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現代の日本人は、何故、日本民族が無宗教有神論者になったのか分からない。
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2022年10月25日 MicrosoftNews 東洋経済オンライン「「日本人は無宗教」と信じる人が気づいてない真実 自然宗教、神道の国教化、心学…特有の3つの事情
真鍋 厚
© 東洋経済オンライン 信仰や信心は、わたしたちが思っている以上にわたしたちの深層で作用している(画像:metamorworks/PIXTA)
「宗教」「信仰」というキーワードが、旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の問題をきっかけに改めて世間の興味を引いている。しかし、それは多くの場合、特定の宗教を信じている信者としての立場というより、どちらかといえば「無宗教」という立場からではないかと思われる。
【写真】日本人の「仏壇離れ」が招いた副作用
なぜなら、日本人の7割以上が信仰や信心を持っていないと公言しているからだ(統計数理研究所「国民性調査」2013年)。2018年に行われた調査では、「何らかの宗教を信仰している」(冠婚葬祭時だけの宗教を除く)が36%、「信仰している宗教はない」が 62%という結果も出ている(NHK放送文化研究所「ISSP国際比較調査」2019年)。
確かに「日本人は無宗教である」というフレーズをよく耳にする。アメリカの調査機関ピュー・リサーチ・センターの調査によれば、日本は人口に占める「無宗教」の割合が高い、世界でも有数の国とされる。
「無宗教」とは一体なんなのか
だが、この「無宗教」というカテゴリーが曲者で、実はここには「何らかの精神的な信仰を持つ者」が多数含まれている。それは、既成の宗教などとは無関係な信仰であり、日本では民間信仰、民俗宗教などといった呼ばれ方をしてきたものだ。21世紀に入ってから、「SBNR」(Spiritual But Not Religiousの略で、「無宗教型スピリチュアル層」のこと)という新語も登場し、拡大する「無宗教」層の実態把握の動きも進んでいる。
では、一体「無宗教」とは何なのか。時に、特定の宗教にハマる人々を揶揄(やゆ)したり、幽霊は科学的ではないと批判したりする人々が「無宗教」を主張していたりする。けれども、そんな人々であっても、人生の重大事において神社で願い事をしたり、占いを信じたり、験(げん)を担いだり、悪いことをしたらバチが当たると考えたりといった心性と同居していることが少なくない。
これは恐らく、わたしたちが「宗教」という定義を狭く捉えてしまっているせいだ。そのため、安易に自分たちを「無宗教」というカテゴリーに分類して、「宗教」から何の影響も受けていないというような無自覚な意識を作り出してしまっている。
また、そこには「自分たちのほうが迷信にとらわれずに自由な立場である」といった優越感が潜んでいる場合すらある。最悪なのは、それが特定の宗教を差別したり、逆に、無自覚さが災いして問題のある宗教に取り込まれたりするなど、トラブルの遠因になることである。
なぜこんなにも複雑になっているのか。ここには日本特有の事情がいくつか絡んでいることが推測される。さしあたり主な論点を3つ提示できるだろう。以下は、それぞれが独自に作用しているというより、部分的に相互にリンクしていたり、重複したりしている。
(1)「自然宗教」=開祖も経典も教団もない自然発生的な宗教の重視
(2)「神道の国教化」=明治以降、神道を非宗教化したことによる影響
(3)「心学」=江戸時代に始まった儒教的な側面を持つ通俗道徳の流行
最初の議論の前提として、一般的に、宗教とは、「人知を超えた存在に対する信仰と、それに伴う儀礼や制度」と定義することができるだろう。神や仏といった名指しできるものや、超自然的な力や秩序の存在などを根拠に、生のあり方を説く信念の体系といえる。
まず「無宗教」を解き明かすうえで、有力な手掛かりを提供してくれるのが、宗教学者の阿満利麿(あまとしまろ)が唱えた「創唱(そうしょう)宗教」「自然宗教」という区分けである(『日本人はなぜ無宗教なのか』ちくま新書)。
「創唱宗教」と「自然宗教」
「創唱宗教」とは、特定の人物が特定の教義を唱えて、それを信じる人がいる宗教のことで、教祖と経典、教団が三位一体で成り立っている宗教をいう。キリスト教や仏教などの伝統宗教から新興宗教までがその範囲に入る。
他方、「自然宗教」は、「いつ、だれによって始められたかもわからない、自然発生的な宗教のこと」で、教祖も経典も教団もない。祖霊信仰やアニミズム(精霊信仰)などがそれで、身近な例として厠神(かわやがみ、便所の神)や道端にあるお稲荷さんの祠(ほこら)などがわかりやすい。
阿満は、「『無宗教』とはいうが実際は『自然宗教』の優越、それが日本人の宗教心の内容」だと指摘する。その代表例に初詣とお盆を挙げる。多数の人々が神社に初詣に出かけ、お盆の時期には故郷に帰る。これこそが「日本人の多くが『自然宗教』の『信者』である証拠」だというのだ。本人たちにその自覚がまったくなかったとしても、お盆の帰省の原点に祖霊信仰がある限り、「『自然宗教』の重要な行事」だと述べる。
前述した通り、「自然宗教」は教祖も経典も教団もない宗教だが、これらは年中行事を繰り返すことで、生活に強弱を付け、心の平安を確保していた。そのため、「とりたてて特別の教義、つまり『創唱宗教』を選択する必要はなかった」と結論づけている。「ここに『創唱宗教』という意味での宗教には無関心で、『無宗教』を標榜してなんら疑わない理由がある」(以上、前掲書)という。
宗教がその国の慣習、文化に溶け込み、生活の中に定着すると、ことさら宗教ととらえ直す契機が失われるからである。この無意識化こそがかえって強力な宗教として水面下で機能していることの表れであるともいえ、「宗教」と聞けば「創唱宗教」を思い浮かべがちになっている社会背景だと分析している。
このような「宗教」のカテゴリーに対する認識は、おおむね明治以降に出現している。
「神道の国教化」という難題
それが制度として先鋭化したのが、当時の国家による「神道の国教化」政策であった。いわゆる岩倉使節団が欧米諸国訪問で、キリシタン弾圧を激しく批判され、信教の自由を承認せざるをえなくなった後、天皇の支配者としての正当性を築くための神道の国教化という難題にぶち当たった。
紆余曲折を経て、編み出された苦肉の策が、「神道非宗教説」である。神道を国家の祭祀を担う神社神道と、布教・教化を担う教派神道に分けることで、前者を「非宗教」、後者を「宗教」と位置づけ直したのであった。歴史学者の安丸良夫によると、これにより「皇祖・皇統や国家に功績あった人々、また祖先への崇敬」といった「国家的神々の受容と信教の自由とは矛盾しないのだとする」(『神々の明治維新 神仏分離と廃仏毀釈』岩波書店)ロジックが完成したのである。
阿満の「創唱宗教」「自然宗教」の区分に従えば、神道はもともと「自然宗教」だが、様々な時代において仏教や儒教などの「創唱宗教」の教義を取り込んでいる。さらに厳密にいえば、仏教には祖霊信仰という「自然宗教」が含まれてもいる。明治維新後のおよそ80年もの間、神社神道は、安丸のいう「国家的神々」を崇拝する場として機能し、「宗教ではないが、礼拝の対象」となり、人々の慣習として少しずつ浸透していった。
概念的にも「宗教」の定義に値するのは、キリスト教や仏教など高度に体系化された教義を持つものとされていた事情もあった。加えて、神仏分離と神社合祀などの政策により、「国家的神々」にそぐわない神仏や民間信仰などはことごとく一掃された。そうすると、当然ながら「宗教」が意味するものは、実質的に「創唱宗教」だけとなる。
わたしたちが「宗教」と捉えるものが、創始者の名前が明らかで組織化された教団があるものとみなしやすく、それ以外のものが意識に上りにくいのは、「自然宗教」の優越や、近代化に伴う「神社神道の非宗教化」などに、その歴史的な起源を求めることができるというわけである。
「石門心学」という根源的な思考
しかしながら、これだけでは「無宗教」にまとわりつくグラデーションを解明したことにはならない。概念上の認識や、国家政策の名残に還元できない、根源的な思考がかなり前から人々の生活に存在していた点に目を向ける必要がある。その糸口になるのが、江戸時代に急速に広まった民衆思想。一介の商人に過ぎなかった石田梅岩(ばいがん)が創始した「石門(せきもん)心学」だ。
「自然のはからい」を重視する古来の文化や、儒教・仏教・神道が対立することなく併存可能とする「三教合一論」などに基づいて作り上げたものだが、評論家の山本七平は、「しかし彼の思想の骨格は、あくまでも当時の庶民のもの」だと強調する(『日本資本主義の精神 なぜ、一生懸命働くのか』PHP文庫)。庶民のための生活哲学、道徳教といわれるゆえんである。
山本によると、梅岩は、「人間の性=本心は、呼吸のごとく宇宙の継続的秩序と一体化しており、その秩序によって人が生かされているのだから、これは『善』いわば一種の『絶対善』であると考え、それが人間の本心の基本であるから、その本心の秩序通りに各人が生きれば、それがそのまま社会の秩序となると考えた」(『勤勉の哲学 日本人を動かす原理』PHP文庫)という。
山本は、これを自然的秩序に順応するための一種のプラグマティズム(実用主義)だと述べる。梅岩の思想が非常に面白いのは、前記の「三教」が上手く使い分けられており、「いわば神が中心で、規範としての儒があり、仏には儒との合一性を基本とした一種の心理療法的効果しか認めず、いわば『薬効』しか期待していなかった」(前掲書)ところにある。
要するに、それらは信仰の対象などではなく、「役に立つものが真理」という実用性が重視されていた。梅岩は、キリスト教的な唯一絶対神は信じてはいないが、各人が自然的秩序を体現する「内なる仏性」(「人間性」とも言い換えられる)を持っており、儒教的な「天」という非人格的な宇宙の秩序を信じていた。「すなわち宇宙の秩序と内心の秩序と社会の秩序は一致しているし、また一致させねばならない、という発想」(『日本資本主義の精神 なぜ、一生懸命働くのか』)であった。
その根本から大きく外れていなければ、「三教」も、他の宗教や外来思想も「薬=方法論」として取り入れたというわけである。ここに山本は、「七五三は神社で、結婚は教会で、葬式はお寺で、でいっこうに差し支えない」といった日本的価値観の源流をみる。
前出の安丸も山本の説に近く、梅岩を「極度に唯心論的」と論じている(『日本の近代化と民衆思想』平凡社ライブラリー)。梅岩がキツネやタヌキが人を化かすといった呪術を否定したエピソードを紹介し、これを「『心』の無限性・絶対性」を信じる「唯心論」の裏返しと考えた。
取り上げた論点はほんの一部に過ぎないが、このような多面性を踏まえると、「日本人は無宗教である」という紋切り型の論評は、留保が必要といえそうだ。
信仰や信心は身近なところにある
もちろん「宗教」概念をめぐる問題もあるが、歴史的経緯を一瞥しても、簡単に判断を下せるものではないことが理解できるだろう。特に明治以降、宗教由来のある価値観が、ある時期を境に非宗教的な装いを施され、知らないうちに生活の中に根を下ろしていった例、あるいは「神」や「天」という文言が消えただけで、内実はそれらの秩序を暗黙のうちに序列化して、社会関係を拘束している例は枚挙に暇がない。
重要なのは、多かれ少なかれ信仰や信心は身近なところにあり、わたしたちが思っている以上にわたしたちの深層で作用しているということだ。筆者は、たまたま宗教2世であったために自分が何を信じているのか自問する必要に迫られることが多かった。今もその過程にあるといえるが、すべてを把握することの困難さを感じてもいる。日常生活でそのような機会は滅多に訪れるものではない。
けれども、わたしたちを突き動かしているもの、価値判断の拠り所としているものが、どこからやって来たものかを知ろうとすることは、自分たちの社会に底流する「何か」について再発見を促す好機になるだろう。」
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