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AIやロボットの中で永続的人格として永遠の命を与えるのは、マンガ『銀河鉄道999』の世界である。
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2022年7月28日 MicrosoftNews withnews「あなたは死後も〝存続〟したい?ロボットが揺さぶる「人間」の定義「死すべき定め」ゆえに求める永続的人格
© withnews 提供 「きみはにんげん?それともロボット?」。来場者にそう問いかける特別展「きみとロボット ニンゲンッテ、ナンダ?」。私たちを、私たちとして成り立たせているものは何か。評論家・著述家の真鍋厚…
私たちの身の回りには、様々な「ロボット」があふれています。家電や自動車に搭載されたAIを始め、実例を上げれば枚挙にいとまがありません。近年は死者の人格を、AIで仮想的に〝蘇生〟させ、様々な社会活動に動員する試みまで現れています。人間を人間たらしめているものは何か。ロボットと、どう異なるのか。日本科学未来館で開催中の特別展「きみとロボット ニンゲンッテ、ナンダ?」は、そのようなテーマで展示物を公開し、SNS上を中心に話題を呼んでいます。評論家・著述家の真鍋厚さんに、会場を訪れ、考えたことをつづってもらいました。
死後も生き続ける「デジタル人格」
今年6月、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を患っていたイギリスのロボット科学者、ピーター・スコット=モーガン博士が亡くなりました。彼は、最後の最後まで「自由な精神」と「不自由な肉体」のアンバランスを技術的に解決する実験を自分自身に試み、そのような生のあり方を「ヒューマンサイボーグ」という言葉で表現していたことで知られています。
先日、私は特別展「きみとロボット ニンゲンッテ、ナンダ?」の会場を訪れました。場内を回りながら、それらの展示がモーガン博士の提起したヴィジョンと緩やかに重なり、多くのメッセージが発せられているように感じたのです。
例えば、デジタル技術を駆使し、個人や死者の人格を人為的に〝復活〟させる「デジタル来世」についてどう考えるか、来場者に問いかけるコーナーは印象的でした。
来場者が質問すると、気軽に答えてくれる脳科学者・茂木健一郎氏のデジタルクローン。石黒浩・大阪大教授の外見を精巧に模倣し、様々なテーマで議論し続ける2体のアンドロイド。歌手の美空ひばりの外見や歌声を再現し、NHK紅白歌合戦にも登場した「AI美空ひばり」……。
これらの展示物を見せた後に、「きみ自身や、大切な人を、ロボットでよみがえらせたい?」と書かれた掲示物が現れ、来場者に問いを投げかけるのです。
近い将来、話し方や仕草、性格に至るまで、自分とそっくりの振る舞いをするAI「デジタル人格」を手に入れることが容易になることでしょう。SNS上での簡単なやりとりだけではなく、ショッピングやウェブ会議への参加など、自分の代わりにちょっとした所用もこなしてくれるかもしれません。ゆくゆくは死後の〝復活〟というよりも、死後の人格の〝存続〟が重大な争点となるのです。
そのような意味において、モーガン博士は先駆者といえます。私たちよりも想像力を少し先に進めてみせたからです。
亡き博士が示した三つのキーワード
モーガン博士は生前、伴侶のフランシスとの間で、こんな会話を交わしています。
<私が生きているうちに、AIで動く私のアバターが、私の想像が及ぶ限りの賢さを身につけたとしたら? そして、そのあとで私の寿命が尽きたとしたら?
そんな、嘘みたいなシナリオが現実のものとなったとき、私のAIをどうするべきか? もちろん、最優先されるべきはフランシスの意思だ。「僕が逝ってしまったあとも、本当に僕と一緒にいたいと思う?」
「もちろん、君を失うのは怖いよ。それが君の一部であっても。でも、どんな形であれ君が存在しつづけるのなら、君を完全に失ってしまうより断然マシだ。それだけは言っておく」――『NEO HUMAN ネオ・ヒューマン 究極の自由を得る未来』藤田美菜子訳、東洋経済新報社>
ここに「感情」と「境界」と「人格」という三つのキーワードが出揃(そろ)っていることに気付かされます。これは特別展の副題「ニンゲンッテ、ナンダ?」に関わってくる非常に重要なテーマです。
「心を動かされるかどうか」という根本問題
今回の特別展で、とりわけ多くの子どもたちをとりこにしている展示物があります。人の心に寄り添い、愛されるために開発された家族型ロボット「LOVOT(らぼっと)」。そして人間と触れ合うことで成長し、個性が生まれる、犬の見た目をした自律型ロボット「aibo(アイボ)」などです。
これらのロボットは、独特の振る舞いから醸し出される親しみやすさ、愛らしさによって、私たちの側に強い感情を生じさせます。この事実を引き受けて極論を言ってしまえば、無機物か有機物かよりも「心を動かされる」かどうかに、ロボットの存在意義がかかっているのです。
心理学者のシェリー・タークルは、ロボットが人々の感情を安定させ、心を満たすのに欠かせない存在となりつつある状況を評して「ロボット化の時代」(ロボティック・モーメント)と言いました。そして、次のようにも述べています。
<「ロボットをペットとしてだけでなく、友人や信頼できる腹心、恋愛の相手としてまで考えている人がいる。ロボットと時間を共有するとき、人間である私たちは人工知能が何を知っているのかも、何を理解しているのかも気にしていないように見える」――『つながっているのに孤独 人生を豊かにするはずのインターネットの正体』渡会圭子訳、ダイヤモンド社>
さらに、2014年に日本で公開されたSF恋愛映画「her/世界でひとつの彼女」(監督・脚本:スパイク・ジョーンズ、アメリカ合衆国、2013年)で描かれた世界を一瞥(いちべつ)すれば、脈拍やストレス値といった、個人のバイタル(生体)データなどから感情を読み取る技術が進化した先に、どんな未来が訪れるかが推測できます。
主人公のセオドア・トゥオンブリー(ホアキン・フェニックス)は、人格を持つ最新型OS「サマンサ」(声:スカーレット・ヨハンソン)に恋をしてしまいます。どんなときも自分の心の変化を感じ取り、慰め、励まし、アドバイスしてくれる――なぜなら誰よりもあなたのデータを把握し活用している――からです。
人間よりもはるかに「人間らしい」振る舞いによって、私たちの感情を波立たせ、親愛の気持ちを引き出す。そうしたロボットのありようは、もはや映画という虚構の水平線を飛び越え、現実世界にまで影響を及ぼしているように思われます。
無機物が慈悲の念を呼び起こす不思議
特別展の会場には、いわゆる愛玩ロボット的なものとは違った意図で作り出された、異色の「弱いロボット」シリーズも展示されています。心の機敏を熟知した絶妙な挙動で、私たちに慈悲の念と、それに伴う行動を起こさせるという点で底知れぬ魅力があります。
豊橋技術科学大学ICD-LABの「iBones(アイ・ボーンズ)」は、大きな背骨のようなパーツを積み重ねた形の不格好なロボット。常に動きがモジモジしていて、手を差し出すと謎の液体を数滴吹きかけてきます。液体の中身は、消毒用アルコールですが、変わった動物と出会ったような不思議な気持ちが芽生えてきます。
また、同じくICD-LABが開発した「ゴミ箱ロボット」は、自分の力でゴミが拾えません。しかしゴミを拾ってほしそうな態度を見せ、周囲の人がゴミを投げ入れると、楽しそうにはしゃぐ子どものような声を発します。
今回の訪問に同行した、日本科学未来館の科学コミュニケーター・宮田龍さんは、「開発者は人間の心理を研究し、あえて弱々しいロボットとすることで『私が手伝ってあげなきゃ!』という気持ちを引き出した」と説明してくれました。ここには「生き物らしさ」とコミュニケーションの関係性をめぐる、非常に示唆に富む論点がいくつもあります。
私たちは間違いなく、そこに自分を眼差(まなざ)してくれる生き物、自分を必要としてくれている生き物としての実在感、リアリティーを感じ取っているのです。ロボットの内部がどのような構造になっているかどうかに関係なく、コミュニケーションによって生じるすべての感情が真実――感情にリアルもフェイクもない――であるということが最も重要なポイントです。
身体が入れ替わっても、その人はその人?
モーガン博士が考えていたアバターは、人間が肉体の外に出る、つまり身体的な「境界」を超えるデジタル人格でした。肉体が滅んでも、デジタル人格としての「彼」だけは生き続け、友人らとチャットしたり、論文を書いたり、ライブ配信で近況報告すらしたりすることでしょう。
とはいえ、肉体は通常、少しずつ衰えてゆくものです。内臓や骨、筋肉が部分的にロボット技術に置き換わることは既に行われていることですが、膨大な数のナノロボットが人体の修復をし始め、生体ロボットが実用化されるようになったらどうでしょうか? 脳以外のパーツをほとんど取り替えた人間が出てきたら? 脳の一部を損傷し、意識を失う「植物状態」となった人物の人格を、全てAIに置き換えられるようになったとしたら?
ここからは古代ギリシャの寓話(ぐうわ)「テセウスの船」が、生命体にも適用されることになります。
テセウスの船とは、ある船のすべての部品が別のものに置き換えられたとき、その船と修繕前の船とが同一のものと呼べるのか、という疑問にまつわるたとえ話です。要するに、ロボットやAIの存在が、「どこからが人間でどこからが人間でないか」という根本的な問題を呼び覚ますのです。
人工的な身体(からだ)を持ち、人工的な頭脳で思考し続ける不滅のアバターは、モーガン博士が熱望したものでした。その際、前述の「心を動かされるかどうか」が大きな役割を持つことは明白でしょう。極めて人間らしい姿に私たちは感激し、ただのマシンには思えず、人格を持つ存在として慈しむからです。
そのような点から、ロボットやAIが、人間についての生物学的な定義という境界をも超える可能性があるのです。
ロボットが人間の定義を書き換えるかもしれない
人間とは、「人格」とは何か。ロボットと、どう異なるのか。特別展の会場内をめぐってみると、この難題に取り組むためのヒントがちりばめられていることに気づきます。
例えば会場の入り口の壁面は、鏡になっています。私たちの姿を映し出すようになっているのです。一体なぜか。それはロボットが私たちと紛れもない類縁関係にあり、私たちの延長線上に位置づけられる「恐ろしく人間的な何か」だからではないでしょうか。
これまで述べてきたとおり、ロボットは私たちの「感情」を激しく揺さぶり、身体的・精神的な「境界」さえもあいまいにする存在です。そのため、人間を模倣した、他のどんな造形物よりも人間らしい、という観念を人々から引き出す可能性があります。ひょっとすると、知性的と評される動物たちよりも、生きた細胞が一つもない機械のほうに〝魂〟が宿ると考えられ、法的権利を得る未来図すらあり得るかもしれません。
最近、アメリカ・ニューヨークで、とても興味深い裁判の判決が下されました。
ニューヨーク市内のブロンクス動物園で飼育されているメスのゾウ「ハッピー(Happy)」に人格があるとして、動物愛護団体が裁判所に人身保護令状を出すよう求めたのです。ニューヨーク州の最高裁判所は、これに対して、「ハッピー」は高い知性を備えてはいるものの、法的に「人」の定義は満たしておらず、違法な拘束の対象にはあたらないと判断しました。
しかしこの裁判では、驚くべきことに、最高裁判事7人のうち2人がゾウに人格を認めたのです。今後、人間以外の生物にも人格を見いだそうとする機運が高まれば、今回の判断が覆される未来が訪れるかもしれません。
では、これがゾウではなくモーガン博士が夢見た、不滅のアバターだったらどうでしょう? 人格を認めることの心理的ハードルが、動物たちのケースよりも、もっと低くなるかもしれません。
デジタル人格が自らと同一化し、コモディティ化(一般化)され、日常に溶け込む。そんな世界において、私たちは、どのような形で自分や他人の人格を未来永劫(えいごう)〝存続〟させるべきかについて、対話せざるを得なくなるのです。それこそモーガン博士とフランシスのように。
これは個人にひもづいた単なる「デジタル資産」などではなく、新たな「生の延長」として認知され得るポテンシャルを秘めた、人間の定義を書き換えるかもしれない未知への扉なのです。
このような事々を考えるきっかけとなった、特別展の面白さは、ロボットたちと戯れながら、自分や親近者がいなくなった後の世界が、脳裏にちらつくところです。私もまた死すべき定めにあるということを、ニュートラルに語ることができる、数少ない機会といえるかもしれません。
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特別展「きみとロボット ニンゲンッテ、ナンダ?」
https://kimirobo.exhibit.jp/
会期:2022年3月18日(金)~8月31日(水)
会場:日本科学未来館 1階 企画展示ゾーン
時間:10:00~17:00 (入場は閉館の30分前まで※)
休館日:火曜日 (ただし、3/22~4/5, 5/3, 7/26~8/30は開館)
主催:日本科学未来館、朝日新聞社、テレビ朝日
※「ロボット☆サマーナイト」開催中の8月の土曜日(6日、13日、20日、27日)とお盆期間(8月11日~16日)は19時(最終入場は18時30分)まで」
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