🌈85)─1─お花見桜文化は日本民族の独自文化である。~No.148 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 お花見桜文化は、日本民族の独自文化であって、中国や朝鮮とは関係ない。
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 現代日本人は、桜を染井吉野(短命桜・人工桜)の一種だけ残してその他の桜(長命桜・自然桜)を滅ぼそうとしている。
 染井吉野は、全国で花を咲かせている桜の8割ではあるが、人工桜で数百年以上花を咲かす事ができず枯れてしまう。
 現代日本人は、自然を愛し自然を大切にしているはウソであり、その証拠が桜の染井吉野一強であり、神話宗教が息衝(いきづ)いていた里山と干潟の破壊と消滅である。
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 山手日本語学校
 日本の文化:お花見とは
 桜の花を観賞することで春の訪れを体感し、それを祝う日本古来の風習です。桜の満開時期は地域や気候によって変わりますが、だいたい3月の終わりから4月の上旬にかけてです。桜の花を楽しめるのは満開から約1週間程。日本ではそのわずかな期間に精一杯美しく咲き乱れ、潔くはらはらと散っていく様にはかなさを感じ愛しむようです。
 お花見の歴史お花見の歴史を示す日本画
 奈良時代から平安時代にかけて貴族たちが花を見ながら歌を詠む会が花見の起源とされています。鎌倉時代にはあらゆる階層に広まり、武士や町人の間でも盛んになり、江戸時代になると庶民の娯楽として定着したようです。
 また、八百万の神で「サ」神を信仰する古代の農民は桜の木に供え物をし、豊作を祈り、宴を行ったことが受け継がれ花見になったという説もあります。
 「サ」神は山や田の神で、神が鎮まる座を「クラ」と言ったことから、サ神がその根元に鎮座したとされる木を「サクラ」と呼ぶようになったということです。
 桜の種類
 桜の種類は600種類程もあるそうですが、ここではその中でも代表的なものをご紹介します。
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 2023年4月9日 MicrosoftStartニュース Record China「日本から伝わった中国の「桜文化」、両国の鑑賞の習慣には違いも
 中国人は昔から、春先になり気候がよくなった時期に家族や友人と連れ立って野山に遊ぶことを、「踏青(ターチン)」と呼んで楽しみにしてきた。昨今では、多くの人にとって「踏青」の第一の選択肢は桜の花見だ。上海、北京、武漢、無錫など多くの都市で桜が植えられている。桜が満開の風景をバックに撮影をする人は、数えきれないほどだ。桜は今や、中国人にとって最も親しみ深い花になったと言ってよい。
 中国ではかつて、桜の花が評価されていなかった。しかし「日中友好」を願う日本の政府や民間団体が植樹を進めたことで、今では中国人にとって最も親しみある花だ。写真は 無錫市内の桜の名所。
 中国ではかつて、桜の花が評価されていなかった。しかし「日中友好」を願う日本の政府や民間団体が植樹を進めたことで、今では中国人にとって最も親しみある花だ。写真は無錫市内の桜の名所。
 © Record China
 しかし、中国の伝統的な「花文化」の中で、桜は全く重視されていなかった。暁牧という研究者は、「唐詩鑑賞辞典」に掲載されている「花」に関連する詩についての統計を作成した。すると、唐代の詩人が愛した花は桃や梅、菊などであることが再確認でき、花が登場する詩の中で、桜を扱った作品はわずか0.24%であることが分かった。しかも、この「桜」は、われわれが現在「桜」として鑑賞する花ではなくて、「桜桃(和名・ミザクラ)」ではないかと考える研究者もいる。
 唐代(618-907年)には人気がなかった桜が、どうして現在では最も一般的な花になっているのだろうか。
 中国で桜の名所とされている場所に行けば、「中日友諠」の文字が刻まれた石を見ることが多い。このことは、桜の花が中国で理解され受け入れられたことには、近現代の中国と日本の関係が大きく関係していることを示している。
 日本から伝わった中国の「桜文化」、両国の鑑賞の習慣には違いも
 © Record China
 桜の花を鑑賞することは、中国だけでなく世界的な現象になりつつある。これは、日本側による動きと密接に関係している。そして桜は今や、世界で認識される日本文化のシンボルの一つになった。
 戦後になり日中の国交が正常化したのは1972年だった。当時の田中角栄首相は国交正常化の作業を進める際に、中国に対する友好の意を示すために、桜とカラマツの苗木をそれぞれ1000本ずつ、中国に贈った。桜は大部分が北京市内の玉淵潭公園に植えられ、一部は武漢大学構内に植えられた。
 その後も日本の政府や民間組織が何度も、桜を中国に贈った。無錫は中国随一の桜の名所とされているが、無錫の桜は日本の友好団体の発案で、日本側から贈られた桜を日中双方が共同で植樹してきたものだ。無錫市では各所で、長年をかけて桜の植樹が繰り返し行われた。
 このような経緯により、中国では大量の桜が植樹され、中国人は桜文化を受け入れた。しかし、中国人が桜を鑑賞する習慣は、日本人とはやや異なっているようだ。
 日本から伝わった中国の「桜文化」、両国の鑑賞の習慣には違いも
 © Record China
 中国で桜の木は決まって集中して、しかも大量に植えられている。桜の「大樹林」が形成されている。日本では、比較的せまい場所に桜が植えられていることも多い。道端や川辺にわずかばかりの桜が植えられていることもある。日本人は、そんな桜も喜んで眺める。桜が植えられている状況は、日本と中国の「美の伝統」とある程度の関係があるのかもしれない。(翻訳・編集/如月隼人)
 日本から伝わった中国の「桜文化」、両国の鑑賞の習慣には違いも
 © Record China
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 とっておきの京都プロジェクト
 皇室が愛した桜・地元民に愛される桜
 山深い場所に位置する京北町。町の面積の90%が森という、森林に囲まれている地域です。
 そんな京北にも桜の名所が点在していて「京北桜100選」というスポットがあるほど。山間部ならではの、雄大な自然とのコントラストが見事です。右京区とは思えないロケーションは、まるで小旅行に来たかのよう!
 京北桜100選:
 https://www.city.kyoto.lg.jp/kensetu/cmsfiles/contents/0000206/206569/A2-3.pdf
 花降る里けいほくSAKURAめぐりマップ:
 https://www.city.kyoto.lg.jp/ukyo/cmsfiles/contents/0000178/178772/sakuramap.pdf?fbclid=IwAR0HcX7r1L4CwsLtLEiEuO6FbCHoen73L4khSwWpJA5JoK6qRqFQtq0A_sc
 手鞠のように集まって咲く見事な桜
 「黒田百年桜」
 黒田百年桜は、春日神社の脇に佇む、樹齢300年以上と言われる桜です。
 遅咲きの桜で、例年4月中旬〜下旬頃が見頃。かつて桜の大木がありましたが、明治6年の台風により倒木。
 これを惜しんだ地元民が跡に八重桜を植えましたが、通常の桜と思っていたのが、一重と八重が混じり咲く突然変異種だったそう。
 八重に一重が混ざるなど、手鞠のように集まって咲くさまは、他では見られない見事なものです。
 桜守として知られる、15代目佐野藤右衛門さんにより、昭和42年「百年桜」と命名され、以後黒田百年桜として親しまれています。毎年開催される「黒田 百年桜まつり」は、4月13日(土)14日(日)に行われます。ライトアップもされますのでお楽しみに。
 http://ohraikurodaya.sakura.ne.jp/event/2164
 住所:京都市右京区京北上黒田町宮野
 http://ohraikurodaya.sakura.ne.jp/sakura
 皇室が心の安ぎを求めた場所
 「常照皇寺」
 1362年、北朝初代の天皇となった光厳上皇が出家後開創した、皇室ゆかりの寺院である常照皇寺。
 光厳上皇が心の安らぎを求めた寺院と言われています。
 常照皇寺は桜の名所として名高く、「九重桜」「左近の桜」「御車返しの桜」といった桜が咲き誇ります。
 ふんわりと可憐に咲く九重桜は、府内唯一の国の天然記念物に指定されています。
 九重桜よりも遅く咲く御車返しの桜は、一重と八重が一度に咲き存在感があり、御所から株分けした左近の桜も美しい姿を見せてくれます。いずれも見頃は4月中旬頃です。
 住所:京都市右京区京北井戸町丸山14-6
 電話:0771-53-0003
 拝観時間:9:00〜16:00
 拝観料:志納(300~500円)
 アクセス:JRバス周山バス停より 京北ふるさとバスに乗り換え 山国御陵前バス停下車 徒歩約10分
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 昭和55年歌会始お題「桜」
 御製(天皇陛下のお歌)
  紅のしだれざくらの大池にかげをうつして春ゆたかなり
 皇后陛下御歌
  ふだんざくらおほしまざくらも咲きそめて光あまねきけふのみそのふ
 皇太子殿下お歌
  四年にもはや近づきぬ今帰仁なきじんのあかき桜の花を見しより
 皇太子妃殿下お歌
  風ふけば幼なき吾子を玉ゆらに明るくへだつ桜ふぶきは
 正仁親王殿下お歌
  夕まぐれひとけ少き御ほりべに夜目にも白くさくらの花さく
 正仁親王妃華子殿下お歌
  網走の子等のくれたるえぞ桜今年の春は花咲くらむか
 雍仁親王妃勢津子殿下お歌
  八甲田の雪の路ゆきて蔦の湯には盛さかるさくらを見にし春はも
 宣仁親王殿下お歌
  花さかる堤にしばし馬車とめて鬱金桜うこんざくらの一枝を折る
 宣仁親王妃喜久子殿下お歌
  鴨あそぶ堀にしだれてさくら咲く津軽の城は春深くして
 崇仁親王殿下お歌
  英京の大使公邸の桜花天皇誕生日に咲き競ふなり
 崇仁親王妃百合子殿下お歌
  遠木立霧にうすれて窓の辺にさやかに見ゆる富士桜の花
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 2020年3月13日 にほんご日和「日本人にとって桜とは? 日本が誇る三大桜も紹介
 #日本文化#桜#花見
 目次[ 非表示 ]
1. 日本人にとっての桜とは?
1. 日本人はいつから桜好き?
2. 桜が日本人にとって特別な理由
2. 日本が誇る三大桜
1. なぜ三大桜と呼ばれる?
2. 三春滝桜
3. 山高神代桜
4. 根尾谷淡墨桜
3. まとめ
 日本人にとっての桜とは?
日本人にとって桜とはどういう花なのか、日本人と桜の関係について掘り下げます。
日本人はいつから桜好き?
 日本人が桜を愛でていた記録は多く残っており、古くは古事記にも桜の花にたとえた女神が登場しています。万葉集では、はっきりと「春を象徴する花」として桜が数多く描かれており、万葉集が編まれた奈良時代には、すでに桜を愛する気持ちが日本人の心に形づくられていたことがわかります。旧暦を使用していた時代には、新しい1年のはじまりは春とともに訪れていました。そのため、当初のお花見は桜よりも早い時期に開花する梅の花を愛でていたものが、中国から桜が伝わってきたことにより、平安時代以降次第に桜を見る風習へと変わっていったとされています。はじめて桜の花見をしたのも、平安時代天皇である嵯峨天皇であったといわれています。天皇主催の花見が毎年開催されるようになったことも、貴族から庶民へと花見の文化が浸透していくきっかけとなった理由の1つに数えられるでしょう。
 桜が日本人にとって特別な理由
 桜と同じように、中国から伝わって定着した春の花はほかにもあります。その中でなぜ、桜だけが日本中で愛されるようになったのかについては諸説ありますが、おおむね以下のような理由ではないかと考えられています。 ・見た目の愛らしさ、美しさ薄く小さな花びらや、可憐な薄いピンク色など、純粋に桜の花が持つ美しさに心惹かれた日本人が多かったのは、大きな理由の1つといえるでしょう。・生死の象徴としての崇拝桜の木自体の寿命は長く、品種によっては100年以上を誇るものもありますが、桜の花はごく短命です。春の間でもほんの短い期間だけに咲き誇り、風と共に薄い花びらはさらさらと散っていくため、見ごろは半月もありません。美しい桜の花が一瞬咲き乱れ、はかなく散っていくようすを見た古来の人々が、桜によって死生観に思いを馳せたり「神聖なもの、神を思わせるもの」として、桜を崇拝の対象にしたりしていたと考えるのは、難しいことではないでしょう。・開花時期の待ち遠しさ現在でも、春のお花見シーズンが近づいてくると「桜の開花予想」が全国で報じられ、いつが見ごろとなるかが注目の的となります。今より天気予報の発達していなかった時代においても、桜の木がピンクに色づき、花のつぼみがつきはじめると「いつ満開になるのか」と待ち遠しい気持ちで桜を見守った人々も多かったことでしょう。冬から春への移り変わりは、農耕のはじまりや冬の寒さにこごえる日々の終わりを意味します。こうした期待が、春の訪れを告げる桜の美しさを一層盛り上げる後押しとなっていたとも考えられます。
 日本が誇る三大桜
日本が誇る「三大桜」の姿が楽しめる名所を3つご紹介します。桜の種類や特徴にくわえ、見どころについても解説していますので、お花見の候補地を考える際の参考にしてみてください。
 なぜ三大桜と呼ばれる?
 日本には数多くの桜並木やお花見の名所がありますが、その中でも福島にある「三春滝桜」、山梨の「山高神代桜」、岐阜の「根尾谷淡墨桜」は、日本の「三大桜」といわれています。三大桜は、大正時代に制定された史跡名勝の中から選出されており、天然記念物にも指定されています。樹齢の長いものや木が大きいもの、景観としての美しさなどから有名となっているものです。三大桜のほかに、静岡の「狩宿下馬桜」、埼玉の「石戸蒲桜」を合わせて「五大桜」と呼ぶこともあり、いずれの場所も見事な桜が楽しめる名所となっています。今回は三大桜について、以下でさらにくわしくご紹介していきます。
 三春滝桜
 福島県田村郡にある三春滝桜は、樹齢1,000年以上ともいわれる大変大きな桜で、品種は「ベニシダレザクラ」です。13メートル以上の高さを誇り、四方に張った枝もほぼ10メートルを超えています。日本最古の桜としても有名で、大きさや寿命の長さだけでなく、見るものを圧倒する美しさも兼ね備えている桜です。4月中旬から下旬頃に見ごろを迎え、シーズン中には夜間のライトアップなどもおこなわれ、三春滝桜の近くには3,000本以上の桜が楽しめる「さくらの公園」もあるため、桜が満喫できる名所ともなっています。「三春」の由来は「梅・桃・桜の3つの花が同時に咲き誇る」「御春から来ている」など諸説ありますが、昔から春の花の美しさが見どころとなっていた証のような町名だといえます。所在地:福島県田村郡三春町大字滝字桜久保地内
 山高神代桜
 山梨県北杜市武川町にある山高神代桜は、三大桜の中でもっとも寿命の長い古木とされており、その樹齢は2,000年以上といわれています。桜の種類は「エドヒガンザクラ」で、国の天然記念物第1号に指定されているほか、新日本名木百選にも選ばれている名木の桜です。山高神代桜は、その樹齢の長さから「ヤマトタケルノミコトが植えた桜」といわれるほどで、ほかにも数々の伝説を持っています。高さは10メートルを超え、東西に張り出した17メートル以上の枝は圧巻の見ごたえ。例年4月初旬頃には見ごろを迎え、周辺にもたくさんの桜や、同じ時期に水仙の花も見ごろを迎えるなど、美しい景色が楽しめます。所在地:北杜市武川町山高
 根尾谷淡墨桜
 岐阜県本巣市にある「根尾谷淡墨桜」は、「淡墨」と書いて「うすずみ」と読み、時期によって花の色が白からピンク、淡墨色へと変化していく珍しい桜です。樹齢も推定1,500年以上といわれており、ほかの三大桜に引けを取らない高さや枝ぶりを誇っています。見ごろは4月初旬頃で、淡墨桜近くにある「淡墨公園」に咲く多くのソメイヨシノも同じ時期に開花を迎えます。所在地:岐阜県本巣市根尾板所字上段
 まとめ
日本人は古来より桜の美しさ、可憐さに心惹かれ、また春の訪れを告げる神や精霊が宿る存在と考えられたり、はかなく散ってゆく命の短さから死生観を考えたりする対象となってきました。その中でも、樹齢の長いものや枝ぶりの見事なものは「三大桜」として特に大切にされており、天然記念物や史跡名勝として国からも守られています。
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 日本文化を探る
 ~日本のサクラ~
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 3月も中旬を過ぎると、毎日伝えられるサクラの開花状況を聞きながら「来週末には満開かな」とワクワクとした気持ちになります。今年(2021)は、2月から3月にかけての気温が高かったこともあり、観測史上最も早く開花を迎える所が多かったようですね。
 気象庁によると、開花の基準となる標本木は、全国に58本。東京は靖国神社、大阪は大阪城公園、京都は二条城にあり、北海道や沖縄などの広いところや離れ島があるところでは、数本あるそうです。樹種としては原則「ソメイヨシノ」ですが、北海道は低温で「ソメイヨシノ」が根付かないため「エゾヤマザクラ」、反対に沖縄は暖かいので「カンヒザクラ」が標本木になっているそうです。
 開花時期が新生活などのスタートと重なり、新たな気持ちにワクワク感を添えてくれるサクラ。昨年から続くコロナ禍で、従来の花見がなかなか行えないのが残念ですが、日本人はどうしてこんなにサクラを好むのでしょうか。見た目の愛らしさ、儚さ、散り際の潔さなど、理由はさまざまだと思うのですが、満開の時期が1週間ほどなので「見ておかなければ!」というのが一番の理由のような気もします。
 日本人はいつからサクラ好きに?
 日本人が大好きな「サクラ」ですが、奈良時代の花見といえば「梅」や「萩」でした。万葉集4500首のうち、梅を詠んだ歌は110首以上、サクラは40首ほどということからも、万葉人には梅の花人気が高かったことがわかります。平安時代に入って、サクラも楽しまれるようになりますが、江戸時代までは梅もサクラもあまり変わらない存在だったようです。
 そんなサクラの存在が、劇的に変化したのが「染井吉野」の誕生だそうです。それまでの花見の対象といえば、野生種のサクラの代表・ヤマザクラヤマザクラは花と一緒に赤い葉も開くのに対し、ソメイヨシノは花が咲いている間は葉がないのが特徴。そんな染井吉野に衝撃を受け、格別の存在になっていったというわけです。
 ソメイヨシノの中にもいろんなサクラが存在!
 さて、その染井吉野ですが、江戸時代末に人の手によって誕生したと考えられていて、母親はエドヒガン、父親はオオシマザクラの種間雑種で、全国に見られる染井吉野は、挿木や接木によってクローン増殖されたものになります。
 母親がエドヒガン、父親がオオシマザクラ、その子供の総称がカタカナの「ソメイヨシノ」。私たちも同じ親から生まれても、姿形・性格が異なるように、種間雑種の「ソメイヨシノ」にも花びらの色や大きさが異なる子供が生まれるようで、漢字の「染井吉野」や「衣通姫(そとおりひめ)」「咲耶姫(さくやひめ)」「染井彼岸」「染井匂」などのたくさんの子供たちが存在するそうです。「ソメイヨシノ」の中にこんなに品種があるなんて驚きですが、変種や園芸品種を合わせるとなんとサクラの品種は300種以上あるんだそうです。
サクラで有名な吉野のサクラはソメイヨシノ
 「ソメイヨシノ」ですが、「ヨシノ」と付いていることから、吉野山(奈良県)のサクラかと思いきや、吉野山にあるサクラのほとんどは野生種のヤマザクラ。野生のサクラはほかにも「ソメイヨシノ」のお父さんでもある「オオシマザクラ」と母親のある「エドヒガン」、そして、「オオヤマザクラ」「カスミザクラ」「マメザクラ」「タカネザクラ」「チョウジザクラ」「ミヤマザクラ」、3年前に約100年ぶりの新種発見で話題となった「クマノザクラ」などがあります。ちなみにその100年前に発見されたのが、「ソメイヨシノ」のお父さんの「オオシマザクラ」。そして、その野生種の中で日本固有のサクラは「ヤマザクラ」「オオシマザクラ」「マメザクラ」「チョウジザクラ」「クマノザクラ」だそうです。
「花見といえばサクラ」と世に知らしめ(?)、盛大に行われた豊臣秀吉の「吉野の花見」も「醍醐の花見」もヤマザクラだったということですね。
 見るだけじゃないサクラ
 サクラは見るだけでなく、化粧水やシャンプー、香水などサクラの香りを楽しめるコスメなどが登場します。春を感じられるサクラのコスメもいいですが、やっぱり筆者は「桜餅」。花より団子派です。この桜餅ですが、関西と関東では、形状が異なるのをご存知でしょうか。関西は道明寺粉(もち米を乾燥させ、粗めにひいたもので、大阪の道明寺で作られたためこのように呼ばれる)で餡を包んだ、お饅頭のような形状。ぶつぶつ&もちもちとした食感が特徴で「道明寺(餅)」と呼ばれています。一方、関東では小麦粉などの生地を薄く焼いた皮で餡を巻いた、クレープ状のもの。こちらは、1717年向島長命寺門前で山本新六という人が考案し、売り出したことから「長命寺(餅)」と言われています。
どちらにも使われているのが、サクラの葉の塩漬け。塩漬けに使われるサクラの葉っぱは、八重桜。ちなみにソメイヨシノ葉っぱはおいしくないそうです。エリアにより「道明寺」なのか「長命寺」なのかということになりそうですが、それよりも餅を巻いているサクラの塩漬けを食べるか、食べないかが気になります。ちなみに筆者は、口の中がモソモソというか、葉っぱが口の中で残るので、いただかない派ですが、みなさんはいかがでしょうか?
 ひと言で「サクラ」と言っても、野生種や変種、園芸品種を合わせると300以上。「ソメイヨシノ」と「ヤマザクラ」は見極められそうですが、そのほかは見極めるのが難しいそうですね。しかし、これだけの数の品種があること自体、日本人のサクラ好きを物語っているような気がします。来年は、従来どおりのお花見ができるといいですね。
 ライター:惣元美由紀
 画像素材:PIXTA
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