、災害による塗炭の苦しみに泣き寝入りするしかなかった。
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2024年11月11日 YAHOO!JAPANニュース テレビ朝日系(ANN)「スペイン豪雨被害 「人殺し!」13万人デモ 市民の怒り爆発 警察と衝突
■迫る濁流“室外機の上に避難”
濁流が足元に迫るなか、壁の室外機によじ登って避難する女性。
女性は九死に一生を得ましたが、先月、スペイン・バレンシア州では記録的豪雨による洪水被害で200人以上が死亡。いまだ70人以上が行方不明になっています。
州政府が警報を発令するのが遅すぎたことが被害を拡大させたとして、住民らは被災地を訪れたフェリペ国王夫妻に泥を投げるなど抗議。
さらに、9日にはバレンシア中心部の広場で大規模なデモが発生。集まった人たちは約13万人です。
■「人殺し!」市民の怒り 警察と衝突
先月、起きた洪水被害で対応の遅れた政府へ住民の怒りが爆発し、警官隊に激しく詰め寄ります。
デモ参加者
「私が唯一言いたいことは、地元当局が住民を見捨てたことへの責任を取らなければならない」
怒りは警官隊への攻撃に代わり、大量の椅子を投げ付けます。すると今度は警官隊がデモ参加者に詰め寄り、警棒を振り回すなど現場は一時騒然。
その他にもデモ参加者は当局の建物に泥の手形を付けるなど抗議の意志を示し、バレンシア州の首相の辞任を求めました。
テレビ朝日
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11月10日7:35 YAHOO!JAPANニュース 時事通信「スペイン、水害で大規模デモ 州首相の辞任要求
9日、スペイン東部バレンシア自治州で行われた、州政府の災害対応を批判するデモ(AFP時事)
【パリ時事】記録的洪水で200人超が死亡したスペイン東部バレンシア自治州で9日、州政府の災害対応を批判し、マソン州首相に辞任を要求する大規模デモが行われた。
【写真特集】スペイン洪水災害(2024年10月)
地元メディアによれば、推計約13万人が参加。州都バレンシア市中心部はデモ隊が通りや広場を埋め尽くし、支援不足と復旧作業の遅れでたまった怒りを爆発させた。
市民団体や労働組合がデモへの参加を呼び掛けた。主催者らは「州政府が災害対応も、警告の仕方も、清掃支援の仕方も知らない。復興を取り仕切れるわけがない」などと主張。デモ隊は「辞めろ」「人殺し」などとシュプレヒコールを上げた。マソン氏はSNSに「被災した自治体の再建に全力を尽くしている」と投稿、理解を求めた。
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11月10日15:59 YAHOO!JAPANニュース AFPBB News「洪水被害のスペインで大規模デモ 当局の対応に抗議
(c)AFPBB News
【11月10日 AFP】記録的な洪水被害に見舞われたスペイン東部バレンシア自治州で9日、当局の災害対応に抗議する大規模なデモ行進が行われた。
州当局によると、州都バレンシアでは13万人が行進。国内の他の都市でも同様のデモが行われ、数千人が参加した。
参加者は「殺人者」と叫んだり、ペドロ・サンチェス首相や、バレンシア州のカルロス・マゾン首相を非難するプラカードを掲げたりした。
洪水は先月末に発生し、ここ数十年間で最も深刻な被害をもたらした。バレンシア州の被害が特に甚大で、少なくとも220人が死亡した。
地元住民は十分な警告がなかったことに激怒している。公式の洪水警報が住民の携帯電話に届いた時には、すでに車が流されていたと指摘する人もいる。
鉄砲水が約80の町や都市を襲った後の当局の対応が遅かったと批判する声もある。
9日のデモでは警察と抗議者が緊迫した雰囲気の中で対峙(たいじ)し、AFP記者は、一部で衝突が発生したのを目撃した。(c)AFPBB News
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11月10日20:23 YAHOO!JAPANニュース 共同通信「スペイン洪水で抗議デモ 13万人、州首相辞任要求
9日、スペイン・バレンシア自治州で、洪水への対応の遅れに抗議するデモの参加者(AP=共同)
【パリ共同】記録的な洪水で200人超の死者が出たスペイン東部バレンシア自治州で9日、当局の対応の遅れに抗議する大規模なデモが行われた。スペインメディアによると約13万人が参加し、マソン州首相の辞任を要求した。
参加者の一部はマソン氏やスペインのサンチェス首相を非難するプラカードを掲げながら「人殺し」などと叫び、怒りをあらわにした。
洪水はバレンシア自治州を中心に10月29日に発生した豪雨が原因で、死者はスペイン全土で少なくとも220人に上った。参加者は、大きな被害が予想されたのに警報が直ちに発令されず、当局の対応の遅れが被害を拡大させたと訴えている。
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11月5日11:51 YAHOO!JAPANニュース AFPBB News「スペイン洪水、救助活動6日目 死者急増の恐れ
発信地:バレンシア/スペイン [ スペイン ヨーロッパ ]
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洪水に見舞われたスペイン北東部カタルーニャ自治州バルセロナで、水に漬かった車(2024年11月4日撮影)。(c) Josep LAGO / AFP
洪水に見舞われたスペイン東部バレンシア自治州で、道路のぬかるみを取り除く人々(2024年11月4日撮影)。(c) JOSE JORDAN / AFP2/5
洪水に見舞われたスペイン北東部カタルーニャ自治州バルセロナで、水に漬かった車(2024年11月4日撮影)。(c) Josep LAGO / AFP洪水に見舞われたスペイン東部バレンシア自治州で、道路のぬかるみを取り除く人々(2024年11月4日撮影)。(c) JOSE JORDAN / AFP洪水に見舞われたスペイン東部バレンシア自治州で、冠水した道路を歩く男性(2024年11月4日撮影)。(c) JOSE JORDAN / AFP洪水に見舞われたスペイン東部バレンシア自治州で活動するボランティアの男性(2024年11月4日撮影)。(c) JOSE JORDAN / AFP洪水に見舞われたスペイン東部バレンシア自治州で災害救助犬を伴って遺体の捜索活動を行う警察(2024年11月4日撮影)。(c) JOSE JORDAN / AFP
【11月5日 AFP】記録的豪雨に伴う洪水に見舞われたスペインでは4日、救援・捜索活動が6日目に入った。当局はこの日、死者数は218人に達したと発表した。4人を除く全員が東部バレンシア自治州で亡くなった。行方不明者の捜索は今なお続けられており、犠牲者は今後数日間で急増する恐れもある。
支援物資の配給やインフラの復旧、遺体の捜索活動には約1万7000人の兵士や警察官、消防士らの他、重機、ドローン、災害救助犬も投入されている。
アンヘル・ビクトル・トーレス領土政策相は記者会見で、道路や鉄道は徐々に復旧し、電話網の60%は復旧したと発表した。
バレンシア自治州で救助・復旧作業を調整している機関の広報は、ほぼ全ての電力網が復旧し、被災地の93%でガスが使えるようになったと明らかにした。
4日には、アルダヤの車庫や多層式駐車場で行方不明者の遺体の捜索活動が行われた。
軍の緊急部隊の責任者を務めるハビエル・マルコス将軍は、こうした建物は「数百万リットル」の水で満たされているとし、400人の遺体を収容できる施設を準備していると述べた。(c)AFP
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11月3日23時28分 YAHOO!JAPANニュース 時事通信「国王が被災地訪問、住民は抗議 泥投げ騒然―スペイン洪水
3日、洪水被害を受けたスペイン東部バレンシア自治州の州都郊外パイポルタを訪れ、住民らと対話するフェリペ国王(中央)(AFP時事)
【パリ時事】スペインのフェリペ国王は3日、大規模洪水で200人超が死亡した東部バレンシア自治州を訪れた。被害が大きい州都郊外パイポルタをレティシア王妃らと共に見舞ったが、支援の遅れに不満を募らせた被災住民が抗議。警護隊ともみ合いになり、現場は一時騒然とした。
洪水の死者、211人に 最大級の災害派遣―スペイン
パイポルタでは少なくとも60人が犠牲になった。道路が寸断され、水・食料は不足したままだ。住民らは災害で「全てを失った無力感」(公共放送)や憤りを抱え、国王一行に泥などを投げたり、シュプレヒコールを上げたりする者もいた。
王妃の護衛は負傷、流血した。国王と王妃は顔や着衣に泥を浴びても、被災者との対話を続けた。ただ、この日計画していた別の被災地の訪問は騒動を受けて延期された。
パイス紙(電子版)によると、随行したサンチェス首相は国王より先に現場を離れ、無事。記者団に「あらゆる形の暴力」を非難すると訴えた。
一方、プエンテ運輸相は3日、水害の死者が214人に達したと明らかにした。行方不明者の捜索は住宅の地下室や冠水した駐車場を中心に行われているが、水没した車の撤去や排水に時間を要していると説明した。
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11月1日 YAHOO!JAPANニュース 時事通信「洪水の死者、150人超に 記録的被害のスペイン
30日、スペイン東部バレンシア自治州パイポルタで、水に漬かった家具を運び出す住民(EPA時事)
【パリ時事】記録的な洪水被害に見舞われたスペイン東部バレンシア自治州などで31日、救助隊による行方不明者の捜索が続き、公共放送が伝えた集計によると、同州での死者は155人に達した。行方不明者の捜索は終わっておらず、犠牲者はさらに増える可能性がある。
洪水の死者、95人に 依然「多くの不明者」―スペイン
31日から3日間は国民による服喪期間。同州の市街地は豪雨で発生した濁流にのまれ、泥とがれきにまみれている。路上には水没・横転した乗用車やトラックが連なり、停電の解消や通信、鉄道の復旧には時間がかかる見込みだ。
地中海沿岸のバレンシア市郊外では、これまでに40人余りが遺体で見つかった。21歳の男性は「水位が上昇し始めると(濁流が)波になって押し寄せた。津波のようだった」と水害の様子を英BBC放送に語った。
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ウィキペディア
村山 富市
1995年1月17日、兵庫県南部地震に伴う阪神・淡路大震災発生時、日本国政府の対応の遅さが批判され、内閣支持率が急落した(後述)。3月20日には「オウム真理教」幹部による地下鉄サリン事件が起こった(後述)。その後、公安調査庁の調査結果を尊重し、オウム真理教への破壊活動防止法適用を公安審査委員会に申請した(後に基準を満たさないとされ適用は見送られる)。
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2024年11月8日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「戦後で「最大の善人宰相」…村山富市の「立派だったところ」と「いただけないところ」
戦後の首相経験者のうちで最も「善人」度が高いのは好々爺・村山富市だろう。大震災における失言はあったが、復興対策では環境を整えた上で、結果責任はすべて自分が負う姿勢を貫いた。
【写真】安倍晋三が恐れ、小池百合子は泣きついた「永田町最後のフィクサー」
一方で、村山は過ちも犯したのではないか……と、永田町取材歴35年、多くの首相の番記者も務めた産経新聞上席論説委員・乾正人は言う。「悪人」をキーワードに政治を語る『政治家は悪党くらいでちょうどいい!』(ワニブックス刊)より一部を抜粋編集してお送りします。
戦後最大の「善人」首相といえば間違いなくこの人
戦後すべての首相経験者のうち、最も「善人」度が高いのが、村山富市だろう。
細川政権の連立政権下、私が担当した社会党委員長時代の村山は温厚な性格で(小沢一郎が社会党はずしをしたときには激しく怒っていたが)、好好爺という表現がぴったりとあてはまった。彼が社会党のトップでなかったならば、政策的に水と油だった自民党と社会党がくっつき、さきがけを含めた三党による連立政権は成り立たなかった。
政権樹立に際して村山が、それまでの社会党の政策とは180度異なる自衛隊合憲や原子力発電の容認どころか、日米安保体制の堅持まで明言したのには、私でさえ腰を抜かすほど驚いた。
それでも社会党がすぐには分裂しなかったのも「トンちゃん」こと村山の人徳のなせる業だった。
阪神・淡路大震災でミスを重ねたが…
だが、村山は総理大臣として大きなミスを何度も重ねた。
なかでも最大の失策は、平成7(1995)年1月17日午前5時46分に起きた阪神・淡路大震災への対応だった。
そもそも発生の一報が首相に届けられた時間が今もはっきりしない。当時、災害対策を所管していた国土庁(現・国土交通省)には大震災などに対応する危機管理のための当直システムがなく、当時は、一報をNHKで知った秘書官が、午前6時過ぎに村山に伝えたと広報された。
だが、悪いことは重なるもので、1月17日は、「自社さ」連立政権といいながら自民党主導の政権運営ぶりに反発を強めていた社会党右派の山花貞夫らが離党し、新党を結成しようとしていたのだ。
社会党の分裂騒動に心を痛めた村山は、不眠の日々が続き、前夜は睡眠導入剤を飲んでいたとされ、一説には発生から約2時間後にようやく事態を把握したという。
1月17日の早朝、官邸は機能不全だった。影の首相と呼ばれた事務方の官房副長官、石原信雄が、早朝の散歩中にラジオで一報を聞き、神奈川県・あざみ野からタクシーを飛ばして官邸入りしてからようやく非常災害対策本部を立ち上げた。
震災対応のための臨時閣議が開かれたのは、午前10時になってから。当然の如く、自衛隊の出動は遅れ(兵庫県から自衛隊への出動要請も遅れた)、村山は大きな批判を浴びた。
初動の遅さを国会で追及された村山は、「何分(なにぶん)初めてのことで……」とつい、本音を漏らし、追求の火に油を注いだ。
ただ、村山のために一言、弁護すれば、初動にあたる発災後72時間の対応はゼロ点だったが、復旧復興対応は、子細を担当大臣に起用した自民党の小里貞利(おざとさだとし)が即断即決できるよう大きな権限を与えたのをはじめ、おのおのの大臣が復興対策をやりやすいよう環境を整えた上で結果責任はすべて自分が負う姿勢を貫いた。東日本大震災後、福島原発事故の対応で「俺が、俺が」としゃしゃり出て、現場を大混乱させた菅直人に比べて、かなり立派だった。
発災から一年経ったのを機に首相の座を自ら降りる決断をしたのも権力に固執しがちな並の政治家にはできない見事な出処進退であったことは、「善人政治家」の矜持を示したといっても過言ではない。
ちなみに宰相でも善人でもないので、今回は俎上にあげなかったが、村山政権を副総理兼外相として支えた河野洋平のほうがもっと罪深い。
「村山談話」は今に至るまで禍根を残した
河野洋平は、村山内閣のもう一つの大きな失策である「戦後五十年談話」の閣議決定を後押ししたのである。
戦後五十年談話とは、戦後50周年にあたる平成7年8月15日に閣議決定された首相談話で、日本の「植民地支配と侵略」を認め謝罪したもので、村山政権で唯一、社会党色を出している。
当然、自民党内には、表現の修正や撤回を求める反対論が渦巻いたが、河野はあっさり容認した。しかも「村山談話はきわめて貴重な、政治的な宝である」と自画自賛した。
宮澤政権の官房長官時代もろくに調べもしないで、慰安婦問題でも「官房長官談話」を出して今に至るまで禍根を残した。
翌年の自民党総裁選で出馬断念に追い込まれたのは、自民党の自浄作用が働いたといえよう。
乾 正人(政治コラムニスト・産経新聞上席論説委員)
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阪神大震災の被災地を視察する村山富市首相(兵庫・神戸市長田区)(1995年01月19日) 【時事通信社】
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PRESIDENT 2011年5月30日号
塩田 潮 作家・評論家
関東大震災のとき、総理大臣は交代中、内閣は不在だった!2011年3月11日、日本を襲った100年で3度目の大震災。先の震災に学ぶ東日本の復興復旧の術とは何か。
阪神大震災直後、村山富市総理(当時)の言動や行動に多くの批判が寄せられたが、震災発生から50日以内に、がれき処理や道路復興、仮設住宅建設の費用を盛り込んだ総額約1兆200億円の2次補正予算案を成立させている。(写真=PANA)
村山は数日前から足元の社会党の動きが気がかりだった。半年前の94年6月、第一党の自民党に担がれ、旧与党側の海部俊樹元首相を破って首相となったが、社会党では非自民路線の右派グループが分党の動きを示し、党内対立は一触即発の情勢である。前委員長の山花貞夫(元国務相)を中心とするグループが離党、新党結成に走り出す寸前であった。集団離党となっても、与党の過半数割れは起こらないが、政権維持が困難になる可能性があり、村山は気が気ではなかった。
造反組の中核だった兵庫県選出の本岡昭次(後に参議院副議長)が述懐する。
「村山委員長誕生のとき、向こうはこちらの久保亘さん(後に蔵相)を書記長にした。久保さんは新党づくりを約束した。いよいよ新党結成となって、95年1月16日にホテルニューオータニで前夜祭を開いた。社会党以外の海江田万里さん(現経済産業相)、川端達夫さん(前文部科学相)らも発起人に入り、決起集会に25人ぐらい集まった。みんなで署名した。翌17日に総決起するのは前の年から決めていたんや」
ところが、大震災が襲った。
「このチャンスを逃したら、新党はつくれんと思うた。『これで村山政権が潰れたら、新政権をつくることになるけど、そんな場合やないという話になる』という声が出た。大震災と新党は別やと言うたけど、結局、流れた。向こうの側の野坂浩賢氏(当時は建設相)から『兵庫のワルガキが暴れるから天罰が下ったんじゃ』と言われた」
1995年1月17日発生した阪神大震災。死者は約6400人。
このとき、新進党幹事長だった小沢一郎(後に民主党代表)の知恵袋の平野貞夫(当時は参議院議員)は、16年後の今年2月、衆議院事務局勤務時代以来の長い国会経験を生かして、反菅派の衆議院議員16人に、決起するなら会派離脱届の提出という手がある、と造反作戦を指南した。
「実は村山内閣時代、社会党で山花グループが決起しようとしたときも、会派離脱届を出して除名、新党という筋書きで、私が提出する文書を書いた」
平野は打ち明けた。後の菅と同様、村山も大震災で命拾いしたのだ。
阪神大震災は大津波や原発事故はなかったが、当時としては戦後最大規模の災害だった。震災対策は多方面にわたった。なかでも問題となったのが自衛隊の出動であった。
PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
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