🌈4)─2─日本は北京や上海とは違う「南中国(少数民族)」の言葉と文化に似ている。〜No.7 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
2018-01-20
🌈3)─1─日本文明は支那文明(中華文明)に対する対抗文明(批評文明)である。~No.4No.5・ 
2019-05-12
🌈4)─1─日本民族は日本文明を創り、日本人は日本文化を創った。日本文明の源流は長江文明。〜No.6No.7・ 
2022-06-21
🌈5)─1─文明は中国北部・朝鮮半島からに日本に渡来した説は根拠のない創作。〜No.8No.9 
   ・   ・   ・   
 2023年1月28日7:03 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「じつは日本にめちゃくちゃよく似ていた…! 「北京」や「上海」とは違う「南中国」の言葉と文化
 日本人には「中国」と言えば中国東北部(旧満洲) や北京、上海などの寒い地域のイメージが強いかもしれない。しかし実は温暖な「華南」(南中国)のほうが意外なまでに日本に近い文化や言語を持っているという。香港や台湾などを含めた南から眺めると、北京や上海を中心とした中国とは違った姿が見えてくる。『越境の中国史 南からみた衝突と融合の三〇〇年』(講談社選書メチエ)を著した、中国近代史を専門とする菊池秀明・国際基督教大学教授に訊いた。
 【マンガ】外国人ドライバーが岡山県の道路で「日本やばい」と驚愕したワケ
 日本と南中国には「古い中国」が生き続けている
 ――日本人にとって「南から見た中国」を知る意味やおもしろさには、どんなことがあるでしょうか。
 菊池 実は南中国は日本と近い言葉や文化を持っています。たとえば広東語や客家語の発音は、北京語、普通話(標準語)よりもはるかに日本語に近い。客家語で私の名前は「キッチー」と読みますが、こんな日本語に近い漢字の読み方をする方言はほかにありません。あるいは香港で使われている広東語では「世界」が「セイガイ」、「街道」は「ガイドウ」と聞こえます。北京語ではそれぞれ「シージエ」「ジエダオ」と全く違う発音になります。文字もそうで、「飲」や「食」という漢字は現代中国語では死語ですが、広東語では「飲茶(ヤムチャ)」という習慣があるように日本同様に今も使われています。
 どうしてこういうことが起こるのか。漢字が日本に伝わってきたのは遣唐使以前、古代中国からですよね。日本はずっとそれを使っている。ところが中国ではモンゴルなど北方民族の影響を受けて劇的に言語や文化が変化し、漢字の読みも変わっていきました。そんななかで、戦乱や人口爆発によって北から南へ移り住んでいった人たちは、日本同様に古代中国の言語や文化を保持し続けている部分がある。つまり日本や南中国のような周縁にこそ、かつての中国が残っている。だからお互いに似ているわけです。
 台湾の人をはじめ、いま南にいる人たちは「北から逃げてきた自分たちの文化こそが本来の中国なのだ」というプライドを持っていることが多いんですね。
 私が調査でよく訪れた広西(こうせい)には人口約1500万人のチワンというタイ系の民族がいます。彼らはいまのタイ人と祖先が同じで、タイ人がモンゴル帝国に追われて東南アジアへ逃れたとき、中国に残った人々だと言われます。だから彼らがバンコクでゆっくり話すと言葉が通じるそうです。また別のタイ系民族であるミャオ族は、もともと中国の長江流域に住んでいましたが、漢人によって南の貴州(きしゅう)に追いやられた歴史があります。
 たいへん興味深いことに、中国から伝えられた日本の稲作文化は実は彼らが源流だという説があります。というのも、稲作だけでなく日本と決定的に似ているところがあるんですね。中国では戦乱が多かったこともあり、漢人は堅牢なレンガで住宅を作ることが普通です。万里の長城を作った人たちですから、「木の家なんて危なくて住めない」と考えるわけですね。しかしタイ系民族の人々は通気性の良い木造住宅に住んでいる。それからお茶っ葉を使って「緑茶」を飲むのも同じです。このように日本人と中国の西南の少数民族、南中国の文化は実は近いんですね。
 ――なるほど。柳田國男が『蝸牛考』で言っている「方言周圏論」――「文化の中心部は次々新しいものが入ってきて変わっていく一方、文化が伝播していった先では遠いところほど古い言い方が残る」という話といっしょですね。
 菊池 そうですね。日本でも古い京都の文化の痕跡が東北の日本海側までに点々と残っていたりするのと同じです
 ――そう考えると、ビジネスでも日本人が「中国進出」と言うと上海や北京をまず対象にしますが、むしろ南の方が文化的、感覚的に近く、受け入れてもらいやすいかもしれないですね。
 菊池 中国はトップダウンの社会で、経済の中心は上海、政治の中心は北京、日本と関わりが深かったのは満州ですから、東北部の方がイメージしやすい。でも、中国の北は基本的に麺や餃子を食べる小麦の文化ですが、今言ったように南はお米文化であるなど、実は近くて入りやすいのは長江以南だと思います。
 また、香港だけでなく、東南アジアの華人世界でも広東語が使われていますが、彼らは「自分たちだけがこの言語、文化を持っている」と思っていますから、簡単な言葉でも広東語を少し使うだけでものすごくガードが緩みます。香港やシンガポールでビジネスする際には華人相手でも英語で話すかもしれませんが、覚えておいて損はありません。
 多民族社会の抱擁力
 ――戦前の日本と東アジアとの関わりでは、韓国併合と比べて「台湾統治は良かった」的なことがしばしば語られますが、菊池先生の本を読むと、原住民の高砂族を博覧会に生態展示したり、『武士道』で知られる新渡戸稲造が日本の植民政策を『桃太郎』にたとえて「文明の伝達者」たる日本=桃太郎が、総督府の強制栽培政策に従おうとしない鬼=台湾の農民や原住民を淘汰する、といった植民地主義丸出しの講演をしていたりと、ロクなもんじゃないなと感じました。日本人がその過去を忘れてはいけないですね。
 菊池 当時の日本は食い詰めてハワイやブラジルに移民を送り出していた国ですから、良くも悪くも「いいことをしてあげる」ような余裕はなかったと思います。「常夏の島で豊かだ」と喧伝され、台湾だけでなく東南アジアにも多くの人が出稼ぎに行きましたが、結構強引なことをして現地の人たちに呆れられています。
 ただ台湾をはじめ南中国が日本と違うのは、もともと多民族であり、すぐ隣に異質な他者がいてもオッケーなことです。漢族もいれば原住民もいる、同じ漢人でも言葉が違ったりする。意思疎通ができなくても当たり前だ、なんとかなるという抱擁力がある。いま日本人が行っても、とてもフレンドリーですよね。台湾ではインドネシアやフィリピンから来た中国語のわからない人たちを平気で家庭のお手伝いさんとして雇っています。香港人はフィリピンから英語が使える人たちを雇っていますが、台湾人は言葉が通じなくても「問題ない」と言う(笑)。そのくらい異質な他者への拒絶反応や警戒心が薄い。
 おそらくかつて日本人が台湾に入植したときもそうだったのだろうと思います。そう考えると、日本人が統治時代に特別いいことをしたというより、もともと自分たちと異なる相手がいても普通である社会だから、日本人や日本の文化もおおらかに受け入れ、また、今も好意的にしてくれるということなんだろうと。もちろん、何かを押しつけられることは嫌がりますが、異質な存在でも積極的に手を差し伸べてくれる。それがアジアの多民族社会の魅力だと思います。
 ――最近「多様性」と言われますが、日本人にとっては欧米よりも身近で具体的な、ある種のお手本かもしれないですね。
 菊池 「ダイバーシティ」という言葉は、近代ヨーロッパの「一民族一国家」という枠組みを前提にしているところがあって、イスラム教徒などのマイノリティーをどこまで包摂し、尊重できるかという考え方ですよね。日本人もそういう発想に馴染んでいる。でも南中国では多様なものがいくらでもあって、そこでは「その先」が問題になっている。たとえばそういう環境下でお互いにどこまで影響を受け合うのか、といったことです。その中で越境や衝突、融合が日々実践されているのが多様性の現場です。
 ――中国共産党が言う「中華民族の偉大な復興」的な中国観とは全然違う人々の姿があると。
 菊池 日本のニュースで語られる中国は、中央の政治の話です。「上に政策あれば、下に対策あり」と言われるように、それと庶民の姿は違います。いまコロナ禍もあって日中間の民間交流が途絶えてしまっていますが、台湾のように大陸から一歩離れたところ、あるいは香港のように本来別のものが容認されていた社会に赴いて初めて、政治ニュースで語られる中国とは違う姿が見えてきます。
 日本では香港や台湾の対中国の姿勢は、民主化をスローガンにした運動であるといった政治的な文脈で受け取られています。でも実はそれだけではなく、中央の文化に対する対抗文化の表出という面もあります。たとえば香港デモでは「香港に栄光あれ」(願榮光歸香港)という歌が作られ、そのミュージックビデオが拡散されましたが、それを観ると参加者が着ているTシャツには広東語で卑猥な言葉が書かれていたりする(笑)。
 広東語はもともとスラングですが、香港人はそこに北京の上品で政治的な文化に対する、少しお下劣だけど庶民的な生活感覚と結びついた意味を見いだしている。実は香港は英国から返還される以前には、こうした文化的な対抗意識は希薄でした。英国統治時代は、あれはあれで押さえつけられていたのであって、返還後に広東語特有の漢字が街の看板や広告に溢れるようになったんです。返還されて「中国化」が進行するのかと思ったら、中央からの力にも抗うようにして、現地の人々が本来持っていた文化が表出してきた。そしてそれが文化に留まらず「自分たちのことは自分で決めたい」という動きに広がり、デモにまでつながった。
 現在の中国とその周辺を巡る軋轢は、いま「標準語」「正統な文化」を謳う中国政府が、ローカルで生命力をもった南中国の人々の文化を圧殺しようとしている状況とも言えます。今日は「日本語と客家語の発音が似ている」とか「広東語を使うとガードが緩む」といった言葉の話から始めましたが、人々が使う言葉に込めている意味、孕む文脈は大きいです。そこから南中国を眺めてみるのもいいかもしれません。
 飯田 一史(ライター)
   ・   ・   ・