🌈81)82)─1─日本民族神話の洗う文化が台湾・朝鮮を清潔に洗い浄めた。温泉。入浴文化。~No.140No.141No.142No.143 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2022年5月29日 読売新聞「文化 本
 <洗う>文化史 『きれい』とは何か 
 国立歴史民俗博物館花王株式会社編 吉川弘文館
 日本人の命と心を保つ
 評・梅内美華子
 本書は国立歴史民俗博物館花王株式会社とが2017年からおこなってきた『清潔と洗浄をめぐる総合的歴史文化研究』という産学共同研究の成果をまとめたものである。日本人の『あらう』行為と意味に焦点を当て通史的に捉えたものこれまでになかったのではないか。感染症拡大の時期にも重なり、衛生と心性を考える上でも興味深く、画期的な書である。
 『あらう』の語源は『新(アラ)』、新たにすることから来ているという説がある。古代神話では穢れを除き新たな力を得る意味として『洗う』が用いられていた。奈良時代正倉院文書には官人が写経前に沐浴をしていたことが記録され、休暇理由として浄衣(じょうえ)の洗濯を記していたそうだ。近世になると参勤交代で江戸に滞在していた地方武士は煤(すす)や市中の埃(ほこり)による汚れを嘆き、手水(ちょうず)や町の湯屋で意識的に清浄を保っていた。この頃になると勤務中のみだしなみの意識が加わっている。
 近代国家では公衆衛生が政策に加わり、台湾と朝鮮の植民地支配では町や学校の寄宿舎み浴場を設置し、日本の入浴習慣を浸透させた。ここには清潔観念による支配と被支配があり、民族への差別がうまれたという。清浄の意識や方法の違いは蔑視や排除をはらみかねない。
 石けん一般家庭に普及していったのは昭和初期。1940年にはノベルティがついた『花王コドモ手洗い会』が全国に広まるなど企業の啓蒙運動の効果も大きい。戦後には給食前に『手洗い歌』が校内放送され、歯みがきの指導が始る。こうして清潔に意識の高い国民が育ってゆく。
 身体を洗う肌への刺激が脳内物質の分泌を促しストレスをやわらげるという。一方で民俗伝承としての禊(みそ)ぎや祓(はら)えは心身の穢れを清める行為として今も残っている。科学と非科学的なものの間に日本人の『洗う』があり、『洗う』とは命と心を保つためのものだと気づかされる。」
   ・   ・   ・   
ミツカン水の文化センター
 機関誌『水の文化』11号
 洗うを洗う
 TOP水の文化センターの活動機関誌『水の文化』機関誌 11号洗うを洗う
 清潔感を洗う
 編集部
 「洗う」で何が見えてくるのか
 京都・清水寺を訪れると、音羽の滝で水を飲む人々の姿を見ることができる。アルミのひしゃくを使い、みんなが代わる代わる水をすくい取って飲む、日本ではおなじみの風景である。しかしよく考えてみると、抗菌グッズが売れ、ミネラルウォーターに金を投じる時代になった現在、一方で他人が口をつけているひしゃくを汚いとも思わないのは、少し不思議な気がしてくるものである。人は、音羽の滝の聖性にそのようなことは気にならない力を感じるのか。それとも、多くの人が飲んでいることに安心感を覚えるのか。大いに気になるところである。
 手を洗う、心が洗われる、身を浄める、布巾を洗浄する、垢を落とす、洗車をする、野菜を洗う‥‥。「洗う」という行為一つをとっても、そこには多様な「水とのつきあい方」が存在する。すべての文化が、気候、風土や地域、民族などの背景を持って形成されてきている以上、「洗う」文化も例外ではありえない。
 今号のテーマは「洗うを洗う」。洗うことをいろいろな観点から掘り下げてみると、その多様性に驚かされ、それは同時に洗うという言葉の持つ多様性ともなってくる。これらを交通整理することで、重なりあって見えにくくなっていたものを浮き上がらせる試みをしてみた。洗うというからには、落とさなくてはならない「汚れ」があるはずだ。その落とす行為が「洗う」ことである。「洗う」が多様性を持っているのは、この「汚れ」に多様性があるゆえである。
 2つの「汚れ」を洗う
 1つは、単純な泥汚れ、油汚れ、垢じみた汚れなどである。汚れが落ちた状態は、目で見て「きれい」になっている。この汚れは不純物が付着したと考えられ、付着物の性質に応じた落とし方が開発されてきた。その手段、方法は、高度経済成長期に飛躍的に変化して、現在に至る。
 もう1つは、「穢れ」(けがれ)である。穢れは精神性の汚れであり、宗教や信仰とも密接な関係を持つ。穢れが意識されると、その穢れを払う宗教的な機能も発達していったことは想像に難くない。穢れを払った後の状態は「清い」と表現される。
 日本では清めの儀式に広く使われる塩は、実際に防腐効果も持っている。葬式の帰りに玄関先で蒔く塩は、「家の中に穢れを持ち込まない」と同時に「腐敗した死体、あるいは伝染病の死体に接したあとの消毒」のためでもあると考えられる。
 この点について検討したのが文化人類学者のメアリー・ダグラスであり、今や古典となっている『汚穢と禁忌』(塚本利幸訳、思潮社、1995)(原題はPurity and Danger :An Analysis of Concepts of Pollution and Taboo )やMary Douglas & Aaron Wildavsky,Risk and Culture ”(University of California Press,1983)の中で、リスク感覚と穢れと秩序の関係に注目している。
 穢れたものは危険なものでもあったが、その穢れや危険と捉える感覚と意思決定は文化により異なることを指摘している。これを彼女は世界各地の原住民の生活等から導き出した。要は、「公衆衛生」観念が誕生する前は、安全の保証と「穢れを浄める」ことが、同じレベルで用いられていたのである。では、高度経済成長期に飛躍的に進化を遂げた、目に見える汚れについても追ってみよう
 『汚穢と禁忌』
 清潔感は新しい
 私たちが常識と思っている清潔感の歴史は、実は意外と新しい。例えばフランスの社会史家ジャン=ピエール・グベールの『水の征服』(パピルス社、1991)を読むと、19世紀フランスの富裕層でも毎日身体を洗うことが例外的習慣であったことがわかる。お湯の入った小さな壺が運ばれてきました。
 「今日はどこを洗おうかしら。」
 「そうですね。」
 アルザス出身の女中が、ためらいながら、お国なまり丸だしで答えた。
 「顔にしますか、首にしますか」
 「首ですって。だめよ。そこは昨日洗ったもの」
 「そうですね。じゃ腕を肘まで洗ってはどうでしょう・それじゃ袖をまくってください」
 ここには「清潔」を、ことさら気にする風情は感じられない。まあ匂いがしないぐらいに洗っておこうという程度なのだろう。水が豊かな日本とフランスでは比較できないだろうと思われる方も、日本の入浴史を見れば納得できるはずだ。入浴は日本でも日常的な行為ではなかったことに変わりはなかった。日本の風呂は、空間的にはハレの場として位置づけられており、現在に近い「きれいになるための入浴習慣」が現れたのは、近代風呂が家庭に普及する大正時代になってからのことである。
 その風呂もけっして清潔というわけではなかったらしい。民族学者の吉田集而は『風呂とエクスタシー』(平凡社、1995)の中で、風呂の本来の用途をシャーマニズムにおける「恍惚感」を得るためと推測し、かつては「風呂に入る」ことと「きれいになる」という価値とは切り離されていたと述べている。
 この大正時代頃からの風呂の在り方の変化は、家の間取りにも現れている。例えば、1910年(明治43年)に箕面有馬電気鉄道(現阪急電鉄)が大阪郊外の池田町で開発した住宅の平面図を見ると、風呂はどこも北の片隅の台所に隣接して置かれ、外から入るようになっている。外風呂が家に隣接しているという感覚だ。これが住宅営団(後の住宅都市整備公団)規格の集合住宅の間取り(1942年、昭和17年)になると、ほぼ現在の風呂のイメージと変わらなくなり、部屋の一つとしての内風呂になっている。おのずと、風呂の役割としての「ハレ性」は薄れ、部屋に求められる「清潔性」が風呂にも現れるようになってきた。どうも、風呂における清潔感覚の常識は、大正時代頃に端を発しているようだ。
 それでは、洗濯はどうなのだろうか。
 『水の征服』 『風呂とエクスタシー』
 左:『水の征服』右:『風呂とエクスタシー』
 ライフスタイルの変化は清潔感を変える
 ライフスタイルが激変すると、人々の清潔感も変わってくる。かくして洗濯の技術も、変遷を余儀なくされるのである。
 かつては、ほどほどに汚れが落ちれば良かった。服の素材は綿が主であったし、油性の汚れも家庭ではそれほど多くなかったことだろう。ところが、洗濯機と洗剤が普及し、汚れが目に見えて落ちるようになった。なおかつ、その白さはきらきらと光る「真っ白」、漂白された白さであったし、青味付けして強調された白さであった。清潔な「匂い」もついていた。いつのまにか消費者は「白く」ならないときれいになったと思わなくなり、「きれい」を判断する術が失われていった。
 「何を見て清潔と感じるか」という点について、スーエレン・ホイは『清潔文化の誕生』(紀伊国屋書店、1999)の中で興味深い指摘をしている。19世紀後半から、アメリカ人の生活の中で清潔感が衛生感と同じ意味で使われ、白もの信仰が蔓延するようになったというのだ。この書は、白もの信仰が、アメリカン・ライフスタイルと密接なつながりがあることを教えてくれる。
 『清潔文化の誕生』
 「清潔感」とは
 ここまで何気なしに「清潔感」という言葉を使ってきたが、広辞苑の「清潔」の項には、「茶の湯は清潔にしてさはやかなるを本とし」という、1665年に浅井了意により書かれた『浮世物語』の用例が引用されている。清潔の「清」は「きれい」という意味で、英語の pure と beautiful の両方の意味をもっている。また、「潔」は、「潔斎」という言葉からもわかるように、心身の穢れを断ち、清浄を保つことを意味している。「茶の湯は清潔・・」というのは、この三つの意味がミックスされて用いられているのだ。ここで、冒頭で述べたきれいと清いが登場する。日本語の清潔の言葉の中には、両方の意味が込められているのだから、洗う概念が整理して受け止めにくいのもうなずける。
 もう一つ「清潔」と同じ意味で用いられている言葉に、「衛生」という用語がある。おおざっぱに言うと、病原菌や有機物、有害物質などを限度以上に含まないことである。この「衛生観念」が広く日本に持ち込まれたのは、実は明治時代になってからのこと。衛生という言葉も、英語のhygiene を、長与専斎が漢字に直したものだ。
 長与専斎といえば、幕末、緒方洪庵適塾に学び、明治維新にあたっては岩倉遣欧使節に加わり帰国後は内務省衛生局長を歴任して、コレラ予防など日本における医療、衛生行政の設計者となった人物である。水道の整備も、元はと言えばコレラ予防が発端となっている。水道水には衛生的な意味で清潔であることが求められる。大腸菌はゼロ、一般細菌も規準以上含んではいけない衛生的な水道水は、結果として「安全さ」を保証した水となる。この「衛生的な清潔」は約150年前の明治時代になってから入ってきた観念だ。
 衛生観念の誕生
 そもそも、明治維新まで庶民と汚れの距離は非常に近かった。『洗う風俗史』(未来社1984)の著者、落合茂は、江戸時代末期の洋学者佐久間象山による妻の心得を説いた言葉を紹介している。「夫の衣類をば心に入れて度々見及び垢つきたるをば濯ぎ清め、損ねたるをば取り繕い、いささか粗末なきようあるべし」(『女訓』)「夫の衣類が汚かったら、きちんと洗いなさい」と説いているのだが、わざわざ諭すぐらいなのだから、逆に暮らしの現場では汚れがごく身近であったことがよくわかる。
 『洗う風俗史』
 日本の洗剤の歴史について記した文献は数少ないが、その中でも秀逸なものに花王(株)が創業83周年記念に制作した『日本清浄文化史』(1971、非売品)がある。それによると庶民は灰汁などを石鹸の代わりに用いてきたが、文明開化の1873年明治6年)には民間最初の石鹸工場・堤石鹸製造所が創業を開始。以後、続々と石鹸メーカーが現れ、日本中に石鹸が普及していく。「美洗粉」と呼ばれる現在でいうシャンプーも登場する。
 大正〜昭和時代になると家庭生活も近代化し、1930年(昭和5年)に東京芝浦電機(現東芝)が国産電機洗濯機第1号(回転式)を発売する。これは1940年(昭和15年)までの間に5千台を製造したというが、庶民向けのものではなかった。
 その後第二次世界大戦、敗戦、戦後復興をはさむこととなるが、何と言っても洗濯に革命的な変化をもたらしたのは昭和30年台の水道普及・家電革命・高度成長だった。高度成長によるライフスタイルの激変は、洗濯における清潔感をも大きく変えることとなったのである。
 上:日本の洗剤消費と人口、世帯数の推移 洗剤の国内消費高推移は日本石鹸洗剤工業会 『石鹸・洗剤・油脂製品・原料油脂年報2000 年版』より 下:家電及び乗用車の普及率
 家電革命と家事省力化
 まずは、水道の普及。上水道が日本の各家に普及したのは昭和30年代(1955年〜1965年)だ。1960年には約40パーセントだった普及率が、10年後の70年には80パーセント近くまで伸びた。
 家に水道が引かれるまで、水がどこから来てどこへ流れていくのかということは、生活者と身近な関係にあった。しかし、上下水道の普及により蛇口と排水口以外に水は見えなくなってしまった。かつては、用途に合った水を、井戸、川、わき水、天水など異なる水源から求めていたが、現在は常に衛生的にきれいな水を、用途おかまいなしに水道が供給してくれる。
 この水道普及に合わせるように、洗濯機も爆発的に普及した。世帯当たり普及率も1960年からのわずか10年間に倍増し、70年には10軒に9軒が保有するまでになった。
 同様に、洗剤の消費量も爆発的に増えた。戦後の洗剤史は合成洗剤の時代とも言えるもので、その国内消費高も洗濯機と同様、急カーブで増加した。
 まさに家電革命と言われた時期。それは特に主婦に何をもたらしたのだろうか。NHK放送文化研究所の『日本人の生活時間2000』(NHK出版、2002)は、主婦の家事時間(洗濯、炊事、掃除)の推移をまとめている。1960年、主婦は4時間26分を家事に費やしていたが、40年後の2000年には3時間49分と37分下がっている。
 家電製品が女性の家事省力化をもたらしたことは確かだが、家事時間がその分減ったというよりも、むしろ、洗濯をしながら「掃除」「炊事」などをする、「・・ながら行動」が可能になった。このため、並列的に家事をこなすことができるようになり、家事の省力化が大いに進み、洗濯は手軽になった。手軽化したというとは、清潔な水を得ることも手軽になったし、汚れの程度を判断する必要もなくなったということだ。
 『日本人の生活時間2000』
 清潔感のバランスを取り戻すことはできるのか
 風呂も、洗濯も、洗いものも、トイレも、すべて衛生的な水道で得られる膨大な生活用水がまかなってくれる。そして、いつのまにか衛生的にきれいな水でないと、すべての用途に対しても満足できない人々が増大してしまった。このことは、衛生感が客観的な装いを持っているだけに、歯止めをかけるのが難しい。
 しかし、こうした衛生感の膨張は、水道普及、家電革命など、かなり人為的な条件が重なり作られたものであることもわかってきた。ならば、時代に応じてわれわれ自身のライフスタイルやものの見方を少し変えてみることで、「洗うこと」における人と水とのつきあい方も変えることができるのかもしれない。
 まず、自分たちが洗う場面における「清潔」感覚や、そこに使う水を点検してみる。洋式トイレの便座は毎回消毒しなくはいけないのだろうか。車は毎週洗わなくてはいけないのだろうか。売られている野菜には泥がついていてはいけないのだろうか。なぜ日に干した洗濯物の太陽の香りは心地よいのだろう。なぜ、なぜ・・求められる清潔感が一様でないことにちょっと気づくだけで、水とのつきあい方は違ってくるだろう。
 第二は、水が地域の共有資源として認知されていると、自ずと「汚いものは出さないように」とか「無駄な水は使わないように」などと、水に気を遣うようになる。汚い水を排出しないようにルールも生まれるし、自分の水の使い方が地元に適しているのかチェックさせられる。滋賀県長浜市でつい10年ほど前までは井戸番が生きていたし、温泉をコミュニティとして守り管理している例は、地域として求められる清潔感を残していくことにつながるだろう。
 第三は、衛生感覚が膨らみすぎた個々人の清潔感を、バランスのとれたものにする試みである。衛生観念の誕生は、明治からたかだか150年。それ以前は、経験値から得られたいわば生活の知恵の範囲内で、きれいな状態のバランスを保っていた。数値や流動する価値観に惑わされず、自分の物差しと余裕が欲しい気がする。
 住宅の外壁を洗う商売があるが、付いた汚れは洗い流せても、外壁そのものが紫外線や風雨に曝されて変質してしまえば、その汚れは落とすことができない。これを「劣化」と呼ぶ。ところが面白いことに、劣化と同様に素材本体を変質させながらも美しく変身する例が「経年変化」である。
 何百年もの歳月を風雪に耐えた神社仏閣の欅(けやき)の柱、はき込んで体に馴染んだジーンズ、髪の脂が染み込んで飴色に変わった柘植(つげ)の櫛。これらを劣化した、きたない、と感じる人間がいるとは考え難い。落とすべきものは汚れであるのだから、経年変化したものに落とすべきものは見当たらないし、劣化してしまった素材のきたなさは落とす手段が見出せない。したがって、これらは洗えない汚れなのである。洗う必要がないものまで洗うことを見直し、洗わなくてもすむものを使っていくことも、これからの時代は選択肢に入れるべきであろう。
 清潔嗜好が助長されつつある現在、洗うことに欠かせない水が、いかに重要な存在であるかが改めて認識される。用途に合った水利用に気づくこと、水を共有財産として意識すること、きれいに対する自分の物差しを持つことの3つが、とりあえず今の段階で私たちができることなのではないだろうか。
 清潔感が社会の水の消費を左右するならば、少しばかり「洗う文化」、「洗う感覚」を見直して、バランスの取れたものにしていきたいものである。
 PDF版ダウンロード
  ・  ・  ・   
 LIXIL
 入浴文化の変遷―日本人がお風呂に求めるものとは
 SHARE FaceBook Twitter in
 更新:2017年3月16日
 日本人は世界に類を見ないほどのお風呂好きと言われますが、日本ではお風呂は身も心も清める場所から、保養や社交の場としての役割も担い、独自の発展を遂げてきました。「伝統的に日本人は、温泉にはさまざまな医学的な効果が期待でき、心身の癒やし効果があると、知っています」と温泉ソムリエ・アンバサダーの飯塚玲児氏はその理由を解説します。「日本には火山が多く、たくさんの温泉に恵まれていたことがまず根底にあり、その上で、高温多湿な夏、乾燥して寒い冬、花や新緑に彩られる春、紅葉が美しい秋と、四季を持つ風土も、温泉入浴を楽しいものにしてくれています。そうした温泉へのあこがれを身近に体験できるものとして、家のお風呂があると考えられます。身体の汚れを落とすことで気分を一新し、くつろいで心とからだの疲れやストレスをリセットすることで生まれ変わる、それが日本人にとってのお風呂なのです」。
 2017年はLIXILシステムバスルームの量産化を初めて50周年。日本のお風呂の歴史を振り返るとともに、時代やライフスタイルの変化を先取りするような、LIXILが目指すお風呂空間作りについて考察します。
 お風呂の原点、温泉
 © Yasuhiro Okawa全国に活火山が点在する日本には3,000を超える温泉地があり、古いものでは、縄文時代の遺跡から温泉が利用されていた痕跡が見つかっています。温泉の利用の歴史については、検証ができないさまざまな伝説や神話が多くの温泉地で語り継がれています。最も古い記録としては712年に編纂された日本最古の歴史書古事記』や、720年に完成した『日本書紀』に温泉についての記載が含まれており、こうした文献を基に、兵庫の有馬温泉、和歌山の白浜温泉、そして愛媛の道後温泉が「日本三古湯」と言われています。
 また、733年に編纂され、全国で唯一完本として伝わる『出雲國風土記』では、現在の玉造温泉を「一たび濯(すす)げば形容端正(かたちきらきら)しく、再び浴(ゆあみ)すれば、万病(よろずのやまい)悉(ことごと)くに除(のぞ)こる」と、土地の人が必ず効き目がある「神湯」と呼んでいたことを伝えており、温泉が古くから湯治を目的として利用されていたことがわかります。
 では、日本人はいつ頃から温泉以外の入浴をしていたのでしょうか。6世紀の仏教の伝来とともに、沐浴の功徳を説いた仏教の教えが広まり、身体を洗い清めることは仏に仕える者の大切な業と考えられるようになります。奈良時代には、貧しい人びとに施しを行う行為の一つとして、東大寺法華寺をはじめとする仏教寺院では施浴(せよく)が盛んに行われるようになりました。これらの施浴のほとんどは、現在のような浴槽のお湯につかる入浴ではなく、蒸気で身体の汚れを浮かせて洗い流す蒸し風呂でしたが、この施浴の普及が、その後の「銭湯」文化につながります。
 江戸時代になると、お風呂の習慣や楽しさがさらに広く認識されるようになり、「銭湯」がまさに庶民の憩いの場所として繁盛するようになりました。江戸時代初期の銭湯は、従来の蒸し風呂に、浴槽に足を浸す程度の湯を加え、下半身をひたし、上半身は蒸気を浴びる「戸棚風呂」と呼ばれる仕組みでした。その後、明治、大正時代と銭湯の近代化が進み、木造であった洗い場や浴槽はタイル張りになるなど、今日の銭湯に近づいていきます。
 © Mie Morimoto
 内風呂の発展
 日本人は明治維新とともにさまざまな西洋の生活様式を取り入れていきましたが、お風呂に関しては洗い場で汚れを流してからお湯につかるというスタイルを維持し、日本独自の入浴文化を発展させてきました。20世紀初頭の内風呂は木製あるいは鉄製が主流でしたが、タイル製造の発達とともにタイル張りのお風呂が人気となりました。
 内風呂は江戸時代からある程度広まっていたとはいうものの、昭和期前半においても庶民は銭湯に通うのが常で、内風呂を持つのは裕福な家庭に限られていました。家庭で内風呂が一般化したのは第二次世界大戦後の高度成長期を迎えた頃から。それまではオーダーメイドで作られていましたが、住宅需要が急激に高まり、それまでの在来工法から高品質ながら工期が短く、手軽な浴室が求められるようになりました。こうしたニーズに応え、LIXILは1967年に、システムバスルームの開発及び量産化を開始し、内風呂の普及に大きな役割を果たしました。
 自宅にお風呂があることが当たり前な豊かな社会となった今日、LIXILがお風呂づくりでめざすことはもはや単なる浴槽・浴室の提供ではなく、まさに「浴室という空間を演出することによる新しい生活者価値の提供」だとLIXILの浴室事業部 事業部長の深尾修司は話します。
 製品開発をするにあたり、「社会的な背景や文化を理解し、一人ひとりの生活者の目線にならなければ、お客様のニーズは見えてこない」と深尾は断言します。そのため、LIXILでは念入りな行動観察に基づいた製品開発を行っています。例えば、人はなぜ温泉に行き、どういう価値を求めているのか。温泉成分の効能を求め、湯治のために行く人、日常生活からはなれてリラクゼーションを求めて行く人、美容目的の人など、温泉の価値を掘り下げます。同じリラクゼーションでも皮膚感覚の癒やしもあれば、山並みや海などの風景から視覚的に感じる癒やしもあります。
 文化的・歴史的背景を理解した上で行動観察から洞察を引き出し、何に価値を置くかという傾向を見極め、技術とマッチングしてできたのが2014年に発売した「SPAGE(スパージュ)」。 "自宅にスパ(温泉)を作る"をコンセプトとし、肩湯や打たせ湯、そして四季の移ろいを感じさせる映像・音響といった五感で癒やされる付加価値の高い機能を搭載して今までの住宅のお風呂の概念を変えました。
 ライフスタイルの変化に対応した浴室空間の創造
 LIXILでは、2017年3月より戸建住宅用システムバスルームの主力シリーズ「Arise(アライズ)」をフルモデルチェンジし、シャワー中心の入浴スタイルに対応する「フルフォールシャワー」を提供し始めます。グループ会社のGROHEとの共同開発によって、大型シャワーヘッドを採用し、空気を含んだ大粒で柔らかいシャワーでワンランク上の心地よさを実現します。また、立ち姿勢、座り姿勢のいずれでもオーバーヘッドシャワーが楽しめるようシャワースライドバーの形状を工夫するなど、細部までシャワー浴のしやすさにこだわった仕様としました。子育てや介護、共働きなどで忙しい平日はさっとシャワーで入浴を済ませたい人びとにも、たっぷりとしたお湯の気持ち良さを体感していただけるバスルームを提案しています。
 ©HOUSE VISIONLIXILでは創業以来、建築家やデザイナーと手を携え、機能性と洗練された美しさの融合を追求してきました。ライフスタイルや時代に合った製品で暮らしを豊かにしたいという信念は、LIXILが掲げるブランドプロミス「Link to Good Living」にも反映されています。2016年夏、LIXILは建築家 坂茂氏とともに、HOUSE VISON 2016 TOKYO EXHIBITIONに「凝縮と開放の家」を出展し、風呂・トイレ・キッチン・洗面など、生活の核となる機能を集約して一括りに配置・工事できる画期的なシステムユニット「ライフコア(LIFE CORE)」を提案しました。このシステムユニットを使用すれば、建築の構造・工法を単純化でき、自由な空間設計が可能となります。少子高齢化やひとり暮らし世帯の増加といった現代日本が抱える課題と新たなトレンドに対応し、快適な住まいと暮らしを実現するために何が必要となるか、LIXILは今までの常識にとらわれずに、模索し続けています。
 「システムバスルーム量産化50年の節目の年にあたり、「日本は温泉と火山の国。自然の恩恵に感謝の気持ちを持ってそれが育んだ文化を大事にし、これからまた50年、人びとのライフスタイルにあった浴室空間を提案していきたい」と深尾は心新たにお風呂の開発に邁進しています。
   ・   ・   ・   
 日本列島の気候は高温多湿で、季節的な乾燥した大風が吹く埃・ゴミ・砂塵が舞い上がる事があり、そして菌や苔、微生物やウイルスが数多く生殖し、有益なよいモノもいればそれ以上に有害な悪いモノもあった。
 日本民族が真面目に大量の汗を掻きながら重労働をする為に、毎日1回から数回、入浴して身体を洗い清潔にしないと皮膚病や感染症で健康を害し、最悪、病死する危険性が高かった。
 それが、黄泉(死者)の世界から逃げ出してきた伊弉諾尊イザナギノミコト)が穢れた身体を清らかな川で洗い浄めたという記紀神話天皇家・皇室の神話)である。
 沐浴した伊弉諾尊の身体から生まれ出たのが天照大神(女性神天皇家の祖先神)、月読尊(つきよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)である。
 つまり、同じ沐浴でも、日本神道ユダヤ教では意味が全然違う。
 日本に入浴文化が生まれたのは江戸時代で、それ以前の時代で庶民は入浴を習慣としていなかった。
 日本民族の洗う文化と言っても、家庭内・銭湯による入浴文化と温泉地における湯治文化は違い、湯に浸る文化には幾つもの種類がある。
   ・   ・   ・