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2024年10月12日 YAHOO!JAPANニュース クーリエ・ジャポン「スペイン紙が危惧「気候変動で松尾芭蕉の世界が消えてしまうかもしれない」
松尾芭蕉の最後の俳句が刻まれている「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」 Photo by: Pictures From History/Universal Images Group via Getty Images
俳句を詠む際に使われる「季語」。その季節を表す言葉であるはずだが、気候変動の影響を受けてズレが出てきているという。スペイン紙記者が、この環境の変化が俳句の世界にもたらす影響を考えた。
【画像】松尾芭蕉は1677年から4年ほど、ホテル椿山荘東京に隣接する関口竜隠庵(関口芭蕉庵)に住んでいた
地球温暖化によって引き起こされた気候サイクルの乱れが、日本の伝統的な詩形である「俳句」に影響を与えはじめている。俳句は、ときの流れや自然のリズムに着想を得て、儚い世界を創り出す詩である。世界で最も短い詩形の一つとして知られ、典型的な形式は、5音、7音、5音で構成された3つの句からなり、「季語」と呼ばれる季節を表す言葉を含むことが求められる。
その役割は、描写される場面の季節感を伝えることにある。国際俳句協会理事で、日本大学で英文学を教える木村聡雄はこう説明する。
「この規則の起源は、私たちの日常生活にあります。誰かと会うと、私たちはたいてい天気について話します。『暑いですね』や『雨はやむでしょうか』といったように」
俳句が独立する前の17世紀まで、日本の文化人たちは複数の人で句を詠み合い、作品を作っていった(俳諧連歌)。そこでは機知に富んだ句が主流で、ときにおかしみを含んだ句が詠まれることもあった。木村はこう続ける。
「5、7、5の音からなる最初の句(発句)には、挨拶の意味を込めて、季節を感じさせる言葉を入れなければなりませんでした」
発句は通常、参加者のなかで最も年長の者が詠みあげ、とりわけ注目された。それがときを経て独立し、本質をついた簡潔な詩形となったのだ。それはまた、日本の文化に見られるミニマリズムと一致していた。簡潔な作品のなかで季語は、「その季節にまつわる多くの情報や感情を共有することを可能にするのです」と木村は指摘する。
「蝉の声」のような夏を象徴するモチーフが、短い句に含まれる意味合いをいかに豊かにするかを説明するため、木村は俳諧の巨匠、松尾芭蕉の句のなかでもとくに好きだという一句を例にあげる。
「閑さや岩にしみ入る蝉の声」
そして木村は、こう語る。
「蝉は夏の暑さを連想させるだけでなく、木の上でほんのわずかな期間しか生きないため、力の限りを尽くして生きるよう訴えます」
蝉のほかにも、季節と関連づけられる生き物や植物、自然現象、祭り、食べ物が何千とあり、俳人たちは、それらがまとめられた「歳時記」と呼ばれる書物を参考にする。
ところが、詩的な目録であると同時に気候の暦である「歳時記」に含まれる項目の多くが、環境の変化によって開花の時期や生き物の冬眠、繁殖、移動パターンが変化するにつれて有効性を失いつつあるのだ。
季節を反映しなくなった「季語」
科学者で俳人の久保田至誠は、地球温暖化が梟(ふくろう)や熊、鵜、鶴、日本の在来種の昆虫たちの生息地に与える影響を懸念して2011年、『滅びゆく季語』と題する本を出版した。
「学生たちに環境について教えるなかで、季節を表す多くの言葉が失われつつあることに気づいたのです」と久保田は話す。
久保田はいまでは、科学技術者としての仕事や教職からも離れ、茨城県俳句作家協会会員として活動する。『滅びゆく季語』では、殺虫剤の使用や伝統的な農作物を作らなくなったことが、日本列島の生物多様性や生態系が脅かされている要因だと指摘している。
気象庁によると日本は2023年、1991~2020年の平均気温を1.29度上回る記録的な高温となった。この高い気温は11月まで続き、桜の開花やもみじの紅葉などに関連するさまざまな催事に混乱をもたらし、日本文化と季節の移り変わりの強い結びつきが顕示された。
そこで久保田は、日本の俳人はもっと環境保護にかかわるべきだと指摘する。
「けれども俳人たちの多くは、環境問題に関心がなく、社会問題から遠いところにいる世捨て人のように見られています」
俳句もモダンに進化
一方で久保田は、季語や「歳時記」は、詩的遺産の一部として存在し続けるだろうと考える。またそこに、現代的な言葉を加える動きにも言及する。
日本人の大半は、小学校ではじめて俳句を詠み、その後もラジオ、テレビ、コマーシャル、企業やさまざまな機関、メディアなどが主催する無数のコンテストなどを通して俳句に親しむ。
飲料メーカーの「伊藤園」は、35年前から一般の人々から作品を募集する「お~いお茶新俳句大賞」を実施しており、応募作品のなかから毎年2000作を選出して、同社の緑茶のペットボトルに掲載している。
伊藤園によると、この人気の新俳句大賞にはこれまで、4300万作を超える作品が寄せられているという。また同大賞の広報担当のコンドウ・ユキナによると、作品は季語を含まなくてもよいことになっている。これは、より多くの人が気軽に参加でき、さらに若い世代の参加を促すためだ。
実際、季語を含まなかったり、規定の音の数に縛られなかったりするモダンな俳句も存在する。それは、日本人以外の詩人たちが、日本語以外の言語で創作している俳句に似ている。
スペイン語で最も早く俳句に取り組んだのはメキシコの詩人で外交官のホセ・フアン・タブラダだ。彼は短い一時期を日本で暮らし、1919年にスペイン語で初の句集となる『ある日…』を出版した。
また、スペインの詩人アントニオ・マチャドは同時代の詩人エンリケ・ディエス=カネドに「日本の詩人」と呼ばれた。そんなマチャドの詩集『孤独』には、俳句を思わせる短い詩が収められている。なかでもとりわけ目を引くのが、芭蕉の句と同じく蝉がモチーフの作品だ。
本作はバジャドリード大学の教授リカルド・デ・ラ・フエンテ・バジェステロスが自らの論文に、俳句の「暗示力」と俳句と「アンダルシア地方の伝統的な民謡との類似性」に対するマチャドの関心の一例として引用している──「楡(にれ)の木から絶え間なく聞こえてくるハサミの音/歌う蝉の声、陽気で単調なリズム/金属と木の音の間の音色/それは夏の歌」。
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