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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
2024年5月号 WiLL「山内𠀋の今月の1冊
『王朝和歌、こんなに面白い』 中原文夫 著
誰もが一度は遊んだ『小倉百人一首』。平安時代に花開いた和歌の数多ある中から藤原定家が百首を選んで完成させた日本文化の粋である。
日本が唐の文化と国政に倣(なら)い、その型を実践した時代から独自の道を歩み始め、いわゆる国風文化(くにぶりの文化)が生まれると漢文が中心であった文章表現も仮名文字になり、文字文化の代表がやまとうた、つまり和歌と呼ばれるものになった。
和歌という古典の女性的な趣味というイメージがあるが、当時、天皇がこの和歌により民へのメッセージを発信したことは日本を一つにまとめる扇の要のようなものだった。
大河ドラマ『光る君へ』は、言葉を大切にしていた紫式部によって書かれた源氏物語の世界そのものであり、和歌という視点から描くドラマでもある。
本書は、万葉集を経て平安時代に大きく花開いた和歌が、当時の人々にとりどんな存在であったのかを現代へ身近に引き寄せてわかりやすく解説する。歌がなぜ、それほど重要だったのか。また、日々の営みの中で心の表現手段として恋愛や文学醸成(じょうせい)の『素(もと)』になったことにも触れている。天皇の勅命で和歌という様式が文化の核となり、歌集編纂が始まったことや、貴族間の言葉遊びや恋のやり取り、官位昇進の大切なアピール手段にもなっていたことまで面白おかしく紹介している。
和歌を誰かに贈るのは今のメールやSNSのようなもの。折々に触れ、感じた気持ちを三十一文字という短い制約の中でいかに相手の心に届く言葉に表すかという高度な知的遊びでもあると読者に伝えたいのだろう。宮中女房たちや公達(きんだち)も日々、言葉に託して相手に心を伝えた同じ人間であり、ツールとしての和歌の側面を楽しく読ませてくれる。
読み終えると、『平安人も現代人もひとの心は同じなんだなぁ』と素直な安堵感を覚える。まぎれもなく、日本人の遺伝子にある『共感意識』や『花鳥風月』を愛(め)でる感性が呼び覚まされるからなのだ。
明治以降、日本人が『私』を追求することに注力し、古くからある『形式美』や『様式美』に目をつぶり、私的表現の芸術性ばかりを過大評価してきたように思う。
芸術がひとつの成長や心の安定に資(し)するものであるのは言うまでもないが、本書にあるように宮中での節会(せちえ)、法楽(ほうらく)で催行(さいこう)された歌会、歌合せは天皇の祈りとしての『御会(ごかい)』『公事(くじ)』だった。『私事』ではなく、そこで詠む和歌の題に沿ったものでなければ意味がない。また、お題を共有することで参加した人々が『そうだな』『そうそう』と共感できるものになる。
ややもすれば、古典は苦手、難しいという現代人の弱点を著者が見事にかわして、上手に理解を助けてくれながら楽しくよめる一冊だ。
帯にあるように『教科書的な堅苦しいさから離れ、面白おかしい話を拾いながら』千年ものあいだ続く日本人としての言葉の基礎、基本形を身近に学ばせてくれる内容となっている。
何かと目まぐるしく世の中が変わる今、王朝和歌からは時の流れがゆるやかで、あおやかであった時代の日本人の言葉に対する愛着が伝わってくる。そな世界にしばし、浸ってみるのも良いかもしれない。」
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6月13日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「古代の日本人はなにを考えていたのか…最古の歌集に隠された「驚きの秘密」
藤田正勝
明治維新以降、日本の哲学者たちは悩み続けてきた。「言葉」や「身体」、「自然」、「社会・国家」とは何かを考え続けてきた。そんな先人たちの知的格闘の延長線上に、今日の私たちは立っている。『日本哲学入門』では、日本人が何を考えてきたのか、その本質を紹介している。
※本記事は藤田正勝『日本哲学入門』から抜粋、編集したものです。
人新世の今だからこそ
「自然」ということばを聞いて、皆さんは何を思い浮かべるだろうか。山や川、草や木の花や実、それに集まってくる昆虫や鳥を思い浮かべる人も多いであろう。私たちはそれらに取り囲まれて生きている。自然は私たちにとって親しい存在である。
しかし、いま、その自然が脅威にさらされている。過剰な開発によって破壊されたり、有害な物質を含む大量の廃棄物によって環境が汚染されたりしている。あるいは温室効果ガスの排出により地球温暖化が進行して、異常気象が増加したり、生態系に大きな影響が生じたりしている。
そのような状況のなかであらためて人と自然との関係について考えることが私たちに求められている。長い歴史のなかで日本人がどのように自然と関わり、生活を営んできたのかを見ることによってそのヒントが得られるのではないだろうか。本講ではそのような関心から自然に目を向けてみたい。
古代の日本人はなにを考えていたのか…最古の歌集に隠された「驚きの秘密」
© 現代ビジネス
日本人の自然との向きあい方に関して重要な示唆を与えてくれるものに寺田寅彦の「日本人の自然観」というエッセーがある。寺田は著名な物理学者であったが、俳句にも親しみ、秀逸な随筆を数多く残したことでも知られる。このなかで寺田は次のように記している。「日本の自然界が空間的にも時間的にも複雑多様であり、それが住民に無限の恩恵を授けると同時にまた不可抗な威力をもって彼らを支配する、その結果として彼らはこの自然に服従することによってその恩恵を充分に享楽することを学んで来た、この特別な対自然の態度が日本人の物質的ならびに精神的生活の各方面に特殊な影響を及ぼした」。
万葉集の「秘密」
日本人の「特別な対自然の態度」がその物質的・精神的生活にある特殊な影響を及ぼしたということが言われているが、具体的にどういうことであろうか。
日本では人々は自然の威力に対処するために、経験から必要な知識を集め、蓄積していった。そのことによって多くの恩恵を享受してきた。しかし自然を科学的な方法で分析し、普遍的な法則を発見することはしなかった。自然は分析の、あるいは研究の対象ではなかったのである。それは言いかえれば、観察され、分析される「自然」(nature)が生まれなかったということである。人間とともにある山川草木は存在したが、自然科学の対象となる「自然」は存在しなかった。人々はむしろそれと一体になって生きてきた。自然は分析ではなく、共感の対象であった。あるいは畏怖の対象であった。
『万葉集』においても、自然は美しいだけでなく、「神々しい」ということばで表現されるような神秘性をもったものであった。そのなかに吉野を詠んだ次のような歌がある。「神さぶる岩根こごしきみ吉野の 水分山を見れば悲しも」(巻七・一一三〇)。神々しいほどに岩のごつごつしている吉野の水分山を見ると、切なる思いが込みあげてくるというような意味であろう(「み吉野」は吉野地方の美称)。
また高橋虫麻呂に次のような歌がある。「富士の高嶺は 天雲も い行きはばかり 飛ぶ鳥も 飛びも上らず 燃ゆる火を 雪もて消ち 降る雪を 火もて消ちつつ 言ひも得ず 名付けも知らず くすしくも います神かも」(長歌の一部、巻三・三一九)。富士の高い山は、雲も進むことをためらい、鳥も飛び上がることができず、燃える火を雪で消し、降る雪を火で消してしまうような、ことばで言い表すことも、名付けることもできない、霊妙な神であるという意味であるが、ここでは「くすし(奇し)」、つまり人間にははかりしれないという意味のことばで神が形容され、富士の美しさが表現されている。
古代の人々は自然のなかに美しさとともに、神威とも言うべきものを認め、畏れ、敬ってきた。それに祈りをささげてきたと言ってもよい。このように自然は詩歌のなかで、くり返し共感の対象として、あるいは畏怖の対象として詠われてきたのであるが、哲学のなかではそれはどのように論じられてきたであろうか。
さらに連載記事〈日本でもっとも有名な哲学者はどんな答えに辿りついたのか…私たちの価値観を揺るがす「圧巻の視点」〉では、日本哲学のことをより深く知るための重要ポイントを紹介しています。
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10月14日7:04 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「人類究極のナゾ、「言葉」とはなにか…日本の哲学者が出した「驚きの答え」
明治維新以降、日本の哲学者たちは悩み続けてきた。「言葉」や「身体」、「自然」、「社会・国家」とは何かを考え続けてきた。そんな先人たちの知的格闘の延長線上に、今日の私たちは立っている。『日本哲学入門』では、日本人が何を考えてきたのか、その本質を紹介している。
【画像】日本でもっとも有名な哲学者がたどり着いた「圧巻の視点」
※本記事は藤田正勝『日本哲学入門』から抜粋、編集したものです。
不可思議な「言葉」
一般に「言葉とは何か」ということを考えてみると、二通りの理解が成り立つように思われる。
第一に考えられるのは、言葉は、考えるための、あるいは考えたものを表現するための道具である、という理解である。つまり言葉は、あらかじめ存在している思考の内容──それは日本語とか英語といった具体的な言語、自然言語以前のものと言わざるをえないであろう──に形を与えるものであるという考えである。
それに対して、第二に、思考は言葉を通してはじめて成立するのであり、言葉は思考の単なる道具ではない、という考え方も成り立つ。つまり、思想は言葉という形をえて、はじめて思想として成立するのであり、それ以前に純粋な思想というものがあるわけではない、という考え方である。
この二つの考え方は、それぞれ次のような考えに結びついている。
第一の見方は、私たちが日本語なり、英語なり、自分の言語(母語)を使う以前に、つまり、水とか、木とか、土とか、あるいは water とか、tree とか、soil といったことばを使う以前に、言いかえれば、ある事柄にそういう名前をつける以前に、もの、あるいは世界が客観的に区分(分節、articulate)されていて、それぞれに、いわば偶然的な仕方で、たとえば日本語であれば「水」という名前を、英語であれば “water” という名前をつけているのだ、という考えと結びついている。ここでは言葉は、一つの符牒として、つまり道具とみなされている。
ものは言葉で分節される
それに対して、第二の見方の方は、ものは言葉以前にあらかじめ分節されているのではなく、言葉とともに、はじめて分節される、つまり言葉によって世界の見え方、あるいは世界の現れ方が決まってくる、という考えと結びついている。
具体的な例を挙げて説明することにしたい。たとえば「青い」ということばをとってみると、まず、それに対応するものが世界のなかに客観的に存在しており、日本語を使う人はそれを「青い」ということばで、英語を使う人は “blue” ということばで言い表しているというようにも考えられる。
しかし厳密に見てみると、どうもそうではないことがわかってくる。日本語ではたとえば「草木が青々と茂っている」と言ったりするが、実際には緑色のことである。「青信号」といったことばもそうであるが、「青い」という日本語は、緑色系統の色をも指すことばとして使われてきた。黄色(yellow, gelb...)にせよ、赤(red, rot...)にせよ、それぞれの言語でそれが指す範囲は少しずつ異なっている。
別の例を挙げれば、日本語では樹木と材木をともに「木」と表現するが、英語では樹木の方は “tree” 材木の方は “wood” と、ドイツ語では樹木は “Baum” と材木は “Holz” ということばで表現される。そして “wood” や “Holz” ということばは材木という意味だけでなく、森という意味をももっている。それに対して日本語の「木」や「材木」が森という意味で使われることはない。
こうした例を手がかりに考えると、以上に挙げた二つの見方のうち、第二の見方の方が、言葉の本質をとらえていると言えるであろう。日本語なら日本語、英語なら英語、ドイツ語ならドイツ語というように、それぞれの言語において、いわば一つの連続体であるような知覚対象(自然)が、独自の仕方で区分(分節)されているのである。つまり、それぞれの言語においてそれぞれの仕方で、知覚対象に切れ目が入れられ、そのそれぞれに独自の名前(青や赤、blue や red)が付けられているのである。
さらに連載記事〈日本でもっとも有名な哲学者はどんな答えに辿りついたのか…私たちの価値観を揺るがす「圧巻の視点」〉では、日本哲学のことをより深く知るための重要ポイントを紹介しています。
藤田 正勝
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10月25日7:05 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「「狩猟」も「農耕」も「恋愛」も「歌」がカギだった…科学が明らかにした、人類の存続と「歌」の意外な関係性
「和歌」と聞くと、どことなく自分と縁遠い存在だと感じてしまう人もいるかもしれません。
【漫画】床上手な江戸・吉原の遊女たち…精力増強のために食べていた「意外なモノ」
しかし、和歌はミュージカルにおける歌のような存在。何度か読み、うたってみて、和歌を「体に染み込ませ」ていくと、それまで無味乾燥だと感じていた古典文学が、彩り豊かなキラキラとした世界に変わりうる……能楽師の安田登氏はそんなふうに言います。
安田氏の新著『「うた」で読む日本のすごい古典』から、そんな「和歌のマジック」、その根底にある「うたのマジック」についてご紹介していきます(第三回)。
『なぜ人は「うたう」のか…『息』という字をひも解くと見えてくる、「うた」が人類生存に不可欠だったワケ』より続く
人類生存のカギは「歌」
猛獣たちに囲まれた世界の中で、ひ弱な人類が生き延びることができたのは道具の力によるところが大です。しかし、どんなに鋭利な刃物や弓を手にしたところで、ひとりで虎やライオンに立ち向かうことはできません。道具だけでは猛獣に勝つことはできないのです。
多くの人で「息を合わせ」、それらに向かう必要があります。
猛獣ではありませんが、たとえばクジラ。一本の銛ではクジラを捕獲することはできない。大勢の人間が「せーの」と息を合わせ、多くの銛が同時にクジラに当たったときに、はじめて捕獲することができます。
この「せーの」が息を合わせることであり、これを可能にするのが歌の力です。
民族音楽学者の小泉文夫は世界中の民族の音楽を採集しましたが、その結果、ほとんどの民族は一緒にリズムを取ったり、同じ音や和音を出したりするということに気づきました。しかし、「カリブー・エスキモー」と呼ばれるエスキモーの人たちはどうも例外であるといいます。
カリブー・エスキモーの人たちはそうしない、というか興味がない人たちなのです。
息を合わせぬ民
エスキモーには、クジラを獲るクジラ・エスキモーとカリブー(トナカイ)を狩るカリブー・エスキモーがいます。クジラ・エスキモーの人たちは一緒にリズムを取ったりします。しかし、カリブーを狩る人たちはしない。
彼らも歌を歌います。しかし、2人で歌っても、音程や拍子を合わせることをしません。それは彼らの獲物であるカリブーはひとりで捕獲できるので、他人と息を合わせる必要がないのでしょう。
かつての人類は猛獣に狩られる存在でしたが、われわれ現生人類は、歌という息を合わせる技術を獲得することによって、猛獣を狩るという、数少ない霊長類になったのです。
歌は狩猟の際に力を発揮するだけではありません。農耕においても大切です。
耕そうとする地に大きな木や石があったとき。それもみなの「せーの」で動かすことができます。川から水を引いてくるときの土木工事でも息を合わせることは大切です。
狩猟においても、農耕においても、人が生きていく上で、歌はとても大切だったのです。そして、息を合わせるのが上手な人の遺伝子を残していくためには、歌の上手な人を見つけ、その人の子孫を残していくことが重要でした。
古典の世界の人々の恋愛は和歌の贈答で行われました。すなわち歌によって相手を選んだ。だからこそ古代の人々は歌を大切にしたのでしょう。
そして、時代が古代を脱しても日本では歌の重要性の記憶は受け継がれ、長い間、「勅撰和歌集」が国家事業として営まれて来ました。
『「和歌の国」日本…世界的にも珍しい『勅撰和歌集』はどのようにして生まれたのか。能楽師の筆者と読み解く「すごい古典」』(10月25日公開)へ続く
安田 登(能楽師)
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10月27日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「なぜ人間は「歌」や「詩」に惹かれるのか…「中国の古典」がおしえてくれる「意外な理由」
安田 登能楽師
「和歌」と聞くと、どことなく自分と縁遠い存在だと感じてしまう人もいるかもしれません。
しかし、和歌はミュージカルにおける歌のような存在。何度か読み、うたってみて、和歌を「体に染み込ませ」ていくと、それまで無味乾燥だと感じていた古典文学が、彩り豊かなキラキラとした世界に変わりうる……能楽師の安田登氏はそんなふうに言います。
安田氏の新著『「うた」で読む日本のすごい古典』から、そんな「和歌のマジック」「古典のマジック」についてご紹介していきます(第七回)。
詩、礼、そして楽
歌の力ってほかのものでいうなら何かなと考えると、どうも「礼」が近いのではないでしょうか。
礼というのは、もともとは他者を動かすための身体技法をいいました。
礼は、旧字体では「禮」と書きます。左側の「示」は台の上に生贄を載せ、そこから血が滴っている形です。右側の「豊」は豆という器に禾穀を載せた形。カインとアベルのように、穀物や肉を神に捧げるという文字です。
神意を尋ね、あるいは神に祈りを捧げる、それが「禮」でした。すなわち、「礼(禮)」とは、本来は鬼神に対するコミュニケーションのための装置であり、そしてやがてそのような行為も「礼」と呼ぶようになりました。
孔子は「詩に興り、礼に立ち、楽に成る」と言いました。詩と礼と楽は一連の行為です。「礼」とは詩を身体化したものです。詩を歌い、それにあわせて舞い、鬼神と交信することです。そして「楽」では楽器も加わる。「楽」には礼と詩が含まれ、「礼」には詩が含まれます。
『古今和歌集』の仮名序や真名序のもとになったのは『詩経(毛詩)』の大序だといわれています。『詩経』というのは中国最古の詩集で、儒教の最重要経典である五経のひとつにも数えられています。その序の影響を受けて、日本の『古今和歌集』の序文が書かれました。
歌の源泉、詩
平安時代の歌人たちは、中国の詩とは日本の歌と同じようなものだと思っていたのでしょう。平安歌人も読んだ『毛詩(詩経)』の大序、漢文で書かれていますが少し読んでみましょう。
まずは書き下し文と原文を(これは読み飛ばしてもかまいません)。
{詩は志の之く所なり。心に在るを志と為し、言に発するを詩と為す。情、中に動きて言に形はる。之を言ひて足らず。故に之を嗟嘆す。之を嗟嘆して足らず。故に之を永歌す。之を永歌して足らず。知らず手の舞ひ、足の踏む。(詩者志之所之也。在心為志、発言為詩。情動於中、而形於言。言之不足、故嗟歎之。嗟歎之不足、故永歌之。永歌之不足。不知手之舞之、足之蹈之也)}
詩経の大序は「詩は志の之く所なり(詩者志之所之也)」から始まります。
「志の之く所」って何でしょう。だいたい志は「之く」=行くものなのか。
これが次に説明されます。
「心に在るを志と為し」とあります。心にあるのが志だというのです。
「志」というのは、いまのそれとは少し違います。「志」という漢字は、昔の文字では上の「士」が「止(足の形=行く)」と書かれます。「行く」と「心」から成るのが「志」のもとの形です。
心がどこかに行きたがっている、その衝動や方向性(ベクトル)を示すのが「志」という文字です。
自分の内側で何かが動き回っている、そういうことありませんか。
言葉にならない思いが心の中で動き出す。眠ろうと思っても、そいつが激しく動き回るので眠れない。苦しくて、苦しくて仕方がない。からだの中であっちに行ったり、こっちに行ったりしている。吐き出したい。
そんな思いを内側に溜めている状態が「志」なのです。
歌の本来の姿
そして、とうとうと言葉として外に出す。それが「詩」です。
「詩」という文字の右側の「寺」は、もともとは「何かをしっかりと持つ」という意味です。
すぐに声に出したら、それはただの叫びです。怨嗟や怒り、不満。それでは相手は動きません。動き回る思いを、まずは自分の内側にじっと留め、留めに留めてこれ以上無理だというときに声に出す。
そこで大切なのが「志」、すなわち心のベクトルです。無軌道に出してはいけない。たとえば漢詩ならば平仄を整え、韻を踏む。短歌ならば「五七五七七」という韻律に乗せる。それによって心のベクトルも整います。
そのようなプロセスを経て言葉になったものが詩なのです。
しかし、『詩経』の大序では「言葉だけでは足りない」ことがあるといいます。
そういうときには「嗟嘆する」。嗟嘆の「嗟」は「ああ」というため息です。吟ずるという意味もあります。詩に「ああ」という嗟嘆が加わる。
しかし「ああ」だけでも足りない。そのときには「永歌す」、言葉に節が付いて、音も伸びて歌になる。
それでも足りない。そうすると、自然に手足が動いて舞になる、というのです。
これが「礼」です。そして「舞」です。
中国の詩だけではありません。和歌も本来は歌われ、舞われるものだったのでしょう。
『日本の「和歌」という文化は、じつはこんなにスゴかった…ほかの国の「詩」と違っているところ』(10月28日公開)へ続く
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10月27日7:00 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「「神」や「鬼」ともコミュニケーションできる…「日本の和歌」がもっていた「スゴいちから」
「和歌」と聞くと、どことなく自分と縁遠い存在だと感じてしまう人もいるかもしれません。
【漫画】床上手な江戸・吉原の遊女たち…精力増強のために食べていた「意外なモノ」
しかし、和歌はミュージカルにおける歌のような存在。何度か読み、うたってみて、和歌を「体に染み込ませ」ていくと、それまで無味乾燥だと感じていた古典文学が、彩り豊かなキラキラとした世界に変わりうる……能楽師の安田登氏はそんなふうに言います。
安田氏の新著『「うた」で読む日本のすごい古典』から、そんな「和歌のマジック」「古典のマジック」についてご紹介していきます(第六回)。
『樹木の心を動かし、精霊を成仏させる…昔の人々が信じた、和歌の持つ「特別な力」を知っていますか?』より続く
歌は「人外」が前提!?
「歌」の語源を「訴ふ」だという人がいます(折口信夫ら)。
思いが声として外に出たものが歌だというのです。思いは自分の中に留めていれば、ただの思いです。しかし、声として外に出れば、それはどのような形であれ人を動かします。しかも、それが「歌」だった場合は、人だけではなく植物のような人間以外の存在をも動かしてしまう。藤原為相の歌が楓の木の心を動かした『六浦』はそのような了解がベースとなった能です。
「人以外のものを動かすなんて、そんなのはお話だからだよ」と思うでしょう。ところが、和歌はもともとが人間以外のものとのコミュニケーションツールであったようなのです。
奈良時代に『歌経標式』という書があります。藤原浜成による日本最初の歌学書といわれるものです。その冒頭には次のように書かれています。
歌のルーツをたずねてみれば、鬼神の幽情を感じさせ、天人の恋心を慰めるための方法であった(原夫歌者、所以感鬼神之幽情、慰天人之恋心者也)
「鬼」とは死者の霊魂、「神」とは天地の神霊をいいます。天地万物の霊魂や天人をあるいは感じさせ、あるいは慰める、それが歌なのです。
そうそう、ちょっと余談ですが、ここの天人の恋心の「恋」。古代における「恋」とは、いま私たちがイメージするものとは少し違うものでした。『万葉集』にはたくさん詠まれる「恋」が、同じく奈良時代に書かれた『古事記』や『日本書紀』にはほとんど現れない。これも不思議でしょう。古代の「恋」についてはいつか扱いたいと思っています。
恐るべき「力」
さて、話を戻します。
歌というのはもともと人間以外の存在とのコミュニケーションツールだった、そういう考えは、平安時代になっても続いていました。『古今和歌集』の仮名序を読んでみましょう。
力をも入れずして天地を動かし、
目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、
男女の仲をも和らげ、
猛き武士の心をも慰むるは、歌なり。
歌の対象として挙げられる最初のふたつが「天地」と「鬼神」。『古今和歌集』でも、歌の対象の基本は非・人間です。
ところがこちらは後のふたつが人間になります。ひとつは「男女の仲」、そしてもうひとつが「猛き武士の心」。
「男女の仲」は異性との関係ですね。「猛き武士」は、勇猛な武士といってしまうと現代人である私たちには抽象的すぎます。酒を飲んで、ぐでんぐでんに酔っぱらって手をつけることができないマッチョな男をイメージするといいかもしれません。
異性というものは、本当のところはなかなかわかりあえない。言葉が通じないと思うこともある。ぐでんぐでんの酔っ払いなんてもっとそうです。
そんな言葉の通じない相手ともコミュニケーションすることができる、それが歌だというのです。
歌の力、おそるべしです。
『なぜ人間は「歌」や「詩」に惹かれるのか…「中国の古典」がおしえてくれる「意外な理由」』へ続く
安田 登(能楽師)
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讃岐屋一蔵の古典翻訳ブログ
万葉集第5巻 歌番号 894番歌
作者 作者不詳
題詞 好去好来歌一首[反歌二首](無事に帰って来て下さいという祈りの歌9
原文 神代欲理 云傳久良久 虚見通 倭國者 皇神能 伊都久志吉國 言霊能 佐吉播布國等 加多利継 伊比都賀比計理 今世能 人母許等期等 目前尓 見在知在 人佐播尓 満弖播阿礼等母 高光 日御朝庭 神奈我良 愛能盛尓 天下 奏多麻比志 家子等 撰多麻比天 勅旨 [反云 大命]<戴>持弖 唐能 遠境尓 都加播佐礼 麻加利伊麻勢 宇奈原能 邊尓母奥尓母 神豆麻利 宇志播吉伊麻須 諸能 大御神等 船舳尓 [反云 布奈能閇尓] 道引麻<遠志> 天地能 大御神等 倭 大國霊 久堅能 阿麻能見虚喩 阿麻賀氣利 見渡多麻比 事畢 還日者 又更 大御神等 船舳尓 御手<打>掛弖 墨縄遠 播倍多留期等久 阿<遅>可遠志 智可能岫欲利 大伴 御津濱備尓 多太泊尓 美船播将泊 都々美無久 佐伎久伊麻志弖 速歸坐勢
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神代(かみよ)より 言ひ伝(つ)て来(く)らく そらみつ 大和(やまと)の国は 皇神(すめかみ)の 厳(いつく)しき国 言霊(ことだま)の 幸(さき)はふ国と 語り継(つ)ぎ 言ひ継がひけり 今の世の 人もことごと 目の前に 見たり知りたり 人さはに 満ちてはあれども 高光(たかひか)る 日の大朝廷(おおみかど) 神(かむ)ながら 愛(め)での盛りに 天(あめ)の下(した) 奏(まお)したまひし 家の子と 選(えら)ひたまひて 勅旨(おおみこと) 戴(いただ)き持ちて 唐(もろこし)の 遠き境(さかい)に 遣(つか)はされ 罷(まか)りいませ 海原(うなはら)の 辺(へ)にも沖にも 神留(かむづ)まり うしはきいます 諸(もろもろ)の 大御神(おおみかみ)たち 船舳(ふなのへ)に 導きまをし 天地(あめつち)の 大御神たち 大和(やまと)の 大国御魂(おおくにみたま) ひさかたの 天(あま)のみ空ゆ 天翔(あまかけ)り 見渡したまひ 事終はり 帰らむ日には また更に 大御神(おおみかみ)たち 船舳(ふなのへ)に 御手(みて)うち掛けて 墨繩(すみなわ)を 延(は)へたるごとく あぢかをし 値嘉(ちか)の崎(さき)より 大伴(おおとも)の 御津(みつ)の浜(はま)びに 直泊(ただは)てに み船は泊(は)てむ つつみなく 幸(さき)くいまして はや帰りませ
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※枕詞:そらみつ、高光る、ひさかたの、あぢかをし
※「皇神」国土を統治する神。天照大神のこと。
※「厳しき国」神威が盛んに発揮される国。
※「言霊の幸はふ国」言語に宿っている不思議な力で幸福がもたらされる国。
※「さはに」大勢。
※「日の大朝廷」皇居。ここでは天皇のこと。
※「神ながら」神としての心のままに。天皇の行為を称えていう慣用句。
※「愛での盛りに」格別お引き立てになり。
※「奏したまひし」天皇に助言申し上げ、政治を行われた。大臣や大納言などの地位にあったことをいう。
※「うしはく」支配する。治める。
※「値嘉」長崎県五島列島周辺の島々の総称。遣唐使の寄港地。
※「大伴の御津」難波の港。〈大伴〉は大阪市から堺市にかけての一帯。古くは大伴氏の領地であったという。
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神の時代の昔から
語り伝えて来たことに
大和の国はおごそかに
神が統治なさる国
言葉の力が幸いを
もたらす国と言い伝え
語り伝えて来たことは
今の時代の人も皆
目で見て承知しています
大和の国にたくさんの
人が満ちてはいるけれど
神としての天皇が
とりわけお引き立てになり
政治を行う家の子と
あなたをお選び下さって
あなたは帝のお言葉を
賜わり携え唐国(もろこし)の
遠い異郷に遣わされ
出かけておいでになりました
大海原の岸辺にも
沖にも留まりその海を
治めておられるもろもろの
神が船の舳(とも)に立ち
水先案内申し上げ
天地の多くの神々が
とりわけ大和の精霊が
空を飛翔し見渡して
守って下さることでしょう
務めを終えて帰朝する
日には往路と同様に
神さまたちが船の舳(へ)を
手をかけまるで墨縄を
引いたようにまっすぐに
五島の値嘉(ちか)の岬から
難波の港の浜辺まで
お船は到着するでしょう
どうか道中つつがなく
早くお帰り下さいませ
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日本民族は、数万年前の旧石器時代・縄文時代からいつ何時天災・飢餓・疫病・大火などの不運に襲われて死ぬか判らない残酷な日本列島で、四六時中、死と隣り合わせの世間の中で生きてきた。
それ故に、狂ったように祭りを繰り返して、酒を飲み、謡い、踊り、笑い、嬉しくて泣き、悲しくて泣き、怒って喧嘩をし、今この時の命を実感しながら陽気に生きていた。
「自分がやらなければ始まらない」それが、粋でいなせな江戸っ子堅気の生き様であった。
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日本民族の伝統的精神文化は宮仕えする男性の悲哀として、行基、西行、一休、鴨長明、兼好法師、芭蕉、葛飾北斎など世捨て人・遁走者、隠者・隠遁者・遁世者、隠居、孤独人・孤立人・無縁人への、求道者として一人になりたい、極める為に一人で生きたいという憧れである。
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日本民族文化における自然観とは、縄文時代以来、自然と人間が対立しない、自然との繋がりを大切に文化である。
それを体現しているのが、自然物をご神体とする神社である。
日本民族の美意識は、「わび、さび、簡素」だけではなく、濃くて派手な縄文系、シンプルで慎(つつ)ましい弥生系、統一された形式としての古墳系が複雑に絡んでいる。
それを、体現しているのが神社のしめ縄である。
それは、「全てが、控えめにして微妙に混じり合っている」という事である。
谷崎潤一郎「言い難いところ」(『陰翳礼讃{いんえいらいさん}』)
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日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
日本民族の「情緒的情感的な文系的現実思考」はここで洗練された。
死への恐怖。
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日本の本音。日本列島の裏の顔は、甚大な被害をもたらす雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害地帯であった。
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日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
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吉村均「日本人は自然の力を人間の世界の外に排除して、その代償として、決まった日に来てくれたら、歓迎してもてなし、送り返すまつりをおこなう必要があった」『日本人なら知っておきたい日本の伝統文化』
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