✨18)─2─鈴木貫太郎首相はルーズベルト大統領の訃報を知り深い哀悼の意を表明した。~No.77  

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 ヒトラー「運命の女神は史上最大の戦争犯罪人ルーズヴェルト‘の頭上に罰を下し、これを地上から消し去った。諸君らはこの恵まれた瞬間においてこそこの戦争の運命を決定的に転換しなければならない」
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 鈴木 貫太郎(1868年1月18日〈慶応3年12月24日〉- 1948年〈昭和23年〉4月17日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍大将。栄典は従一位勲一等功三級男爵。
 海軍士官として海軍次官連合艦隊司令長官、海軍軍令部長(第8代)などの顕職を歴任した。予備役編入後に侍従長に就任。さらに枢密顧問官も兼任した。枢密院副議長(第14代)、枢密院議長(第20・22代)を務めたあと、小磯國昭の後任として内閣総理大臣(第42代)に就任した。一時、外務大臣(第70代)、大東亜大臣(第3代)も兼任した。陸軍の反対を押し切って、ポツダム宣言を受諾し、第二次世界大戦終戦へと導いた。

 日米関係への姿勢
 鈴木の就任後、まもなく死亡した敵国の首脳であるアメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルトの訃報を知ると、同盟通信社の短波放送により、
 {今日、アメリカがわが国に対し優勢な戦いを展開しているのは亡き大統領の優れた指導があったからです。私は深い哀悼の意をアメリカ国民の悲しみに送るものであります。しかし、ルーズベルト氏の死によって、アメリカの日本に対する戦争継続の努力が変わるとは考えておりません。我々もまたあなた方アメリカ国民の覇権主義に対し今まで以上に強く戦います。
                 — 内閣総理大臣 鈴木貫太郎
 という談話を、世界へ発信している。1945年4月23日のTIME誌の記事では、以下のように発言が引用されている。
 {I must admit that Roosevelt's leadership has been very effective and has been responsible for the Americans' advantageous position today. For that reason I can easily understand the great loss his passing means to the American people and my profound sympathy goes to them.
 翻訳:大日本帝国としては、ルーズベルト大統領のリーダーシップが優れており、それが現在のアメリカ優勢の戦況をもたらしていることを認めざるを得ません。よって彼の死去はアメリカ人にとって大きな損失であることを理解し、これに哀悼の意を表します。}
 同じ頃、同盟国であるドイツ総統アドルフ・ヒトラーも敗北寸前だったが、ラジオ放送でルーズベルトを口汚く罵っていた。アメリカに亡命していたドイツ人作家トーマス・マンが鈴木のこの放送に深く感動し、イギリスBBCで「ドイツ国民の皆さん、東洋の国・日本には、なお騎士道精神があり、人間の死への深い敬意と品位が確固として存する。鈴木首相の高らかな精神に比べ、あなたたちドイツ人は恥ずかしくないですか」と声明を発表するなど、鈴木の談話は戦時下の世界に感銘を与えた。
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 JapanIn-depth
. 政治
 投稿日:2022/8/9
 ルーズベルト死去への貫太郎の哀悼に感動 「高岡発ニッポン再興」その25
 【まとめ】
東京大空襲後、鈴木貫太郎氏の総理就任を説得した山本玄峰昭和天皇
・敵国の大将ルーズベルトの死去を哀悼するという日本精神を則った鈴木貫太郎氏。
・「徹底抗戦」という陸軍を喜ばせる発言をしながら、終戦という最終目的を果たすリアリスト。
 鈴木の哀悼の言葉が通信社を通じて、全世界を駆け巡ったのです。人間として敵味方の次元を超えて、人の死を悲しんだ発言です。これに対し、敗北寸前だったドイツのヒトラー総統はルーズベルト大統領の死について、「愚かな大統領として、歴史に残るだろう」との声明を出しました。世界では、ナチス・ドイツと比較して鈴木貫太郎の言葉に感動が広がりました。
 ドイツ人の作家で当時アメリカに亡命していたトーマス・マンは「ドイツ国民のみなさん、東洋の国日本にはなお騎士道精神があり、人間の死への深い敬意と品位が確固としてあるのです。鈴木総理の高い精神に比べ、あなたたちドイツ人は恥ずかしくないのですか」と訴えました。
 しかし、貫太郎の弔電は、日本の陸軍からは批判の的です。青年将校らは激怒し、鈴木貫太郎に詰め寄りました。すると、鈴木は「古来より、日本精神の一つに、敵を愛す、ということがあります。私もその日本精神を則っただけです」と言い放ちました。
 ルーズベルト弔電で見せた日本の武士道精神。これを貫きながら、終戦という最終目的を達成するためには、当初は陸軍を暴走させないような発言。鈴木貫太郎あっぱれですね。政治家になって8カ月、私は、改めて貫太郎を勉強すべきだと思っています。
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 鈴木貫太郎男に心ふるえる
 2017 JAN 21 4:04:14 am by 野村 和寿
 ここに2つの新聞の記事を紹介する。1つは1944年4月13日のアメリカ・ワシントン・ポスト紙、もう一つは、同じ日のアメリカ・ニューヨーク・タイムズ紙の記事である。
 この記事に先だって第42代首相に、鈴木貫太郎が就任している。わずか6日前(4月7日)のことである。就任したばかりの鈴木貫太郎首相は、敵国であり、交戦中であったアメリカ合衆国大統領フランクリン・D・ルーズヴェルトの突然の死去に際し、なんと敵国にもかかわらず、哀悼の意を表している。しかも、特別に葬送の音楽までつけて。
 1945年4月15日付け ワシントンポスト UP(合同) 記事は以下の通り
 ・・・・
 日本首相鈴木貫太郎は、ルーズヴェルト大統領の死去に際して、昨日アメリカ国民に対する深い哀悼の意を表明した。
 連邦通信委員会の聴取した放送によれば、新首相は述べている。「ルーズヴェルト大統領の施政が非常に成功を収めたこと、そしてアメリカが今日の有利な地位を占めるに至ったのは、彼のおかげであることを私は認めざるを得ません。その故に、彼の死去がアメリカ国民にとって意味する所の大きな損失を私にはよく同感できるのであります。私の深い哀悼の意をアメリカ国民に向けて送ります」
 鈴木はこれに加えて、大統領の死によってアメリカの戦争継続努力に変化が生ずるとは思えない、とも述べた。(訳 小堀桂一郎氏『宰相 鈴木貫太郎』(文春文庫1987年刊)より引用)
 ワシントンポスト
 1945年4月15日付けのワシントンポスト紙の該当部分
 1945年4月14日付け ニューヨークタイムズ記事は次のとおり
 NY TIMES 19450414
 ニューヨークタイムズ紙1945年4月14日の紙面の該当部分です。
 ・・・・
 男爵鈴木貫太郎提督は、フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領の死去に際し、アメリカ国民に対する「深い哀悼の意」を表明した。と、昨日、日本の同盟通信社が述べている。
 北米向けの英語による無線通信の伝えるところによれば、信任の日本の総理大臣は、同盟の記者に対して次のように語った。「ルーウヴェルトの指導力は実に効果的なものであって、これが今日におけるアメリカの優位な地位をもたらしたものであることを、私は認めないわけにはいかない
 そして、付け加えた。「であるから、彼の死去がアメリカ国民に対して意味する大きな損失は私にはよく同感できるのであって、私の深い哀悼の意をアメリカ国民に向けて送るものである」
 「転換は起こらぬ」と断言
 しかし鈴木首相は「率直に述べた」と、連邦通信委員会で受信した通信は続けて報じている、「自分はルーズヴェルト氏の死去によってアメリカの日本に対する戦争努力に変化が生じようとは考えていない」首相はさらに続けて述べている。
 「日本側としても同様、英米の武力政策と世界支配に対抗する全民族の共存共栄のタメの戦争を継続すべく、日本の決意にはいささかも動揺もないであろう」(訳 小堀桂一郎氏『宰相 鈴木貫太郎』(文春文庫1987年刊)より引用)
 newyork times1
 1945年4月14日付けニューヨークタイムズ紙の該当部分その1です。
 さらに、ニューヨークタイムズ紙の、記事の後段(下線部分)である。日本の同盟通信によると、とわざわざ断った上で、新任の首相に、なぜ、鈴木貫太郎が選ばれたのか? そして鈴木貫太郎がどんな気持ちで、この難局に臨んでいるのか?」を語っている部分である。
 new york times2
 1945年4月14日ニューヨークタイムズ紙の該当部分その2です。
 ・・・・
 同盟の通信が述べたところによれば、ルーズヴェルト氏の死去という「世界を震撼させた事件」に対する鈴木首相の「思いがけぬ反応」にふれて、その記者は、「ほとんど不意打ちにあったように驚いた」、「しかし記者は、この新首相のごとき度量の大きい人物の口から出た言葉とすればそれも不思議ではないことを、直ちに悟った」、通信はそのあと次のように続いている。
 「アメリカ国民の大なる損失に向けての首相の深い哀悼の意の表明こそ、鈴木提督が何故、その高齢にかかわらず、現在の難局を乗り切って国家を導いていくために、国政の手綱をゆだねられたのか、という事情の説明となるものである。同盟の記者が直ちに幹事と田というのはこのことだった。」
 「この弔意の表明は、なぜ、彼が、自分は政治に経験がないからと言明したにもかかわらず。結局退任を引き受けたのか、ということの説明にもなる。言い換えれば、彼がこの任務を引き受けたのは日本の戦争目的の達成と、全民族の安寧のために、自らのなし得る限りを貢献せんと志してのことである。」(訳 小堀桂一郎氏『宰相 鈴木貫太郎』(文春文庫1987年刊)より引用)
 ・・・・
 ここで注目すべきは、ワシントンポスト紙、ニューヨークタイムズ紙ともに、東京の同盟通信が北米向けに流した英語放送からの記事であり、確かに、鈴木首相は、アメリカ大統領の訃報に接して、いち早く、弔意を述べたことは確かだということである。
 しかし、なぜか、日本側のこうした、鈴木貫太郎が、アメリカに弔電を打ったという事実は、まったく記録がないのだ。これは不思議なことだ。繰り返しになるが、ニューヨークタイムズ紙、ワシントンポスト紙が、同じ日本の同盟通信の傍受からの記事として発表している以上、この放送は確かに存在したのである。
 日本の首相が、敵国の大統領の死去に哀悼の意を表したという事実は、海を越えて、意外な広がりをみせる。
 ひとつは、スイスのバーゼル報知の主筆で、元外相だったエリー氏が、社説で、この事実をヒトラー・ドイツのひどいいいがかりと比べて、なんと武士道の騎士精神が残っていることだろうとたたえていることだ。社説曰く
 ・・・・
 「日本の首相のこの心ばえはまことに立派である。これこそ、日本武士道精神の発露であろう。ヒトラーがこの偉大な指導者の死に際してすら誹謗の言葉を浴びせて恥じなかったのとは、何という大きな相違であろうか。連日にわたってアメリカ空軍の爆撃にさらされながら敵国アメリカの元首の死に哀悼の意を表することを忘れなかった。日本の首相の礼儀正しさに深い敬意を表したい」(笹本俊二『第二次世界大戦かのヨーロッパ』岩波書店より引用)
 ・・・・
 この新聞の記事の本物は、未発見であるが、当時スイス在住の日本人 笹本俊二氏が、このバーゼル報知のことを著書『第二次世界大戦下のヨーロッパ』(岩波書店)で、本に書き残していることからわかる。
 もう一つ、ナチスから逃れた文豪トーマス・マンが、アメリカ・カリフォルニアからのドイツ向け放送のなかで、このことを取り上げていること。
 ・・・・
 「あの東方の国は騎士道精神と人間の品位に対する感覚が死と偉大性に対する畏敬がまだ存在するのです」(伊藤利男訳 『トーマス・マン全集』第10巻より 新潮社刊より引用)
 ・・・・
 さらに、アメリカのスポークスマンと自称するザカライアス大佐の、対日本向け宣伝放送のなかでも、この事実が取り上げられ、鈴木貫太郎とザカライアス大佐は、以前知己があったといっていること。
 SUZUKI MATOME1
 ルーズヴェルト大統領逝去に関するトピックのまとめ。
 さらに、さらに、ニューヨークタイムズ紙は、駐日英国大使クレーギー氏の発言として、鈴木内閣を単純な軍国主義内閣とはみなかったこと。和平内閣で太平洋の両岸に平和をもたらしてくれる人物という観測をのせたこと、鈴木内閣は、日本国内よりもアメリカ国内に於いて期待が高まっていたと考えてもおかしくない。
 これは、小堀氏の著書によると、同盟通信の記者に、鈴木貫太郎が直接命じ、話してきた聞かせたという談話に、同盟通信の記者がえらく驚き、感動して、英語に訳したとされている。4月13日に逝去したばかりの放送だから、時差があったとしても、わずかな時間で、アメリカに放送しているということから、もしかすると、同盟通信は情報局や憲兵隊の検閲をうまくくぐりぬけたか?あるいは、検閲されたとしても、まさか鈴木貫太郎首相自身の談話だからという理由であまり事細かに詮索されていなかったか?で、放送されているのではないか?
 そして不思議なことに、鈴木貫太郎のこのアメリカ向け談話について、鈴木首相の内閣書記官長・現在の官房長官にあたる、内閣書記官長 迫水久常の記述のどこにもこの放送のことが触れられていない。そして、鈴木貫太郎の談話を取材して英語に翻訳した同盟通信の記者の名前も、ついぞ判明していない。もしかすると、後々のことを恐れて、同盟通信側でも記者を護る為に、あとあとまで秘匿したという可能性さえある。
 これらの事実からみえてくるのは、
 確かに鈴木首相のルーズヴェルト大統領の死去に対する弔意はあったこと。
 さらに、弔意には、鈴木首相の戦争終結への思いが込められていることを、NYタイムズが報じていること。
 アメリカの新聞の論調は、鈴木内閣の出現が、それ自体が平和への序曲と書いていること。鈴木内閣が、ナチス・ドイツがドイツ人に対してより、より多く日本と日本人に配慮する人々であること。
 それを勇気をもって放送原稿に英訳した、同盟通信の日本人記者が確実にいたことである。
 鈴木貫太郎
 鈴木貫太郎は海軍大将でありながら常に背広姿だった。
 鈴木貫太郎(1868(慶応3)年—1948(昭和23)年・プロフィール
 鈴木貫太郎は首相就任当時79歳と高齢であり、耳が遠かったという。
 経歴:1888(明治21)年 日清戦争水雷艇で従軍
 1903(明治36)年 ドイツ留学
 1904(明治37)年 日露戦争駆逐艦指令でロシアスワロフを撃沈
 1905(明治38)年から4年間 在アメリ駐在武官
 1918(大正7)年 練習艦隊を自ら率いて、アメリカサンフランシスコを親善訪問している。
 1924(大正13)年 連合艦隊司令長官
 1930(昭和5)年 ロンドン軍縮会議時の海軍軍令部長1936(昭和11)年の2.26事件の際には、天皇の側に仕える侍従長として、反乱軍の銃弾を2発受けたが、奇跡的に命を取り留めている。
 1945(昭和20)年4月7日から8月15日 第42代内閣総理大臣
 宰相 鈴木貫太郎 小堀桂一郎
 1987年文春文庫・絶版 本書を神保町ではなく北海道苫小牧の古書店で見つけた。いい本はこんな所に埋もれているものである。
 参考資料 小堀桂一郎著『宰相 鈴木貫太郎』(1982年8月文藝春秋社刊1987年8月文春文庫)。著者の小堀桂一郎氏は、1933年生まれ。執筆当時、東京大学教養学部教授で2004年名誉教授。専攻は日本思想史 本書で1984年第14回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。近著に『鈴木貫太郎−用うるに玄黙より大なるはなし』(ミネルヴァ書房)2016年がある。
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 映画『HIROSHIMA』で鈴木貫太郎を観る
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 戦争時の日本人の真心を知れ!
 日本軍は敵に対しても敬意を忘れなかった!
 日本軍は日露戦争でも、日本軍の戦死者よりも先にロシア軍の戦死者を祀っています。支那事変でも、敵兵の戦死者を祀ることを忘れませんでした。何よりも東京大空襲に来て墜落して亡くなったパイロットをも祀っています。
 敵将・ルーズベルト大統領が亡くなった時に哀悼の意を送った鈴木貫太郎首相
 大東亜戦争終戦を迎える1945年の4月12日に、日本と戦っていたアメリカのフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領が脳卒中で突然他界しました。
 当時日本は敗戦濃厚で、3月10日には東京大空襲で民間人の死者が10万人に及ぶ大被害を被っていた頃です。
 ルーズベルト大統領は、日本を戦争に導き、ABCD包囲網など日本を破滅に追いやった張本人でした。
 当然、同じ様にアメリカと戦っていたドイツのヒットラーは、ルーズベルト大統領の死に際し、ラジオ放送を通じ、「運命は歴史上最大の戦争犯罪人ルーズベルトをこの地上より遠ざけた」などと罵詈雑言を浴びせます。
 しかし、日本の鈴木貫太郎首相の取った行動は、それとは対照的でした。
 同盟通信社の短波放送を通じて以下のような談話を発表します。
 「米国側が今日、優勢であるのは、ルーズベルト大統領の指導力によるものである。であるから私は、大統領の死が米国民にとって非常な損失であることが理解出来る。ここに私は深い哀悼の意を米国民に表明する次第である。しかし、氏の逝去によって、貴国の日本に対する戦争継続の努力が変わるとは考えていない。我々も、米英のパワーポリティックスと世界支配に反対する全ての国家の共存共栄のため、戦争を続行する決意をゆるめることは決してないであろう。」
 戦争相手国の元首の死に弔意を表わすという、欧米では考えられないこの行為に対し、15日のニューヨーク・タイムズは「JAPANESE PREMIER VOICES "SYMPATHY" (日本の首相、「弔意」を表す)」という見出しで、驚きを持って報道しています。
 また、アメリカに命していたドイツの作家トーマス・マンは、BBC放送で、「東洋の国日本にはなお騎士道精神があり、人間の死への深い敬意を品位が確固として存する。」と日本を讃えています。
 英国BBCで以下の如く声明を発表、鈴木貫太郎総理の武士道精神を称賛し、総理の言葉は戦時下の世界に感銘を与えたとされます。
 「ドイツ国民の皆さん、東洋の国日本にはなお騎士道精神があり、人間の死への深い敬意と品位が確固として存する。鈴木首相の高らかな精神に比べ、あなたたちドイツ人は恥ずかしくないですか」
 鈴木貫太郎は、日清日露戦役歴戦の軍人(海軍大将)であり、
 彼が固辞できずに総理についた時には、すでに帝都東京は、アメリカ軍の戦略爆撃機B29の大編隊によって、連日猛爆撃に晒されていた。
 しかもその爆撃目的は、東京の銃後の婦女子と老人を焼いて大量に殺戮することであった(焼夷弾という民家を焼く爆弾)。
 そして、その殺戮は、ルーズベルト大統領が死去した日も翌日も翌々日も、あたかもルーズベルトの意に報いるかのように続けられていました。
 鈴木貫太郎首相は、この爆撃が続く真っ只中で、この爆撃の最高司令官の死の報に接し、世界とアメリカ国民に哀悼の意を表したのです。
 例え敵であろうとも、自国のために尽くした人間に対する高い尊敬の意と、その人物の死に触れて、その国の国民の感情を思いやる気持ち、戦時中においても日本人は決して忘れていませんでした。
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 現代の理論
 コラム/投稿
 “死者に鞭打とう”
 小説家 笠井 一成
 安倍が辞意を表明した(2020.8.28)。すると突然、安倍の人気が回復した(「安倍政権を『評価』71%」*『朝日新聞』9.6)。なぜか。「去った人はいい人にする悪い癖(千葉県 村上健 9.8)」が日本人にはあるからである。そしてこの「悪い癖」の所以は、日本人の道義心である。辞める者に追い打ちをかけるな、死者に鞭打つな(べつに安倍は死んでいないが)というわけである。
 しかしこの「道義心」は、語義に反して「不道徳」である。それについては後述する。
         ◇                     ◇
 ところで、ここに一つの「分析」がある。
 曰く「安倍さんが長く支持されるに至った強みは『かわいさ』だ。坊ちゃん育ちの保守政治家で、エリート左派のような冷たさがない。政策とは別文脈で人間的にチャーミングだと思わせる魅力があったのだろう。どこか憎めない感じは、トランプ米大統領にも共通する。『かわいい』という言葉はもとは『いたいたしい』という意味を含み、無力で無害なものに対して使われることが多い。疑惑や失敗が大きなマイナスにならなかったのは、彼の求心力が有能さや信念ではなく『かわいさ』に基づいていたからだ。舞台で転んだアイドルに声援を送るように、無条件の支持が集まった」(鈴木涼美-元AV女優・元日経新聞記者 9.6)。
 これは「若者が若者の空気を読み解いた分析」ではなく、単なる鈴木の主観である。鈴木(1983年生まれ)が安倍を、奇怪にも「可愛い」「憎めない」「無力で無害」と思っただけの話であり、客観と呼べる根拠はそこにはない。
 鈴木を真似て、私(1959年生まれ)も主観を述べる。曰く「私は安倍を憎む。人生でこれほど人を憎んだことはない。安倍の顔を見るだけで虫酸が走る。『家の七光り』で政治家に成り上がった安倍の有害アホバカ独裁7年8カ月を、私は憎む」。
 主観を離れ、「辞めたとてチャラにできない安倍の罪(福井県 山本一善 9.17)」を「客観的に」見る。安倍の「罪」とは何か。蟻川恒正(5.2)に語ってもらうことにする。
 「歴代の内閣法制局答弁により憲法9条違反であることが確立した政府解釈となっていた集団的自衛権の行使を、同条改正に言及することなく、閣議決定のみで合憲へと解釈変更した」「憲法ができないとしていることを一内閣でできるとしたことにより、憲法改正規定(96条)を裏から侵犯した」
 「検察庁法22条の下で検察官には国家公務員法の定年延長規定は適用されないとする39年間疑われなかった政府解釈を、新たな政府見解を発しただけで変更し、一人の検察官の定年延長を強行した。『法ができないと言っていることを、法を変えもしないでできることに』したのである」「内閣総理大臣をも訴追しうる権限を持つのが検察官である。検察官の定年規制を政府見解のみで反故にすることを許せば、政権の言うことを聞く検察官は定年を延長し、聞かない検察官は延長しないとすることができる」
 「一方で内閣法制局の人事慣行を破って、長官の首を集団的自衛権行使容認論者にすげ替えた。他方で『一強』となった首相が法務大臣の、事実上首相の息のかかった内閣人事局法務省幹部職員の、それぞれ首根っこをつかんだ」
 「法の秩序は、ほとんど破壊されたといっても言い過ぎではない」
 「憲法改正によらなければ認められないとされた集団的自衛権の行使を閣議決定で合憲としたことは、国民が保持する憲法改正権を内閣が簒奪したことを意味する。検察庁法改正案の提出前に検察官の定年延長を実現したことは、国民が有する法律制定権を内閣がかすめ取ったことを意味する」
 「目的を達するのに必要な法制定を待たずに抜け道を探る現政権中枢は」「脱法行為さえ厭わない政略家の集団に近い」
 このように、安倍の罪とは法治の破壊である。
 「きょうで終わる安倍政権を振り返ると」「嫌なものを押しつけられたようだ。それは」「『倫理の喪失』とでも言うべきものだ」(9.16)。
 「損なわれた最たるものは法の秩序である」「閣議で勝手に決めてしまう」「国会論戦からは逃げを決め込む。審議に出ても質問にまともに答えない。情報公開に背を向け、公文書の改ざんに手を染める。民主主義の土台が腐食した7年8カ月だった」(9.16)。
 このように、安倍の手により日本は法治国でなくなった。法治のない国は二等国である。安倍は日本を二等国に貶めたわけだが、当の安倍はその自覚を欠く。事の重大さに気づいていない。蟻川によれば「基本原則を壊しているという大それた意識もなし」。ちなみにこんな安倍が法学部卒(私学)とは、笑えない冗談にもほどがある。
         ◇                     ◇
 1945年4月。
 ルーズベルトの死に際し、鈴木貫太郎は「氏の指導力は目覚ましく、米国が先進的な地位にあるのは氏のおかげです。米国民が氏を失ったことに心からお悔やみを申し上げます」と哀悼の意を表し、ヒトラーは「運命の女神は史上最大の戦争犯罪人ルーズべルトを地上から消し去った」という声明を出した。「敵を称える鈴木は紳士として尊敬され、死者を罵るヒトラー人間性をますます下げた」、多勢はそのように納得するだろう逸話である。
 かたや私は、全然そう思わない。なぜか。タイミングが東京大空襲の直後だからである。
 あの残虐の最高責任者は大統領である。それの死に「心からお悔やみ」を述べる首相・鈴木の神経を、私は疑う。首相が弔意哀悼を捧げる対象は、二時間で焼き殺された十万の日本庶民に対して、でなければならない。ところがそんな発想を、鈴木はしない。庶民の死は庶民の死。戦時だから死ぬのは当たり前。「個別の死」のいちいちに、日本為政者(鈴木に限らない)の視線は向かないのである。
 「加害者へのお悔やみ」という異様は、戦後、これでもかとばかりに無様の上塗りをする。東京大空襲の立案・指揮者であるカーチス・ルメイへの、日本政府による叙勲である(首相は安倍の大叔父佐藤栄作防衛庁長官小泉純也。理由は「航空自衛隊育成への貢献」)。
 この卑屈の由来は何か。「憎しみは悪」「水に流すは善」で被害を忘れ、「一憶総懺悔」で加害をとぼけ、「あやまちはくりかえしません」と一切を曖昧化する無責任、理不尽への鈍感、論理性の欠如、歴史への等閑視、哲学なき精神構造、「筋を通す」心性の不存在、である。
 鈴木に「高潔な騎士道精神」を見出し、「さすが日本人」と悦に入るような手合いは多い。この手合いこそが「去った人はいい人にする悪い癖」の持ち主、「死者に鞭打つな」主義者である。これらは打倒の対象である。なぜか。人は、憎むべきときには正しく憎まなければならないにもかかわらず、これらは憎悪を下品視し、自らを倒錯的上品に封印する愚か者だからである。
 最近はやりのトーンポリシング。「もっと冷静に」「礼儀正しく」「そんな言い方では通じないよ」等、言説の内容より表現の作法をあげつらうやり方だが、これは「言説内容を理解できないバカがバカなりに相手をやっつけようと一生懸命がんばったタワゴト」か、または「言説内容への反発を相手をみくびる形で表そうとするタワゴト」である。いずれにせよ、トーンポリシングはタワゴトだから評するに値しない。単に醜いだけ。
 醜いトーンポリシングと「死者に鞭打つな」主義は、倒錯的上品において相通ずる。すなわち、上品のはき違え、品性の勘違い、品格のトンチンカン、場違いな気品、である。
 「死者に鞭打つな」さらには「罪を憎んで人を憎まず」は昔からの日本人の習いだが、これらは、思想の偽善的腐敗であり逆説的反倫理である。冒頭で「死者に鞭打つな」主義を私が「不道徳な道義心」と呼んだのはこの意味である。
 被った害を「チャラ」にせず加害責任を最後まで追及する、その者に責任があるならば、辞めようが死のうが関係ない、地獄の底まで追いかけても責任を取らせる、そして被害は必ず回復させなければならない。その手続き途上、「憎しみ」は大切なモチベーションとなるだろう。
         ◇                     ◇
 ルーズベルトやルメイは憎まれるべきである。同じく、法治を破壊し日本を二等国に貶めた安倍は憎まれるべきである。安倍をこのまま野放しにしてはならない。そうし得ない限り、日本人は「永遠の卑屈者」であり続ける。
 *…引用はすべて2020年の『朝日新聞
 かさい・いっせい
 1959年生まれ、京都市左京区出身。旧ペンネームはヨーゼフ・Kまたは闇洞幽火。1990年「犬死」が第22回新日本文学賞候補作。1992年「希望」が第23回新日本文学賞候補作。1993年「特殊マンガ家の知性」が第1回マンガ評論新人賞最終銓衡作。著書、『形見のハマチ』(近代文藝社 1995年)、『はじめての破滅』(東京図書出版会 2009年)、『父と子と軽蔑の御名において』(牧歌舎 2011年)、『不戦死』(風詠社 2016年)、『血魔派の三鷹』(幻冬舎 2017年)、『ヘル・K・イッセの思い出』『我が世の春』(三恵社 2020年)。
   ・   ・   ・ 
 昭和天皇は、親ユダヤ派、差別反対主義者、避戦平和主義者、原爆は非人道的大量虐殺兵器であるとして開発中止を厳命した反核兵器派、難民・被災者・弱者などを助ける人道貢献を求め続け、戦争には最後まで不同意を表明し、戦争が始まれば早期に講和して停戦する事を望むなど、人道貢献や平和貢献に努めた、勇気ある偉大な政治的国家元首・軍事的大元帥・宗教的祭祀王であって戦争犯罪者ではない。
 同時に、日本の歴史上最も命を狙われた天皇である。
 昭和天皇や皇族を惨殺しようとしたのは日本人共産主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストであった。
   ・   ・   ・   
 靖国神社の心・志・精神とは、人道貢献と平和貢献の事である。
   ・   ・   ・   
 歴史的人道貢献とは。昭和天皇A級戦犯である東条英機松岡洋右松井石根らは、ソ連ポーランド侵略から逃げてきた数万人のポーランドユダヤ人を保護し、ナチス・ドイツゲシュタポと日本人の反ユダヤ派、親ドイツ派の上海ホロコーストを阻止しユダヤ人難民数万人を敗戦後まで守り続けた。
   ・   ・   ・     
2022-06-04
💖目次)─8─近代天皇と軍部・陸軍の人道貢献・平和貢献。旭日旗は救済と希望の旗であった。~No.1 * 
日中戦争
2019-05-13
💖18)─1─河南省黄河防爆破と大洪水。溺死100万人以上。日本軍は中国人10万人以上を助けた。1938年〜No.68No.69No.70No.71・ 
2019-05-15
💖18)─2─河南省大飢饉。日本軍は戦争をしながら飢餓民約1,000万人を助けた。日本軍の敵兵虐殺事件。1940年No.72No.73No.74No.75・ 
2019-05-16
💖18)─3─日本軍は河南省救援物資輸送路を死守した。大陸打通作戦。泰緬鉄道。日本軍兵士の餓死・病死。1944年〜No.76No.77No.78No.79・ 
   ・   ・   ・   
日本陸軍防疫部隊が中国人を救った。
2020-06-14
💖19)─1─日本軍は中国軍が行った堤防破壊、井戸への毒やコレラ菌投入の尻拭いをしていた。〜No.80No.81No.82No.83・ 
   ・   ・   ・   
中国共産党の非人道行為。
2019-05-17
💖20)─1─中国共産党は、日本人戦病餓死者の尊厳を穢し、霊魂を冒涜し、慰霊の場を踏みにじる。〜No.84No.85No.86No.87・ 
   ・   ・   ・   
キリスト教の日本に対する宗教侵略。
2019-03-19
💖21)─1─アメリカのCPIとアメリカ・キリスト教会が日本を戦争へと追い詰めた。〜No.88No.89No.90・ 
   ・   ・   ・   
皇室とユダヤ人。
2020-09-18
💖22)─1─明治天皇・皇室は親ユダヤ派。ユダヤ人難民を助けた昭和天皇。〜No.91No.92No.93 
   ・   ・   ・   
日本の軍部・陸軍とユダヤ人。
2019-03-20
💖23)─1─オトポール事件。軍国日本とポーランドユダヤ人難民達。上海のユダヤ系サッスーン財閥。1932年〜No.94・
2020-09-17
💖23)─2─ユダヤ人難民をナチス・ドイツから助け守った日本の軍部・陸軍。〜No.95 
2021-04-12
💖23)─3─米戦略家らによる樋口 季一郎陸軍中将顕彰銅像建立委員会設立。〜No.96  
2021-05-07
💖23)─4─ユダヤの東條批判。中国・韓国に告ぐ「靖国神社に戦犯は祀られていない」。〜No.97No.98  
   ・   ・   ・   
神戸とポーランドユダヤ人。
2019-03-21
💖24)─1・A─ポーランドユダヤ人難民を助ける事に、日本軍部は協力し、日本外務省は猛反対した。1940年〜No.99・ 
2021-05-04
💖24)─1・B─ユダヤ難民救った独自ビザ発見、外交官・根井三郎の功績。〜No.99 
2020-09-16
💖24)─2・A─JTBとポーランドユダヤ人難民。天草丸。〜No.100 
2021-05-05
💖24)─2・B─ユダヤ人の救世主・JTB職員大迫辰雄。天草丸によるユダヤ人難民輸送。〜No.100 
2020-09-15
💖24)─3・A─杉原命のビザを持ったポーランドユダヤ人難民は敦賀に上陸した。敦賀空襲。〜No.101 
2022-03-22
💖24)─3・B─ユダヤ元難民「敦賀は天国のようだった」。避難と救済。〜No.101 
2020-09-14
💖24)─4─ポーランドユダヤ人難民を保護した神戸市民と神戸空襲の地獄。〜No.102 
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アメリカ・ユダヤ人。ニューヨーク・ユダヤ人共同配給委員会。
2019-03-22
💖25)─1─上海ユダヤ人ゲットーとアメリカ・ユダヤ人共同配給委員会(ジョイント)。イェドヴァブネ事件。1940年〜No.103・ 
2020-05-20
💖25)─2─アメリカ・ユダヤ人とセントルイス号事件。ブルメンソール元財務長官。〜No.104No.105No.106・ 
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日本租界内の上海ゲットー。
2019-03-24
💖26)─1─上海ホロコースト未遂事件。日本陸軍松岡洋右ゲシュタポユダヤ人虐殺を阻止した。1942年〜No.107・
2021-03-29
💖26)─2─日本軍占領下の上海ゲットー・上海ユダヤ難民資料は世界記憶遺産申請に値する。〜No.108No.109No.110  
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連合軍はユダヤ人の救出より戦争の勝利を優先した。
2020-09-19
💖27)─1─アメリカとイギリスは、ユダヤ人児童約2万人の救出を拒否した。ヒムラー友の会と国際稀金融資本。1942年〜No.111 *
2020-09-20
💖27)─2─欧米諸国はホロコーストを黙認しユダヤ人を助けなかった。〜No.112No.113No.114No.115  
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