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2024年5月26日12:37 YAHOO!JAPANニュース ITmedia NEWS「日本が舞台の「アサシンクリード」最新作、予告だけで大炎上 騒動を見たマンガ家が残念に感じたこと
フランスのゲームメーカー、Ubisoftの人気ゲームである「アサシンクリード」(以下アサクリ)シリーズの最新作、「アサシンクリード シャドウズ」の発売日が11月12日に決定しました。シリーズ初の日本が舞台ということで注目される本作ですが、発売に先駆けて公開された、概要と公式トレーラーがキッカケとなり、国内外で炎上騒ぎになっています。
【まんが全24コマを読む】スワイプで次のコマへ
炎上した理由の1つは、主人公が、織田信長の時代に実在した黒人の「弥助」であったことです。
アサクリシリーズは、様々な時代や国で暗躍するアサシンとなりターゲットを暗殺していくステルスアクションゲーム。これまでのシリーズの主人公は、基本的には舞台となる国や地域にゆかりのある架空の人物だったのですが、今回は違いました。日本人を期待していた、あるいは主人公の選定にポリコレ的なものを感じた海外ユーザーから批判が殺到したようです。
さらに、公開されたトレーラーで見られたゲーム内の日本の描写があまりにトンデモナイ内容だったのも炎上の理由に挙げられます。過去のアサクリシリーズは、徹底した時代考証もその特長の1つだったこともあり、主人公の件も合わせて「日本をバカにしているのでは?」といった不満が噴出したようです。どんな日本を描いたのかはマンガで紹介しています。
マンガ家という、作品を生み出す立場のボクとしては、今回の発表内容については理解できる部分もあります。フランスでゲームを作っている人たちが、遠い日本の文化や風習を正確に理解することは難しいと思いますし、より文化や背景を理解しやすい人物を主人公に置いたほうが、キャラクターとしては描きやすいだろうなぁ、とも思います。
ただ気になったのは、あまり記録が残っていない弥助という人物について「侍だった」と断定的に紹介されるケースが多く、それが炎上の一因にもなっていることです。ゲームですから、キャラクターが侍であったほうが面白いというのは理解できます。しかし、ゲームの話なのに、史実とフィクションを(意図的かどうかはともかく)混同した言説が多かったり、一部の人たちの思想や主張に利用されたりしている現状は、とても残念だと感じました。
史実を含んでいても、ゲームは基本的にフィクションであり、エンターテインメントです。アサシンクリード シャドウズも、多くの人にフィクションとして楽しんでもらいたいと思いますし、少なくともボクはそのつもりです。
著者紹介:サダタロー
1998年にテレビ番組「トロイの木馬」出演をきっかけに漫画家デビュー。代表作は「ハダカ侍」(講談社、全6巻)、「ルパンチック」(双葉社、1巻)、「コミックくまモン」(朝日新聞出版、既刊7冊)など。現在、熊本日日新聞他で4コマ漫画「くまモン」を連載中。Pixivはsadataro、Twitterは@sadafrecce。
連載:サダタローのゆるっと漫画劇場
漫画家のサダタローさんが、世界初の電脳編集者「リモたん」と一緒に話題のアレコレについてゆる~く語るまんが連載。たぶん週末に掲載します。連載一覧はこちら。過去の連載はこちらからどうぞ。
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5月26日 MicrosoftStartニュース Game*Spark「『アサシン クリード シャドウズ』イエズス会と迫り来る西葡の影―グローバルヒストリーの接続点として観る戦国日本【ゲームで世界を観る#77】
『アサシン クリード シャドウズ』イエズス会と迫り来る西葡の影―グローバルヒストリーの接続点として観る戦国日本【ゲームで世界を観る#77】
© Game*Spark
とりあえずピラミッドの新発見はオリジンズの表現とは関係が無いのと、『ユニティ』のデータは実物のノートルダムの再建に使われていないのは置いといて、『アサシン クリード シャドウズ』の主人公である奈緒江と弥助は、信長を恨む者と信長に仕える者、全く相容れない対照的な立場です。そんな2人が何故協力することになったのか?まだ詳しいプロットは明かされていませんが、それを推察する上でスポットライトを当てるべきポイントは、弥助が“サムライ”になる前、つまり奴隷となった経緯ではないでしょうか。
日本舞台のPS名作がPCにやってきた!『Ghost of Tsushima』PC版の魅力をチェック。「ROG Ally」でのプレイも試してみた【プレイレポ】
世界史の立場から見た戦国時代は、スペインとポルトガルが地球全体に支配圏を広げている最中にありました。1494年のトルデシリャス条約によって「新領土」のアメリカ大陸側をスペイン、アフリカとアジアをポルトガルが領有することを決め、各地の占領と植民地化が推し進められていたのです。「せかいのはんぶんをおまえにやろう」の取引を本当にやってしまったようなもので、ここからスタートした世界征服がその後の歴史を大きく変えてしまったのは言うまでもありません。この世界分割体制を「デマルカシオン(Demarcación)」と呼びます。
ギニアの地図(1725年)
© Game*Spark
西アフリカにある「黄金海岸」「象牙海岸」などの名称は世界史でも聞いたことがあるでしょう。大航海時代に欧州の貿易拠点になった場所を指す言葉ですが、その中に「奴隷海岸」もあったことを覚えていますか?そう、大航海時代のダークサイド「奴隷貿易」の大拠点でもあったのです。
奴隷制自体は古代から存在しており、貿易の品になるのは珍しくありませんでした。戦争で制圧した地域の住民や敗残兵など、様々な民族人種が取引の対象でした。今で言うところの人権は制限され、過酷な労働を強いられることもありましたが、一般的な力仕事から使用人、教師まで能力次第で様々な職種に充てられることも普通であり、友好的な労使関係であるケースも少なくありません。また、自分から奉公を志願して契約を結んだ場合も用語上は「奴隷」に分類され、日本の丁稚も向こうの翻訳では奴隷に含まれます。外国人から見たら、“人買い”もいる日本は普通に奴隷を使っていると解釈されたでしょう(今回はそれ以上の踏み込んだところは避けさせてください)。弥助がこれらと同じように、ヴァリニャーノの使用人、または護衛として雇われるような形だった可能性もあります。
イグナシオ・デ・ロヨラ(GettyImages)
© Game*Spark
その状況が一変したのが、航海技術を発展させたスペイン・ポルトガルの世界進出です。入植に先んじた斥候として機能していたのが、1534年にイグナシオ・デ・ロヨラが設立した「イエズス会」でした。当時は1517年のルター「95か条の論題」をきっかけにカトリックとプロテスタントの分裂が起きている頃で、イエズス会はカトリックの拡大の新天地として、世界に広がっていく植民地をターゲットにします。
宣教師は探検家が「発見」して拠点を構えた場所へ赴き、現地住民を教化していくことを主目的としました。イエズス会としてはあくまでも布教が最優先ではあったものの、現地民を「野蛮」と蔑み強硬な手段を執ることも多かったのです。派遣宣教師の報告は交渉戦略や武力制圧の情報源に使われ、結果として侵略の片棒を担ぐ形になります。
火縄銃の展示(2005年愛知万博ポルトガル館)
© Game*Spark
ポルトガル入植の中で行われていたのが、地元勢力に対する「銃」の取引です。強力な火器はバランスブレイカーとなり、供与を受けたアフリカの国は周辺の国や部族を次々に制圧していきます。その過程で捕らえられた人々は、新大陸における砂糖プランテーションの労働力を欲していたポルトガルに「輸出」されました。
欧州が銃を供給すればするほどアフリカの戦火が拡大し、それに伴って奴隷の「輸出量」も増大する。これがかの悪名高き「三角貿易」です。プランテーションに送られた人々にはそれまでの奴隷制にはあった流動性が無く、白人の支配から逃れられない小作人として酷使され続けられました。現在まで根深い禍根を残す「黒人奴隷」の始まりです。
弥助が送り出されたとされるモザンビークもポルトガル入植地になっていました。協力者となった部族は銃の力で奴隷狩りを行い、弥助も巻き込まれて「輸出」された一人だったのかもしれません。前述の通り違う可能性ももちろんあるものの、少なくともそうした状況を目の当たりにしていたはずです。
教化する相手を蹂躙する行為はさすがに見過ごせなかったのでしょう。イエズス会自体は早い段階からスペイン、ポルトガルによる奴隷狩りに反対の立場を取っていました。ただし「文明化」を施すことを前提にしていたので、どちらにしても現地側にとっては侵略であることには注意が必要です。それでも労働力を求める入植者と商人からは大きな反発が起き、最終的にイエズス会が撤退するケースもありました。フランスのイエズス会においては、1763年に神父自ら不正取引に加担して解散する羽目になった「ラヴァレット事件」も起こっています。
「殉教三聖人図」 九州国立博物館所蔵
© Game*Spark
日本の場合、人攫いはもとより「乱取り」によって人身売買が多く行われていました。そこにポルトガル商人が接触すると、人買いは外国の買い手と取引を行うようになります。当時の日葡辞書にも「人攫い」「人買い」の単語が載っているほどでした。イエズス会はポルトガル本国に禁止を訴えており、1570年には国王によって明確な禁止令が発布されましたが、信長の死後権力を握った秀吉はイエズス会の関与を疑います。それに対して日本支部管区長のコエーリョは「防止に尽力していた」と回答。確かに嘘ではないようですが、商人による人身売買は収まらず、1587年に伴天連追放令が発布されて宣教師は日本を去ることになります。
連れて行かれた先の日本人についても多く記録があります。弥助を引き渡したヴァリニャーノはその復路で天正遣欧使節団を連れて行き、メンバーだった少年使節達が日本人奴隷を目撃していました。使節団の旅を記録したドゥアルテ・デ・サンデ「天正遣欧使節見聞対話録」によると、千々石ミゲルはポルトガル商人よりも同胞を売り渡した日本人の方に強く怒ったとされています(ただし都合良く脚色、もしくは創作されている可能性あり)。
欧州の影響を排除し、人身売買の禁止を推進していた秀吉ですが、後の朝鮮出兵では「捕らえた女性を献上せよ」と各大名に通達しており、多くの朝鮮人が日本に連れてこられます。そして有田焼、薩摩焼の創始などに影響を及ぼしています。
トルデシリャス条約に根拠を得たポルトガルはアフリカ・アジアへの進出を続け、1507年に東アフリカのモザンビークと中東ホルムズ、1510年にインドのゴア、1511年に東南アジアのマラッカと、武力制圧も交えて交易ルートを延ばします。ところが、1521年に世界一周の途上だったマゼラン隊が逆方向からモルッカ諸島に到着、一部の隊員を現地に残し、スペインは領有を宣言します。その同じ島にもポルトガルが進出しかけていて、モルッカ諸島がどちらに帰属するか争いが発生しました。
Iberian mare clausum claims by Nagihuin
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そこで新たにアメリカからアジア東端をスペイン領土とする、東経133度(142度の解釈もあり)の線を引き直します。これが1529年の「サラゴサ条約」です。東経133度、勘のいい人はもうお気づきですね。その通り、新たに引かれた境界は日本を真っ二つにする位置を通っているのです。
つまり、「ポルトガル人渡来」を通じて描かれる「日本の危機」とは、
スペイン・ポルトガルで日ノ本を二分割統治しようとするテンプル騎士団の陰謀だったんだよ!!(ΩΩΩ<な、なんだってー!!)
そんなムー民的深読みは別にしても、九州のキリシタンの保護はポルトガルがするべきだ、と主張する人もいたそうで、日本人の全く与り知らぬところで日本列島の支配権について決められていたというのは紛れもない事実です。戦国日本を「欧州の世界進出の最前線」と捉えると、弥助が主人公としてどのような行動を起こすのか、いろいろと想像を膨らませられるでしょう。
「紙本金地著色南蛮人渡来図」右隻/狩野内膳 神戸市立博物館所蔵 10人以上の黒人が確認できる
© Game*Spark
弥助は「数奇な運命の“サムライ”」である以前に、奴隷貿易によって運命を狂わされた「無数の被害者の一人」なのです。弥助以外にも黒人の姿は絵画や目撃証言に残っており、彼らはモザンビークから日本までの長い道のりで、16世紀のグローバルヒストリーで起こっていることを直に目撃した、当時の日本における数少ない証人でもあります。富と武器を求めて欧州勢力に接近する大名達、銃を大量に用意して周囲の国を蹂躙していく信長、焼かれる村を前に泣き崩れる奈緒江。同じように銃によって故郷を壊されたであろう弥助の「目」に、それらはどう映るのでしょうか……。
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5月26日 YAHOO!JAPANニュース Game Spark「『アサシン クリード シャドウズ』イエズス会と迫り来る西葡の影―グローバルヒストリーの接続点として観る戦国日本【ゲームで世界を観る#77】
とりあえずピラミッドの新発見はオリジンズの表現とは関係が無いのと、『ユニティ』のデータは実物のノートルダムの再建に使われていないのは置いといて、『アサシン クリード シャドウズ』の主人公である奈緒江と弥助は、信長を恨む者と信長に仕える者、全く相容れない対照的な立場です。そんな2人が何故協力することになったのか?まだ詳しいプロットは明かされていませんが、それを推察する上でスポットライトを当てるべきポイントは、弥助が“サムライ”になる前、つまり奴隷となった経緯ではないでしょうか。
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世界史の立場から見た戦国時代は、スペインとポルトガルが地球全体に支配圏を広げている最中にありました。1494年のトルデシリャス条約によって「新領土」のアメリカ大陸側をスペイン、アフリカとアジアをポルトガルが領有することを決め、各地の占領と植民地化が推し進められていたのです。「せかいのはんぶんをおまえにやろう」の取引を本当にやってしまったようなもので、ここからスタートした世界征服がその後の歴史を大きく変えてしまったのは言うまでもありません。この世界分割体制を「デマルカシオン(Demarcación)」と呼びます。
西アフリカにある「黄金海岸」「象牙海岸」などの名称は世界史でも聞いたことがあるでしょう。大航海時代に欧州の貿易拠点になった場所を指す言葉ですが、その中に「奴隷海岸」もあったことを覚えていますか?そう、大航海時代のダークサイド「奴隷貿易」の大拠点でもあったのです。
奴隷制自体は古代から存在しており、貿易の品になるのは珍しくありませんでした。戦争で制圧した地域の住民や敗残兵など、様々な民族人種が取引の対象でした。今で言うところの人権は制限され、過酷な労働を強いられることもありましたが、一般的な力仕事から使用人、教師まで能力次第で様々な職種に充てられることも普通であり、友好的な労使関係であるケースも少なくありません。また、自分から奉公を志願して契約を結んだ場合も用語上は「奴隷」に分類され、日本の丁稚も向こうの翻訳では奴隷に含まれます。外国人から見たら、“人買い”もいる日本は普通に奴隷を使っていると解釈されたでしょう(今回はそれ以上の踏み込んだところは避けさせてください)。弥助がこれらと同じように、ヴァリニャーノの使用人、または護衛として雇われるような形だった可能性もあります。
その状況が一変したのが、航海技術を発展させたスペイン・ポルトガルの世界進出です。入植に先んじた斥候として機能していたのが、1534年にイグナシオ・デ・ロヨラが設立した「イエズス会」でした。当時は1517年のルター「95か条の論題」をきっかけにカトリックとプロテスタントの分裂が起きている頃で、イエズス会はカトリックの拡大の新天地として、世界に広がっていく植民地をターゲットにします。
宣教師は探検家が「発見」して拠点を構えた場所へ赴き、現地住民を教化していくことを主目的としました。イエズス会としてはあくまでも布教が最優先ではあったものの、現地民を「野蛮」と蔑み強硬な手段を執ることも多かったのです。派遣宣教師の報告は交渉戦略や武力制圧の情報源に使われ、結果として侵略の片棒を担ぐ形になります。
ポルトガル入植の中で行われていたのが、地元勢力に対する「銃」の取引です。強力な火器はバランスブレイカーとなり、供与を受けたアフリカの国は周辺の国や部族を次々に制圧していきます。その過程で捕らえられた人々は、新大陸における砂糖プランテーションの労働力を欲していたポルトガルに「輸出」されました。
欧州が銃を供給すればするほどアフリカの戦火が拡大し、それに伴って奴隷の「輸出量」も増大する。これがかの悪名高き「三角貿易」です。プランテーションに送られた人々にはそれまでの奴隷制にはあった流動性が無く、白人の支配から逃れられない小作人として酷使され続けられました。現在まで根深い禍根を残す「黒人奴隷」の始まりです。
弥助が送り出されたとされるモザンビークもポルトガル入植地になっていました。協力者となった部族は銃の力で奴隷狩りを行い、弥助も巻き込まれて「輸出」された一人だったのかもしれません。前述の通り違う可能性ももちろんあるものの、少なくともそうした状況を目の当たりにしていたはずです。
教化する相手を蹂躙する行為はさすがに見過ごせなかったのでしょう。イエズス会自体は早い段階からスペイン、ポルトガルによる奴隷狩りに反対の立場を取っていました。ただし「文明化」を施すことを前提にしていたので、どちらにしても現地側にとっては侵略であることには注意が必要です。それでも労働力を求める入植者と商人からは大きな反発が起き、最終的にイエズス会が撤退するケースもありました。フランスのイエズス会においては、1763年に神父自ら不正取引に加担して解散する羽目になった「ラヴァレット事件」も起こっています。
日本の場合、人攫いはもとより「乱取り」によって人身売買が多く行われていました。そこにポルトガル商人が接触すると、人買いは外国の買い手と取引を行うようになります。当時の日葡辞書にも「人攫い」「人買い」の単語が載っているほどでした。イエズス会はポルトガル本国に禁止を訴えており、1570年には国王によって明確な禁止令が発布されましたが、信長の死後権力を握った秀吉はイエズス会の関与を疑います。それに対して日本支部管区長のコエーリョは「防止に尽力していた」と回答。確かに嘘ではないようですが、商人による人身売買は収まらず、1587年に伴天連追放令が発布されて宣教師は日本を去ることになります。
連れて行かれた先の日本人についても多く記録があります。弥助を引き渡したヴァリニャーノはその復路で天正遣欧使節団を連れて行き、メンバーだった少年使節達が日本人奴隷を目撃していました。使節団の旅を記録したドゥアルテ・デ・サンデ「天正遣欧使節見聞対話録」によると、千々石ミゲルはポルトガル商人よりも同胞を売り渡した日本人の方に強く怒ったとされています(ただし都合良く脚色、もしくは創作されている可能性あり)。
欧州の影響を排除し、人身売買の禁止を推進していた秀吉ですが、後の朝鮮出兵では「捕らえた女性を献上せよ」と各大名に通達しており、多くの朝鮮人が日本に連れてこられます。そして有田焼、薩摩焼の創始などに影響を及ぼしています。
トルデシリャス条約に根拠を得たポルトガルはアフリカ・アジアへの進出を続け、1507年に東アフリカのモザンビークと中東ホルムズ、1510年にインドのゴア、1511年に東南アジアのマラッカと、武力制圧も交えて交易ルートを延ばします。ところが、1521年に世界一周の途上だったマゼラン隊が逆方向からモルッカ諸島に到着、一部の隊員を現地に残し、スペインは領有を宣言します。その同じ島にもポルトガルが進出しかけていて、モルッカ諸島がどちらに帰属するか争いが発生しました。
そこで新たにアメリカからアジア東端をスペイン領土とする、東経133度(142度の解釈もあり)の線を引き直します。これが1529年の「サラゴサ条約」です。東経133度、勘のいい人はもうお気づきですね。その通り、新たに引かれた境界は日本を真っ二つにする位置を通っているのです。
つまり、「ポルトガル人渡来」を通じて描かれる「日本の危機」とは、
スペイン・ポルトガルで日ノ本を二分割統治しようとするテンプル騎士団の陰謀だったんだよ!!(ΩΩΩ<な、なんだってー!!)
そんなムー民的深読みは別にしても、九州のキリシタンの保護はポルトガルがするべきだ、と主張する人もいたそうで、日本人の全く与り知らぬところで日本列島の支配権について決められていたというのは紛れもない事実です。戦国日本を「欧州の世界進出の最前線」と捉えると、弥助が主人公としてどのような行動を起こすのか、いろいろと想像を膨らませられるでしょう。
弥助は「数奇な運命の“サムライ”」である以前に、奴隷貿易によって運命を狂わされた「無数の被害者の一人」なのです。弥助以外にも黒人の姿は絵画や目撃証言に残っており、彼らはモザンビークから日本までの長い道のりで、16世紀のグローバルヒストリーで起こっていることを直に目撃した、当時の日本における数少ない証人でもあります。富と武器を求めて欧州勢力に接近する大名達、銃を大量に用意して周囲の国を蹂躙していく信長、焼かれる村を前に泣き崩れる奈緒江。同じように銃によって故郷を壊されたであろう弥助の「目」に、それらはどう映るのでしょうか……。
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