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2024年10月23日 YAHOO!JAPANニュース 婦人公論.jp「<黄泉(よみ)>と<闇(やみ)>の深い関係とは?宗教学者が説く「日本神話の死後の世界」が曖昧で素朴すぎるワケ
死者が住むとされる黄泉国(写真提供:PhotoAC)
「死んだらどうなるのか」「天国はあるのか」。古来から私たちは、死や来世、不老長寿を語りついできました。謎に迫る大きな鍵になるのが「宗教」です。日本やギリシアの神話、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教から、仏教、ヒンドゥー教、そして儒教、神道まで。死をめぐる諸宗教の神話・教え・思想を歴史的に通覧した、宗教学者・中村圭志氏が綴る『死とは何かーー宗教が挑んできた人生最後の謎』より一部を抜粋して紹介します。
【書影】「死んだらどうなる?」「来世はあるのか?」「不老長寿?」古来からの尽きせぬ〈不可解〉を宗教哲学者・中村圭志氏が綴る『死とは何か-宗教が挑んできた人生最後の謎』
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◆はっきりしない来世「日本神話の黄泉と常世」
『古事記』や『日本書紀』で知られる日本の古代世界は、古代といってもかなり遅いもので、 紀元前はるか昔に都市化を果たしたユーラシアの諸文明と比べるとずいぶん遅れており、ほとんど中世と言っていい新しさである。
なにせ日本列島はユーラシアの東外れの孤島である。
長い間ずっと辺境であり続けたので、おかげでギリシア神話や旧約神話と比べられるほどの古い神話的モチーフが、八世紀になっても残っていたわけだ。
少なくとも、仏教、キリスト 教などの古典的宗教の倫理的で観念的な来世観に染まっていない原初の素朴な思考を残して いると見られるのである。
◆黄泉、常世、根の国「曖昧なる死者の空間」
日本神話の死後の世界は一つに絞られていない。『古事記』の語る黄泉には墳墓の内部のような感じがある。
常世はどこか遠くにあるものらしい。根の国は地下とも地上とも遠方とも海の底ともつかない感じだ。
『万葉集』などでは山中の他界のイメージも語られている。『万葉集』ではさらに、死んだ皇族は高天原に行くという取り決めが見られる。
ただし、天の岩戸に隠れることを死の隠喩としている歌もある(199番歌)。天駆ける霊魂の イメージと埋葬される遺骸のイメージが合体したものであろうか。
地下、遠方、海底、山中、天空の岩屋と、空間的にはばらばらである。強いて共通点を挙げるとすれば、「日常世界とは異なる遠くのどこか」ということだ。
たぶん古代人も、それ以上はよく分からなかったのだろう。
こうした「よく分からない」感は、『万葉集』第二巻にある柿本人麻呂の挽歌、「秋山の黄葉(もみち)を茂み惑ひぬる妹(いも)を求めむ山道(やまぢ)知らずも」(208番歌)にも表われている。
「秋山のもみじの木々が茂っている中に、もみじの魔 力に惑わされて迷い込んでしまった妻。逢いに行こうと思っても、私はその山道を知らないのだ。他界へはどうやって行くのか、見当もつかない」というほどの内容である。
この歌は(おそらく)歌垣で出遭った忍び妻(愛人)の死について歌った長歌に付属する反歌で、「山道」は他界(死後の世界)を意味する象徴として引き出されている。
実際に山に行った話をしているのではない。
◆黄泉と死体の恐怖・穢れ
『古事記』などの描く黄泉(よみ)あるいは黄泉国(よもつくに)の神話は、来世空間を描写するというよりも、「死者は朽ちる」という点を強調するものだ。
「黄泉(こうせん)」なるものは古代中国人が考えた比較的浅い地下世界のことで黄土が地下水に混じって出てくるような感じだろうか、墳墓の内部のような地中空間である。
日本ではこれを「よみ」と訓じたわけだが、この日本語は「やみ(闇)」と関係があると言われる。
イザナキとイザナミは原初の男女神として国土やさまざまな神々を産んだ。直接産んだのは女神であるイザナミだ。
彼女は最後に産んだ火の神のせいで陰(ほと)を焼かれて死んでしまった。以下、『古事記』に沿って記述していこう。
愛する妻の死に遭遇して、イザナキはたいそう嘆いた。彼は最愛の妻を出雲(いずも)と伯耆(ほうき)の国境にある比婆山(ひばやま)に葬った。
島根にある黄泉比良坂〈よもつひらさか〉(写真提供:PhotoAC)
◆イザナキが目にした死者イザナミの姿とは
イザナキは妻にもう一度逢いたいと思い、黄泉の国を訪問する。この黄泉の地理的位置であるが、地下ならどこでもいいのか、大地のどこかから特別につながっているのかは分からない。
イザナキが地下に潜っていったとはどこにも書いていないという指摘もあるが、わざわざ「黄泉」の字を当てているのだから、空間的イメージとしてはたぶんやっぱり地下なのだろう。
イザナキはそこへどうにかしてたどり着く。さて、そこでイザナキが目にした死者イザナミの姿とはどのようなものであったか。
ここには二重のビジョンがある。第一のビジョンはイザナミを霊界で何らかの形で生きている存在(霊魂)として描いている。第二のビジョンはイザナミを腐乱死体として描いている。
第一のビジョンを建前とする大枠の物語は次のように語る。イザナミは黄泉の御殿から現われる。
イザナキは、一緒に帰って国造りを完成させようと言う。イザナミは逡巡する。死者の国の食べ物を食べてしまったのでもう戻れないのだ。
イザナミは黄泉の支配者らしき神に相談すると言って御殿の中に入り、私を見ようとしてはいけないと言う。この黄泉の神が何者かは分からない。
さて、イザナミは御殿に入ったきり、待てど暮らせど出て来ないので、イザナキは自分の髪に差した櫛の歯を一本取って火をつけ、灯とし、御殿の内部を覗いた。
するとそこにあったのは死者の恐ろしい姿であった。第二のビジョンとしての、死体の描写である。物質的崩壊としての死の本質を直視するものだ。
◆『古事記』はイザナミの姿を次のように描いている
「ウジがわいてゴロゴロ言っており、頭には大きな雷が、胸には火の雷が、腹には黒い(?)雷が、陰には割くような雷が、左手には若い雷が、右手には土の(?)雷が、左足には鳴る雷が、右足には伏す(?)雷がいた」
ゴロゴロいうのが雷鳴だとすれば、死体の崩壊というショッキングな出来事を、雷鳴や稲光の恐ろしさにたとえたもののようにも思える。
古代においては、貴人などの葬儀の仕方として、殯(「もがり」あるいは「あらき」と読む)といって死体を喪屋(もや)内に置いて腐敗させ、本格的埋葬まで待つ儀礼が行なわれた。
それを見た人はショックだったはずであり、『古事記』のショッキングな描写はその印象を表わしたものかもしれない。
建前としては、イザナキは葬儀を済まして「霊魂」化した妻を追いかけているはずなのだが(第一のビジョン)、読んでみた限りでは、イザナミは死体そのものであり、黄泉は遺骸安 置所そのものである(第二のビジョン)。
黄泉が地下にあるのか地上にあるのかはっきりしないのも、この矛盾と関係がありそうだ。
※本稿は『死とは何か-宗教が挑んできた人生最後の謎』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
中村圭志
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日本民族の死後の世界には、時代とその時の宗教そして自然災害によって夥しい死者を出す事で進化して幾つもの黄泉の国が存在してきた。つまり、日本民族の闇は深い。
日本民族の本性は寂しがりである為に、家族と離れるのが嫌で、死後に神の王国である天国や仏の国である極楽浄土に行くよりも、死後も魂となって家族の元に留まる事を切望していた。その絆の象徴が、近所にある檀家寺の墓であり、家の中の仏壇と位牌であった。
葬式仏教で仏として家族から切り離されても、毎年の命日、月命日、夏のお盆、春と秋のお彼岸、年末年始などちょくちょく霊魂として家に帰り家族と過ごしていた。
日本民族は、死者との絆が深く、魂・霊魂と共に生きていた。
日本民族にとってお墓や仏壇・位牌は、宗教的に生者と死者の切っても切れない関係にある事を証明していた。
日本民族とは、有宗教有神論者・有宗教有仏論者の事である。
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映画・スペック「生と死を峻別する事に意味はない。
他者が認ずれば死者とて生命を持ち、
他者が認ずる事なければ生者とて死者の如し」
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兵庫県立考古博物館
テーマ3社会 国の成り立ち
26新しい古墳の形と黄泉(よみ)の国
古墳時代の終わり頃、お墓の内部、埋葬施設が大きく変わります。これまで一人のために作られていていたものが、出入り口をもち、何人もの人を葬ることができる石の部屋、横穴式石室に変わります。当時は木の棺ひつぎが一般的だったため、あとから棺を入れるとき、以前に葬られた人の姿が、腐った棺の隙間から見えることもあったかもしれません。
奈良時代に書かれた古事記という本には、その時のようすともとれる物語が記されています。
妻のイザナミの尊みことが死に、その跡を追って、夫イザナギの尊みことは妻のいる黄泉よみの国を訪ねました。すると妻は「黄泉の国で食事をしてしまいました。黄泉の国の神と相談してきますので、その間、姿を見ないように」といい、御殿の中へ戻りました。しかし夫は待ちきれず、その約束を破り、火を灯しともして妻を追いかけました。すると、そこには、ウジ虫がたかり、8人の雷神らいじんに囲まれた変わり果てた妻の姿がありました。驚き、恐れた夫は逃げ帰りますが、妻と黄泉の国の軍勢がおいかけてきます。夫は桃の実などの呪力で何とか防ぎながら、ようやく、この世と黄泉の国との境までやってきました。そして、これ以上、妻が追いかけてこられないよう、黄泉の国の入口を岩でふさいでしまいました。
横穴式石室はふつうたくさんの石を出入り口に積み上げて蓋をしています。そして、中からは、多くの食器とともに、物語に出てくる桃の実も見つかることがあるので、新しい埋葬施設である横穴式石室が、黄泉の国という世界を作り出したのかもしれません。そして現在、私たちは、黄泉の国から帰る、すなわち、「よみがえる」という言葉の中に、その名残を見ることができます。
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神社本庁
黄泉の国
神社本庁トップ 神社と神道 日本の神話 黄泉の国
日本の国土ができると、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)は多くの神さまを生みました。
ところが伊邪那美命は最後に火の神さまを生むと、大火傷を負って黄泉国(よもつくに)へお去りになってしまいました。伊邪那岐命は悲しみ、涙にくれました。
伊邪那岐命は、伊邪那美命を連れ戻そうと思い立ち、去っていった黄泉国へと向かいました。
伊邪那岐命が黄泉国につくと、伊邪那美命はすでに黄泉国の食べ物を口にしており、もとの国には帰れません。しかし、伊邪那美命は伊邪那岐命が迎えにきてくれたことを知ると、それは尊いことだから何とかして帰ろうと思い、「くれぐれも私の姿を見ないように」と伊邪那岐命に言い残し、黄泉国の神さまのもとへ相談に行きました。
もうどれくらいたったことでしょう。待ちきれなくなった伊邪那岐命は、髪にさしていた櫛を手にとり、火をともして辺りを見回しました。
すると何としたことでしょう。妻の姿が見るも恐ろしい姿となって、そこに横たわっているではありませんか。
あまりの恐ろしさに、伊邪那岐命は逃げ出します。すると姿を見られた伊邪那美命は「私に恥をかかせたな」と言って、黄泉国の者どもと追いかけました。
ようやく逃げ切ると伊邪那岐命は、黄泉国との境を大きな岩でふさぎました。
すると岩の向こうから約束が破られたことを悔しがる伊邪那美命が「あなたの国の人を1日に1,000人殺してしまおう」といいました。
これに対し伊邪那岐命は、「それならば、私は1日に1,500の産所を建てよう」と告げました。
それ以来、毎日多くの人が死に、また多くの人が生まれるようになったということです。
神話 黄泉国について
この神話で人の死が神話の中で初めて登場します。日本人は免れ得ない死という定めを見つめた上で、一所懸命に生き、子孫に受け継いでゆくことを大切にしていたことが神話を通して伺えます。
また「古事記」には、黄泉国から逃げる伊邪那岐命が、追手に対し髪にさした櫛の歯や桃の実を投げて退散させたとも記されています。
桃は邪気を払い、私たちを守ってくれるという考えは桃の節句にも通じるものです。
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國學院大學
「死者の世界」は山にある?
-黄泉の国の神話を読み解く-
古事記の不思議を探る
文学部全ての方向け国際文化
文学部教授 谷口 雅博 2018年9月29日更新
(※画面の右上のLanguageでEnglishを選択すると、英文がご覧いただけます。This article has an English version page.)
日本最古の書物『古事記』。世界のはじまりから神様の出現、皇位の継承まで、日本の成り立ちがドラマチックに描かれています。それぞれの印象的なエピソードには今日でも解明されていない「不思議」がたくさん潜んでいます。その1つ1つを探ることで、日本の信仰や文化のはじまりについて考えていきます。
島根県松江市の伊賦夜坂 ―ここが黄泉の国からの出口?島根県松江市の伊賦夜坂
―ここが黄泉の国からの出口?
イザナキはイザナミを追いかけ黄泉国へ
イザナキ・イザナミが夫婦となって国々を生み、現在の日本列島を作り出し、さまざまな神々を生んだ神話は、古事記でも有名なエピソードの1つでしょう。その後火の神を生んだイザナミは身を焼かれて死んでしまいます。妻にもう1度会いたいとイザナキは黄泉国(ヨミノクニ)を訪れますが、そこには変わり果てた醜い姿のイザナミがあり、その姿を見て逃げ出すイザナキが描かれています。このように黄泉国は、死して後に行く冥界として理解されていますが、それはどこにあるものなのでしょうか。
黄泉国の出口は出雲にあった
『古事記』の神話の世界には様々な異界が存在しています。天には高天原、海の彼方には常世国、海中には海神の国などがあります。これらの異界は、現実世界には存在しません。ところが、地上世界は、私たちが過ごす現実の国土と密接に関わるように描かれています。
例えば、イザナキとイザナミが生んだ国々は、四国・九州・本州をはじめとして日本列島に該当します。そしてイザナミが火の神を生んで焼かれた後には出雲国(島根県)と伯耆国(鳥取県)との堺にある比婆山(ヒバヤマ)に葬られます。極めて具体的にその場所が示されるのです。イザナキは実際に黄泉国にイザナミを迎えに行っているので、比婆山と黄泉国は密接な関係があると言えます。また、黄泉国から逃げ帰るイザナキは、今の出雲国の伊賦夜坂を通ったと、具体的に示されています。つまり黄泉国は地上世界と繋がった場所にあるということです。
死者の世界は山にある?
ギリシャ神話でハデスが支配する冥界や、キリスト教や仏教の地獄と同じように、黄泉国も地下にある世界としてイメージする人は多いと思います。「黄泉」という漢字は、中国では地下を意味する言葉です。
ですが、『古事記』或いは『日本書紀』の神話のどこを見ても、「黄泉国」が地下であることを示す証拠はありません。「ヨミ」の語義については、「ヤマ=山」の音が変化したもの、或いは「ヨモ=四方」が元であるとする見方があります。「四方」は人々が住む場所の周辺を意味するので、やはり「山」と繋がります。イザナミが最初に葬られた場所が山であった点、死者は山に葬られる故に古代社会では山中に他界があると観念されていた点などから考えて、黄泉国は山中にあると考えられていたと思われます。しかも『古事記』神話ではそれを出雲国に属する場所に設定されているところが興味深いですね。
~國學院大學は平成28年度文部科学省私立大学研究ブランディング事業に「『古事記学』の推進拠点形成」として選定されています。~
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2018年9月18日付け、The Japan News掲載広告から
谷口 雅博
研究分野
日本上代文学(古事記・日本書紀・万葉集・風土記)
論文
崇神紀祭祀記事の意味するもの-疫病の克服と国家の成立-(2022/04/30)
研究ノート:大碓命は小碓命に殺害されたのか(2022/03/10)
『古事記』はどう読まれることを望んでいたのか。
谷口 雅博
謎多き天孫降臨神話 ―その神話の源流とは―
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神名データベース
このDBは古事記ビューアーと連動しています
神名データベース凡例
黄泉神 読み よもつかみ
別名
-
登場箇所
上・黄泉の国
他の文献の登場箇所
旧 黄泉神(陰陽本紀)
梗概
伊耶那美神が火の神を産んで神避りすると、伊耶那岐神は追いかけて黄泉国までやってきて、元の国に還ることを促す。しかし、伊耶那美神は、既に黄泉戸喫をしてしまっていた。そこで、伊耶那美神は、元の国に帰るための相談を黄泉神に持ちかけた。
諸説
この神は、黄泉国の場面で前触れなく名前が出てきており、天地のはじまりや岐美二神の神生みで高天原や葦原中国に生まれた神々とは一線を画する存在として考えられる。それは、伊耶那美神の神避りによって初めて語られる黄泉国がどのような世界であるかということに関わってくる。
黄泉神の神格は、黄泉国の主宰神と考えられるが、伊耶那美神の「且く黄泉神と相論はむ」という言葉に名前が出てくるだけで、その事跡は語られていないため、登場理由や具体的な性格は明らかでない。そのため、この神の登場は、伊耶那美神がその後、黄泉津大神になるまでの話の筋立て上設定されたに過ぎないとする見方がある。
また、黄泉国での伊耶那美神の別名、黄泉津大神との神格の類似や対応が考察されている。伊耶那美神が死を司る神の性格を得て黄泉津大神になったことを、黄泉国の主宰神が黄泉神から伊耶那美神に交替したことと考え、それまで天上や国土とは隔絶した位置付けであった黄泉国が、それによって天皇の系列による統治に切り替わり、高天原や葦原中国と並ぶ統治領域に組み込まれたことを表しているとする説がある。
黄泉国がどのような世界であるかは、様々な方面から考察されている。漢籍における漢語「黄泉」は、地下の世界を指しているが、この字面が『古事記』中の、あるいは一般的な和語としてのヨミとどう対応しているかは問題である。『古事記』の黄泉国も、地下の死後世界として論じられることが多いが、これに対して、本文の文脈からは、地下の世界であるとはっきり読み取ることができないという指摘があり、そもそも日本古代の他界は、地下ではなく、墳墓や葬送の地であった山中にあったということが論じられている(『万葉集』2・165、3・417、『日本霊異記』下22、下23など)。それに関連して、ヨミという語は、その古形ヨモがヤマ(山)と母音交替による造語関係を持っていると解する説もある。このように黄泉を地上の延長として捉えると、『古事記』の黄泉国は、葦原中国と上下の位置関係にある世界ではなく、葦原中国の存在する「国」(「天」に対する)における同一平面上に在って人間に死をもたらす世界として位置付けられるとする説がある。一方で、『古事記』の黄泉国がまさしく山中の他界を指しているかということにも疑問は残り、「黄泉」という表記によって、ヨミという和語の山中の基層的なイメージから、漢語「黄泉」の持つ地下的な他界の観念に移し替えられているとする説がある。
また、記紀の黄泉国が、古墳時代の横穴式石室の構造やその葬儀を反映しているとする説が広く行われており、考古学的にも検討が進められている。しかし、これに対しては批判もあり、5~6世紀にかけて導入された横穴式石室では、飲食供献を伴って丁重に行われた死者への祭祀の場という、3世紀以来の古墳の性格が継承されていたが、7世紀に祭祀を伴わない遺体を安置する墓としての横口式石槨が普及し、古墳は祭祀の場としての性格を喪失した。記紀が編纂された時代はその変質の後であり、そこに描かれた黄泉国からは、古来の横穴式石室の祭祀の性格は読みとりがたく、飽くまで忌避すべき恐ろしい穢れの世界として表現されているため、横穴式石室の儀礼とは直ちに結びつかない、という。また他に、死者の葬られた墳墓ではなく、生死不明の状態からの復活を願う殯(あらき、もがり)の儀礼の反映とする説もある。
参考文献
倉野憲司『古事記全註釈 第二巻 上巻篇(上)』(三省堂、1974年8月)
西郷信綱『古事記注釈 第一巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年4月、初出1975年1月)
『古事記(新潮日本古典集成)』(西宮一民校注、新潮社、1979年6月)
神野志隆光・山口佳紀『古事記注解2』(笠間書院、1993年6月)
松村武雄『日本神話の研究 第二巻』(培風館、1955年1月)第五章第二節
井手至「遠称指示に用いられた「をち・をと」」(『遊文録 説話民俗篇』和泉書院、2004年5月、初出1960年8月)
菅野雅雄「黄泉行説話の展開」(『菅野雅雄著作集 第二巻 古事記論叢2 説話』おうふう、2004年3月、初出1961年10月)
菅野雅雄「黄泉観念の成立と黄泉行説話の形成」(『菅野雅雄著作集 第二巻 古事記論叢2 説話』おうふう、2004年3月、初出1963年11月)
大林太良『日本神話の起源』(角川書店、選書版1973年3月、初版1961年7月)
西郷信綱『古事記の世界』(岩波書店、1967年9月)「三 黄泉の国―死者と生者」
佐藤正英「黄泉国の在りか」(『現代思想』1982年9月臨時増刊号(10巻12号)、1982年9月)
神野志隆光「「黄泉国」―人間の死をもたらすもの―」(『古事記の世界観』吉川弘文館、1986年6月、初出1984年9月)
中村啓信「「黄泉」について」(『古事記の本性』おうふう、2000年1月、初出1993年1月)
北野達「ヨミの国―死者の国の変貌―」(『古事記神話研究―天皇家の由来と神話―』おうふう、2015年10月、初出1994年3月)
梅田徹「イザナキの黄泉国訪問と「大神」への変異―『古事記』の神代―」(『帝塚山学院大学日本文学研究』26号、1995年2月)
辰巳和弘「「籠もり」と「再生」の洞穴」(『他界へ翔る船―「黄泉の国」の考古学』新泉社、2011年3月、初出1996年11月)
西條勉「神話世界の成り立ち」(『古事記と王家の系譜学』笠間書院、2005年11月、初出1997年4月)
土生田純之『黄泉国の成立』(学生社、1998年)第三部
福島秋穗「伊耶那岐命による黄泉国訪問神話の成立時期について」(『紀記の神話伝説研究』同成社、2002年10月、初出2000年1月)
酒井陽「黄泉の国と死者の国―記紀神話の「黄泉の国」は死者の赴く世界か―」(『千葉大学日本文化論叢』2号、2001年3月)
勝俣隆「黄泉国訪問譚」(『異郷訪問譚・来訪譚の研究―上代日本文学編』和泉書院、2009年12月、初出2006年3月)
烏谷知子「黄泉国訪問神話の構成」(『上代文学の伝承と表現』おうふう、2016年6月、初出2007年1月)
大脇由紀子「古事記「黄泉国」の成立」(『菅野雅雄博士喜寿記念 記紀・風土記論究』おうふう、2009年3月)
佐藤正英「黄泉国・葦原中国の分離―イザナキ・イザナミ神話Ⅲ」(『古事記神話を読む〈神の女〉〈神の子〉の物語』青土社、2011年3月)
笹生衛「古墳の儀礼と死者・死後観―古墳と祖先祭祀・黄泉国との関係―」(『古事記学』1号、2015年3月)
多田正則「『古事記』における「黄泉神」と「黄泉津大神」についての考察」(『萬葉語文研究』11、2015年9月)
土屋昌明「黄泉国と道教の洞天思想」(『古事記年報』58、2016年3月)
笹生衛「黄泉国と古墳・横穴式石室」(『古事記学』2号「『古事記』注釈」補注解説、2016年3月)
谷口雅博「『古事記』における「黄泉国」の位置づけ」(『古事記学』3号、2017年3月)
岩本崇・髙橋周「黄泉国訪問神話と古墳時代墓制をめぐって」(『黄泉国訪問神話と古墳時代出雲の葬制』今井出版、2019年3月)
髙橋周「黄泉国訪問神話と出雲」(『黄泉国訪問神話と古墳時代出雲の葬制』今井出版、2019年3月)
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精選版 日本国語大辞典 「黄泉」の意味・読み・例文・類語
こう‐せんクヮウ‥【黄泉】
〘 名詞 〙 ( 中国で、「黄」は地の色にあてるところから )
① 地下の泉。
[初出の実例]「排二碧落一、掀二黄泉一」(出典:頼山陽詩集(1832)一九・茶山老人竹杖歌)
[その他の文献]〔孟子‐滕文公・下〕
② 地面の下にあり、死者が行くといわれる所。仏教でいう地獄(罪業のある者だけが行く)とは元来は別のものであるが、のちに、特に日本では、混同されるようになった。あの世。よみじ。冥土(めいど)。
[初出の実例]「慎(ゆめ)黄泉の事を妄(みだり)に宣べ伝ふること勿れ」(出典:日本霊異記(810‐824)上)
[その他の文献]〔春秋左伝‐隠公元年〕
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改訂新版 世界大百科事典 「黄泉国」の意味・わかりやすい解説
黄泉国 (よみのくに)
死者の住むとされる地下の国。〈ヨモツクニ〉とも呼ぶ。〈ヨミ〉は〈ヤミ(闇)〉や〈ヤマ(山)〉と類義の語。また〈黄泉〉は漢語で〈黄〉は土の色を表し〈地下にある泉〉の意で死者の国をいう。《古事記》によると,伊邪那岐(いざなき)命は死んだ伊邪那美(いざなみ)命を呼びもどそうとして黄泉国へと赴くが,〈視るな〉の禁を犯してイザナミを視ると肉体は腐乱し蛆(うじ)がたかっている。驚いたイザナキはイザナミの追行をかわして黄泉比良坂(よもつひらさか)まで逃げもどり,そこを〈千引石(ちびきのいわ)〉でふさいでやっと地上に生還する。かくてイザナミを黄泉津大神(よもつおおかみ)といい,その黄泉比良坂は出雲国の伊賦夜坂(いふやざか)だという。また《出雲国風土記》には〈黄泉の穴〉〈黄泉の坂〉と伝える場所が記されている。
古代の人々の生活空間を分類すれば,多くの人々が生活する中心部とそれに対する未開の周辺部から成り,さらにその外側には死者たちを葬る山や海や原始林地帯が広がっていた。こうした平面的な生活空間を立体的に構造化したとき,天上,地上,地下の3層から成る神話的な宇宙空間が成立する。記紀の伝承では,それらは〈高天原(たかまがはら)〉(高天原神話),〈葦原中国〉(あしはらのなかつくに)および〈黄泉国〉または〈根の国〉にそれぞれ相当する。〈黄泉比良坂〉とか〈黄泉の穴〉は,黄泉国とこの世との神話地理上の境界であり,実際そこは地下へと通ずる山中や海辺の洞窟で,死体を遺棄する場所でもあった。死んだイザナミは〈出雲国と伯伎国(ははきのくに)との堺の比婆山(ひばやま)〉に葬られたとされ,《日本書紀》の一書には〈熊野の有馬村〉に葬ったと記し,土地の人々はそこを〈花の窟(いわや)〉と呼んでいる。黄泉国へは山中や海辺のこうした洞窟を伝ってじかに往来することができると想像されていたのだが,死者の住む黄泉国のイメージは〈殯(もがり)〉の葬礼に基づいてもいた。殯とは埋葬するまでのあいだ死体を安置しておくことで,この期間は生死の境が定まらず,死者の魂を呼びもどそうとして歌舞などの葬礼が行われた。〈ヨミガエル〉はこのことと関連する。人々は腐乱してすさまじい臭気を放つ死体とともに暮らしたのであり,黄泉国でのイザナミの姿がひどく肉体的に表現されるのも,この殯における死体の印象からきている。黄泉国にはあらわな肉体性とけがれがつきまとっており,だからこそそこから生還したイザナキは〈日向(ひむか)の橘の小門(おど)〉でみそぎをし,すべてのけがれを流し去ったときに天照大神(あまてらすおおかみ)が誕生したのである。天皇家の祖神天照大神はこうして大地と地下の世界から分離されて〈高天原〉へと上昇し,〈天孫〉は天上で生まれることになる。これに対して〈出雲〉が死者の世界と隣接して黄泉国への入口とされたのは,聖なる中心地である大和から見て日の没する西の辺境に位置したからであり,それゆえに〈出雲〉は野蛮で荒ぶる〈葦原中国〉を代表する舞台として設定されるとともに,豊穣なる〈大地〉の性格を付与されてもいたのである。
執筆者:武藤 武美
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「黄泉国」の意味・わかりやすい解説
黄泉国 よみのくに
泉国とも書き、本来は山岳的他界を表すが、墳墓を山丘に営むことが多いことから死者の国をいう。いずれも中国で死者の赴く所を黄泉(こうせん)、泉下(せんか)ということによっており、『古事記』には、黄泉国を舞台とした黄泉国訪問神話がある。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は、火神を生んだために病んで黄泉国に移った伊弉冉(いざなみ)尊を追ってこの世界に入り、ともに帰ることを願う。しかし伊弉冉尊はすでに死の国の食をとっていたため、私の姿を見るなという条件を伊弉諾尊に誓わせて黄泉津(よもつ)大神と交渉する。その時間が長いので、男神は櫛(くし)の柱を折って火をともすが、そこに現れたのは蛆(うじ)が音をたてて這(は)いまわり、蛇が身体の各部に占拠する醜悪な女神の姿であった。恐れて逃げる男神を、女神は醜女(しこめ)たちに追わせ、一方、男神は鬘(かずら)や櫛を投げ、それが野葡萄(のぶどう)や筍(たけのこ)となり、醜女がこれを食う間に逃げた。黄泉軍(よもついくさ)が追うときには剣を後方に向け振りつつ逃げ、桃の実で打ってやっと撃退した男神は、黄泉国との境に巨石を据え、ここで女神と対決し絶縁する。そして、女神は日に1000人を殺し、男神は日に1500の産屋(うぶや)を建てると宣言する。
この神話には種々な観点があるが、黄泉国の状況が暗黒陰惨な世界として語られていることに特色がある。古墳時代前期では、死者は司祭者あるいは神と考えられており、冥界(めいかい)はまだ陰惨な世界ではなかった。したがってこの陰惨化は、大陸の御霊(ごりょう)信仰や疫神信仰の受け入れ、また羨道(せんどう)によって死者の世界と見うる横穴式石室に導かれる、大陸様式の後期古墳の採用以後始まったものと推定されている。『出雲国風土記(いずものくにふどき)』出雲郡の条には、脳(なずき)の磯(いそ)に黄泉穴(よみのあな)の存在が語られており、夢でここに至ればかならず死ぬと伝えられる。冥界観の変化とともに、地底を死者の国とする観念が生じ、やがて根(ね)の国(くに)との関連が生ずるのである。なお黄泉国の神話では、黄泉国との境を出雲国の伊賦夜坂(いふやさか)とし、また出雲と伯伎(ははき)両国の境にある比婆山(ひばのやま)に伊弉冉尊を葬したというが、これは出雲国と黄泉国との強い関連を暗示しようとしている。
[吉井 巖]
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