➰9)─1─「天皇信仰」がもたらした「野蛮にして極悪」なソビエトに対する強い反感。~No.30No.31 

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   ・   ・  {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本人の共産主義者無政府主義者テロリストは、日本で暴力的共産主義人民革命を起こし、大虐殺の後に日本を共産主義国に改造すべく、ソ連コミンテルン中国共産党・国際的共産主義勢力の支援を受けて昭和天皇と皇族を惨殺すべく付け狙っていた。
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2024-08-14
💖目次)─8─近代天皇A級戦犯靖国神社による歴史的人道貢献。~No.1 * 
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2024-03-16
〖目次〗貼り付ける記事。:皇位継承と人口激減の原因はアメリカ大統領の道徳エゴであった。令和6年8月版。 
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 2024年10月23日 MicrosoftStartニュース NEWSポストセブン「【逆説の日本史】「天皇信仰」がもたらした「野蛮にして極悪」なソビエトに対する強い反感
 作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』
 ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。近現代編第十四話「大日本帝国の確立IX」、「シベリア出兵と米騒動 その10」をお届けする(第1433回)。
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 日本人はロシア革命についてどんな感想を持ったか? この問いに正確に答えるには、当時の日本人の気持ちを知ることがもっとも重要であることは、言うまでも無い。しかし言うまでも無いことなのだが、これまでの歴史教育ではそれが無視されていたことは、この『逆説の日本史』シリーズの愛読者はよくご存じだろう。
 気持ち、つまり心情というのはその人種や民族の宗教に由来することがきわめて多い。つまり、そうした宗教を正確に把握しなければ当時の人々の気持ちなどわかるはずも無いのに、日本の歴史学者の多くは相変わらず宗教を無視することが科学的合理的な態度だと思っているからどうしようもない。だから、彼らによって築き上げられてしまった「日本人は無宗教」などという大誤解をいまだに信じている人々が大勢いるというわけだ。
 では、このロシア革命成立直後の時点で日本人の宗教はなんだったかと言えば、ひと口に言えば天皇信仰だろう。明治維新で四民平等(士農工商の撤廃)という「大革命」が成立したのも、この宗教がなければ不可能だった。しかし、日本は「怨霊のパワー」がしばしば「天皇の霊威」を上回る国であり、だから日露戦争の勝利の成果(=満洲利権の獲得)は、そのために犠牲となった「十万の英霊」の死を無駄にしないためにも絶対に守らなければいけないということだ。
 もちろん、日本人は根強い言霊信仰のために縁起の悪いことは口にしないし書かない(=史料に残らない)からわかりにくいが、要するに「十万の英霊」の死を無駄にするようなことをすれば英霊が怨霊になってしまい、その凄まじい負のパワーで天皇の霊威で守られている大日本帝国すら滅ぼしてしまうかもしれない。だからこそ中国や英米との協調を唱える人間は、(英霊の死を無駄にする存在だから)政治家であれ軍人であれジャーナリストであれ「極悪人」にされてしまったのである。
 ロシア共産党は、ニコライ2世一家を皆殺しにした。それは前回述べたとおり、ロシア共産党側から見れば革命を完全なものにするためにやむを得ない仕儀であった。しかしそれは、天皇を信仰する日本人から見れば極悪人の所業である。
 たしかにニコライ2世は名君では無かった。グリゴリー・ラスプーチンという「怪僧」を側近として重用したし、そのラスプーチンですら反対した第一次大戦へ参戦し、多くのロシア兵を死に追いやった。しかし一方で、ロシア皇帝ツァーリ)とはロシア正教と固く結びついた長い伝統を持つ聖なる存在だ。そんな存在をロシア共産党は一家皆殺しにしたのである。
 ここで、ちょっと袁世凱のことを思い出していただきたい。なぜロシア革命の分析中に袁世凱の話が出てくるのかと思われるかもしれないが、それが当時の人々の気持ちになって考える、ということである。歴史学者の場合はロシア史が専門の人間と中国史が専門の人間は違うので認識が難しいが、当時の一般の日本人にとってみれば袁世凱ニコライ2世も同じ地球という空間に同時に生きていた人間だ。その袁世凱を日本人はどう思っていたか?
 あえて繰り返すまでも無いだろう、中国が向かおうとしていた近代化路線を妨害した極悪人で、日本人にとっては不倶戴天の敵である。中国の民主体制を確立しようとした宋教仁を暗殺し、自ら皇帝になろうとした野蛮人でもある。しかしここが肝心だが、その「極悪人にして野蛮人」の袁世凱ですら「清皇帝一家皆殺し」はやっていないのである。
 もちろん、それは袁世凱がとくに寛大だったわけでは無く、さまざまな理由があったことはすでに述べたとおりだ。しかし、どんな事情があったにせよ袁世凱は「清皇帝一家皆殺し」をやっていないのに、ロシア共産党は皇帝一家を幼子に至るまで皆殺しにした。しかも正式な裁判もせずに、だ。国王夫妻をギロチンにかけたフランス革命ですら形式的な裁判はあったのに、である。
 おわかりだろう。当時の日本人がロシア革命、いやその革命を実行したロシア共産党をどう思ったか? あの袁世凱ですらやらないことをやった、「野蛮にして極悪な組織」ということである。前回述べたように、革命軍はその旗印が赤色であったことに基づき「赤軍」と呼ばれたのだが、そこから日本では共産主義者に対する蔑称として「アカ」という言葉が生まれた。「アカは極悪人」「アカは撲滅すべき」という思いが、日本人の共通信条となってしまった。
 日本人にも共産主義に共鳴した人間はいた。当時の世界は欧米列強によるアジア・アフリカに対する植民地化が進んでおり、それは自由や平等という人類の普遍的価値を犯すものであった。ではなぜそうなったかと言えば、資本主義が発展すると侵略を肯定する帝国主義になってしまうからだ。
 もともと経済学者であったカール・マルクスは、資本主義を捨てて新しい経済体制すなわち共産主義体制を構築しない限り、こうした「悪」は根絶できないと考えた。マルクスは理論を述べたにすぎないが、それを実践し実際にそうした国家を建国したのが革命家ウラジーミル・レーニンである。彼が建国したソビエト連邦は、最終的には自由を弾圧し周辺の国をまさに「帝国主義的」に侵略する、とんでもない国家になってしまいわずか六十九年で滅亡したが、そんな未来を当時予測した者は一人もいない。
 「ソビエトの悪」を初めて大々的に告発した風刺小説『アニマル・ファーム』がイギリス人作家ジョージ・オーウェルによって書かれたのは一九四五年、つまり第二次世界大戦が終了した年の話である。一九一七年当時のヨーロッパやアメリカでは、とくに現状を変えなければいけないと考える正義感の強い若者にとってレーニンは憧れの的であり、ソビエトは理想の国家だったのだ。
 もちろん欧米列強でも社会の主流は保守的な大人であり、そうした人々はブルジョアジーつまり資本家を敵視する共産主義に強い反感を持ち、ソビエト連邦もなんとか潰そうとした。しかし、いま述べたような状況があり、必ずしも欧米列強は一致団結してソビエト潰しに走ったわけでは無い。それに「味方」する人々も少なからずいたからだ。
 しかし、日本の場合はまったく事情が違ったこともおわかりだろう。日本はもともと帝国主義に餌食にされる側のアジアの一員でありながら、西洋近代化を奇跡的に成功させ最終的には「帝国主義国家群に参入」できた。そのことで国民も豊かな暮らしができるようになった。それは天皇という存在があってこそだ。
 大日本帝国憲法がそう定めたから天皇は国家の「核」となったのでは無い。憲法は幕末から明治にかけて成立していた「天皇教」を追認したに過ぎない。ということは、いかに共産主義者帝国主義の悪を説き、それを変革するには共産主義しかないと主張しても、日本ではロシア共産党は「皇帝一家を裁判無しに皆殺しする」ような野蛮な組織ではないか、そんな連中の言葉に耳を貸す必要は無い、ということになってしまう。
 別の角度から言えば、日本と他の「帝国主義グループの欧米列強」との間には、史上初の共産主義国ソビエト連邦への反感について、かなり温度差があったということだ。日本は他の列強と違ってソビエトに対する反感がきわめて強かったということである。
 「よくぞ阿部を殺した」
 さて、一九一七年当時の日本人の気持ちになって考えるには、このソビエトに対する天皇信仰がもたらす強い反感のほかに、もうひとつ押さえておかねばならない心情がある。それには、英米や中国との協調路線を志向した山本権兵衛内閣下で起こった、外務省の阿部守太郎政務局長の暗殺事件を思い出していただきたい。
 これは一九一三年(大正2)の出来事だから、それほど昔の事件では無い。阿部局長は、当時の袁世凱政権とのトラブルを平和的に外交的手段で解決しようとしていた。それが「軟弱外交」ということで右翼青年に惨殺されたのだが、そうした青年たちに強い影響を与えていたと考えられる当時の新聞、とくに『東京日日新聞』のコラム「近事片々」の内容を覚えておられるだろうか。
 『逆説の日本史 第二十八巻 大正混迷編』に詳しく引用したが、簡単に言えば当時袁世凱政権下の中国で日本人が虐殺された事件(南京事件)を平和的に解決するなどもってのほかで、この際日本軍を派遣して武力で問題を解決すべきだというもので、そのなかの一行に「善後の處置は獨逸の膠州灣占領に倣う可き耳と戸水博士の論亦傾に値ひす」とある。
 第二十八巻で詳しく述べたところだが念のために繰り返すと、要するに日本の強硬派は、かつて清国の時代にドイツ人宣教師が虐殺されたことを口実に出兵したドイツ軍が膠州湾を占領し植民地にしてしまったように、中華民国に対して南京事件の解決を求める形で出兵すればいいではないか、ということである。
 良心的な政治家犬養毅は、「火事場泥棒の真似をするな」と、こうした風潮を厳しく批判した。しかしそれはあくまで少数意見であって、日本人の多くは「よくぞ阿部を殺した」と思っていたのである。だからこそ、そうした傾向に歯止めをかけようとした犬養毅も、結局五・一五事件で暗殺されることになってしまうのだが、ここで問題なのは「戸水博士」という言葉になんの注記も説明も無い、ということだ。
 もちろんこれは戸水寛人のことなのだが、新聞がこういう書き方をするということは現在もそうだが「この人のことは誰もが知っているゆえに説明不要」だからなのである。われわれはいままったく忘れているが、それが当時の人々の常識なのだ。ならば、その常識をもう一度確認しておく必要がある。彼は何者か? 何を主張したのか? 思い出していただきたい。人名事典から「経歴」の一部を引用する。
 〈国家主義者で、36年小野塚喜平次らと政府の対露軟弱外交を非難、「七博士」の一人として意見書提出、またロシアのバイカル以東割譲を主張、“バイカル博士”といわれた。日露講和条約締結では5博士と連署、批准拒絶を請願、休職処分となった。〉
 (『20世紀日本人名事典』日外アソシエーツ刊)
 日露戦争当時に、日本の国力でバイカル以東のロシアの領土を奪ってしまえなどというのは完全な夢物語であり、帝国主義に参入した桂太郎首相ですら苦笑したほどのものである。しかしここで注目していただきたいのは、その夢物語の提唱者に「バイカル博士」という「あだ名」がついたということだ。
 もちろんそのように呼ばれたのは「ほら吹き男爵」のように揶揄する姿勢があったことも間違い無いが、マスコミのなかで通用する「あだ名」がついたということは、彼が有名人になったということなのである。イギリスで「切り裂きジャック」と呼ばれた男は最後まで正体は不明だったが、彼がどんな男でなにをしたかは子供でも知っていた。同じように、当時の日本では「バイカル博士」と言えば戸水寛人という本名は知らなくても、「ロシアからバイカル湖以東の領土を奪ってしまえという夢物語を桂首相に実行するよう迫ったトンデモ学者」という広い認識はあった、ということだ。
 では、ここであえて問おう。彼の主張はなぜ夢物語で実行不可能なのか? それにもかかわらず、そうせよと彼はなぜ主張するのか?
 後者の問いから答えれば、そうすることで日本は絶対に安全になるからだ。領土をバイカル湖以東のロシア領までに広げてしまえば、日本本土だけで無く日本が南満洲に獲得した利権も安泰である。すなわち、「十万の英霊」は安らかに眠ることができる。だから日本にとっては絶対にやるべきこと、なのである。
 では、それなのになぜ「実行不可能」なのかと言えば、ロシア帝国は国土面積で日本の約四十五倍もあり、財政規模でも日露戦争当時日本の約十倍もあった。日本が日露戦争に勝ったことによってこの差は多少縮まったとは言え、依然としてロシア帝国は大国であり日本が手を出せるような国では無かった。
 しかし、その状況はロシア革命によってまったく変わった。たしかに赤軍によって「バイカル湖以西」にはソビエト連邦という国家が建国された。しかし、その体制を認めない白軍という勢力が、とくに「バイカル湖以東」において赤軍と抗争を始めた。こうした場合の常だが、反乱軍はしばしば外国勢力の援軍を求める。欧米列強よりもロシアに近いのが、隣国の日本である。
 おわかりだろう。「夢物語が実現するチャンスが来た」と、多くの日本人は考えたのである。
 (第1434回に続く)
 【プロフィール】
 井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『「言霊の国」解体新書』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。
 ※週刊ポスト2024年11月1日号
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 旧陸軍大将・今村均氏は、中国共産党が60年安保で荒れる日本の日教組日本共産党、反天皇反民族反日的日本人らに対して日本転覆のカギは「皇室と神社とより隔離」にあるとの指令を出した事を公表した。
 「中共の対日工作員である陳宇氏は、我が共産党員である日教組の幹部である赤津益三氏に対し、暗号電報により、6月1日『われわれは、この度の諸君の勇敢なる革新運動に敬意を表する。しかし貴国の革新は、民族をして、皇室と神社とより隔離せしめない限り、その実現は至難と思う』というような指令を打電した」(『修親』昭和41年1月号)。
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 レーニンは、搾取されている貧しき人民を解放する為には世界の共産主義化しかないとの信念から、日中戦争と日米英蘭戦争(太平洋戦争)をプロデュースし、中国共産党日本共産党ディレクションした。
 スターリンは、屈辱的日露戦争敗北の復讐としてレーニンの対日陰謀を実行し、ピョートル1世(大帝)の日本征服の夢を叶えるべく北海道と北方領土4島を武力で強奪しようとした。
 中国共産党は、レーニンスターリンの指示に従って軍国日本を対米戦争に追い込むべく、中国在住の日本人を虐殺していた。
 当時の日本人は、戦争を嫌い争う事を避ける現代の日本人とは違い、中国人の非人道的残虐行為に激怒し、惨殺された日本人の復讐・報復を政府や軍部に求めた。
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 日本には、大航海時代の中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人による日本人奴隷交易(被害者として)と日本軍部・陸軍・A級戦犯によるポーランドユダヤ人難民(数万人)をホロコーストから守ったという人道貢献(実行者として)を世界記憶遺産に申請する資格・権利がある。
 これは、日本国家ではなく、生きている日本民族日本人としての責務である。
 日本人奴隷交易とA級戦犯の人道貢献には、その事実を証明する・裏付ける公文書・古文書・キリスト教会報告書など歴史的証拠が国内外に数多く残っている。
 もし、日本の申請が認められないというのならば、ユネスコとイコモスによる世界遺産世界文化遺産・世界記憶遺産には存在意義はない、無意味・無価値という事である。
 日本人奴隷交易の責任の一端は、乱取りで捕らえた日本人を奴隷として外国人に売った日本人にもある。
 A級戦犯が有罪となって見せしめ的リンチ縛り首で処刑にされた罪状は、政治家・官僚・軍人として戦争を始めた平和に対する罪であって、拷問・虐待・惨殺・虐殺を行った人道に対する罪ではなかった。
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 日本民族とは、天皇主義者であり、日本主義者であった。
 中華世界を「敬して遠ざける」「付かず離れず」とする異質な自国中心主義で、中国や朝鮮と同じ道を歩かず、大陸や半島の虐殺と略奪の地獄様な戦乱の影響を完全排除していた。
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 日本民族は、庶民・地方諸王国・外国人移民による「天皇の弑逆(しいぎゃく)」を許さなかったが、天皇に対して暴君となり暴力で暴走させない為に『日本書紀』に第25代武烈天皇を暴君として記して教訓とした。
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 天皇の君民共治は、価値相対主義であり、日本を進化・進歩させ、平和と繁栄に貢献していた。
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 天皇の君民共治は辺境の相互補完共生ムラ的運命共同体で、中国や朝鮮には存在しなかった。
 君とは神聖不可侵にして唯一無二の御一人神聖国家最高権威で、民とは取り替え可能な複数雑多の多数人俗世国家最高権力である。
 俗世国家最高権力とは、政治・軍事・経済そして宗教の欲深い独裁である。
 神聖国家最高権威の最優先事項は、国民を最大最高の宝物と考え、社会的な不安定要因を減少させ、民族を豊かに安全に安心して暮らせるようにする事である。
 神聖国家最高権威の根源的本質的価値観とは、世界と人類をも包み込む八紘一宇の心である。
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 君民共治とは、天皇と庶民の徹底した役割分担による棲み分けであった。
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 神聖国家最高権威は、「過去」の自然・神話・宗教の大義から庶民の独裁を許さない。
 俗世国家最高権力は、「現在」の法度・法律・憲法の正義から天皇の暴君を認めない。
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 神聖国家最高権威とは、中央のヤマト大王、日本天皇=天つ神で、日本を統一した。
 俗世国家最高権力とは、地方の国王=国つ神で、天下を統一した。
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 神聖国家最高権威は、歴史から求められた価値観による不変の宿命である。
 俗世国家最高権力は、時代から求められた価値観による可動の運命であった。
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 天皇の君民共治を支えたのは、言霊文化である和心の和歌(短歌)、艶歌(演歌)、俳句であって、漢魂の漢詩ではなかった。
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 冲方丁「悪意に対抗するための健(すこ)やかな言葉を少しでも多く世の中に残したい。当然のことですが、人びとがいがみ合うのではなく、助け合う社会のほうがいいというメッセージを繰り返し訴え続けるしかありません」
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 歴史的事実として、天皇・皇族・皇室を戦争をして命を捨てても護ろうとした勤皇派・尊皇派・天皇主義者・攘夷論者とは、日本民族であり、学識と知識などの教養を持たない小人的な、身分・地位・家柄・階級・階層が低い、下級武士・野伏せり・悪党、身分低く貧しい庶民(百姓や町人)、差別された賤民(非人・穢多)、部落民(山の民{マタギ}・川の民・海の民{海女、海人})、異形の民(障害者、その他)、異能の民(修験者、山法師、祈祷師、巫女、相撲取り・力士、その他)、芸能の民(歌舞伎役者、旅芸人、瞽女、その他)、その他である。
 日本民族には、天皇への忠誠心を持ち命を犠牲にして天皇を守ろうとした「帰化人」は含まれるが、天皇への忠誠心を拒否し自己益で天皇を殺そうとする「渡来人」は含まれない。
 儒教の学識と知識などの教養を持つ、身分・地位・家柄の高い上級武士・中流武士や豪商・豪農などの富裕層・上流階級には、勤皇派・尊皇派・天皇主義者は極めて少なく、明治維新によって地位を剥奪され領地を没収された彼らは反天皇反政府活動に身を投じ自由民権運動に参加し、中には過激な無政府主義マルクス主義に染まっていった。
 江戸時代、庶民は周期的に伊勢神宮への御陰参りや都の御所巡りを行っていた。
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 同じ儒教価値観で卑賤視され差別される部落民や賤民(非人・穢多・散所{さんじょ}・河原乞食・他)とでは、何故・どういう理由で偏見をもって差別されるかが違う。
 マルクス主義共産主義階級闘争史観やキリスト教最後の審判価値観では、日本の部落民や賤民を解釈できないし説明できない。
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 現代の部落解放運動・同和解放運動が対象とする被差別部落民は、明治後期以降の人々で、それ以前の人々ではない。
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 戦後のマルクス主義者・共産主義者は、反宗教無神論・反天皇反民族反日本で日本人を洗脳すべくメデイア・学教教育・部落解放(同和解放)運動などへの支配を強めていった。
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 少数の高学歴出身の裕福資産家・AI強者 vs. 多数の低学歴出身の貧困労働者・AI弱者。
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 天皇のご威光(国體・国柄)、皇道主義、民族主義、神話物語、八紘一宇 vs. マルキシズム共産主義社会主義)、ボルシェビキレーニン主義スターリニズムマオイスト毛沢東主義)、ファシズム、ナチズム。
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 天皇の御威光とは、庶民を「大御宝」と念う天皇の御稜威、大御心である。
 昭和天皇東条英機松岡洋右松井石根A級戦犯達が行った、ヒトラースターリンから逃げてきた数万人のポーランドユダヤ人難民を助け保護したのも、差別反対・弱者救済・貧困愛護そして儒教的徳以上の神話的道理(本質的価値観)に命を賭ける天皇の御威光であった。
 日本の国際的信頼性や外交・金融・文化的信用度を、保証できるのは数千年の歴史を持つ正統な天皇の御威光のみである。
 天皇の御威光は「穏やかな祀りと祈り」として、日本国や日本民族だけではなく世界の平和と安寧、人類の幸福と繁栄をも対象とした、それが「八紘一宇」であった。
 歴代天皇の中で、それを深く考え実行したのが昭和天皇であった。
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 天皇の御威光が誕生したのは7世紀初頭の第33代推古天皇(女帝)御代であり、生んだのは聖徳太子である。
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 現代の日本は歴史のない社会である。
 日本の歴史は、昔は神話・物語・天皇・民族・宗教・文明・文化・伝統・その他つまり生と死、命、魂・霊魂の生命力ある歴史であったが、現代では生物としての人類・人間を科学で分析する無味無臭・無味乾燥で生命力なき歴史である。
 現代の日本人が学ぶ歴史教育とは、試験合格用のキリスト教西暦・天皇元号と科学的な統計数字・分析数字の記録を丸暗記するだけの死んだ歴史である。
 そこには、生きるヒントを与える生きた歴史はない。
 それが、反宗教無神論と反天皇反民族反日本の戦後民主主義教育における歴史教育である。
 日本を歴史のある社会と歴史のない社会に分断したのが、1980年代頃で、それは当時の日本人が自ら選択した結果であって、誰かに強要されたわけでもなく、如何なる陰謀説も存在しなかった。
 まして、戦後レジームなど無関係であった。
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 古代日本は、地獄の中華世界・弱肉強食の半島社会の中にあって、倭国(獣国)の自主独立を確立し、倭人(野蛮人)の生存権を護持する為に、ヤマト大王ヤマト王権によって統一されるしか選択肢がなかった。
 もし、日本統一をヤマト大王ヤマト王権・ナラ王国がしなければ、地方の王・王国が日本を統一した。
 日本が天皇家・皇室の元で統一国家に成れなければ、中世東南アジア世界のような小国家群による無秩序で無法なカオス地帯となったか、朝鮮のような中華帝国奴隷国家に成り下がるか、流刑地・台湾のような汚れた化外の孤島として捨てられるか、何れにしてもそこには現代の日本は存在しない。
 そして、歴史・伝統・文化・神話宗教・自然崇拝を共有する日本民族は生まれなかった。
 ヤマト大王ヤマト王権・ナラ王国その後継である日本天皇平安京朝廷による日本統一を望まない日本人が、高学歴のエセ保守・リベラル・革新(進歩)・過激の中に存在する。
 ヤマト大王ヤマト王権・ナラ王国その後継である日本天皇平安京朝廷は、大陸の中華帝国と半島の諸王国の軍事侵略から日本を守る為に人工的に作られたムラ的システムである。
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