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・ ・{東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本民族の自然崇拝=多神教は、数万年前の縄文人が行っていた自然祭祀で、数千年前の弥生人や古墳人が女性神を最高神とする神話物語=天皇神話(男系父系神話)で完成した。
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アニミズム自然崇拝文化は、人種・民族ではなく生活環境・自然環境で変化する為に一つとして同じ自然宗教はない。
その意味で、日本の自然崇拝は日本列島に住む日本民族しか持っていない宗教文化であり、世界に二つとない宗教文化である。
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縄文宗教の流れを汲む日本神道・アイヌ信仰・琉球信仰は、三者三様で「似て非なり」である。
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日本人は、マルクス主義的反宗教無神論で「神殺し」がおこない、民族的アニミズムを現代日本から消えつつある。
現代の日本に、無宗教無神論が広がっている。
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日本民族の伝統・文化・歴史そして宗教は、原始的アニミズムを基層にして生まれ受け継がれてきた。
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ロバート・D・カプラン「揺るぎない事実を私たちに示してくれる地理は、世界情勢を知るうえで必要不可欠である。山脈や河川、天然資源といった地理的要素が、そこに住む人々や文化、ひいては国家の動向を左右するのだ。地理は、すべての知識の出発点である。政治経済から軍事まで、あらゆる事象を空間的に捉えることで、その本質に迫ることができる」(『地政学の逆襲』朝日新聞出版)
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2024年9月6日 YAHOO!JAPANニュース 東洋経済オンライン「日本で「アニミズム」が保存された3つの根本理由 「自然信仰」を踏まえた「地球倫理」の時代へ
なぜ日本ではアニミズム的な自然観が保存されてきたのでしょうか(写真:windybear/PIXTA)
加速する「スーパー資本主義」、持続可能性を前提とする「ポスト資本主義」の「せめぎ合い」はどこへ向かうのか。『科学と資本主義の未来──〈せめぎ合いの時代〉を超えて』著者で、一貫して「定常型社会=持続可能な福祉社会」を提唱してきた広井良典氏が、「日本人論」を刷新し「アニミズム文化・日本」の可能性を検討する。今回は、全2回の後編をお届けする(前編はこちら)。
地球倫理の構造
■アニミズムとは何か
「アニミズム文化としての日本」というテーマを考える際、まず確認しておくべきは「アニミズム」という言葉の意味である。
一般に、この「アニミズム」という言葉を初めて明確に定式化したのはイギリスの人類学者エドワード・バーネット・タイラー(1832-1917)とされる。
タイラーはその主著『原始文化(Primitive Culture)』(1871年)において、アニミズムを「万物の中に魂(soul)あるいはアニマが存在するという信念(faith)」としてとらえ、しかもそれがさまざまな宗教のもっとも原初的な形態であるとした。この場合の「アニマ」は「魂、生命、活力」に相当するラテン語で、「アニマル」や「アニメーション」の語源でもある。
ここで少々個人的な述懐を記すと、「アニミズム」という言葉のこうした起源について私自身さほど詳しい知見は持っておらず、「タイラーという人類学者がこの言葉を最初に使ったが、それはアニミズムを“未開”社会における“低い”レベルの観念としてネガティブにとらえたものであり、そうした発想を克服していくことが重要になっている」といった程度のイメージで理解している面があった。
しかし数年前に上記『原始文化』の全訳が日本で刊行されたことともつながるが(『原始文化(上)(下)』国書刊行会、2019年)、タイラーのアニミズムについての理解は決してさほど単純なものではなく、たしかに“アニミズム→多神教→一神教”といった発展段階論的な面はあるにせよ、むしろさまざまな宗教の根底にある世界観としてアニミズムをとらえるという、きわめて先駆的かつ現代的な意義をもっていると言える。
ここでは人類学者タイラーについて論じることが主題ではないが、当時の社会的状況(ダーウィンの進化論の受容、イギリスでの心霊主義<スピリチュアリズム>、工業化の急速な進展等)も視野に収めながら、「アニミズム」という言葉の背景やタイラーの思想を再吟味していくことが重要と思われる。
そして、こうした「アニミズム」的な自然観・世界観は近年になって新しい形で注目され再評価されるようになっている。
その大きな背景の一つは、エコロジーあるいは環境問題への関心の高まりであり、人間と自然、あるいは生命と非生命(さらには有と無)の間に絶対的な境界線を引かず、それらを包括的ないし全体的な視座においてとらえるという意味において、「アニミズム」は新たな現代性をもつに至っているのである(これはいわゆる自己組織性など現代科学の方向とも共鳴する側面をもっており、こうした点については「新しいアニミズム」について論じた拙著『ポスト資本主義』岩波新書、2015年および『無と意識の人類史』東洋経済新報社、2021年を参照されたい)。
■アニミズムと日本
さて、先ほど「万物の中に魂(soul)あるいはアニマ(生命)が存在するという信念(faith)」という、タイラーによるアニミズムの定義にふれたが、この内容を見て、ある意味でそれは日本人にとってはなじみやすい、むしろごく当然とも言える自然観ないし世界観ではないかと感じた読者も多いだろう。
まさにそのとおりで、(自然の中の)「八百万の神様」、あるいは「鎮守の森」といった表現にも示されるように、日本においては、一つには神道ということとも関連しつつ、「アニミズム」的な発想や自然観が広く日常生活や年中行事等の中にさまざまな形で浸透していると言える。
そしてそれは、本欄の『「自然資本」への対応には日本の伝統文化が重要だ――SDGsと「鎮守の森」やアニミズム文化をつなぐ』においても述べたように、近年において気候変動や脱炭素をめぐるテーマと同様に大きな関心の対象となりつつある、生物多様性や生態系に関する話題ともつながっていくのだ。
たとえば、昨年(2023年)3月に策定された政府の「生物多様性国家戦略2023-2030」において、次のような文章が盛り込まれたのである。
「鎮守の森、八百万の神に象徴されるような・・・我が国における人と自然との共生の考え方や、生物多様性の豊かさに根ざした地域文化(伝統行事、食文化、地場産業など)を守り・・・自然がもたらす文化的・精神的な豊かさや、・・・人と自然の共生という自然観の継承を、様々な機会を通じて発信し、・・・地域における生物多様性の保全活動を促進する」(強調引用者)
このように「八百万の神様」あるいは「鎮守の森」といった、アニミズム的な自然観の現代的な意義が、環境問題やエコロジーに関する文脈において再評価されるようになり、またそれが日本においては(かろうじてというべき面もあるが)伝統文化として保存されていることが新たな文脈で認識されるようになっているのである。
■日本でアニミズムが保存された理由
ところで、ではなぜ日本においてはこうしたアニミズム的な自然観が比較的保存されてきたのだろうか? これはじっくりと掘り下げていくべき興味深いテーマと思われるが、さしあたり以下の3つが挙げられるだろう。
1)風土的環境
2)神仏習合
3)ガラパゴス的辺境性
まず1)の「風土的環境」。これは日本の場合、湿潤・温暖な気候の中で生物相が相対的に豊かであることに加え、“南北に長く伸びる火山帯の列島”という環境が起伏に富んだ自然景観を生み、また生活レベルにおいても山、川、海、森などが身近に感じられると同時に、台風や豪雨、地震など自然災害も多く、自然は「恵み」をもたらす存在であるとともに「畏怖」すべき存在でもあった。
こうした(脅威としての側面も含んだ)自然環境の豊穣さが、アニミズム的自然観のいわば物質的・環境的基盤として作用したことは確かなことだろう。
ちなみに生物多様性の議論などで指摘されることだが、日本の既知の生物種数は9万種以上、分類されていないものも含めると30万種を超えると推定されており、生物相が豊かであることに加え、日本は「固有種」が多いことで知られており、陸に住む哺乳類の約4割、爬虫類の6割、両生類の約8割が固有種とされている(「生物多様性国家戦略」等)。また世界で36カ所の「生物多様性ホットスポット」(=地球上で生物多様性が特に豊かでありながら同時に破壊の危機にさらされている場所)の一つとしても日本は認定されている。
次に2)の「神仏習合」だが、おそらくこれが日本においてアニミズム的自然観が保存されるにあたって決定的な意味をもった要因だったと思われる。それは次のような意味においてだ。
神道という、日本における土着かつ原初的な「自然信仰」がアニミズム的自然観ときわめて親和的であることは言うまでもない。誤解のないよう確認すると、神社における“鳥居”とか“社殿”といったものは、後の時代において(仏教寺院への対抗という文脈や、古代国家における中央集権化といった背景の中で)付加されていったものである。
一方、ここで述べている神道とは、その原初の形態としての、まさに先述の(自然の中の)「八百万の神様」という表現に象徴されるような、あるいは「御神体」が山や岩、木等々といった自然そのものであるような信仰ないし世界観を指しており、アニミズムそのものと言えるものである。
■人間以外の草木や自然もまた成仏するという思想
ところで、ドイツの哲学者ヤスパースが「枢軸時代」と呼んだ紀元前5世紀前後の時代に、地球上の各地において、都市文明の成熟の中で高度に言語化され体系化された「普遍宗教」(ないし普遍思想)が成立していった。インドでの仏教、中国での儒教や老荘思想、ギリシャ哲学、(キリスト教やイスラム教の源流となった)中東での旧約思想等である。こうした普遍宗教は、その高度な体系性とも相まって地球上の各地に広がり、浸透していくとともに、各地域にもともとあった土着の信仰を(その“原始的”で“不合理”な性格ゆえに)否定し排除していった。
ところが日本の場合、当初は外来の普遍宗教である仏教と土着の自然信仰ないし神道との間に激しい争いが生じたが、最終的に「神仏習合」という形で両者の融合ないし習合(syncretization)がなされていった。
また、必ずしも神仏習合という形をとらずとも、日本の天台宗において9世紀後半に活躍した安然という仏教学者が提起した「草木国土悉皆成仏」という思想(人間以外の草木や自然もまた成仏するという考え)などに象徴されるように、日本においては仏教そのものが土着の自然信仰とそのアニミズム的要素に(意識的であれ無意識的であれ)影響を受ける形で変容していったのである(安然の思想とその背景については末木文美士『草木成仏の思想』サンガ、2015年を参照されたい)。
以上の内容について、2点ほど補足を行っておこう。1つはいま指摘した日本における仏教の変容という点である。上述の普遍宗教が地球上のさまざまな地域に広がっていく中で、その地域の風土や土着の信仰と相互作用を行いながら、その場所固有の文化に適合的な形で変容していくということは広く見られることであり、日本に限ったものではない。
単純な例で言えば、中東の砂漠周辺で生まれたキリスト教がイタリアなど(風土的にもより温和な)地中海世界に広がっていく過程で、母性的な聖母(マドンナ)信仰が重要な意味をもつようになっていったことなどもそうした例である。そうした意味では日本に渡来した仏教(の一部)がアニミズム的性格を包摂していったことは、ある意味で自然な変容であったとも言える。
もう1点は、「神仏習合」のような現象――外来の普遍宗教が土着の信仰と何らかの形で融合するという現象――もまた、必ずしも日本に限られたことではないという点である。
たとえば北欧のノルウェーには「スターヴ教会」という独特の形状の木造教会があるが――「アナ雪」の映画を通じて日本でも注目された――、これは(外来の普遍宗教である)キリスト教と、北欧の地域固有の建造物が何らかの形で融合したものとされる。
ただしこれはあくまで建造物に関するレベルであり、またそれがキリスト教が渡来する以前の北欧の土着の信仰や(hofと呼ばれる)信仰の場所ないし建造物とどのような関わりがあるかについてはさまざまな議論があるが、外来の普遍宗教と土着の信仰とのある種の相互作用を示していることは確かだろう。
地理的に日本により近い例では、東南アジア各地において、普遍宗教としての仏教やイスラム教が他の地域から渡来し広がっていった一方で、自然信仰を含む土着の信仰がなお保存されたり、融合ないし習合しているという例は少なくない(たとえばミャンマーにおける「ナッ信仰」と呼ばれるアニミズム的な土着信仰と仏教との融合などはそうした例の一つである)。
このように、地球上の各地において「外来の普遍宗教と土着の信仰が融合(習合)する」という例は一定程度見られる。しかしその中でも日本における「神仏習合」はかなり明確な融合ケースと言えるだろう。
そして、ここで重要なのは次の点である。すなわち仏教という、高度に体系化・言語化された普遍宗教と融合したことで、日本において原初にあったアニミズム的な自然信仰は(やや俗な言い方をすれば)ある種の“お墨付き”あるいは普遍性を獲得することになり、それによって後の時代まで長く保存されることになったと言えるのではないだろうか。
日本においてアニミズムが保存された背景として「神仏習合」を挙げたのは、以上のような趣旨である。
■「ガラパゴス的辺境性」とアニミズム
さて、日本でアニミズム的自然観が保存された最後の要因として挙げた3)「ガラパゴス的辺境性」についてはどうか。
今から約1万年前にメソポタミアを中心に生じた農耕、言い換えれば食糧生産の始まりを受けて、およそ5000年前にメソポタミアで最初の「都市文明」が生まれ、文字、法制度、市場経済、数字、建築・都市計画等々のシステムが人類史上初めて整備されていった。
これに前後してエジプト、インド、中国、ローマなどで同様の都市文明が生成していったわけだが、これらの都市文明圏は、そこにおいてさまざまな民族や共同体が出会う普遍的な交流圏ないしセンターであると同時に、その周辺に“衛星”的な文明圏(あるいは文明圏というより文化的共同体に近い地域)を派生的に生み出していった。
日本はまさにそうした衛星的な文明圏の一つであり、もちろんそれは中国文明に対してその「周辺(または辺境)」に展開したものだった。具体的には(農耕ないし稲作そのものが大陸から移入されたことに続いて)5~7世紀前後を中心に、上記のような都市文明のあらゆる要素(文字、法制度、建築・都市計画等々)が中国から導入されたのである。
このような意味で、日本はその初期から中国文明に対する“衛星”ないし周辺、辺境というポジションにあったわけだが、次のような要因から、都市文明以前の土着のアニミズム文化が保存されたと考えられる。
すなわち、都市文明圏の中心部においては、そこで出会うさまざまな民族や共同体にとって「普遍性・合理性」をもった思考方法やシステムが重要になるから、特定の共同体にのみ根差すような文化や土着の信仰は排除され背景に退いていく。
しかし日本の場合は、まさに中国という巨大な都市文明圏の周辺ないし辺境に位置していたからこそ、アニミズム的な土着の自然信仰が、非合理的なものとして排除されることなく、生き残っていったのである。
加えて、「ガラパゴス」という表現を使った理由の一つでもあるが、都市文明圏の中心部との“距離”という点がある。つまり朝鮮半島のような、中国文明圏と陸続きの場所では文明圏に近接する“衛星”としての側面が強くなり、土着の民間信仰などは文明圏の強い磁場と力学の中で排除されやすい。日本の場合、良くも悪くも文明圏の中心部から海を隔てて相当な距離があったために――まさにガラパゴス――、その風土に根差したアニミズム的な自然信仰が残存しえたと考えられるのである。
■後発国家のアイデンティティと神話
さらに、7世紀から8世紀にかけての古代国家の形成やそこでの『古事記』等の編纂課程において、天武・持統といった当時の為政者が、中国文明に対する自らのアイデンティティとして、アニミズム的な自然信仰の要素を多く含む土着の神話を積極的に位置づけようとしたという点も大きいだろう(こうした点については溝口睦子『アマテラスの誕生』岩波新書、2009年および工藤隆『深層日本論――ヤマト少数民族という視座』新潮新書、2019年参照)。
多少脱線めくが、このように「後発の国家」が、その後発性ゆえに「神話」的な土着の民間信仰を自らのアイデンティティとして積極的に位置づけようとするという現象は他でも見られる。
私がこの点で想起するのはフィンランドである。フィンランドは北欧自体がヨーロッパの文明圏において「辺境」的な位置にあることに加え、北欧の中でも「辺境」に位置している国と言ってよい。私はヘルシンキに2001年12月から翌年1月までの2カ月間滞在したことがあるが、この国が1917年にロシアから独立するにあたって、それに大きな影響を与えたとされるのが「カレワラ」と呼ばれる民族叙事詩の編纂だった。
これは19世紀に医師エリアス・リョンロートによって、フィンランド各地の民間説話や神話的物語を集める形でまとめられたもので、天地の創造から始まる、ある意味で“『古事記』の近代版”とも呼べるような性格のものである。ちなみにフィンランドの作曲家シベリウスもこの「カレワラ」にインスピレーションを得て多くの曲を作曲している。
日本とは風土も歴史もまったく異なるが、実はフィンランドも、その豊かな森林とともに、キリスト教が渡来する以前のアニミズム的な自然信仰が残っている国という側面をもっている。
一例を挙げよう。私は上記のヘルシンキ滞在時に、ヤーリ君という当地の神学部の学生と知り合ったのだが、彼によれば、フィンランドのキリスト教には(通常のキリスト教の視点からすればやや異端的に響くが)「サイレンス(静けさ)」を重視するという思想の伝統があるとのことで、私はそのことをとても印象深く受け止めた。
それは有と無の二分法を超えて、生と死の根源にある何かとしての「サイレンス」ということであり、ある意味でアニミズム的な自然観にもつながるような発想と言えるだろう(この話題については拙著『生命の政治学――福祉国家・エコロジー・生命倫理』岩波現代文庫、2015年を参照されたい)。
話を「カレワラ」に戻すと、興味深いことに「カレワラ」の物語の最後は、イエス・キリストと思われる子どもが(処女懐胎を通じて)誕生し、その子を殺すか否かが問題となるが、ワイナミョイネンという主人公の一人はその子の誕生を祝福し、自らは海の彼方(そして陸)に向けて旅立つところで終わる。これはキリスト教の到来とともに、フィンランドの“土着の神々”が自らの故郷の住処に帰っていったことを象徴しているとされる。
ある面で、これは構造としては日本における「神仏習合」と同じ性格のもの――外来の普遍宗教と土着の神々(自然信仰)の融和――ととらえることもできるのである。
■日本的アニミズムの課題①
以上、日本においてアニミズム的な自然信仰が保存された理由を3点にそくして見てきた。そしてすでに述べたように、人間による資源・エネルギーの消費が地球のキャパシティを超えるような状況になり、またローカルからグローバル・レベルに及ぶ環境問題への関心が高まる中で、エコロジーとの関連を含め、アニミズム的な自然観が新たな文脈で再評価されつつあるのが現在の状況である。
ここにおいて、本稿で述べてきたように日本においてアニミズム的な自然信仰が保存されてきたことが、時代の潮流と共鳴するという側面が浮かび上がっているわけだが、ここで注意したいのは、だからと言って“日本ではアニミズム的文化が生きているからすばらしい!”と手放しで礼賛するだけでは議論は終わらないという点だ。これについて、以下の2点を指摘しておきたい。
■自然観と政策の2つの位相
第1は、アニミズム的な自然信仰といった自然観のレベルの話と、政策や社会システムに関するレベルの話は分けて考える必要があるという点である。
このことに関する、私にとって身近な、比較的わかりやすい例を挙げてみたい。
先ほども言及した本オンラインの〈「自然資本」への対応には日本の伝統文化が重要だ――SDGsと「鎮守の森」やアニミズム文化をつなぐ〉でも紹介したが、私はここ10年ほど、ささやかながら「鎮守の森・自然エネルギープロジェクト」というプロジェクトを進めてきた。これは本稿で幾度か言及してきた「鎮守の森」を、自然エネルギーの分散的整備や地域再生といった現代的な課題と結びつけ、発展させていこうという趣旨のものである。
この試みはまだ試行錯誤の状況だが、最近進展のあった事例として、埼玉県秩父市での小水力発電に関する展開がある。秩父は秩父神社の夜祭がユネスコの世界無形文化遺産に登録されたことにも示されるように、「鎮守の森」的伝統の豊かな地域だが、こうした場所において、地元の有志の方々と、私たちのプロジェクト・グループである鎮守の森コミュニティ推進協議会のメンバーが共同出資して「陽野(ひの)ふるさと電力」という会社を設立して事業を進め、幸い2021年5月には50キロワット(約120世帯の電力を供給する規模)の小水力発電設備の導入に至った。
このこと自体はプラスの成果であり、こうした試みをさらに発展していきたいと考えているのだが、一方で現実を見ると、この地域を象徴する武甲山という見事な容姿の山――秩父神社のまさに“御神体”でもある――は、石灰岩を豊富に含む山であることから、戦後一貫してセメント会社による石灰岩の採掘がなされてきており、山の形自体が無残にも大きく損なわれるに至っている。
ある意味で“神様を削って経済的利益を得ている”わけだが、セメント工場がもたらす雇用などの地元の利益にとどまらず、そこで作られたセメントそしてコンクリートで東京など大都市圏のビルや各地のさまざまな建造物が作られていると思えば、決してこれは他人事とは言えないことになる。
つまりここで指摘したいのは、日本人あるいは日本社会は、本稿で述べてきたような「アニミズム的な自然信仰」を含め、自然観や自然に対する意識といったレベルでは優れた面を多くもっているが、政策や経済社会システム、あるいは公共的な対応といったレベルになると、非常に多くの問題を抱えているという点なのだ。
実際、国際的に見ても、「ミナマタ」などのもっとも悲惨な産業公害や、「フクシマ」での深刻な原発事故が、いずれも日本において起こっているというのはこうした点と関係しているだろう。また、森林面積率が7割という豊かな森をもちながら、木材の自給率は4割程度で、海外の森林資源に依存している(その結果海外の森林や生態系の劣化を招いている)といった点も同様である。
「アニミズム文化とともに日本人は自然との共生において意義深い意識や自然観をもっている」といったことだけで話を完結させてはいけないのであり、それを公共政策や社会システムの次元での対応にうまく接続し展開していくことが重要なのである。
■日本的アニミズムの課題②
最後にもう1点指摘しておきたいのは、「アニミズム的な自然観の再評価」と言っても、それは単に過去に帰るということではなく、環境問題などの議論でよく言われる「なつかしい未来(ancient futures)」という言葉に示されるような、新たな文脈での位置づけが重要という点だ。
また、こうした点を意識しなければ、先ほどの「後発国家のアイデンティティ」の議論とつながるが、日本的アニミズム論は一歩間違えると狭隘で排他的なナショナリズムに陥るおそれもあるだろう。
ここで浮かび上がってくるのが、私自身がこれまで「地球倫理」と呼んできた発想ないし見方である(拙著『コミュニティを問いなおす』『ポスト資本主義』等参照)。
■「有限性」と「多様性」
地球倫理とは、その結論のみを簡潔に述べれば「地球環境の『有限性』を認識し、地球上の各地域の風土や文化の『多様性』を理解しつつ、個人を超えてコミュニティ、自然、生命とつながる」という内容なのだが、それは図のような構造をもつものである。
駆け足での説明となるが、この図は人類史の流れと関連しており、一番下の「自然信仰(アニミズム)」は、20万年前にホモ・サピエンスがアフリカで誕生して以降の狩猟採集段階の後半期に生じたものだ。真ん中の「普遍宗教(A、B、C・・・)」は、本稿で述べた、ヤスパースのいう枢軸時代(紀元前5世紀前後)、すなわち農耕文明の後半期に生成したものであり、現在の世界はこうした普遍宗教同士が互いに対立している状況にある。
これに対して地球倫理は、人類の歴史としては第三のサイクルにあたる近代あるいは工業化社会の後半に位置するものである。それは普遍宗教の多様性をいわば一歩メタレベルから俯瞰し、「地球上の各地の環境の多様性が多様な宗教や文化を生んだ」という把握――人間の認識や世界観が風土によって規定されているという、エコロジカルな認識観――をもつと同時に、普遍宗教がネガティブにとらえてきた自然信仰ないしアニミズムを、さまざまな信仰のもっとも根底にあるものとして積極的にとらえるのである。
本稿で論じてきたアニミズムの現代的意義は、まさにこうした地球倫理的な枠組みないし文脈においてとらえられる必要がある。そしてもし日本が今後世界に発信していきうる思想や自然観、世界観があるとすれば、それはほかでもなく、以上のような自然信仰=アニミズムを土台とする地球倫理の思想と言えるだろう。
なぜならここで述べてきたように、日本はアニミズム的な自然観がもっとも明瞭な形で保存されてきた場所の一つだからである。
広井 良典 :京都大学 人と社会の未来研究院教授
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9月5日 東洋経済ONLINE「日本人の「自画像」の書き換えが必要とされる理由
「経済大国」から「アニミズム文化・定常文明」へ
広井 良典 : 京都大学 人と社会の未来研究院教授
科学と資本主義の未来
現在のような成熟化の時代において、「自然/環境」の次元、日本人の自然観、生命と死の根源にある次元にまでさかのぼった探究が必要ではないでしょうか(写真:タカス/PIXTA)
加速する「スーパー資本主義」、持続可能性を前提とする「ポスト資本主義」の「せめぎ合い」はどこへ向かうのか。『科学と資本主義の未来──〈せめぎ合いの時代〉を超えて』著者で、一貫して「定常型社会=持続可能な福祉社会」を提唱してきた広井良典氏が、「日本人論」を刷新し「アニミズム文化・日本」の可能性を検討する。今回は、全2回の前編をお届けする。
失われた「日本の自画像」を求めて
「失われた〇〇年」といった表現を含め、日本社会がさまざまな面で漂流を続け、混迷しているという認識が広く共有されるようになってすでに長い時間がたっている。
科学と資本主義の未来: <せめぎ合いの時代>を超えて
『科学と資本主義の未来──〈せめぎ合いの時代〉を超えて』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします。紙版はこちら、電子版はこちら。楽天サイトの紙版はこちら、電子版はこちら)
こうした閉塞状況が継続する背景には、戦後の日本において“国を挙げての”ゴールだった「経済成長」という目標が、物質的な豊かさの飽和のなかで十分機能しなくなる一方で、それに代わる目標や価値、あるいは「実現していくべき社会像」を日本社会が見いだしえていないという点があるだろう。
同時に、そもそも私たちが自分たちの生きる「日本」という国ないし社会について、どのような“自画像”を描き、自らのアイデンティティをもつかという点が、現在の日本においてはきわめて見えにくくなっていることが閉塞状況の根本にあるのではないか。
言い換えれば、かつて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と賞賛されたような、昭和の高度成長期に見られた一過的な「経済大国」的自画像に代わる、新たな日本の自己イメージの構築がいま求められているのである。
こうしたテーマについて、私は2023年に公刊した『科学と資本主義の未来』において関連する問題提起を行い、また本オンラインでの論考〈実は「世代間ギャップが大きい国」だった日本〉〈「団塊的・昭和的・高度成長的」思考からの転換期〉で序説的な議論を示したが、ここでは以上のような「日本像の再構築」という話題について、それを“「経済大国」から「アニミズム文化・定常文明」へ”という視点を中心に考えてみよう。
ここで日本の自画像あるいは自己イメージについて考える手がかりとして、いわゆる「日本人論」で描かれた日本像の展開について簡潔な整理を行ってみたい。
駆け足で議論を進めることになるが、一般に日本人論とは、「日本人(ないし日本文化)の特質」について何らかの角度から論じたものをいい、これまで無数の論あるいは著作が示されてきた。
たとえば江戸時代における本居宣長らの「国学」の系譜は一種の日本人論――特に中国と対比のうえでの日本文化の特質を論じる――とも言えるし、広く読まれている渡辺京二氏の著作『逝きし世の面影』――江戸末期から明治初期に日本を訪れた外国人が日本について記した文章を独自の視点で整理し再構成したもの――で扱われている、当時の外国人の日本に関する著作群も「日本人論」と呼べる性格を含んでいる。
高度成長期前後に興隆した「日本人論」
しかし「日本人論」がある意味でもっとも活発化し、その“興隆”を見たのは、やはり昭和の高度成長期ないしその前後の時期と言ってよいだろう。
なぜこのようになるかというと、当時の日本がまさにそうだったように、ある国が国際社会の中で何らかの意味で“頭角”を現わし、注目されるようになると、当然のことながらその国の特質やその背後にある諸要因についての議論が起こり、またその国内部においても、(そこで意識されている国際社会ないし他国との比較の中での)自らの特徴あるいは再定義をめぐる議論が活発になるのである。
ちなみにこれは当然日本に限ったことではない。たとえばアメリカもまた「アメリカ人論」の活発な国であり、そこでのキーワードの一つは「アメリカ的性格(American Character)」、つまり他国にはないアメリカ人ないしアメリカ社会の性格で、この話題に関する無数の著作が(特に1950~60年代頃を中心に)刊行され、さまざまな議論が行われたのである(この点について詳しくは拙著『エイプリルシャワーの街で――MITで見たアメリカ』および『脱「ア」入欧』を参照されたい)。
話題を日本人論に戻すと、日本人論がもっとも活発だった高度成長期ないしその前後の時代における、そうした論の内容面での特徴はどのようなものだったのか。
ここで日本人論として挙げられる著作の中で特に代表的なものを挙げるとすれば、それは以下のようなものとなるだろう。
・和辻哲郎『風土――人間学的考察』(1935年)
・ルース・ベネディクト『菊と刀』(1946年)
・中根千枝『タテ社会の人間関係』(1967年)
・土居健郎『「甘え」の構造』(1971年)
これらについてはすでにその内容を知っているという読者も多いと思うが、確認の意味でそれらの概要をごく駆け足でレビューしておこう。
100万部を超えるベストセラー本も誕生
最初の和辻哲郎『風土』は、戦前に書かれたものなのでやや時代がずれるが、世界の風土を大きく「モンスーン(=主にアジア)」、「砂漠(=主に中東)」、「牧場(=主にヨーロッパ)」と分けたうえで、それぞれにおける人々の行動様式や世界観、宗教等のありようを描く内容だった。そして「モンスーン」に位置する日本について、その特質を「台風的な忍従性」とか「しめやかな激情」、家の“「うち」と「そと」”の区別の強さといった視点にそくして論じたのである。
多少余談めくが、私はこの本を大学時代に初めて手にとった時はどこがおもしろいのか理解できなかったが、40代になりたまたま本屋で目にしたのをきっかけに再読することになり、この時はその内容に大いに感銘を受けたという思い出がある(大学のゼミでもしばしばテキストとして使った)。後の議論にもつながるが、それは“エコロジー的(比較)文明論”とも呼べるような先駆性をもった内容であり、日本人論という枠を超えた広がりをもっている。
次の『菊と刀』は、文化人類学者として幅広い業績を残したアメリカ人女性のルース・ベネディクトが、当時の“敵国”たる日本社会の特質あるいは日本人の行動様式を理解する目的でまとめた著作であり、特によく知られているのは「日本=恥の文化」、「西洋=罪の文化」という対比だろう。つまり行動や規範が、(キリスト教のような)超越的な神との関わりにおいてではなく、もっぱら他者との関係性において規定される日本社会のありようを「恥の文化」と特徴づけたのである。
3番目の『タテ社会の人間関係』は、社会人類学者で東大初の女性教授ともなった中根千枝が、インドや中国等との比較を踏まえて日本の特質を論じたもので、「場」の重視、「単一社会」としての日本社会の性格、そこでの「集団の孤立性」、ひいてはそれらから帰結する(先ほどの和辻『風土』での議論とも通じる)「ウチ」「ヨソ」の意識の強さ等を述べる内容になっている。
100万部を超えるベストセラーとなった本だが、日本社会における関係性のあり方、特に上記の「ウチ」「ヨソ」の断絶の大きさや、同質的メンバーによる集団の「一体感」の重視等を批判的に論じており、そのまま現在の日本社会にもあてはまるような中身である。私自身も共感するところが大きく、これも大学のゼミで何度か取り上げてきた。
最後の『「甘え」の構造』は、精神科医で東大教授も務めた土居健郎の著作で、書名のとおり「甘え」を日本人の心理あるいは日本社会の構造を理解するキーワードとしてとらえ、そこから日本人の精神構造の特性を論じていくものである。
英訳タイトルが“The Anatomy of Dependence(依存の解剖)”となっていることにも示されているように、(集団内部あるいは「身内」における)「依存」的な関係性のあり方に日本社会の特質を見る内容となっている。
高度成長期前後の日本人論の特徴
以上、日本人論の代表的存在と言える4つの著作について概観したが、ここで1点気づかされることがある。
それは、和辻哲郎の『風土』を若干の例外として、これらはいずれも日本人あるいは日本社会における人と人の「関係性」、あるいは「コミュニティ」ないし集団のあり方に主たる関心を向けているという点だ。
この点に関して、図を見ていただきたい。これは人間と社会をめぐるテーマを理解する際の基本的な枠組みを示すもので、土台に「自然」あるいは「環境」に関する次元があり、その上に「コミュニティ」(あるいは共同体)の次元があり、さらにもっとも上層に「個人」という次元がある構図になっている。
日本人の自画像のピラミッド
出所:筆者作成
そしてこれらと日本人論との関係について見た場合、先ほど述べたように、高度成長期を中心とする代表的な日本人論は、この図の中での「コミュニティ」のレベル(あるいは「コミュニティ」と「個人」のレベルの関わり)を基本的なテーマとしていることに気づかされる。
裏を返すと、図のピラミッドの「自然」とか「環境」に関わる次元、つまり日本人の自然観とか、人間と自然の関係性に注目したものは少ないということだ。そして、後ほど話題にする「アニミズム」、あるいは日本文化の“アニミズム的性格”という視点は、まさにこの「自然/環境」の次元に関わるのである。
ちなみに図においては、先ほど取り上げた代表的日本人論の4作品と並んで、それに準ずるような影響力をもった著作として、
・山崎正和『柔らかい個人主義の誕生』(1984年)
・河合隼雄『母性社会日本の病理』(1976年)
・梅棹忠夫『文明の生態史観』(1967年)
の3つを加え、図のピラミッドの3つの次元に関連づけている。
ごく簡潔に確認すると、『柔らかい個人主義の誕生』は、そのタイトルが示すように当時(80年代)の日本において(それまでの時代に見られなかったような)自立性の高い「個人」が生成しつつあり、結果的にそれは「コミュニティ」と「個人」の次元がバランスよく調和した「柔らかい個人主義」と呼びうる新たな方向を示しているという内容だった。2番目の『母性社会日本の病理』は主として「コミュニティ」(人と人との関係性)に関わる内容で、議論の方向は先ほどの『タテ社会の人間関係』や『「甘え」の構造』と通底するものである。
一方、『文明の生態史観』は、ユーラシア大陸の中心に広がる乾燥地帯とその周辺の文明世界(中国世界、インド世界、ロシア世界、地中海・イスラーム世界)を「第二地域」、そこから離れた西ヨーロッパと日本を「第一地域」としたうえで、遊牧民による暴力や破壊が生じやすい第二地域から遠い距離に位置する西ヨーロッパと日本において、互いに類似した社会発展の過程があったとする内容だった。
これは現在の視点から見るといささか議論がラフすぎるという印象も残るが、当時の日本の状況(この著書の原型となった論文が雑誌『中央公論』に発表されたのが1957年)においては、マルクス的な発展段階論とは異なるオルタナティブな世界史理解のアプローチとして大きな注目を浴びたのだった。ただし、先ほどの和辻の『風土』以上に「日本人論」というカテゴリーに収まるかは若干微妙な面があるので、図では括弧に入れて示している。
「自然」や「環境」をめぐる次元の重要性
以上を踏まえてあらためて前掲の図を見ていただくと、これらの3著作を加えたうえで、全体としてやはり高度成長期とその前後の時期の主要な日本人論の多くは、日本社会における人と人の「関係性」、あるいは「コミュニティ」ないし集団のあり方に主たる関心を向けているという点が確認できると思われる。
それでは、なぜ当時の日本人論においては、こうした日本社会における人と人との関係性をめぐるテーマが主要なトピックとなり、「自然」や「環境」をめぐる次元、あるいは日本人の自然観ひいては「アニミズム的文化」といった視点の議論は少なかったのだろうか。
おそらく次のような理由ないし背景があったと思われる。
すなわち、当時の日本人論の多くは、急速な近代化ないし工業化の坂道を登りつつある日本社会の“後進性”、あるいは後進性とまで言わずとも欧米との対比における特質に主たる関心があり、そうした文脈において、日本における「個の確立」の弱さという点、あるいは日本社会の“ムラ社会”的性格といったことが大きなテーマとなっていたのである。
そして、この関心の方向からすれば、先の図のピラミッドにおいて望ましいのは「自然→コミュニティ→個人」という、いわば上に向かうベクトル、あるいは“離陸”の方向ということになり、おのずと「自然」や「環境」への関心は後景に退くことになるだろう。
もちろん日本においても、たとえば柳田國男、折口信夫、谷川健一等といった民俗学の系譜や、岡正雄、大林太良、岩田慶治等といった民族学ないし文化人類学の流れ、あるいは宗教学、歴史学等々の領域において、アニミズムを含めた日本文化における自然観や死生観等に関わる探究は脈々と行われていたと言えるが、それらは当時の時代状況において(先に挙げた日本人論の著作のようには)社会全体の関心を引き起こすには至らなかったのである。
生命と死の根源にある次元にまでさかのぼった探究
以上が高度成長期およびその前後の時期における日本人論の特徴とその背景である。
しかしながら、高度成長期とは異なる現在のような成熟化の時代において、日本あるいは日本文化についての深いレベルでの理解を進めていくためには、むしろ図のピラミッドの土台をなしている「自然/環境」の次元、あるいは日本人の自然観、ひいては生命と死の根源にある次元にまでさかのぼった探究が必要であるというのが本稿の関心である。
そこで浮かび上がるのが「アニミズム文化としての日本」という視点であり、これらについて次回さらに考えてみよう。
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広井 良典 京都大学 人と社会の未来研究院教授
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日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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日本民族は、花文化と盆栽文化を持っている。
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日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
日本民族の「情緒的情感的な文系的現実思考」はここで洗練された。
死への恐怖。
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2022年3月号 Voice「言葉のリハビリテーション 森田真生
何もしない勇気
最適化された世界の窮屈さ
……
太陽がのぼるのも、雲が動くのも、鳥が鳴くのも自分のためではない。だからこそ、目に見えるもの、耳に届く音に、素直に感覚を集めることができる。
……
『浅はかな干渉』が生み出す害
……
『注意の搾取』が奪い去ったもの
私たちはときに、浅はかな理解や理論に基づく性急な行動で安心を手に入れようとする前に『何もしない』という知恵を働かせてみることも考えてみるべきなのだ。
だが、人間の設計したもので溢れかえる現代の世界において、『何もしない』ことはますます難しくなっている。
……
物思いに耽(ふけ)って電車を乗り過ごし、都会の真ん中で月を見上げて立ち止まる。スマホを横に置いて窓の外を眺め、ただ理由もなく鳥の鳴く声に耳を傾ける。……」
・ ・ ・
日本の本音。日本列島の裏の顔は、甚大な被害をもたらす雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害地帯であった。
日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、禍の神が日本を支配していた。
地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして奇跡と恩寵を売る信仰宗教(啓示宗教)は無力であった。
日本民族の「理論的合理的な理系論理思考」はここで鍛えられた。
生への渇望。
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日本の甚大な被害をもたらす破壊的壊滅的自然災害は種類が多く、年中・季節に関係なく、昼夜に関係なく、日本列島のどこでも地形や条件に関係なく、同時多発的に複合的に起きる。
それこそ、気が休まる暇がない程、生きた心地がない程であった。
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仏とは、悟りを得て完全な真理を体得し正・善や邪・悪を超越し欲得を克服した聖者の事である。
神には、和魂、御霊、善き神、福の神と荒魂、怨霊、悪い神、禍の神の二面性を持っている。
神はコインの表裏のように変貌し、貧乏神は富裕神に、死神は生神に、疫病神は治療神・薬草神にそれぞれ変わるがゆえに、人々に害を為す貧乏神、死神、疫病神も神として祀られる。
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日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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日本の宗教とは、人智・人力では如何とも抗し難い不可思議に対して畏れ敬い、平伏して崇める崇拝宗教である。
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現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、科学、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして奇跡と恩寵を売る信仰宗教・啓示宗教は無力で役に立たない。
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世界で起きるM6以上の地震の約20%は日本周辺で発生し、甚大なる被害と夥しい犠牲者が出ていた。
古神道のシャーマニズムは、自然災害の中から生まれた。
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助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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日本民族は、命を持って生きる為に生きてきた。
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日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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松井孝治「有史以来、多くの自然災害に貴重な人命や収穫(経済)を犠牲にしてきた我が国社会は、その苦難の歴史の中で、過ぎたる利己を排し、利他を重んずる価値観を育ててきた。
『稼ぎができて半人前、務めができて半人前、両方合わせて一人前』とは、稼ぎに厳しいことで知られる大坂商人の戒めである。阪神淡路大震災や東日本震災・大津波の悲劇にもかかわらず、助け合いと復興に一丸となって取り組んできた我々の精神を再認識し、今こそ、それを磨き上げるべき時である。
日本の伝統文化の奥行の深さのみならず、日本人の勤勉、規律の高さ、自然への畏敬の念と共生観念、他者へのおもいやりや『場』への敬意など、他者とともにある日本人の生き方を見つめなおす必要がある。……しかし、イノベーションを進め、勤勉な応用と創意工夫で、産業や経済を発展させ、人々の生活の利便の増進、そして多様な芸術文化の融合や発展に寄与し、利他と自利の精神で共存共栄を図る、そんな国柄を国内社会でも国際社会でも実現することを新たな国是として、国民一人ひとりが他者のために何ができるかを考え、行動する共同体を作るべきではないか。」
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昭和・平成・令和の皇室は、和歌を詠む最高位の文系であると同時に生物を研究する世界的な理系である。
武士は文武両道であったが、皇室は文系理系双系であった。
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徳川家康は、実理を優先し、読書を奨励し、経験を重視し、計算の数学と理・工・農・医・薬などの理系の実利で平和な江戸時代を築いた。
が、馬車や大型帆船は便利で富をもたらすが同時に戦争に繋がる恐れのあるとして禁止し、江戸を守る為に大井川での架橋と渡船を禁止した。
つまり、平和の為に利便性を捨てて不便を受け入れ、豊よりも慎ましい貧しさを甘受した。
それが、「金儲けは卑しい事」という修身道徳であったが、結果的に貧しさが悲惨や悲劇を生んだ。
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日本で成功し金持ちになり出世するには、才能・能力・実力が必要であった。
日本で生きるのは、運しだいであった。
日本の運や幸運とは、決定事項として与えられる運命や宿命ではなく、結果を予想して自分の努力・活力で切り開く事であった。
それは、自力というより、神か仏か分からない他者による後押しという他力に近い。
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左翼・左派・ネットサハ、右翼・右派・ネットウハ、リベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者には、日本民族ではない日本人が数多く含まれている。
彼らには、数万年前の旧石器時代・縄文時代と数千年前の弥生時代・古墳時代から受け継いできた日本民族固有の歴史・文化・伝統・宗教はない。
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日本民族文化における自然観とは、縄文時代以来、自然と人間が対立しない、自然との繋がりを大切に文化である。
それを体現しているのが、自然物をご神体とする神社である。
日本民族の美意識は、「わび、さび、簡素」だけではなく、濃くて派手な縄文系、シンプルで慎(つつ)ましい弥生系、統一された形式としての古墳系が複雑に絡んでいる。
それを、体現しているのが神社のしめ縄である。
それは、「全てが、控えめにして微妙に混じり合っている」という事である。
谷崎潤一郎「言い難いところ」(『陰翳礼讃{いんえいらいさん}』)
・・・ * * * * * ・・・
日本民族は、数万年前の旧石器時代・縄文時代からいつ何時天災・飢餓・疫病・大火などの不運に襲われて死ぬか判らない残酷な日本列島で、四六時中、死と隣り合わせの世間の中で生きてきた。
それ故に、狂ったように祭りを繰り返して、酒を飲み、謡い、踊り、笑い、嬉しくて泣き、悲しくて泣き、怒って喧嘩をし、今この時の命を実感しながら陽気に生きていた。
「自分がやらなければ始まらない」それが、粋でいなせな江戸っ子堅気の生き様であった。
江戸時代は、自助努力のブラック社会であった。
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田代俊孝(仁愛大学学長)「『人は死ぬ』という厳然たる事実を、誰しも普段の生活では見て見ぬふりをしているものです。しかし、自分がいずれは『死すべき身』だということを意識すれば現在の生への感謝が生まれ、生きる気力が湧いてくる。つまり天命、死というものを知ることによって人生観が変わる。祖父母、父母、そして自分と、連綿と続く流れのなかで思いがけず命をいただいたのだ、と気づくのです」
植島敬司(宗教人類学者)「人生は自分で決められることばからりではありません。不確定だからこそ素晴らしいのです。わからないなりに自分がどこまでやれるのか、やりたいことを追求できるのかが大事で、それが人生の豊かさにつながるのだと思います」
平井正修(全生庵住職)「コロナ禍に襲われるずっと以前から人類は病に悩まされてきました。病気やケガで自由な身体が動かなくなり、人に介抱してもらうと、当たり前のことのあるがたさに気づきます。何を当たり前として生きていくのか、それは人生でとても大切なことであり、すべての人に起こる究極の当たり前が、死なのです」
「現代では死というものが過剰に重たく受け止められていますが、そもそも死はもっと身近にあるものです。考えようによっては、現世に生きているいまのほうが自分の仮初(かりそめ)の姿とさえ言える。
最終的には、誰もが同じところへと生きます。みんなが辿る同じ道を、自分も通るだけ。そう思えば、死も恐れるものではありません」
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日本文化とは、唯一人の生き方を理想として孤独・孤立・無縁、わび・さび、捨てて所有しないを求める、「何も無い所」に時間と空間を超越し無限の広がりを潜ませる文化である。
それが、日本人が好む「色即是空、空即是色」である。
日本文化は、中国文化や朝鮮文化とは異質な独立した特殊な民族的伝統文化である。
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日本の宗教とは、虚空・虚無という理想の境地に入る為に自己や自我など自分の存在を肯定も否定もせず、ただただ「はかなく無にして消し去る=漠として死を見詰める」事である。
それ故に、日本文化や日本の宗教は男が独占していた。
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日本民族は孤独を愛し、日本文化は独り身の文化である。
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日本民族の伝統的精神文化は宮仕えする男性の悲哀として、行基、西行、一休、鴨長明、兼好法師、芭蕉、葛飾北斎など世捨て人・遁走者、隠者・隠遁者・遁世者、隠居、孤独人・孤立人・無縁人への、求道者として一人になりたい、極める為に一人で生きたいという憧れである。
如何なる時も、オンリーワンとしてナンバーワンとして我一人である。
そして日本で女人禁制や女性立ち入り禁止が多いのは、宗教的社会的人類的民族的な理由によるジェンダー差別・女性差別・性差別ではなく、精神力が弱い日本人男性による煩わしい女性の拘束・束縛からの逃避願望である。
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女性は、子供を産み、子供を育て、末代まで子孫を増やしていく、つまり「命を喜びを持って育み、有を生みだす」存在である。
出産で、女性は死亡する事が多かった。
日本における女性差別は、「死を見詰めて無を求める男」と「命を生み有りに生き甲斐を感じる女」、ここから生まれた。
つまり、男尊女卑と一口で言っても現代と昔とは全然違う。
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日本民族中心神話において、最高神は天皇の祖先神である女性神の天照大神で、主要な神の多くも女子神である。
日本民族は、あまた多くの女性神に抱かれながら日本列島で生きてきた。
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