✨8)─1─桜田門事件。キリスト教系朝鮮人テロリストによる昭和天皇暗殺失敗。昭和7年1月8日。~No.25 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 昭和天皇は、歴代天皇の中で最も日本人に嫌われている天皇である。
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 昭和6(1931)年9月18日 満州事変。
 昭和7(1932)年1月8日  桜田門事件。
           1月28日 第一次上海事変
           4月29日 上海天長節爆弾事件(虹口{ホンキュー}公園爆弾事件)。
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 日本大百科全書(ニッポニカ)
 桜田門事件
 1932年(昭和7)1月8日に起こった昭和天皇暗殺未遂事件。陸軍観兵式の帰途、天皇の馬車が桜田門の警視庁前を通りかかったとき、群衆中から手榴弾(しゅりゅうだん)が投げられ宮内(くない)大臣の馬車に当たった。犯人の朝鮮人李奉昌(りほうしょう/イボンチャン)は、1925年(大正14)渡日後、日本人から差別を受け、30年上海(シャンハイ)に渡り朝鮮独立党に参加したもので、逮捕後、特別裁判で死刑に処せられた。犬養毅(いぬかいつよし)首相以下全閣僚は事件後、辞表を提出したが、天皇と元老西園寺公望(さいおんじきんもち)の意志で全員留任が決まった。
 [赤澤史朗]
 『原田熊雄述『西園寺公と政局 第2巻』(1950・岩波書店)』▽『大谷敬二郎著『昭和憲兵史』(1966・みすず書房)』
 [参照項目] | 犬養毅 | 西園寺公望
 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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 桜田門事件(さくらだもんじけん)は、昭和7年(1932年)1月8日に起きた昭和天皇の暗殺を狙った襲撃事件で、四事件ある大逆事件の一つ(最後)である。犯人は大韓民国臨時政府の抗日武装組織「韓人愛国団」に所属していた李奉昌で、天皇に危害を加えようとしたなどで大逆罪に問われ、死刑となった。李奉昌大逆事件とも。
 概要
 観兵式還御の鹵簿に手投弾を投ず : 畏くも天皇陛下御異状あらせられず : 大逆犯人は朝鮮人大阪朝日新聞 1932年1月9日)
 昭和7年1月8日、陸軍始観兵式のため、行幸が行われていた。午前11時44分頃、還幸中に、皇居・桜田門の外、麹町区桜田町警視庁庁舎前に通りに差し掛かった還幸の列の馬車に対して、突然、奉拝者の線から沿道に飛び出した男が手榴弾を投げつけた。
 狙われた馬車は第二両目の御料馬車で、宮内大臣一木喜徳郎が乗車するものであった。手榴弾は左後輪付近に落ちて炸裂し、馬車の底部に親指大の2、3の穴を開けたが、手榴弾は威力が小さく、馬車と隊列はそのまま進んで午前11時51分頃、皇居内に到着した。後に破片で、騎乗随伴していた近衛騎兵1人とその乗馬と馬車馬の馬2頭が負傷していたことがわかった。
 昭和天皇は第三両目の御料馬車に乗車しており、手榴弾はその32メートルも前方で炸裂。車内にあって音を聞いた程度だった。奈良武次武官長が陪乗していたが、天皇は極めて冷静沈着で、帰還後も事件について何ら言葉をかけることもなかったという。
 襲撃者は一名で、警視石森勳夫、巡査本田恒義、山下宗平、憲兵河合上等兵、内田軍曹の五名によって即座に逮捕された[1]。犯人は朝鮮京城生まれの李奉昌という人物で、朝鮮独立を目指す金九が組織した抗日武装組織・韓人愛国団(大韓僑民団)から派遣された刺客であった。
 即座に取り押さえられた李奉昌
 李は先月28日に昭和天皇が観兵式に臨席することを東京朝日新聞で知り、犯行の前々日(1月6日)にバス運転手菅原久五郎から偶然入手した憲兵曹長「大場全奎」の名刺を使って観兵式の警戒網を2回突破した。赤坂付近で襲撃する予定が、待っている間に付近の一つ木食堂で日本酒を飲んでいて行幸の列をやり過ごしてしまい、李は慌てて円タクを呼び止めて三宅坂の陸軍参謀本部前で降り、そこから走って警視庁正門まで行って奉拝者の列に混ざったという次第であった。李はどの御料馬車に天皇が乗車しているかを知らなかった。焦りや動揺の中で第一両目に投げようとしたが投げきれずに断念し、第二両目が次に来て漸く決心して投げきったというところで、誰が乗車しているかなどを考える余裕はそもそもなく、襲撃は失敗に終わった。
 この事件は大逆罪(刑法第73条)に該当し、大審院特別権限に属するということで、東京地方裁判所検事正は、即日、検事総長小山松吉に送致し、小山は直ちに大審院長和仁貞吉に予審を請求。和仁は東京地方裁判所判事に予審を命じ、上席予審判事秋山高彦が取り調べること、国選弁護人には鵜澤總明、山口貞昌の両名があたることに決定した。6月30日までに予審は終了し、大審院は7月19日に公判開廷日を決定。9月16日、公判を開き、予審調書を採用して即日結審した。
 9月30日午前9時15分、大審院特別刑事部の和仁裁判長は被告李奉昌に刑法第73条により死刑を言渡した。10月10日、市ヶ谷刑務所にて死刑が執行された。
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 昭和天皇肖像画の写真を燃やす動画が日本の現代アートに、賛成する日本人が多数で、反対する日本人は少数であった。

2020-02-18
🦲4〕─18─表現の自由。日本の現代アートは「人の写真(例えば皇族の写真)を燃やす」こと。〜No.19  
2020-11-07
🦲4〕─21─あいちトリエンナーレ2019。愛知県知事リコール運動敗北。〜No.22 
2021-10-14
🦲4〕─24─昭和天皇肖像燃やす動画と「表現の不自由展かんさい2021」。〜No.25 
 韓国・北朝鮮中国共産党アメリカ、ロシア、その他、多くの国々は昭和天皇ヒトラーと同罪の非人道的戦争犯罪と認めている。
 アメリカの一部では、昭和天皇が住んでいる東京・皇居の上に原爆を投下して焼き殺す事を望んでいた。
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 日本人共産主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストは、昭和天皇や皇族を惨殺する為につけ狙っていた。
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 共産主義の5%支配理論。
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 有能な共産党員教師が3人いれば、日本の学校イデオロギー支配できる。
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 昭和天皇「本土決戦を行えば、日本民族は滅びてしまう。そうなれば、どうしてこの日本という国を子孫に伝えることができようか。自分の任務は祖先から受け継いだ日本を子孫に伝えることである。今日となっては、一人でも多くの日本人に生き残ってもらいたい、その人たちが将来ふたたび立ち上がってもらう以外に、この日本を子孫に伝える方法はない。そのためなら、自分はどうなっても構わない」(1945年8月10日聖断)
 天皇にとって民(日本民族)は「大御宝(おおみたから)」である。
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 天皇の意思は「大御心(おおみこころ)」で、民は「大御宝(おおみたから)」として、天皇日本民族は信頼という硬い絆で結ばれていた。
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 昭和天皇は、親ユダヤ派、差別反対主義者、避戦平和主義者、原爆は非人道的大量虐殺兵器であるとして開発中止を厳命した反核兵器派、難民・被災者・弱者などを助ける人道貢献を求め続け、戦争には最後まで不同意を表明し、戦争が始まれば早期に講和して停戦する事を望むなど、人道貢献や平和貢献に努めた、勇気ある偉大な政治的国家元首・軍事的大元帥・宗教的祭祀王であって戦争犯罪者ではない。
 同時に、日本の歴史上最も命を狙われた天皇である。
 昭和天皇や皇族を惨殺しようとしたのは日本人共産主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストであった。
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 靖国神社の心・志・精神とは、人道貢献と平和貢献の事である。
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 歴史的人道貢献とは。昭和天皇A級戦犯である東条英機松岡洋右松井石根らは、ソ連ポーランド侵略から逃げてきた数万人のポーランドユダヤ人を保護し、ナチス・ドイツゲシュタポと日本人の反ユダヤ派、親ドイツ派の上海ホロコーストを阻止しユダヤ人難民数万人を敗戦後まで守り続けた。
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 昭和天皇の平和貢献とは、戦争には不同意であったが政府と軍部が決定すれば裁可するが、戦争が始まれば早期に講和を行って戦争を止める事を求め続けた。
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 日本国内には、天皇制度を廃絶しようとしている反天皇反民族反日的日本人達が高学歴の知的エリートや進歩的インテリに数多く存在している。
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 現代の日本人、政治家・官僚・学者そしてメディア関係者も誰も重大問題とはせず、沈黙、つまりは黙認している。
 現代の学校歴史教育では、昭和天皇が行った数々の歴史的偉大な功績は否定され抹消されている。
 つまり、生徒・学生で昭和天皇は嫌いが大多数で、昭和天皇が好きだという子供は異常・おかしいとされている。
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 昔の日本人は、戦場で人殺しの戦争犯罪を行ったが、同時に戦場で人助けの人道貢献や平和貢献を行った。
 現代の日本人は、戦争犯罪を行わないが、人道貢献や平和貢献も行わない。
 事実、中国共産党ウイグル内モンゴルチベットで行っている人道に対する犯罪であるジェノサイドから目を逸らしている。
 興味も関心もないと公言する親中国派・媚中派の政治家や官僚が存在する。
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