🕯125)─2─妖怪と紙一重の存在だった神々【本当は怖い日本の神話】。~No.269 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本の物の怪・妖怪・化け物・鬼は、中国や朝鮮の魔物・悪霊ではないし、西洋の悪魔・モンスターでもない。
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 2023年5月4日 YAHOO!JAPANニュース TABIZINE「妖怪と紙一重の存在だった神々【本当は怖い日本の神話1】
 日本の神話に表されているのは美しい話ばかりではなく、残忍なエピソードや怖い言い伝え、恐ろしい風習などが少なくありません。しかし、そこからは、日本人が自然や神々とどう関わってきたかが見えてくるといいます。そこで、『本当は怖い日本の神話』(古代ミステリー研究会・編/彩図社)から、日本の神話の興味深いエピソードを抜粋して紹介します。
 元々は神だった妖怪たち
 日本神話の神々は、人間に恵みを与えるが、時には悪神として災厄をもたらす。神とは、自然に対する畏れから生まれた存在だからである。同じように、不可思議な現象や日常の不安から生まれたのが、妖怪である。
 人間を水中に引きずり込む河童、山に潜んで人を惑わす天狗、怪力で村々を破壊する鬼など、妖怪と聞くと奇怪でおどろおどろしいイメージがあるかもしれないが、元々は神に近い存在だった。どちらも人知を超えた存在であり、妖怪を神として崇める地域も少なくない。民俗学では、神が堕落して妖怪や悪鬼になったというとらえ方もあるほどだ。
 そんな、神の座から転落したと考えられている妖怪の一つが、河童である。河童は頭頂に皿がついた全身緑色の化け物で、普段は川に潜んでいると考えられていた。気づかず川に近づくと、尻子玉(しりこだま)という活力の源をえぐり出すと恐れられていたようだ。
 しかし、こうしたイメージは江戸時代以降に 書物を通じてつくられたものである。それより前の時代では、一説には水神として崇められていたという。
 河童の好物といえば、すぐにきゅうりが思い浮かぶだろう。加えて、河童は相撲も好きだったという伝承がある。相撲の起源は豊作祈願の神事であり、きゅうりは水神への供物である。 こうした関連性から、河童は水神が妖怪化したと指摘されているのだ。
 福岡県北九州市の皇産霊(みむすび)神社や東京都台東区の曹源寺(そうげんじ)の境内にある河童堂も、河童を水難よけの水神として祀るためのものである。同じような妖怪としては、四国九州の川で男を引きずり込む川姫というものがいて、清流の女神であるセオリツヒメと関係があると語られることもある。
 鬼の意外な正体
 ©️ Kangsadarn.S / Shutterstock.com
 河童以外にも、日本各地の風習を調べれば、神から変化したと思われる妖怪が見受けられる。いずれも、自然の神秘を反映した、人とは異なる存在だとみなされている。
 修験道では天狗を山の神や精霊が変化したものと考え、山で迷った人間を喰らう山姥(やまんば)は、山神の化身かその使いだとされていた。本来は動物神だった神猿(まさる)も、岡山県津山市中山神社などに残る伝承では、生贄を求めて祟りを起こす妖怪として語られる。
 いずれも恐ろしい存在だが、神が変異した存在のなかで最も強大なのは、鬼である。
 鬼といえば、頭に角を生やして金棒を担ぐイメージが定着しているが、元々は形を持たない不定形な存在で、人々に害を与える現象や邪神を含めた、霊的な怪物だった。中国で悪しき霊的存在と信じられていたものが日本に伝来すると、次第に邪神や悪霊の類も鬼に含まれていったようだ。鬼を払う儀式も中国から朝廷に伝わり、9世紀には追儺(ついな)という、鬼払いの儀式が行われるようになっていたようだ。
 鬼の一種である天邪鬼(あまのじゃく)は、ひねくれ者を指す言葉として使われているが、その正体は「記紀」に登場する女神の天探女(あめのさぐめ)だともいわれる。地上に降りた天稚彦(あめのわかひこ)を天からの使者を殺すようそそのかしたことから、後世になると鬼にされたという。
 鬼の伝承は、日本各地にも残っている。東北地方の行事であるナマハゲは、見た目は鬼のようだが実は神の使いであり、京の貴船大明神は、恋に破れた女を鬼神に変化させている。また、オオクニヌシの同神ともいわれる大物主神の「モノ」は、「オニ」を意味するという考えもある。その考えに従えば、国津神の頂点に立つ存在は、鬼だったことになる。
 一方で、妖怪から神になるケースも多い。船を沈める霊でありながら、船の守護神としても祀られる船霊。魔性の力で人を襲う一方で、神として飼い主を魔から守ることもある化け猫などはその典型で、まさに神と妖怪は表裏一体の存在だったのである。
 【出典】
 『本当は怖い日本の神話』(古代ミステリー研究会・編/彩図社
 [All photos by Shutterstock.com]
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 5月4日 MicrosoftStartニュース TABIZINE「夜の神社参拝は神の加護が受けられない【本当は怖い日本の神話2】
 日本の神話に表されているのは美しい話ばかりではなく、残忍なエピソードや怖い言い伝え、恐ろしい風習などが少なくありません。しかし、そこからは、日本人が自然や神々とどう関わってきたかが見えてくるといいます。そこで、『本当は怖い日本の神話』(古代ミステリー研究会・編/彩図社)から、日本の神話の興味深いエピソードを抜粋して紹介します。
 神社の鳥居のイメージ
 © TABIZINE 提供
 神様も必要な休息時間
 手水舎のイメージ
 © TABIZINE 提供
 神社を参拝するときは、神様に失礼のないよう、マナーを守る必要がある。
 鳥居の前で一礼してから手水舎(ちょうずや)で両手を清める、一礼してからお賽銭を入れて鈴を鳴らす、二礼二拍手一礼で拝礼してから最後に会釈をする......。
 こうしたマナーはよく知られているが、神様に願いを届けたければ、参拝する時間にも注意を払わなければならない。なぜなら、時間帯を間違えると神に願いが届かなかったり、逆に不利益を被ったりする可能性もあるのだ。
 神社への参拝は、朝から昼の間にするのが望ましい。なかでも早朝は最も神の気が高まっている時間帯。御利益を得るには最適だという。
 しかし、夜の参拝はいただけない。お寺と違い、神社には門がないところもあるため夜中でも境内に入れる場合があるが、午後5、6時から日の出までの間の参拝は、基本的に避けるべきだとされている。なぜなら、 夜中は神が休息する時間だからだ。
 神様だからといって、24時間活動しているわけではない。早朝に社へと迎えて、日没までにお帰りいただく。それ以降は人間と同じように朝まで休んだり、他の神々と会合を開いたりすることになっている。夜は神々の時間だとされているのも、神が自由に活動できると考えられているからだ。
 当然ながら、眠っているのなら、神々が願いを聞いてくれることはない。人間でも、夜に自 宅で休んでいるときにいきなり来訪されて仕事の話を押し付けられたら、嫌な気分になるだろう。相手が神なら機嫌を損ね、祟られてしまうかもしれないから、日の出ているうちに参拝するのが無難である。
 魑魅魍魎が跋扈(ばっこ)し始める逢魔が時
 夜の神社のイメージ
 © TABIZINE 提供
 また、夜に参拝をする問題点は、願いが聞き届けられないことだけではない。神が神社での仕事を休止するということは、境内から神の守護が薄れることにもなる。こうなったときに増えてくるのが、悪鬼悪霊の類だ。神の力で阻まれていた悪しき存在が、ここぞとばかりに神社へと入り込み、参拝者に悪影響を与えるという。
 危ないとされるのは夜中だが、午後4時から6時の間も避けるべきだとされる。なぜならこの時間帯は、昼と夜の境界が最も曖昧となる「逢魔が時 (大禍時)」であり、魔の影響を最も受けやすいといわれるからだ。民俗学者柳田国男も、「オオマガドキ」は怪しいものが現れることへの警鐘の意味があるのではないかと指摘している。
 ただし、例外もある。日の光が失われる夜は人知の及ばぬ時間帯であり、畏れ多きものと接触できる時間でもあった。そのため神社によっては、夜中に催事を行うこともある。呪いの儀式とされる丑の刻参りも、元々は神に近づける時間に参拝して想いを成就させるためだったといわれる。
 では、神との接触の機会がありながらも、夜間の参拝が避けられてきたのはなぜか? それには、神社が立地する環境が影響していると考えられる。
 現在は都市内にも多くの神社があるが、古くから地域に根づいている神社は、森や山のなかにあることが多い。明かりの乏しい近代以前では、真っ暗闇のなかを進むしかなかった。律令国家が道路の整備を放棄した中世には、道に迷うことや、野生生物に襲われる危険もあっただろう。
 神社に無事たどり着けたとしても、境内に満足な明かりはない。細かな段差に足を取られて転倒したり、帰路で遭難したり、もしくは境内に潜んでいた野盗に襲われることもあっただろう。実際、平安時代の説話集『今昔物語集』には、寺社が盗の住処(すみか)として描かれるエピソードが出てくる。夜の神社が危険だという認識は、日本人の実体験に基づいていると言えるのかもしれない。
 【出典】
 『本当は怖い日本の神話』(古代ミステリー研究会・編/彩図社
 [All photos by Shutterstock.com]
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