💄38)─2─日本民族の托卵文化は「源氏物語」に通じる。~No.79 

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 日本の宗教観、生命観において、男性器と女性器は子孫繁栄・子宝に霊験あらたかな御神体であった。
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 2024年8月31日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「あまりの猥褻ぶりに政府が「禁止令」を出すほど…かつて日本の祭りで行われていた、ありえない「乱交」
 暗闇のなかを進んでいく
 「あがた祭り」(通称:くらやみ祭り)という祭りが、京都府宇治市の縣神社で行われている。文字通り、明かりを完全に消して暗闇の中で繰り広げられる祭りである。
 【写真】かつて日本の祭りで行われていた、ありえない「乱交」
 6月の祭り当日に現地に行くと、午後10時にもなって夜店が店じまいをはじめてもまだ祭りは始まらない。 夜中の11時ころ、神社の明かりが完全に消されてしまう。周辺の家々の明かりも、だ。あたりは不気味な怪物が横たわっているような闇夜である。この時間になって、やっと祭りがはじまるのだ。その闇の中を、ある一つの物体が行く。それは梵天(ぼんてん)と呼ばれる神輿で、一人の男が載っている。神輿は男を振り落とそうとでもするように前後左右に激しく旋回し、夜の中を進んでいく。
 「種もらい祭り」
 この祭りは、1970年ごろまでは「種もらい祭り」とも呼ばれていた。文字通り、性的乱交が行われていたとされるからだ。暗闇の中で男と女が体をぶつけあい、求めあい、愛しあうのだ。周辺の家には老若男女が集まり、雑魚寝をした。また、通りすがりの旅人も乱交に参加し、現地の娘と結ばれたこともあったという。いつも狭い村の中だけで交わっていると血が濃くなっていくし、何より飽きてしまうから、新しい血を入れてくれる者は歓迎されたのだろう。
 男女ともに誰と寝てもよい夜
 くらやみ祭りだけではない。日本の祭りには、フリーセックスが結びついていたものが多かった。
 たとえば、大阪府磯長村(現・太子町)では明治の終わりごろまで「一夜ぼぼ」なる行事が行われていた。「ぼぼ」とはストレートに「性交」という意味だ。民俗学者宮本常一はこう記録している。
 この夜は男女ともに誰と寝てもよかった。(中略)そのぞめきの中で男は女の肩に手をかける。女は男の手をにぎる。すきと思うものに手をかけて、相手がふりはなさなければそれで約束はできたことになる。女の子はみなきれいに着かざっていた。そうして男と手をとると、そのあたりの山の中にはいって、そこでねた。これはよい子だねをもらうためだといわれていて、その夜一夜にかぎられたことであった。(中略)この時はらんだ子は父なし子でも大事に育てたものである。(『忘れられた日本人』より)
まるでケダモノのようだ
 しねり弁天/著者撮影
 江戸時代には、伊豆の新島で旅人が浜辺で乱交が行われているのを目撃し、こう書き残している。
 盂蘭盆には家の軒下、林の中、畑のはずれなどあらゆるところで男女が交わっている。まるでケダモノのようだ。
 また、大阪の清水村(現・高槻市)では、子どもがほしい女は、夜に河原の石の上に尻をまくって座っていればよかったという。そうすると必ず子宝に恵まれたというのだ。もちろんこれは、超自然的な現象が起こって妊娠するわけではなく、何者かが子種をくれるわけだ。
 現代でも新潟県魚沼市で「しねり弁天たたき地蔵」という祭りが六月に行われているが、これは男は女をつねってよく、女は男を叩いてよいという無礼講なものだった。
 盆踊りで顔を隠したワケ
 そして、祭りの乱交としてもっとも名高いのが盆踊りだ。
 たとえば、秋田県に西馬音内盆踊りという有名な踊りがある。これは、踊り手が顔を黒い布で隠し、目だけのぞかせて幽玄に舞うことで知られている。また、徳島の阿波踊り、富山のおわら風の盆でも、菅笠を深くかぶって顔を隠して踊る。
 なぜ彼らは顔を隠すのだろうか。それは、自分が誰だがわからないようにして、自由気ままに性的放埓を楽しむためだったと言われている。西洋の仮面舞踏会で仮面をかぶるのと同じと言ってよい。
 そして、踊りながら気に入った異性を見つけたら、踊りの輪から抜け、神社の森の中に入り、木の根を枕にして寝たという。
 政府から「盆踊り禁止令」が出された
 そのおかげか、明治時代には「盆踊り禁止令」というお触れが何度も出されている。これは、盆踊りの性的解放が外国人に目につくと恥ずかしいという理由からだった。しかし、解放を求める民衆のパワーはなかなか鎮まらず、所によっては1970年ころまで盆踊りの性的乱交は残った。
 かつての盆踊りは、現代の若者がクラブで踊り狂うのと同じ感覚だったと言っていいだろう。今では、老人や子どもが踊るものというイメージ強い盆踊りの背後には、こういった狂乱やドラマがあった。
 杉岡 幸徳(作家)
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 2024年2月19日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「「娘のところまで這っていき…」山深い村で1人の老人から「夜這い」の真実が明かされた
 杉岡 幸徳作家
 日本の各地で受け継がれている、不思議な習慣。その行為そのものは行われなくなったとしても、その名残は現代にも確かに息づいている。異端なもの、アウトサイダーなものを深く愛し、執筆活動を続ける杉岡幸徳さんが男女の恋愛や結婚にまつわる不思議な習慣について、紹介します。
 夜這いの残る村
 以前、四国の山奥まで一人の老人を訪ねていったことがある。
 聞くところによると、その村には最近まで夜這いの風習が残っていて、その老人こそ最後の生き証人だというからだ。
 「夜這い」とは、いかにもいかがわしく淫靡な響きがある言葉だ。多くの人は、夜這いと性犯罪の区別すらついていないかもしれない。
 しかし、夜這いはただの性犯罪ではない。
 「よばい」とは、もともと「相手の名を呼ぶ」という意味である。男が女の家に行き、女の名前を呼んで求愛するというのが本来の意味だ。「夜這い」と漢字で書くのは、ただの当て字にすぎない。
 月あかりを頼りに歩く
 私がその古老から聞いたところによると、夜這いとはこんな感じだった。
 その老人が生まれたのは1920年代。その頃は村に電気が通らず、何の娯楽もなかった。若い男たちがつるんでいてもやることがないので、しばしば夜這いに出かけた。
 まず、夜中に目当ての女の家に行く。街灯もないから月あかりを頼りに歩くしかないが、不思議と夜目がきいたという。
 相手の家に辿り着くと、まず家の者が寝静まっていることを確認し、戸を開ける。鍵はかかっていない。そのような習慣はなかったし、盗られるようなものは何もなかったからだ。
 家の中に入り込み、娘のところまで這っていく。内部は真っ暗だから、寝ている者の頭に触れてみる。髷(まげ)の感触があったら、娘というわけだ。
 また、娘が男を待ち構えていることもある。そのような時は、娘が男に向かって帯や糸の塊を投げる。男はそれにすがり、娘のところまでたどり着く。
 そしてそこでコトを行うなり、外へ連れ出すなりするわけだ。
 「妻問い婚」の残映
 ここで重要なのが、受け入れるか受け入れないかの決定権は娘にあるということだ。夜這いに来た男が嫌なら、そこで拒否して追い返せばいいわけだ。
 古代の日本では、夫が妻の家まで通う「妻問い婚」が主流だった。夜這いはこの残映だと考えられている。『源氏物語』や『竹取物語』にも夜這いの描写がある。
 夜這いは村公認の制度だった。だから、娘のところに誰も夜這いに来ないと親も心配して、若い男たちに「たまにはうちにも夜這いに来てくれ」と哀願するほどだった。そうしなければ、娘の結婚相手が見つからないからだ。
 夜這いを受け入れない家は…
 もっとも、中には頭の固い親もいて、頑として夜這いを受け入れない家もあった。
 こういう家は、復讐された。若者たちは、その家の水おけをかつぎだし、谷底に突き落としたという。山間部では水おけは命綱のようなものだ。これで、頭の固い親も心を入れ替えて反省したという。
 夜這いの相手が結婚の相手になるというわけでもない。結婚しても夜這いする場合はしばしばあった。「後家女は村持ち」という言葉もあり、後家さんならどんな男でも夜這いをしかけてよいという村もあった。
 夜這いで子どもができてもそれほど問題にならず、男が「この子、わしとまったく似てないだろう」と笑い話にするほどだった。
 「阿波の北方、女の夜這い」
 また、「夜這いは男がしかけるもの」という考え方は、ジェンダー平等の観点から間違っている。女が男にしかける夜這いも当然あり、「阿波の北方、女の夜這い」といった言葉も全国に残っているのだ。
 夜這いは、地域によっては高度成長期のころまで残っていた。しかし各地に街灯がつき、夜の闇を引き裂き、さらに若者たちが都会に働きに出かけることで消滅した。
 こういった風習を、現在の価値観から否定することは簡単だ。だが、私たちがいま行っていることも10年後には否定されている可能性はあるのだ。また、夜這いは現代でもブータンミクロネシアなどで行われている。他文化を安易に否定することは、慎むべきだろう。
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 後編記事「祭りの行事で『入り婿』が地元の男たちから暴行を受け、重傷…かつて日本の村で起きた驚きの事件」では「むこ投げ」という儀式について紹介している。
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 2月19日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「祭りの行事で「入り婿」が地元の男たちから暴行を受け、重傷…かつて日本の村で起きた驚きの事件
 杉岡 幸徳作家
 日本の各地で受け継がれている、不思議な習慣。その行為そのものは行われなくなったとしても、その名残は現代にも確かに息づいている。異端なもの、アウトサイダーなものを深く愛し、執筆活動を続ける杉岡幸徳さんが男女の恋愛や結婚にまつわる不思議な習慣について、紹介します。
 前編記事「『娘のところまで這っていき…』山深い村で1人の老人から『夜這い』の真実が明かされた」では、「夜這い」という風習について紹介しています。
 「むこ投げ」という不思議な儀式
 男女の恋愛や結婚が絡みあう風習には、こんなものもあった。
 新潟県十日町市に「むこ投げ」という不思議な儀式が残っている。
 これは、前年に結婚したむこさんが、地元の男たちに担ぎ上げられ、崖の下に投げ飛ばされるというものだ。
 もっとも、行われるのは一月であり、都合よく現地は豪雪地帯である。偶然にも雪が降り積もっているので、むこが怪我をすることはない。崖の下では嫁さんが待ち構えていて、放り投げられたむこさんを抱きとめる。今では、夫婦のきずなを固めるために行われる儀式だとされている。
 「むこ投げ」の様子、著者提供
 もともとは「むこをいじめる儀式」だった
 しかし、これは略奪結婚の名残だとか、村の娘をよそ者に取られた男たちが腹いせでやったものだとも言われている。
 「小ぬか三合持ったらむこに行くな」という言葉が昔はあった。少しでも財産があるなら、入りむこはするなという意味だ。
 それは、かつては入りむこは、すさまじい差別と抑圧にさらされたからだ。だから、各地に入りむこをいじめる行事があった。村の男たちからしてみれば、外からやって来て村の娘を奪ってしまう入りむこは、嫉妬と憎悪の対象だったのだ。
 “上裸で身体をぶつけ合う行事”で重傷……
 1926年には栃木県でこんな事件が起こっている。当地には「裸もみ」と称する行事があり、これに村の娘と結婚した入りむこが参加させられた。ところが、ドサクサ紛れにむこは村の男たちから殴る蹴るの暴行を受け、人事不省の重傷を負ったのだ。
 この事件で、村の男たちが何人も暴行や脅迫で告訴され、実刑を受けている。しかし、これは比較的最近になって起きたから事件化されたわけで、昔なら問題にすらされず揉み消されていただろう。
 このほかにも、むこに水や泥、雪を投げつけるとか、大きな太鼓を担がせるとかといった風習は全国にあった。
 もっともこれらの儀式は、単にむこを迫害するためだけに行われたとも言えない。バヌアツのバンジージャンプのように、新参者を集団に引き入れるための通過儀礼と見なすこともできるからだ。
 各地でいろいろな行事を見ていると、ときおりこういった過去の残影を幻視することがある。
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 7月27日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「「天狗」と「お多福」が祭りの舞台で性行為…日本各地に存在する「過激な祭り」の正体を解明する
 杉岡 幸徳作家
 日本には、国内ではあまり知られていないが、なぜか世界的に有名な祭りがある。愛知県の田県(たがた)神社豊年祭や同じく愛知県の大縣(おおあがた)神社豊年祭などである。男性器や女性器を祀ったこれらの祭りには、その物珍しい光景を見るために、海外からも観光客が集まってくる。
 記事前編は「巨大な男性器が揺れながらかけぬける…海外から注目を集める日本の奇祭、その『衝撃の光景』」から。
 天狗とお多福が性交を見せる
 男性器と女性器の祭りを紹介したわけだが、これらが一つになる祭りも当然存在する。二月に奈良県の飛鳥坐(あすかにいます)神社で行われるおんだ祭りがそれだ。これは、天狗とお多福が衆人環視の中で性交を見せるという過激なものである。
 まず、天狗とお多福が神職の前で結婚式をとり行う。彼らの目の前には、山盛りの飯の器が置かれている。天狗がやおら立ち上がる。そして、股間に竹筒をあて、あたかも男性器のように何度も自慢げに振り回す。この竹筒の中には酒が入っていて、その酒を山盛り飯の上にぶっかけるのである。これを「汁かけの儀」という。これが何を意味しているのかは、みなさまが好きに考えていただきたい。
 おんだ祭りの様子/著者撮影
 次に、お多福が床に寝転がる。そこに天狗が覆いかぶさり、性交の演技を始めるのだ。これが終わると、天狗はどこからか紙を取り出し、お多福の股間を何度も拭く。そして二人は立ち上がり、観衆に向かってこの紙を投げつけるのだ。この紙を「拭くの紙」(福の神)といい、これを今夜のベッドで使うと、子宝に恵まれるという。もっとも、どうやって「使う」のかは、今世紀最大の謎とされている。
 猥褻な祭りが存在するワケ
 さて、男性器の祭り、女性器の祭り、性交の祭りを見てきたのだが、何が何だかわからないかもしれない。なぜこんな猥褻な祭りが存在するのか。それは、昔の日本人は、農作物の繁殖と人間の生殖を同一視していたからだ。
 だから、豊作を祝う祭りには性的なものがつきものなのである。先ほどの「おんだ祭り」にしても、「おんだ」とは「御田」であり、これは豊作祈願の祭りなのだ。
 実を言うと、農耕と性交が結びついているのは日本だけではない。世界的に見られる現象である。たとえば、中央アメリカのビビル族は、種まきの前の夜には、必ず夫婦が交わりを持たねばならなかった。ジャワでは、稲が開花する季節には、農民たちは夜に水田でセックスをする風習があった。
 ジャワの水田 photo by gettyimages
 農作物と性的なもののつながり
 古代ギリシャやローマでも、「種子」と「精液」は同じ単語で表わした。よく考えると、日本語でも「種」には「植物の種子」と「精子」の二つの意味がある。前に日本の「夜這い」や「嫁盗み」についても書いたが、日本はもともと性的にデタラメでオープンだったのである。
 戦国時代にこの国にやって来た宣教師ルイス・フロイスは、こう書き残している――
 日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても、名誉を失わなければ、結婚もできる。
 日本では娘たちは両親にことわりもしないで一日でも幾日でも、一人で好きな所へ出かける。
 (『ヨーロッパ文化と日本文化』岡田章雄訳注) 
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