⛩101)─1─岡本太郎が日本の“伝統”を官僚が決めた「人工的で味気ないもの」と断じた。~No.224No.225No.226 

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 日本の文化を護って後世に残したのは、庶民の大尽(だいじん)と宗教の神社仏閣であった。
 日本の仏教寺院は、中華(中国・朝鮮)の宗教施設とは違うし、キリスト教会やイスラムモスクとは全然違う。
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 2023年3月16日 MicrosoftStartニュース ダイヤモンド・オンライン「岡本太郎が日本の“伝統”を、官僚が決めた「人工的で味気ないもの」と断じた理由
 © ダイヤモンド・オンライン
 誰もが知るところの稀代の芸術家・岡本太郎。彼は、芸術は職能などではなく、生活の根本にあるものと捉え、古典作品や文学を「伝統」と位置づけることを否定した。その真意について、岡本太郎の過去の著作を再編した『誰だって芸術家』(SB新書)より一部抜粋してお送りする。
 現在の日本の「伝統」は
 大衆の生活とは無関係につくられた
 日本のように伝統についてうるさくいうくせに、その本質を見誤っている文化国は珍しいんじゃないだろうか。
 偏見のひとつは、伝統とは過去の出来事だと思いこんでいることだ。だから、とうぜん古めかしい。
 こむずかしい知識を身につけたインテリとか、しぶい着物など着て能楽堂へでも出入りしている高尚な人だけに関係した問題で、満員電車でもみくちゃにされて通勤したり、喫茶店で恋人と待ち合わせたり、そのへんをぞろぞろ歩いている一般人とはまったく無縁という感じである。
 日本の伝統はつまり骨董的な意味で古い人たちに珍重され、高く買われている。一方に、またその故にこそ若い世代には敬遠され、軽蔑されている。つねになまなましく生きるべき伝統が不幸にゆがめられているのだ。
 もちろん伝統というものは、われわれ今日の日本人全体のものである。現実に生きている日本人こそがひろく受けつぐものだし、現に受けつぎ、新しくそれを生かしつつあるのだ。
 けっして過去にたいして無知であっていい、ただ生きればいいというのではない。伝統は、逞しく生きることによって、正しい眼で過去と未来をにらみ合わせ、己れの責任においてそれを引き受けるところにのみ生きる。
 私は、戦後、復員と同時に新しい芸術を主張し、古い権威にたいして無効を宣言した。
 以来、成果は大いにあらわれたのだが、しかしひるんだ敵は、古典だ伝統だと叫んで、その突っかい棒にしがみついている。こいつをひとつ、ひっくり返して、こっちのものにしてやろう。トドメの一撃。
 伝統なんて、彼らが少しも手を貸したわけではなく、自分たちの実力とはなんら関係がないのに、狡猾に、まるで自分たちの権威の道具にしてふり回しているのだ。こんなゴマカシから伝統の意味が誤解され、なにか暗い、カビくさい、若さとは関係のないもののような感じを与える。
 若い世代に正しく受けつがれないで、なんの伝統だろうか。いわゆる「伝統主義者」とはぜんぜん違った立場から、新鮮な価値として再発見しなければならない。
 それはアヴァンギャルドの一本槍、大手からの正面攻撃ばかりでなく、からめ手から攻め入って、本丸をひっくりかえす戦略でもある。
 われわれの手によって新しく意味づけられ、さらに一段と高い価値として光を放ちはじめるものもあり、またいままでの雛段から放り出されるものもあるだろう。いずれにしても、ほんとうに現在的な問題をそこからつかみ出してくる。われわれ自身の伝統を見出し、つくりあげていく必要がある。
 美術史、文化史を芸術家の尖鋭な立場で書き直す。これは近世以来見失ってしまった日本文化のプライドを、ポーズでなく実質的に打ちたてることであり、まさに緊急の課題である。
 こういう不逞な情熱で、まったく傍若無人に再評価し、拙著『日本の伝統』を書いた。さぞかし伝統主義者側から反論ごうごうとまき起こるか、とたのしみにしていたのだが、いざ発表してみると、情けない。「いや、じつは私も、前からそう思っていた」などと、口を揃えて、ケロリとして讃辞を呈するのだ。
 右に行っても左に行っても、ヌラリクラリとあざやかな身のさばき。われながら大ナギナタを空振りしたような具合だが、いつでも、相手はカッチリぶつかることがない。文化人たちのしょうのなさである。
 西欧化に応じて急ごしらえされた
 「伝統」なんかウソだ
 そこで気がついた。日本にはじつは伝統観というものは無いのではないか。
 「伝統」「伝統」と鬼の首でも取ったような気になっているこの言葉自体、トラディションの翻訳として明治後半につくられた新造語にすぎない。「伝統」という字はあるにはあったらしいが、今日のような意味は持っていなかったのである。
 しかも伝統主義者たちは権威的にいろいろ挙げているが、しかしそれらが新しい日本の血肉に決定的な爪あとを立ててはいない。
 いわゆる伝統とされているものの内容も様式も、大層にかつぎあげればあげるほど、かえって新鮮さを失い、時代と無縁になっていく。
 伝統という観念が明治時代に形づくられたように、中身も明治官僚によって急ごしらえされた。圧倒的な西欧化に対抗するものとして、またその近代的体系に対応して。
 たとえば西洋には美術史がある、こっちにもなくちゃ、というわけで、向こうの形をしき写して、それらしきものをつくりあげた。アプリケーションにすぎない。
 廃仏棄釈の明治初期にほとんどすて去られて顧みられなかったお寺や仏像などが、西欧文化史のギリシャ・ローマの彫刻にあたる、というわけで、とつぜん日本芸術の根源みたいにまつりあげられた。それなら桃山期はさしずめルネッサンスだ。
 ……ひどく便宜的で、そこに一貫した世界観、芸術観がつらぬかれているわけではない。ただ当てはめて、並べた、よく考えてみれば、まったく三題噺みたいなものだ。
 あわてて形式だけをペダンティックにつなぎ合わしたものでも、しかし文部省が公認して権威になると、教材として無批判に、有無をいわさず国民に押しつけてしまう。なんのことだかよくわからないけれど、結構なものだ、そう決まってるんだから、と。
 ……まことに味気ない。だがこの国では、学者、芸術家、文化人、すべてが官僚的雰囲気のなかで安住しているので、いっぺん決まってしまったことはまた、どうにもならないのである。
 だが、人工的に制定されたスジが権威ヅラしても、伝統としてのほんとうの力を持たないのはとうぜんだ。古いものに惰性的であるくせに、日本人が意外にも伝統に対して消極的なのはそのせいだ。
 「伝統」は大衆の生活とは無関係、そのもりあがりなしにつくりあげられたのだ。官僚が選定したものだけが権威的伝統だなんて、そんな屈辱的なナンセンスはない。
 ほんとうの伝統とは
 人間の鮮明力を打ちひらく原動力
 それでは、われわれ自身にとっての伝統とはいったいなんだろう。
 私は「伝統」を、古い形骸をうち破ることによって、かえってその内容――人間の生命力と可能性を逞しく打ちひらき、展開させる、その原動力と考えたい。この言葉をきわめて革命的な意味で使うのだ。
 因襲と伝統とはちがう。
 伝統はわれわれの生活の中に、仕事のなかに生きてくるものでなければならない。現在の生きがいから過去を有効的に捉え、価値として再認識する。そのときに、現在の問題として浮かびあがってくるのだ。
 古いものはつねに新しい時代に見返されることによって、つまり、否定的肯定によって価値づけられる。そして伝統になる。したがって伝統は過去ではなくて現在にあるといえる。
 だがいままで「伝統」はもっぱら封建モラル、家元制度、閉鎖的な職人ギルド制のなかで、因襲的に捉えられてきた。アカデミックな権威側の、地位をまもる自己防衛の道具になって、保守的な役割を果たしているのだ。
本書より。太陽の塔の頂部に輝く《黄金の顔》。未来を象徴するもので、眼にはサーチライトが埋め込まれている。
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 私の考えを展開していく前に、具体的に現状をとりあげてみよう。たとえば次のようなことはどう考えるべきだろう。
 ――画家として身をたてようとする。芸大なんていう官学コースはもちろん、ほとんどの画学生が、まずその第一歩はギリシャ彫刻の石膏像をコピーすることからはじめる。やがて油絵具を使って、西欧19世紀的アカデミズムを習得する。情熱をもって日夜真剣に考えるのは、ゴッホでありピカソである。絵描きには浮世絵や雪舟よりも、ギリシャ・ローマの西欧系の伝統のほうが現実の関心になっている。とすると、これはいったいどういうことか。
 文学だって、源氏物語が日本の誇りだとか、新古今だとか俳諧だとかいうが、だれがそれをほんとうに熱愛し、感動し、それによって人格形成をされるのだろうか。
 『誰だって芸術家』 (SB新書) 岡本太郎
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 それよりもスタンダールヴァレリードストエフスキーサルトルでも、フォークナーでもかまわない。多少のインテリなら、若い日、むしろそういうものに夢中になり、自分の魂がひらかれ、性格が形づくられ、創作意欲が生まれる、そういう経験を持たなかった者はいないだろう。音楽でも、ベートーヴェンショパンよりも第何世常磐津文字兵衛(ときわづもじべえ)のほうがピンとくるなんていう若者は珍しい。
 してみると、どっちがわれわれの伝統なんだろう。
 むしろわれわれは、近代文化を生んだ西欧によって育てられている。
 洋服を着て、電車に乗って暮らしている事実にしても、ものを喋るにしても、その論理のたて方、もののつかまえ方、すべてがそうだ。こどもの時から教育され身にそなわった西欧近代的なシステムによって、われわれは判断し、生活し、世界観を組み立てている。
 私は別段それが正しいとか、また逆にゆがんでいるとか言っているのではない。ただそれが事実だということ。つまりとかく大層らしく言われるほど、われわれは純血な伝統を負うてはいないということを指摘しているのだ。
 もし伝統というものが現在に生き、価値づけられるものだとするならば、ここでわれわれにとっての伝統の問題はすっかり様相を変えてしまうだろう。
 それはなにも日本の過去にあったものだけにはかかわらない、と考えたほうが現実的ではないか。なにもケチケチ狭く自分の受けつぐべき遺産を限定する必要はない。
 どうして日本の伝統というと、奈良の仏像だとか、茶の湯、能、源氏物語というような、もう現実的には効力を失っている、今日の生活とは無関係なようなものばかりを考えなければならないのだろう。そういう狭い意味の日本の過去だけがわれわれの伝統じゃないのだ。
 ギリシャだろうがゴシックだろうが、またマヤでもアフリカでも、もちろん日本でも、世界中、人類文化の優れた遺産のすべて、そのなかのどれをとってどれをとらないか、それは自由だ。
 われわれが見聞きし、存在を知り得、なんらかの形で感動を覚え、刺激を与えられ、新しい自分を形成した、自分にとっての現実の根、そういうものこそ正しい伝統といえるだろう。
 だから無限に幅ひろい過去がすべてわれわれの伝統だと考えるべきであって、日本の古いものはわれわれにとってむしろ遠いとさえいえるのだ。
 自分の姿を鏡で見るときのように、如実に自分の弱みを見せつけられる。ふとそんな気分がして、われわれはかえっていわゆる日本的なものを逆に嫌悪し、おしのけてさえいる。この事実を自他にごまかしてはならない。
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 日本民族の文明・文化・伝統・歴史は、数万年前の旧石器時代縄文時代から受け継がれた民族固有のものであった。
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 日本列島には、自然を基にした日本神話・民族中心神話・高天原神話・天孫降臨神話・天皇神話が滲み込み、その上に旧石器時代縄文時代弥生時代古墳時代日本民族が住んできた。
 日本民族は、旧石器人・ヤポネシア人、縄文人・日本土人弥生人(渡来人)、古墳人(帰化人)が乱婚して混血して生まれた雑種である。
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 敗戦後の日本、バブル経済後の日本には、数万年前からの民族の文化や伝統は存在しない。
 戦後から現代まで官僚は、キリスト教マルクス主義系その家敗戦得者の薫陶を受け陶酔した超エリート層と言われる高学歴の政治的エリートと進歩的インテリ達である。彼らは、戦後民主主義教育を優秀な成績で卒業した科学至上主義者であり反宗教無神論・反天皇反民族反日本主義者であった。
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