🎑65)─2─日本のモノ作りの原点は伝統工芸。松下幸之助。~No.150 

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 2022年6月28日 MicrosoftNewsダイヤモンド・オンライン「松下幸之助「伝統工芸は日本のものづくりの原点」
 細尾真孝
 © ダイヤモンド・オンライン 提供 Photo: Adobe Stock
 NHK「プロフェッショナルの流儀」で紹介され話題沸騰! 1200年続く京都の伝統工芸・西陣織の織物(テキスタイル)が、ディオールやシャネル、エルメスカルティエなど、世界の一流ブランドの店舗で、その内装に使われているのをご存じだろうか。衰退する西陣織マーケットに危機感を抱き、いち早く海外マーケットの開拓に成功した先駆者。それが西陣織の老舗「細尾」の12代目経営者・細尾真孝氏だ。その海外マーケット開拓の経緯は、ハーバードのケーススタディーとしても取り上げられるなど、いま世界から注目を集めている元ミュージシャンという異色の経営者。そんな細尾氏の初の著書『日本の美意識で世界初に挑む』がダイヤモンド社から発売された。閉塞する今の時代に、経営者やビジネスパーソンは何を拠り所にして、どう行動すればいいのか? 同書の中にはこれからの時代を切り拓くヒントが散りばめられている。同書のエッセンスを抜粋してお届けする。
 「ものづくりの心」を未来に伝えていきたい
 歴史を振り返れば、パナソニックの創業者である松下幸之助氏が、「伝統工芸は日本のものづくりの原点である」という言葉を遺されていることは、先述しました。
 松下氏ご自身が大切にされていた「素直な心」を育てる道が茶道にあると思い、茶道具に触れるうちに、関心が伝統工芸に向かっていったそうです。
 現在パナソニックの迎賓館として使用されている、京都の岡崎にある真々庵は、松下氏の別邸でした。こだわり抜いたお茶室もあります。
 松下氏は、朝日焼の器も多くコレクションされていました。
 工芸家を支援することによって、「ものづくりの心」を未来に伝えていきたいと考えていらした方です。伝統工芸に対する敬意を常にお持ちでした。
 インフラとしての物は豊かになったが、
 本当の豊かさはあるか?
 約一〇〇年前の一九一八年、松下氏がビジネスを始めたときに、日本はまだ豊かではありませんでした。だから松下氏は、「ものづくりの力で日本を豊かにしたい」と考えました。
 これが有名な「水道哲学」です。幼少期に貧困にあえいだ松下氏は、蛇口をひねれば水道の水が出るように、低価格で良質な製品を大量供給することで、物が行き渡って消費者が豊かになるようにしたいと考えていました。
 私なりに咀嚼すると、「インフラとしてのテクノロジーを整えていきたい」ということだと思います。
 戦後には白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機といった「三種の神器」が、パナソニックをはじめとした家電メーカーの努力によって比較的廉価で家庭に普及しました。家事労働を代替し、暮らしを豊かにしてくれる家電が送りだされていったのです。
 パナソニックの創業から一〇〇年が経って、日本の社会を見れば、インフラとしての物は豊かになっていると思います。松下氏の「水道哲学」が実現したのです。
 しかしインフラが整っているにもかかわらず、マーケティング上の必要性からどんどん新作をつくる。それが日本の製造業が置かれている状況だと思います。
 だからこそ、「本当の豊かさとは何なのか」「これからどこを目指すべきか」を、一〇〇周年を迎える前に探りたい。そのカギが、伝統工芸にあるのではないか。パナソニックは、そんな仮説を持っていたのです。
 次の一〇〇年をどうするか?
 「伝統工芸」と「工業」と聞くと、「手仕事」と「機械」といった、対立するイメージもあるかもしれません。
 実際、安価で良質な工業製品が出てくることで、中川木工芸がつくっているような木の桶などはどんどん世の中から消えていきました。
 しかし一大家電メーカーを創業した松下幸之助氏は、伝統工芸をまったく否定していなかったのです。そのうえで、まず世の中にインフラとして物を整えていくということをされていました。
 そして最初の一〇〇年でパナソニックは、それをやり切った。いわば第一フェーズだったのだと思います。
 今松下氏が生きていたとすれば、次にどんな一〇〇年を目指していくのか。それを探すことが、パナソニックと私たちGO ONの共通の課題でした。
 細尾真孝(Masataka Hosoo)
 株式会社細尾 代表取締役社長
 MITメディアラボ ディレクターズフェロー、一般社団法人GO ON 代表理事
 株式会社ポーラ・オルビス ホールディングス 外部技術顧問
 1978年生まれ。1688年から続く西陣織の老舗、細尾12代目。大学卒業後、音楽活動を経て、大手ジュエリーメーカーに入社。退社後、フィレンツェに留学。2008年に細尾入社。西陣織の技術を活用した革新的なテキスタイルを海外に向けて展開。ディオール、シャネル、エルメスカルティエの店舗やザ・リッツ・カールトンなどの5つ星ホテルに供給するなど、唯一無二のアートテキスタイルとして、世界のトップメゾンから高い支持を受けている。また、デヴィッド・リンチやテレジータ・フェルナンデスらアーティストとのコラボレーションも積極的に行う2012年より京都の伝統工芸を担う同世代の後継者によるプロジェクト「GO ON」を結成。国内外で伝統工芸を広める活動を行う。2019年ハーバード・ビジネス・パブリッシング「Innovating Tradition at Hosoo」のケーススタディーとして掲載。2020年「The New York Times」にて特集。テレビ東京系「ワールドビジネスサテライト」「ガイアの夜明け」でも紹介。日経ビジネス「2014年日本の主役100人」、WWD「ネクストリーダー 2019」選出。Milano Design Award2017 ベストストーリーテリング賞(イタリア)、iF Design Award 2021(ドイツ)、Red Dot Design Award 2021(ドイツ)受賞。9月15日に初の著書『日本の美意識で世界初に挑む』を上梓。」
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日本の美意識で世界初に挑む
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 現代日本からモノ作りが急速に衰退したのは、金・証券が金を生む金融神話や土地は利益を生み損はしない土地神話が定着した1980年代からであった。
 そして、日本人からイノベーションはおろか改善力・改良力が衰えて消えたのは、言われるまま・命じられるまま、成功するより失敗しない事が大事として前例踏襲が蔓延した1990年代からであった。
 そして、日本から安心させるオーラを弱めワクワクするという魅力を失った。
 現代日本の原因を作ったのは日本人自身であって、中国、韓国、台湾、その他ではない。
 つまりは、現代日本人がつまらない人間になっただけである。
 何故つまらない人間になったかと言えば、日本のグローバル化、日本人を世界で通用する国際人にするというかけ声で、民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力そして日本国語力を捨てはじめたからである。
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 近代日本のイノベーションとは、古い伝統工芸技術や地方の特産品技術に欧米の最先端科学技術、最新科学哲学、欧米諸国ごと学者・研究者らの多様な理論など雑多が単純と複雑で融合して生み出されいた。
 その結果、欧米人が到達できなかった幾つかのモノを当時の日本人は明治から昭和にかけて発明し作りだした。
 そこには失敗と成功があったが、断然、失敗の方が多かった。
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 イノベーションとは、数多くの失敗とムダの中からほんの僅かな成功・原石・宝石を見出し、不死鳥の様に今まで過去の既存、今・現在あるモノを惜しげもなく否定し破壊し葬り去った中から復活・再生ではなく全く別の新しいモノとして生まれ出る事である。
 夢・発想・想像と希望・破壊と創造・新生である。
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 現代の日本は、グローバル化で外国語能力が向上した反面、日本独自の民族的イノベーション底力・凄技力が乏しくなった。
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 外国語会話力を比べれば、明治・大正の頃の日本人の方が現代の日本人よりも優れていた。
 それは、欧米で、世界で、国際的外交の場で、天皇の名誉と国益の為に孤軍奮闘している日本人の政治家、官僚、軍人、学者、企業家、ジャーナリストなどを比べれば一目瞭然である。
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