・ ・ ・
関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本の祭りは、中国や朝鮮・韓国の祭りとは違う。
・ ・ ・
日本の民族主義の源泉は、日本の祭りにあった。
・ ・ ・
日本の祭りのルーツは、数千年前の弥生時代・古墳時代、さらに数万年前の旧石器時代・縄文時代にある。
・ ・ ・
日本の最高神は、天皇家・皇族の祖先神である女性神の天照大神(伊勢神宮)である。
・ ・ ・
2023年5月2日17:31 YAHOO!JAPANニュース「四季を彩る日本の祭り:郷土に根差す祈りの形
芳賀 日向
「八百万(やおよろず)の神の国」といわれる日本では、万物に宿る神様や精霊を迎え、喜んでもらうために多種多様な祭りを催す。四季折々の祭りに込められた祈り、その由来や特徴を解説する。
季節ごとの祭りが暮らしのサイクルに
春の高山祭と呼ばれる日枝神社山王祭(岐阜県高山市、4月14~15日)。漆塗りの3段の屋台12台が曳かれ、内3台がからくり人形の演技を奉納する
日本の信仰は古くから寛容で、神道と仏教が共存しながら時には融合し、万物に宿る精霊、先祖の魂も一緒に敬ってきた。恐ろしい怨霊や鬼ですらも、逆にその力にあやかって、疫病や災害から守ってくれる神として祀(まつ)ったほどだ。
土地に定住する神だけでなく、四季の移り変わりに訪れる神々や精霊を祝ってきた。五穀豊穣(ほうじょう)や無病息災を願うものなど、一年を通して多様な祭りが営まれ、暮らしのサイクルにも組み込まれている。
祭りで神様にささげる芸能は、地域ごとで特色も豊かに発展した。神輿(みこし)に余興の山車(だし)や仮装行列も加わり、神様だけでなく人々も楽しませてきた。
【小正月】新年に豊作を祈る
田に実りの願いを込める「八戸えんぶり」(青森県八戸市、2月17~20日)
正月に迎えた年神様を送り出すと、その年の五穀豊穣を祈願する農耕儀式が小正月(1月15日ごろ、旧暦の場合もある)に営まれる。東北では雪原を水田に見立て、米や穀物のわら束を植える「雪中田植え」によって豊作を祈る。東京では、舞台上の太鼓を田んぼに見立て、その周りで種まきや田植えなどの所作を披露する徳丸北野神社(板橋区)の「田遊び」が有名だ。
本州最北の青森県には、土をならす農耕具・朳(えぶり)に模した棒で、凍(い)てつく大地を突きながら踊り、地中の悪魔を退散させて春を呼ぶ「えんぶり」がある。これに似た祭りが、遠く離れた九州南部・鹿児島県にも存在する。子どもが歌いながら、棒を地面に突き刺す「ハラメウチ」は、豊作に加えて新婚家庭の子孫繁栄を願う行事だ。
【節分】鬼を追い払う
暴れまわる五色の鬼に豆を投げて退治する「本成寺(ほんじょうじ)鬼踊り」(新潟県三条市、2月3日)
本来は四季の節目を「節分」と呼ぶが、一般的には立春の前日(例年2月3日ごろ)を指すのは「豆まき行事」の影響が大きいだろう。
季節の変わり目には、災害や疫病をもたらす邪気が生じやすいとされ、あの世から鬼が迷い込んでくるせいだとも考えられた。春の節分には全国的に、鬼の大きな目に豆をぶつけて追い払い、無病息災を祈るのだ。
【春】田植え時期に豊作を願う
一年の農作業を舞で表す「藤守の田遊び」(静岡県焼津市、3月17日)
花のつぼみが開くころから、梅雨にかけて盛んに催されるのが「田植え祭り」。2000年以上の歴史があるとされ、色鮮やかな花飾りを身に着けるものが多い。春に花が咲き誇ることは、秋の豊作を約束するからだ。静岡県焼津市の大井八幡宮(はちまんぐう)「藤守の田遊び」では、高さ1メートル以上ある花飾りの冠をかぶり、若者が踊りながら「花よ咲き開け」と土地の神に願う。
かつて農作業は、集落で力を合わせる「結(ゆい)」によって成り立っていたように、稲作に関する祭りも同様だ。地域総出で田植え唄を歌い、田の神へ感謝をささげる。特に水田に稲を植えていく早乙女の姿は、日本の原風景を思わせる。
【梅雨】害虫から田を守る
「鹿子原(かねこばら)の虫送り踊り」のサネモリ人形(島根県邑南(おおなん)町、7月20日)
梅雨がくると、田にわいてくる害虫を駆除するために「虫送り」を営む。東日本ではわらで大きな虫を作り、田のあぜ道に害虫をおびき寄せ、村のはずれで焼き払ったり、川や海に流したりする。
西日本では、その行事に平家の武将・斎藤実盛(さねもり)の逸話を重ねる。源平合戦(1180-85)において、馬が稲わらで転んだせいで討ち取られた実盛は、「害虫になって水田に祟(たた)る」と言い残したという。わらの馬に乗った「サネモリ人形」を作ってあぜ道を練り歩き、虫と共々退治するのだ。
【夏】悪霊がもたらす疫病を払う
観覧用の屋形船も情緒的な「隅田川花火大会」(東京都台東区・墨田区、7月最終土曜日)
高温多湿な日本の夏は、菌が増殖しやすく、かつては疫病がまん延しやすい季節だった。当時の人は悪霊が原因と考えたので、それを追い払うための威勢の良い祭りが全国で催されるようになった。
最も古い例は京都の「祇園祭」で、疫病によって死者が続出した貞観(じょうがん)年間(859~877年)に始まった。当初は国の数と同じ66の矛を立て、祇園社(現在の八坂神社)から疫病神・牛頭天王(ごずてんのう)の神輿が巡幸し、日本中の息災を祈願した。時代を経て、その矛が豪華絢爛(けんらん)な山車「山鉾(やまほこ)」へと発展し、日本屈指の優雅な祭りとなった。
夏の風物詩・花火大会も、災厄封じが由来。日本で最も歴史のある東京の「隅田川花火大会」は、飢饉(ききん)や疫病で多くの犠牲者が出た享保(きょうほう)年間(1716~1736)に始まる。慰霊と悪疫退散を祈り、両国の川開きで花火を打ち上げたのだ。
特に東北地方の夏祭りは、長い冬に閉じ込められたエネルギーを一気に発散させるかのようだ。「青森ねぶた祭り」や「山形花笠まつり」などは華やかな踊りやパレードで知られ、全国から見物客が押し寄せる。
【秋】実りをささげ収穫に感謝
氷川神社例大祭の行事「川越まつり」。町ごとの山車には御神像と共に人が乗り、楽器や舞を披露する(埼玉県川越市、10月第3土曜・日曜)
実りの秋には初穂を供え、収穫への感謝をささげると共に、翌年の豊作を願う。収穫祭に当たる宮中祭祀(さいし)「新嘗祭(にいなめさい)」は、『日本書紀』(720年完成)に登場するほど歴史が古い。
神様を乗せた神輿や山車を中心に行列し、田園地帯では収穫前のたわわに実った稲や刈り取った稲を干す「はざがけ」をお見せする。埼玉県の「川越まつり」では豪華絢爛(けんらん)な山車29台が、小江戸と呼ばれる風流な町を練りまわるなど、日本の祭りが最もにぎやかになる季節だ。
【冬】魂をよみがえらせる
奥三河の「花祭」では地域ごとに伝わる舞を夜通しで奉納する(愛知県北設楽郡、11月~1月)
冬になると山に帰る田の神様のため、里人は夜神楽(よかぐら)をささげる。日照時間が短い冬至ごろは人間の魂が弱まると考えられ、生命力を再生する行事も営まれる。
長野県飯田市「遠山の霜月祭り」や奥三河(愛知県北東部)「花祭」で奉納される「湯立神楽」は、釜で沸かした湯を神の息吹として人々に振りかける。魂が強くなり、無事に新年を迎えることができるとされる。
※祭りの日程は例年の予定日を表記した
写真=芳賀ライブラリー
【Profile】
芳賀 日向 HAGA Hinata
国内外の祭りを追い続ける写真家。1956年生まれ。祭りや民俗芸能の写真と資料をアーカイブする「芳賀ライブラリー」代表。日本写真家協会会員、日本旅行作家協会会員、全日本郷土芸能協会会員。『週刊朝日百科 日本の祭り』(朝日新聞出版)シリーズ連載、『知れば知るほどおもしろい! 日本の祭り大図鑑』(PHP研究所)監修ほか著書多数。
・ ・ ・
「いざ、日本の祭りへ」(1) 三社祭と浅草ガイド
祭りには日本の「生きる力」が詰まっている
文化 暮らし 旅 2012.06.28
山本 哲也 【Profile】
日本全国の“お祭り”の数は、10万とも30万ともいわれる。どんな種類の祭りがあり、その衣装やかけ声にはどのようなものがあるのか。祭り評論家の山本哲也氏が祭りの裏と表を語り、楽しむコツを伝授する。
日本人にとって祭りとは何か。それを理解するためのキーワードは春夏秋冬だ。春の訪れとともに種をまき、夏には台風や害虫、疫病などの被害にあわないことを願い、秋の実りに感謝を捧げ、寒さの厳しい冬にはこもりながら魂を充実させていく……日本には、季節の移り変わりに寄り添うように人々の営みがあり、日本人の季節感が祭りに凝縮されている。
春と秋は豊作祈願と感謝祭
春は稲を植える季節で、日本人にとっては「始まり」を意味する。祭りの代表としては豊作を祈願する「お田植え祭」があり、伝統的な祭りとして全国各地に広がっている。実際に田植えをするものと、田植えの所作を模擬的に演じるものとがある。前者の代表は、大阪住吉区の「御田植神事」(6月15日)で、後者には奈良県明日香村の「おんだ祭り」(2月第1日曜日)などがある。
御田植神事で行われる神楽女(かぐらめ)による八乙女の田舞(やおとめのたまい)。(写真提供=住吉大社)
お田植え祭と対になっている秋祭りは、稲刈りの時期に行う「新嘗(にいなめ)祭」。米が無事に収穫できたことを神に感謝する行事で、新穀を供える祭りとして11月23日の「勤労感謝の日」(国民の祝日)に行われることが多い。中でも神道の頂点に位置する三重県伊勢市の伊勢神宮で行われる新嘗祭と「神嘗(かんなめ)祭」は荘厳な祭りで有名だ。
神社にはほかにもさまざまな祭りがあり、伊勢神宮では、年間1000件を超える例祭が行われている。中でも「式年遷宮(しきねんせんぐう)」は20年に一度、神殿を新しく造り替える大々的な祭りで、690年から、約1300年も続いている。次回の遷宮は2013年だ。
式年遷宮の御樋代木奉曳式(みひしろぎほうえいしき)。(写真提供=伊勢神宮神宮司庁広報室)
夏は疫病退散、虫送り・台風除け
夏の祭りは都市と地方で異なる。夏は疫病が流行し、神の祟りと恐れられていた。そのため、祭りも疫病退散を目的としたものが多い。代表的なものが京都の「祇園祭(ぎおんまつり)」(7月1日~31日)、大阪の「天神祭(てんじんまつり)」(7月24日~25日)だ。京都と交易が深かった都市も、同じように疫病に苦しめられたことから、祇園祭をまねて、独自の祭りを作り上げていった。
天神祭では奉納花火が夜空を彩る。(写真提供=大阪天満宮)
また、害虫の被害が最も多い夏は、台風や洪水に襲われる季節でもあり、農作物の生育が左右されやすい。そこで、農村では病害虫を追い払うための行事で“虫送り”や“台風除(よ)け”の祭りが行われてきた。虫送りの代表的なものが、青森の「ねぶた祭り」(8月2日~7日)。台風除けの代表が、富山県の「越中おわら風の盆」(9月1日~3日)だ。
越中おわら風の盆。(写真提供=越中八尾観光協会)
夏と言えば“お盆”。亡くなった人の霊や先祖の霊をあの世から呼び寄せ、霊を祀(まつ)る行事として全国的に広がっている。楽しい盆踊りや“送り火”という仏教系儀式が行われる。その代表例が京都の「五山送り火」(8月16日)だ。
銀閣寺付近の山に浮かび上がる大文字。(写真提供=京都市文化市民局)
冬は新春祝い、町おこし
農閑期である冬は、厳しい寒さに耐えながら魂を充実させる季節。穢(けがれ)を落とす禊(みそぎ)としての裸祭りや、炎が主役となる火祭りが行われる。裸祭りで有名なのは、岡山県の会陽(えよ)で行われる「裸祭り」(2月の第3土曜日)。長野県の「道祖神(どうそじん)祭り」(1月13日~15日)は火祭りの代表例。
会陽の裸祭り。みそぎに水は欠かせない。(写真提供=西大寺会陽奉賛会)
また、1年の始まりを祝う新春の祭りや節分などもある。観光客を集めるために町おこしの一環として行われているものもある。「さっぽろ雪まつり」(2月中旬)がその成功例だ。
さっぽろ雪まつりでは各種のイベントが行われる。(写真提供=札幌市観光文化局)
1年を通じて行われる祭りには、「祈り」「感謝」「願い」といった日本人の「生きるための想い」がすべて集約されている。だからこそ、代々受け継がれてきた祭りを大切に守り、次世代へと伝えていくのだ。
祭りを数倍も楽しむコツ
では、実際に祭りに参加する場合の「楽しみ方」をいくつか挙げてみよう。
1.お祭りの意味・由来を知る
何のための祭りなのか、何を祈願するものなのか、といった祭りの意味や由来を知ることで、祭りのしきたりや所作をより深く理解でき、実際に目にした時の感動もひとしおとなる。
2.テーマを絞る
次に大事なのが、ひとつのテーマに絞って見ること。祭りの持つエネルギーは強く、圧倒されたまま祭りが終わっていた……ということがよくある。例えばお祭りのファッションなど目で楽しめるものに注目してみるのもよいし、かけ声やお囃子(はやし)など耳からの情報に注目するのも面白い。祭りのかけ声で一般的なのが、「ワッショイ」「セイヤ―」「ソイヤー」だが、「ワッショイ」には「和を背負う」という意味が込められているという説もある。
祭りファッションも人によって個性はさまざま。小物類などにも注目してみてはいかが?(撮影=山田 愼二、コデラケイ)
ほかにも神輿(みこし)に施された伝統工芸の技術、神輿の担ぎ方、踊り方といった要素も注目に値する。祭りごとに違うのはもちろん、参加する団体ごとにデザインや所作が違う。
同じ町会でもその場の雰囲気で担ぎ方が変化する。(撮影=山田 愼二、浅草三社祭にて)
神輿の細部にまでこだわって見てみるのも面白い。(撮影=コデラケイ)
3.臨場感を味わう
人びとの熱気やにおいはその場にいないと経験できない。言語をこえて人と触れ合うこともある。青森のねぶた祭りなど、一般の人でも体験できるケースもあるので、思い切って踊りの輪に飛び込んでみよう。
祭りを楽しむ上で重要なのが、スケジュール(タイムテーブル)やアクセス方法の把握だ。数日間にわたる祭りの場合、宿を事前に確保することも必要になる。祭り当日は、想像以上にたくさんの人が集まるため、思い通りに行動できない場合もある。見逃したくない場面は、観覧席を予約したり、事前に場所取りをするなど先回りする余裕も必要だ。
祭りには、数百万人もの人が訪れるものもあるので、混雑を見込んで下調べなども事前に済ませておこう。(撮影=コデラケイ)
観光客の方は、祭りを目的としたパッケージツアーなどを利用する方法もあり、宿や足(交通)、食事、観覧席などの確保が一度に解決する。また、祭りに夢中だと忘れがちだが、トイレの場所もしっかり確認しておきたい。
かなり激しい祭りもあり、見物人が巻き込まれてけがをしてしまうこともある。指示にしたがって安全に祭りを楽しんでもらいたい。
地域の絆を深め、人との結びつきを強くする祭りは、日本人にとってなくてはならない心のよりどころ。「祭りは生きがい!」「1年は祭りで始まり、祭りで終わる」と言う人も少なくない。実際に祭りに参加したり、祭りを楽しむ人と触れ合うことは、日本人が大切にしてきたものを理解することにつながる。ぜひ多くの方に祭りの魅力を生で味わっていただきたい。
(バナー写真撮影=山田 愼二)
▼日本全国のお祭りを紹介した地図はこちら
JAPAN DATA【日本の祭り】全国お祭りMAP
山本 哲也YAMAMOTO Testuya経歴・執筆一覧を見る
お祭り評論家。1970年大阪生まれ。日本全国の祭りについて、学者・祭り実施側ではなく、楽しむ側から評論することを専門にしている。大学時代に参加した青森ねぶた祭りに魅せられ、以来、全国の祭りについて研究を続けている。現在は、祭りに関する評論・執筆・講演などを行っている。
website:http://www.yamamototetsuya.com/index.html
・ ・ ・
nippon.comは
【Photos】あちらこちらに神様が降りてくる日本の祭り:写真家・芳賀日向がとらえた「ハレ」の日の幸せ
旅と暮らし 文化 歴史 2023.04.02
芳賀 日向 【Profile】
48カ国の祭りをファインダーに収めた写真家・芳賀日向氏は、日本の祭礼行事を「あちらこちらに神様が降りてくる」と表現する。世界的にもユニークかつバリエーション豊富な「ハレ」の瞬間は、いくらシャッターを切ってもとらえきれないという。
世界を撮り歩いて知った、ハレがもたらす「幸せ」
私はこれまで日本の47都道府県全てと、48カ国の祭りを巡り、シャッターを切ってきた。父から2代にわたって営む芳賀ライブラリーでは、1500以上の祭りやカーニバルの写真を30万枚以上ストックしている。
父の芳賀日出男は民俗写真家で、日本の祭り、とりわけ来訪神をライフテーマに70年間、写真を撮り続けた。しかし、私はもともと写真家を志してはおらず、20代のころは米国で文化人類学を学んでいた。転機となったのは、留学中の1981年にメキシコ・ユカタン半島で出会った村祭りだった。
マヤ遺跡の道路を発掘調査していた1981年当時に撮影
メキシコ・マヤ遺跡の舗装道路を発掘調査していた1981年当時に撮影。ここでの体験が祭り写真家を志すきっかけとなった
当時、教授の助手としてマヤ文明の遺跡で発掘を手伝っていた。周辺の村では何百年も変わらぬであろう穏やかな生活を送っているようで、質素な家が並んでいる。ところが夜に訪れると、にぎやかな音楽が聞こえ、村人は皆、真っ白な衣装を身にまとい、くるくると回りながら踊っていた。その楽しそうな表情に「あぁ、この小さな村祭りに、彼らの幸せが凝縮しているのだ」と感じ、一緒に胸が高鳴った。
日本流にいえば、日常の「ケ」と、非日常である祭りの「ハレ」とのギャップの大きさに衝撃を受けたのだ。この体験を機に、世界中の祭りを訪ね、ハレの日の幸せを写真に収めることを決めた。最終目標は世界五大陸のカーニバルを撮ること。どんなにばか騒ぎをしても許される「ハレの頂点」だからだ。
フランス南東部の街ニースのカーニバル。「王様」がモチーフのフロートが街をパレードする
ドイツのカーニバルに現れた「鬼」。伝統的な衣装や仮装に身を包んだ人々が練り歩く
特に印象に残ったのは、最後に訪れた世界最大の祝祭「リオのカーニバル」だ。うねり寄せる波のように何万もの人々がサンバを踊りながら、長さ800メートルのカーニバル会場を練り歩く。肌から発散される愛や欲望、希望、悲しみ、不安がエネルギーの塊となり、サンバの大音響とともに私の心を揺さぶった。「彼らは1年間さまざまなものを我慢しながら生活し、この至福の日に全てをぶつけるのだ」と実感した。
そして、世界を巡る中で気付いた。大多数を占める一神教の国々では、祭りのパターンをいくつかに分類できる。「この種類の祭りは、ここで人々は幸福感に浸るのだ」と分かるようになっていた。
ブラジル・リオのカーニバル。サンバだけでなく、豪華な山車(だし)も見どころ
日本の祭りを巡って実感した、神様の多様さと寛容さ
写真展「世界のカーニバル」を開催するため、2007年に帰国した後は、日本の祭りを本格的に撮り始めた。
驚くことに、日本の祭りでは神様があちらこちらに降りてくるではないか。神輿(みこし)だけでなく、巨石や大木、稲田、紙で作った御幣や花、そして人にも。そのバリエーションはあまりにも豊富で、パターン化することが難しいほどだ。
新潟県糸魚川市・能生白山(のうはくさん)神社の春季大祭(通称:能生まつり、4月24日)では、稚児が大人に担がれて街を巡る
能生まつりの稚児舞の奉納。冠に飾った花は神へのささげ物
化粧をして着飾った稚児に神が降りてくる祭りでは、フランス人の記者が「たくさんの神が子どもに憑依(ひょうい)していく様子を、どのように伝えればいいのか……。私の国ではエクソシスト(悪魔ばらい)の登場となる」と頭を抱えていた。
日本では土地や神社に定住する神様以外にも、季節ごとに訪れる神様がいて、春夏秋冬の移り変わりに祭りを催す。春先に稲の精霊「田の神」を迎える行事は日本中にある。これが海外だったら、神が現れた地には神殿や寺院が建ち、何百年も信奉されるだろう。
3月開催の熊本県・阿蘇神社の田作祭(たつくりまつり)は、神婚の儀によって豊作が約束される。里人によって女神の御神体である樫(かし)の枝が男神の元へ向かう
田作祭のハイライト、女神の到着を祝う火振り神事で神様のロマンスは盛り上がる
鹿児島県・奄美大島の秋名アラセツ行事(旧暦8月)は、原初日本の芸能の形をとどめる収穫祭。夕刻には浜辺で唄と手踊りを繰り返し、海のかなたから神を招く
日本の祭りの数は世界で最も多いのではないだろうか。神社で一般公開される祭りには、正月や季節の訪れを祝う年中行事に例大祭などがあり、神社本庁登録の約8万社で考えれば、少なくとも年間30万を超える。神社内部で毎月営まれる月次祭(つきなみさい)、民間信仰の祭り、市町村の観光祭、寺の法会(ほうえ)などを加えると、その総数は想像もできない。
島国ゆえ異国文化の流入がゆるやかだった日本では、独自の寛容な信仰文化が育まれた。万物に神が宿るとするアニミズムをベースに、古来の八百万(やおよろず)の神に加え、大陸由来の仏教も一緒くたに信仰してきた。祀(まつ)る対象が多いため、それを喜ばすための祭りや芸能のバリエーションも増えたのだ。多くの一神教の国とは、背景が大きく異なる。
旧暦1月7日ごろに催される愛知県岡崎市・瀧山寺の鬼祭り。松明(たいまつ)が燃え盛る寺に鏡餅を手にした鬼神が現れ、豊作を約束する
秋田県・男鹿地域の伝統行事ナマハゲは、大みそかに鬼が家々を訪れては怠け者を戒めて福を招く。ユネスコ無形文化遺産「来訪神:仮面・仮装の神々」の一つ
例えば、キリスト教を国教とした古代ローマ帝国は、異教の神を全て否定した。しかし、民衆に伝わる古来の信仰が根強いため、春を祝う農耕儀式を取り入れた。こうして生まれた復活祭前のカーニバルは、各地の民間信仰に影響を与えた。ドイツの黒い森に住む鬼のような精霊は、この日だけにしか現れて騒ぐことはできなくなった。また、アンデスの山の神ディアブロは悪魔に変わり、カーニバルの日に現れるとキリストに仕える天使に葬られてしまう。
鬼という言葉は外国語では悪魔を意味することが多いが、日本ではナマハゲのような善なる「鬼神」にもなる。さらに、神様同士の交合、結婚、忍び会うロマンスを祝う祭りを見て、私は日本の神々の寛容さに仰天した。アニミズムを背景に多彩な祭りが生まれ、日本人にとって欠かせない四季折々の暮らしのリズムとなっている。
豪華な笠鉾(かさぼこ)と屋台で知られる埼玉県の秩父夜祭(12月2~3日)。秩父神社の女神と神体山の男神がこの夜だけ忍び会う。ユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」の一つ
滋賀県大津市・日吉大社の祭神夫婦の結婚を再現する山王祭(4月12~15日)。「宵宮落とし神事」では4基の神輿を地面に落として出産シーンを表す
震災とコロナ禍で思い知った、人と郷土の絆としての祭り
しかし、甚大な被害をもたらした2011年3月11日の東日本大震災を機に、私の祭りへの思いは一変した。平和な日常が脅かされ、日本中が自粛ムードとなった。しばらく祭りは撮れないと覚悟したのもつかの間、青森県八戸市の八戸三社大祭をはじめ、東北の各地域が夏祭り敢行を宣言したのだ。被災地の人々は復興を願って夏祭りに臨むという。写真家としての使命感に駆られた私は、7~8月と現地を取材した。
姿、形が変わってしまった被災地で、地元に伝わる祭りを催す人々。少しずつ元気づいてきたその姿をカメラに収め、故郷を案じる人たちに届けることが私の使命だった。祭りは人と郷土をつなぐ「絆」である。各地で点々と開催された祭りは、点から線となり、やがて日本中をつないでいった。
きらびやかな山車で知られる八戸三社大祭(7月31日~8月4日)。ユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」の一つ
うごく七夕まつり(8月6~7日)は岩手県陸前高田市で受け継がれる先祖供養の行事。震災以後は鎮魂と復興への祈りも込められる
福島県・相馬野馬追(そうまのまおい、7月下旬)では騎馬を慰労するかがり火をともす。2011年は慰霊と支援への感謝を込めた
2020年3月にはコロナ禍に見舞われ、またしても各地で祭りの中止が決まった。自粛が3年目になると、継承が危ぶまれるとの懸念が高まり、どの地区でも敢行か中止かで悩んでいた。縮小しながらも少しずつ再開され始めると、「地元だけで祭りをやるから記録に来ないか」と私にも声がかかるようになってきた。
人と触れ合うことすら我慢を重ねる「新しい日常」を経て、ようやく訪れたハレの日。人々の表情は明るく、カーニバルの開放感を思い起こさせた。祭りは本来、観光客のためではなく、自分たちの郷土を次の世代につなげるためにするのだと思い知った。
2022年の東京都中央区・鐵砲洲稲荷神社例大祭(5月2~5日)では感染防止のため、神輿を担がず台車で巡行して掛け声も自粛した
一方で、過疎や高齢化によって祭りを継続する力を失ってしまった限界集落も少なくない。それでも、故郷を離れた若者たち、移住してきた人々が古くからの里人と交わり、伝統の祭りに新しい力を注いでいる例もある。祭りは郷土と人とを一体にし、地域を活性化させる力を持つ。その絆にこそ、多くの日本人が幸せを感じるのではないだろうか。
ハレがもたらす幸せを必要とする人がいる限り、祭りの多様性を失わせてはならない。私はこれからも写真で応援していきたい。
長崎くんち(10月7~9日)で最も観客を熱狂させる奉納踊りコッコデショ。子ども4人を乗せた太鼓台を放り上げ、全員が片手で受け止める場面でクライマックを迎える
※祭りの日程は例年の予定日を表記した
写真・文=芳賀 日向
バナー:日吉大社・山王祭での神輿神幸
この記事につけられたキーワード
神社仏閣 祭り 伝統芸能 東日本大震災 祭り・行事・歳時記 無形文化遺産 信仰 カーニバル コロナ禍 写真家
芳賀 日向HAGA Hinata経歴・執筆一覧を見る
国内外の祭りを追い続ける写真家。1956年生まれ。祭りや民俗芸能の写真と資料をアーカイブする「芳賀ライブラリー」代表。日本写真家協会会員、日本旅行作家協会会員、全日本郷土芸能協会会員。『週刊朝日百科 日本の祭り』(朝日新聞出版)シリーズ連載、『知れば知るほどおもしろい! 日本の祭り大図鑑』(PHP研究所)監修ほか著書多数。
・ ・ ・
5月2日 MicrosoftStartニュース ダイヤモンド・オンライン「【GW特集】「旧暦を大切にする人」と「旧暦を大切にしない人」のほんのわずかな圧倒的な違い
永崎ひまる
いよいよゴールデンウィーク(GW)に突入した。だが、メンタルダウンしたり、元気が出ない人も多いかもしれない。
そんなときおすすめなのが、『1日1分見るだけで願いが叶う! ふくふく開運絵馬』の著者で、日本随一の「神道文化賞」を受賞した絵馬師の「1日1話」に耳を傾けることだ。
「見るだけで癒された」「本当にいいことが起こった」と話題の本書をベースに、五月病を寄せつけず、金運・仕事運・恋愛&結婚運・長生き健康運・人間関係運などすべての御利益を誰よりも早く拝受するにはどうすべきか、“とっておきの習慣”を紹介する。
© ダイヤモンド・オンライン
旧暦を大切にする人、大切にしない人
時の流れを自然の動きから知ることができる暦は、昔から人々の生活で大切にされてきました。
地球が太陽の周りを一周することを目安にした「太陽暦(たいようれき)(グレゴリオ暦)」、新月から満月、また新月になるリズムを取り入れた「太陰暦(たいいんれき)」。
旧暦とは、太陽と月の動きを取り入れた太陰太陽暦(たいいんたいようれき)のことで、明治5年(1872年)に太陽暦に改暦されるまで、長い間親しまれてきました。
旧暦の中では、月日は月の満ち欠けで定め、新月が毎月の一日。
しかし太陽と11日の季節のずれが出るため、うるう月を挿入する調整のために、太陽の動きで見る、二十四節気(にじゅうしせっき)なども一緒に使われてきました。
●絵馬師の開運格言●
天井には、星という名の大先輩があなたをいつも応援してくれている。
不安だらけで希望を感じない日々が続いたときは、そっと空を見上げてみましょう。
そこには何十億年とただ黙って生きてきた、星という名の大先輩がたくさん見守っています。
私たちの人生は長くても100年ほど。
“星先輩”は何千年、何億年とただそこに動くことなく、ずっと生きているのです。
でもあなたは、考えて生きて、自分のためにいろいろ経験できる体を持っています!
私たちの悩みなんて、考えてみたら小さな小さなこと。
地球に人間として生まれてなんて幸せなことでしょうか。
このチャンスの人生の中で、もったいない時間をすごさないように気をつけましょう。
(本原稿は、ベストセラー永崎ひまる著『1日1分見るだけで願いが叶う! ふくふく開運絵馬』をベースに、新たに著者が書き加えたものです)
・ ・ ・