🏕3)─1─日本は世界一の豪雪地帯。年間降雪量の世界ベスト3はすべて日本。~No.4No.5 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2022年10月7日 YAHOO!JAPANニュース プレジデントオンライン「年間降雪量の世界ベスト3はすべて日本…「世界一の豪雪地帯」である日本の雪がさらに増えそうなワケ
 ※写真はイメージです - 写真=iStock.com/pangjee_9
 日本は世界有数の雪大国だ。積雪量も降雪量も世界一の記録を持っている。気象予報士森さやかさんは「冬が暖かくなると雪は増える。地球温暖化により、日本海側は今後さらに記録的な大雪にさらされる可能性がある」という――。
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 ※本稿は、森さやか『お天気ハンター、異常気象を追う』(文春新書)の一部を再編集したものです。
■積雪記録世界一になっている滋賀県の山
 その昔、寒さが豊かさを表わすという偏見から、「雪」が先進国の象徴とみなされる時代があった。だから海外向けの日本の紹介写真には、決まって雪景色が登場した。それは何も雪が綺麗ということだけではなく、先進国であるというアピールだったのである。今となっては、アラブ諸国シンガポールなどの活躍で、そうした先入観は薄れてきたものの、雪が豊かさの象徴であるというのなら、日本は申し分のない裕福な国といえる。なぜなら、我が国は世界でもっとも雪深いからである。
 その証拠に、世界一の積雪記録は滋賀県伊吹山で作られている。1927年2月14日、雪の高さが11メートル82センチに達し、並み居るライバルの記録を抜いて世界一となった。その高さは4階建てのマンションや、鎌倉大仏の座高に相当するほどで、いまだにこの記録は破られていない。
 また青森県酸ヶ湯(すかゆ)は、混浴の大浴場で有名な標高925メートルの高地だが、ここは世界でもっとも降雪量の多い場所の一つとされている。つまり、積もった雪の深さではなく、空から降ってきた雪の総量が多いのである。気象史学者のクリストファー・バート氏によれば、酸ヶ湯に降る雪の量は年平均17メートルで、世界一だそうである。それなのに積雪の最大記録は5メートル66センチと、伊吹山の半分ほどしかないのは、大雪が降る割には標高が低いために、春夏に気温が上がって雪が解けてしまうからである。
■年間降雪量世界ベスト3は日本の市町村が独占している
 このように積雪、降雪共に世界一の日本だが、世界でもっとも雪深い都市もまたわが国にある。アメリカの天気予報提供会社アキュウェザーの2016年の記事によれば、それは人口30万人の青森市で、その年間降雪量は8メートルにも達する。2位が札幌市、3位が富山市で、アメリカでもっとも雪の多いニューヨーク州シラキュースやカナダのケベックシティですら足元にも及ばない。
 このように雪の量で世界を圧倒するわが国は、雪の降る面積でも他を寄せ付けない。積雪が50センチ以上ある日が年に100日以上あって、産業の発展が停滞し、住民の生活水準の向上が阻害されている「豪雪地帯」の面積は、日本の国土全体の半分を占めている。そこには全人口の16%に相当する2000万人がたくましく暮らしている。
■1000台を超える車が立ち往生…雪害が深刻化する理由
 豪雪地帯にこれだけの人が住んでいるのだから雪害が絶えないのも無理はないが、近年は豪雪による車の立ち往生のニュースもよく耳にするようになった。しかも1000台以上の車が数日間も八方ふさがりという深刻な事態も少なくない。近年の新聞記事で、振り返ってみよう。

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 「立ち往生が解消関越道大雪、発生2日 新潟」
 立ち往生は16日午後発生。車内の人には飲料水やガソリンなどの支給が続けられたが、消防によると、新潟、群馬両県で、体調不良を訴えるなどした男女計5人が病院に搬送された。同社(東日本高速道路)や陸上自衛隊などは約700人態勢で除雪を急いだが、車と車の間に積もった雪を手作業で除いて1台ずつ車を出すしかなく、難航した。関越道上り線では、大型トラックが雪で動けなくなるなどし、16日午後6時ごろ、立ち往生が発生。最大時の17日午後1時時点では、上り線で1750台、下り線で350台の計2100台が巻き込まれた。下り線は18日朝までに解消された。(略)
 記者会見した同社の小畠徹社長は「これだけの雪が短時間で降ると予測できなかった。事前に通行止めにするまでに思いが至らなかった」と述べ、判断が適切だったか今後検証するとした。
 (2020年12月18日/時事通信)
 「福井大雪1000台超立ち往生北陸道で一時陸自災害派遣
 日本海側を中心に降った大雪の影響で、福井県北陸自動車道の上下線では9日午後以降、一時1000台を超える車の立ち往生が起きた。立ち往生は富山県東海北陸自動車道でも発生。両県は陸上自衛隊災害派遣を要請した。(略)
 気象庁によると、福井市の9日(24時間)の降雪量は54センチを記録。9日に上下線の複数の場所でスリップ事故が発生し、一部区間が通行止めとなった。付近で渋滞が起き、停車中に路面に雪が降り積もるなどしたため、動けない車が出たという。
 10日午前、陸上自衛隊の隊員や中日本高速道路の職員らが、車の周囲の雪をスコップで取り除いたり、食料や燃料などをドライバーに配布したりした。福井県によると、車内にいた4人が体調不良を訴えたという。
 (2021年1月11日/読売新聞)

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 これらの立ち往生に共通することは、通行止めが遅れたこと、さらに記録的な大雪が降ったことである。実は、冬が暖かくなると“ドカ雪”が増える可能性がある。その理由は、雪が降るメカニズムに隠されている。
■なぜ日本海側にばかり大雪が降るのか
 冬の間、中国大陸の北部を冷たい空気が覆い、「シベリア高気圧」ができる。これは世界一重い高気圧で、過去に数回1080へクトパスカル台(ロシアほか)の気圧が記録されている。一方で、北海道の東の海上には低気圧ができて、日本を挟んで西高東低の気圧配置となる。風は気圧の高いほうから低いほうに向かって流れるので、間に挟まれた日本の上を西から東に冷たい風が吹き抜ける。風上では乾いていた強烈な寒風も、暖かな日本海の上を吹くことで水蒸気を補給され、日本に着くころには、湿った冷たい風へと変質している。
 この風が、日本の南北に走る山脈にぶつかって上昇し、雪雲を作り、日本海側の地域に大雪を降らせるのである。日本海はまるで雪製造マシーンのようで、そこから降ってくる雪は「海水効果雪」と呼ばれる。
 冬の衛星画像で見てみると、雲の筋が何列も並んでいることがある。さらに目を凝らしてじっと見ると、その中にひと際太い雲の帯が発達していることがある。これを「JPCZ」と呼ぶ。日本名は「日本海寒帯気団収束帯」だが長いので、英語名の頭文字を拾ってこう呼ばれることが多い。
 どうやってできるのか。まずシベリアから吹く西の風が北朝鮮と中国国境の白頭山(ペクトゥサン)にぶつかって枝分かれし、分流した空気の流れが日本海上で合流して太い雲の帯ができる。このJPCZがかかる場所では特に大雪が降って、1日で1メートルも積もることすら珍しくない。先述した1927年の滋賀県伊吹山では、1日に2メートル超えのドカ雪を降らせたものだから、世界がたまげる積雪記録となった。
■太平洋側では年間降雪量が減り続けている
 では本題に戻ろう。なぜ温暖化でドカ雪が増えるのだろうか。そもそも暖かくなれば、雪が減るはずであり、実際、東京の年間降雪量は、30年前の平年値に比べて3割減、鹿児島は5割減、大阪にいたっては7割減となっている。
 しかし、今後は日本海側で雪がどさっと増えていくかもしれないという。一体どういうことなのか。それは日本海の海水温の上昇で、大陸からやってくる風にたくさんの水蒸気が補給され、しかもたとえ気温が上がったとしても、北海道や北陸の山地などでは氷点下のままだからドカ雪が増えるだろうと予想されているのだ。実は同じような理由から、カナダとアメリカの国境にある五大湖周辺で降る雪もまた増えていくかもしれないそうである。
■積雪が30センチを超えると屋根からの転落事故が急増する
 世界有数の豪雪地帯である日本では、むろん雪による死亡事故も多く、年によっては100人以上が命を落とすことがある。犠牲者の7割は65歳以上の高齢者で、死亡事故の主な原因は、落雪や雪下ろしによる転落、さらに除雪の際の水分補給不足に伴う心筋梗塞脳梗塞などだそうである。
 積雪が30センチを超えると、屋根からの転落事故が急増するという研究もあるから、リスクを考えれば雪下ろしはしない方がいいのだろうが、そうはいかない大事な理由がある。それは屋根の雪が想像以上に重いことである。ちなみにアメリカでは雪下ろしや除雪作業で年間100人が死亡するという統計があるのだが、雪などの悪天候による自動車事故の死者数はそれを遥かに上回る800人である。
■温暖化により、深い雪に埋もれたときの生存率が下がる
 雪はどれほど重いのだろうか。湿った雪は粉雪よりも6倍以上重いという。同じ1立方メートル当たりの重さで比べると、たくさん空気を含んだ粉雪は50キロ程度なのに対し、多量の水を含んだ湿り雪は300キロにも達する。
 だから、もし100平米の屋根の上に均一に雪が2メートル降り積もったとしたら、重さは60トンに及ぶことになる。60トンはどれほど重いかと言えば、元横綱白鵬だと約390人分、恐竜ティラノサウルスだと約10頭分に相当する。屋根からの転落と同様に恐ろしいのが落雪で、それによる死者数は、雪の死亡事故全体の13%にも上るという。
 ある統計では、1~2メートルの雪に埋没した場合、25%の人が即死するというが、温暖化によって生存率がさらに低くなるかもしれないそうである。というのも、気温が上がって湿り雪になれば重くなるし、また雪の上に頻繁に雨が降ることで、雪の層が重くなるから、閉じ込められたら逃げづらくなるのである。
 だから重かろうが、危険だろうが、誰かが雪かきをしなければならない。悲しき雪国の宿命である。そんな雪かきに文章を綴る苦労を重ね合わせた村上春樹氏は、書くことを「文化的雪かき」と表現した。物書きには人知れない苦悩と、社会的使命感があるのだろう。そういえば、国土の大半が雪に覆われたアイスランドは、10人に1人が生涯に1冊本を出版するそうで、世界でもっとも出版率が高いと聞いた。雪国は裕福なだけでなく、文化的にも豊かな国なのかもしれない。

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 森 さやか(もり・さやか)
 NHKWORLD-JAPAN気象アンカー
 南米アルゼンチン・ブエノスアイレスに生まれ、横浜で育つ。2011年より現職、英語で世界の天気を伝えるフリーの気象予報士。日本気象学会、日本気象予報士会日本航空機操縦士協会・航空気象委員会会員。著書に『竜巻のふしぎ』『天気のしくみ』(共著/共立出版)。最新刊に月刊誌『世界』での連載をまとめた『いま、この惑星で起きていること』(岩波ジュニア新書)。「Yahoo!ニュース個人」では最新の天気記事を執筆。

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 NHKWORLD-JAPAN気象アンカー 森 さやか」
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 日本民族の祖先は、アフリカで誕生した下等な猿である。
 つまり、日本人を軽蔑して見下す偏見と差別の蔑称である「イエローモンキ」あるいは「ジャップ」は正し呼び名である。
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 日本列島には、自然を基にした日本神話・民族中心神話・高天原神話・天孫降臨神話・天皇神話が滲み込み、その上に石器時代縄文時代弥生時代古墳時代日本民族が住んできた。
 日本民族は、石器人・ヤポネシア人、縄文人・日本土人弥生人(渡来人)、古墳人(帰化人)が乱婚して混血して生まれた雑種である。
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 日本民族の生き方は、仲間・友と一緒に小さな櫂(かい)を漕ぐ丸木舟生活である。
 つまり、日本の集団主義とは海で生きる船乗りの集まりである。
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 ヤポネシア人とは、東南アジアの南方系海洋民と長江文明揚子江流域民が乱婚して生まれた混血した雑種である。
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 ロバート・D・カプラン「揺るぎない事実を私たちに示してくれる地理は、世界情勢を知るうえで必要不可欠である。山脈や河川、天然資源といった地理的要素が、そこに住む人々や文化、ひいては国家の動向を左右するのだ。地理は、すべての知識の出発点である。政治経済から軍事まで、あらゆる事象を空間的に捉えることで、その本質に迫ることができる」(『地政学の逆襲』朝日新聞出版)
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 柏木由紀子「主人(坂本九)を亡くしてから切に感じたのは、『誰もが明日は何が起こるからわからない』というこよです。私もそうですが、私以外にも大切な人を突然亡くしてしまった人が大勢います。だからこそ、『今が大切』だと痛感します。それを教えてくれたのは主人です。一日一日を大切にいきたい、と思い、笑顔になれるようになりました」
 神永昭夫「まずはしっかり受け止めろ。それから動け」
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 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
 日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
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 御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の「情緒的情感的な文系的現実思考」はここで洗練された。
 死への恐怖。
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 2022年3月号 Voice「言葉のリハビリテーション 森田真生
 何もしない勇気
 最適化された世界の窮屈さ
 ……
 太陽がのぼるのも、雲が動くのも、鳥が鳴くのも自分のためではない。だからこそ、目に見えるもの、耳に届く音に、素直に感覚を集めることができる。
 ……
 『浅はかな干渉』が生み出す害
 ……
 『注意の搾取』が奪い去ったもの
 私たちはときに、浅はかな理解や理論に基づく性急な行動で安心を手に入れようとする前に『何もしない』という知恵を働かせてみることも考えてみるべきなのだ。
 だが、人間の設計したもので溢れかえる現代の世界において、『何もしない』ことはますます難しくなっている。
 ……
 物思いに耽(ふけ)って電車を乗り過ごし、都会の真ん中で月を見上げて立ち止まる。スマホを横に置いて窓の外を眺め、ただ理由もなく鳥の鳴く声に耳を傾ける。……」
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 日本の本音。日本列島の裏の顔は、甚大な被害をもたらす雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、禍の神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして奇跡と恩寵を売る信仰宗教(啓示宗教)は無力であった。
 日本民族の「理論的合理的な理系論理思考」はここで鍛えられた。
 生への渇望。
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 日本の甚大な被害をもたらす破壊的壊滅的自然災害は種類が多く、年中・季節に関係なく、昼夜に関係なく、日本列島のどこでも地形や条件に関係なく、同時多発的に複合的に起きる。
 それこそ、気が休まる暇がない程、生きた心地がない程であった。
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 仏とは、悟りを得て完全な真理を体得し正・善や邪・悪を超越し欲得を克服した聖者の事である。
 神には、和魂、御霊、善き神、福の神と荒魂、怨霊、悪い神、禍の神の二面性を持っている。
 神はコインの表裏のように変貌し、貧乏神は富裕神に、死神は生神に、疫病神は治療神・薬草神にそれぞれ変わるがゆえに、人々に害を為す貧乏神、死神、疫病神も神として祀られる。
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 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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 日本の宗教とは、人智・人力では如何とも抗し難い不可思議に対して畏れ敬い、平伏して崇める崇拝宗教である。
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 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、科学、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして奇跡と恩寵を売る信仰宗教・啓示宗教は無力で役に立たない。
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 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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 日本民族は、命を持って生きる為に生きてきた。
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 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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 松井孝治「有史以来、多くの自然災害に貴重な人命や収穫(経済)を犠牲にしてきた我が国社会は、その苦難の歴史の中で、過ぎたる利己を排し、利他を重んずる価値観を育ててきた。
 『稼ぎができて半人前、務めができて半人前、両方合わせて一人前』とは、稼ぎに厳しいことで知られる大坂商人の戒めである。阪神淡路大震災や東日本震災・大津波の悲劇にもかかわらず、助け合いと復興に一丸となって取り組んできた我々の精神を再認識し、今こそ、それを磨き上げるべき時である。
 日本の伝統文化の奥行の深さのみならず、日本人の勤勉、規律の高さ、自然への畏敬の念と共生観念、他者へのおもいやりや『場』への敬意など、他者とともにある日本人の生き方を見つめなおす必要がある。……しかし、イノベーションを進め、勤勉な応用と創意工夫で、産業や経済を発展させ、人々の生活の利便の増進、そして多様な芸術文化の融合や発展に寄与し、利他と自利の精神で共存共栄を図る、そんな国柄を国内社会でも国際社会でも実現することを新たな国是として、国民一人ひとりが他者のために何ができるかを考え、行動する共同体を作るべきではないか。」
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 昭和・平成・令和の皇室は、和歌を詠む最高位の文系であると同時に生物を研究する世界的な理系である。
 武士は文武両道であったが、皇室は文系理系双系であった。
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 徳川家康は、実理を優先し、読書を奨励し、経験を重視し、計算の数学と理・工・農・医・薬などの理系の実利で平和な江戸時代を築いた。
 が、馬車や大型帆船は便利で富をもたらすが同時に戦争に繋がる恐れのあるとして禁止し、江戸を守る為に大井川での架橋と渡船を禁止した。
 つまり、平和の為に利便性を捨てて不便を受け入れ、豊よりも慎ましい貧しさを甘受した。
 それが、「金儲けは卑しい事」という修身道徳であったが、結果的に貧しさが悲惨や悲劇を生んだ。
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 日本で成功し金持ちになり出世するには、才能・能力・実力が必要であった。
 日本で生きるのは、運しだいであった。
 日本の運や幸運とは、決定事項として与えられる運命や宿命ではなく、結果を予想して自分の努力・活力で切り開く事であった。
 それは、自力というより、神か仏か分からない他者による後押しという他力に近い。
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 左翼・左派・ネットサハ、右翼・右派・ネットウハ、リベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者には、日本民族ではない日本人が数多く含まれている。
 彼らには、数万年前の石器時代縄文時代と数千年前の弥生時代古墳時代から受け継いできた日本民族固有の歴史・文化・伝統・宗教はない。
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 日本の自然は、数万年前の石器時代縄文時代から日本列島に住む生物・人間を何度も死滅・絶滅・消滅させる為に世にも恐ろしい災厄・災害を起こしていた。
 日本民族は、自然の猛威に耐え、地獄の様な環境を生きてきた。
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 日本民族は、石器時代縄文時代からいつ何時天災・飢餓・疫病・大火などの不運に襲われて死ぬか判らない残酷な日本列島で、四六時中、死と隣り合わせの世間の中で生きてきた。
 それ故に、狂ったように祭りを繰り返して、酒を飲み、謡い、踊り、笑い、嬉しくて泣き、悲しくて泣き、怒って喧嘩をし、今この時の命を実感しながら陽気に生きていた。
 「自分がやらなければ始まらない」それが、粋でいなせな江戸っ子堅気の生き様であった。
 江戸時代は、自助努力のブラック社会であった。
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 田代俊孝(仁愛大学学長)「『人は死ぬ』という厳然たる事実を、誰しも普段の生活では見て見ぬふりをしているものです。しかし、自分がいずれは『死すべき身』だということを意識すれば現在の生への感謝が生まれ、生きる気力が湧いてくる。つまり天命、死というものを知ることによって人生観が変わる。祖父母、父母、そして自分と、連綿と続く流れのなかで思いがけず命をいただいたのだ、と気づくのです」
 植島敬司(宗教人類学者)「人生は自分で決められることばからりではありません。不確定だからこそ素晴らしいのです。わからないなりに自分がどこまでやれるのか、やりたいことを追求できるのかが大事で、それが人生の豊かさにつながるのだと思います」
 平井正修(全生庵住職)「コロナ禍に襲われるずっと以前から人類は病に悩まされてきました。病気やケガで自由な身体が動かなくなり、人に介抱してもらうと、当たり前のことのあるがたさに気づきます。何を当たり前として生きていくのか、それは人生でとても大切なことであり、すべての人に起こる究極の当たり前が、死なのです」
 「現代では死というものが過剰に重たく受け止められていますが、そもそも死はもっと身近にあるものです。考えようによっては、現世に生きているいまのほうが自分の仮初(かりそめ)の姿とさえ言える。
 最終的には、誰もが同じところへと生きます。みんなが辿る同じ道を、自分も通るだけ。そう思えば、死も恐れるものではありません」
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