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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
逃げるが勝ちは、歴史的に日本と中国・朝鮮では意味が違う。
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地平線の大陸は、神に祝福され、水と生物が溢れていて生きるのがたやすい。
水平線の大海は、神に見放され、水がなく生物が乏しい為に生きるのが困難である。
日本民族の原初は海洋民族である。
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歴史的事実として、日本は「負けて勝つ」であり、中国と朝鮮は「逃げるが勝ち」であった。
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2022年4月3日号 サンデー毎日「五木寛之のボケない名言
逃げるが勝ち ── ことわざ
ことわざが正しいとは限らない
ロシア軍のウクライナ侵攻に際して、国外に避難するウクライナの一般市民の数は、100万人をこえ数百万に達しそうな事態となっているらしい。
しかしウクライナ側の政府要人や兵士たちは、徹底抗戦の構えで激しく抵抗を続けているという。
日本の敗戦直前、旧満州や北朝鮮からは、ソ連の侵攻と同時に、政府要人や軍高官はいち早く現地から退去した。
私は当時、現在のピョンヤンに住んでいたが、敗戦直前に飛行場からは、続々と軍関係者や高級官僚たちが軍用機で脱出していたらしい。駅も当時の上流市民でごった返していたと、後から知った。
『一般市民は軽挙妄動せずに現地にとどまれ』
というのが一般市民へのお達しだったのに。
やがてソ連軍の進駐とともに、悲惨な敗戦国民の生活がはじまった。米ソの間で38度線が定められ、私たちも満州からの難民とともに抑留の冬を迎えることとなる。
困難に直面したとき、それを迎え撃って徹底抗戦するか、さっさと逃亡するか、その選択は迷うところだ。一時期、逃亡論の思想が一世を風靡(ふうび)したことがあった。
『逃げろや、逃げろ』
の合言葉が一つの思想として支持されたのである。
古人は言う。『逃げるか勝ち』と。しかし、逃亡の道を持たない島国の民はどうすればいいのか。『逃げるが勝ち』は、大陸の論理かもしれないと、あらためて思う。」
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故事成語を知る辞典の解説
三十六計、逃げるに如かず
いろいろな作戦がある中で、逃げるのがいちばんいい、ということ。
[使用例] その男は、個人的な関係から大事が壊れるといけない、三十六計逃げるにしかずと、怱々そうそうに引越してしまった[宮本百合子*聟|1934]
[由来] 「南史―王おう敬けい則そく伝」の逸話から。五世紀の終わり、南なん斉せい王朝の時代の中国でのこと。皇帝の病気に乗じて、王敬則という武将が反乱を起こしました。このとき、皇帝の子どもが逃げだそうとしていると聞いて、王敬則は「三十六策、走にぐるは是これ上計なり(三六もの戦法の中で、逃げるのがあいつにとってはいちばんいい作戦だろうな)」と豪語したとのことです。この後、王敬則は勢威を奮いましたが、たった数日で敗れ去っています。
〔異形〕三十六計、逃げるが勝ち。
出典 故事成語を知る辞典故事成語を知る辞典について 情報
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故事ことわざ辞典
逃げるが勝ち
【読み】 にげるがかち
【意味】 逃げるが勝ちとは、無駄な戦いや愚かな争いなら、避けて逃げるほうが、結局は勝利や利益を得られるということ。
【逃げるが勝ちの解説】
【注釈】 戦いを避けるのは一見卑怯なようにも見えるが、戦うばかりが勝利への道ではなく、時には逃げるほうが得策になるということ。
勝ち目のない喧嘩や、買っても何の利益もない喧嘩なら、しないほうが自分に有利な結果をもたらすといういましめの意味が込められている。
【出典】 -
【注意】 「逃げれば勝ち」というのは誤り。
【類義】 三十六計逃げるに如かず/征服のための屈服/逃ぐるが奥の手/逃ぐるをば剛の者/逃げるが一の手/逃げるが勝ち/負けて勝つ/負けるが勝ち
【対義】 -
【英語】 Discretion is the better part of valour.(用心は勇気の大半)
【例文】 「逃げるが勝ちで、あんな非道な連中とは関わるだけ無駄だ」
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ことわざ
2021.12.17
「逃げるが勝ち」の意味や類語とは?人生教訓としての使い方も
「逃げるが勝ち」はよく知られたことわざですが、人生の教訓としても使える深い意味がこめられていることをご存知ですか?この記事では「逃げるが勝ち」の意味や由来を詳しく解説し、あわせて具体的な使い方と例文も紹介します。加えて類語の「負けるが勝ち」や、英語表現も紹介しますので参考にしてください。
目次 [非表示]
1 「逃げるが勝ち」の意味と由来とは?
1.1 「逃げるが勝ち」の意味は”無駄な争いは避けるのが得策”
1.2 「三十六計逃げるに如かず」が由来となったという説
1.3 『孫子』の「戦わずして勝つ」も同じ意味
2 「逃げるが勝ち」の使い方と例文とは?
2.1 「逃げるが勝ち」を人生の教訓とする使い方
2.2 「逃げるが勝ち」を教訓として使う例文
3 「逃げるが勝ち」の類語とは?
3.1 「負けるが勝ち」の意味は”勝ちを譲れば結局は自分が勝つ”
3.2 「君子危うきに近寄らず」の意味は”教養をそなえた人は、むやみに危険へ近づかない”
3.3 「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」は、取り繕いたい気持ちから”逃げるが勝ち”という意味
4 「逃げるが勝ち」の英語表現とは?
4.1 「逃げるが勝ち」は英語で”Discretion is the better part of valor.”
5 まとめ
「逃げるが勝ち」の意味と由来とは?
「逃げるが勝ち」の意味は”無駄な争いは避けるのが得策”
「逃げるが勝ち」の意味は、“無駄な争いは避けるほうが得策だということ”です。ただ考えもなく逃げることを推奨するのではなく、消耗するばかりで意味のない争いはしないのが合理的な選択であるという意味で、感情に流されずに冷静に判断することの大切さを説く慣用句です。「逃げれば勝ち」は誤りです。
「三十六計逃げるに如かず」が由来となったという説
「逃げるが勝ち」の出典は不明ですが、南斉の歴史書である『南斉書』に収められた「王敬則伝」を出典とする故事成語に、「三十六計逃げるに如かず(さんじゅうろっけいにげるにしかず)」があり、これが由来だとする説があります。
「三十六計」とは、古代中国の三十六種類の兵法のことで、「逃げるに如かず」とは、逃げるにこしたことはない、逃げるのが最も良いという意味です。
「三十六計逃げるに如かず」とは、兵法の計略には、さまざまなものがあるが、形勢が不利になったときは、あれこれと策を練るより、逃げて身を守るのが最良の策であるという意味です。
転じて、逃げるべきときは逃げるのが得策だという意味で一般的に使われます。逃げることが身を守ることになるという意味も含まれ、「逃げるが勝ち」と同じ意味の教訓的なことわざです。
『孫子』の「戦わずして勝つ」も同じ意味
『孫子(そんし)』に書かれた「孫子の兵法」の基本となる考え方に「戦わずして勝つ」があります。『孫子』とは、古代中国の兵法書で、具体的な戦術とともに、合理的な勝ち方や戦略論が書かれています。
「戦わずして勝つ」とは、実際の戦闘に持ち込まずに戦略的に勝つことが、自軍の被害を抑え、征服した相手からも最大の利益を得ることができるとする合理的な戦略論です。
「戦わずして勝つ」の戦略的勝利の考え方は、「逃げるが勝ち」にも含まれているといえます。
「逃げるが勝ち」の使い方と例文とは?
「逃げるが勝ち」を人生の教訓とする使い方
「逃げるが勝ち」の考え方は、人生や職場、あるいは仕事の仕方の教訓として使うことができます。例えば、精神的や肉体的に極めて厳しい仕事を前に、究めても得るものがないと考えるなら、早い段階で退職する決断を下すことが、最悪の場合の過労死などを防ぐ手だてになります。
また、「逃げるが勝ち」は、限りある人生の中で、時間とエネルギーを何に注ぐのかを選択するときに、振り返りたい教訓です。よりよい人生を送るためには、今目の前にあることに対して、戦うべきか、撤退するべきか、選択する力が求められるからです。
「逃げるが勝ち」は「撤退する勇気」という武器があることを思い起こさせる教訓であるともいえます。
「逃げるが勝ち」を教訓として使う例文
「逃げるが勝ち」を教訓として使う例文をいくつかご紹介しましょう。
人生逃げるが勝ちとは、無駄な戦いをせず、自分の好きなことや大切なことに時間や労力を注ぐのが有意義な人生だという意味である。
理不尽な上司からは、逃げるが勝ちの姿勢でいることにより自分を守ることができる。
何の利益も得られない争いからは、さっさと逃げるが勝ちだ。
逃げるが勝ちは、破滅の道から撤退する勇気である。
「逃げるが勝ち」の類語とは?
「逃げるが勝ち」に共通する教訓的な意味を持つことわざを紹介します。
「負けるが勝ち」の意味は”勝ちを譲れば結局は自分が勝つ”
「負けるが勝ち」とは、あえて争うことをやめて相手に勝ちを譲ると、自分にとって有利な結果となって、結局は勝ちにつながることから生まれたことわざです。
「負けるが勝ち」は、「江戸いろはかるた」の「ま」の句です。「負けるが勝ち」のかるたには、「韓信の股くぐり」という中国の故事を表した絵が書かれていたようで、この故事は「負けるが勝ち」の精神をよく表しています。
「韓信の股くぐり」とは、韓信が若いとき、町の無頼の徒に股をくぐれと辱められたが、剣で切ることをせず従った。その韓信は、のちに大成したという故事です。そのとき韓信は、ここで殺生をしても何の得もないと冷静に判断したということです。「逃げるが勝ち」にも共通する精神であるといえます。
「君子危うきに近寄らず」の意味は”教養をそなえた人は、むやみに危険へ近づかない”
「君子危うきに近寄らず(くんしあやうきにちかよらず)」とは、教養や見識を備えた人は、むやみに危険に近づかないという意味のことわざです。教養のある人は争いを好まないという意味もあり、「逃げるが勝ち」の、争わないのが合理的な選択であるという意味と共通しているといえます。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」は、取り繕いたい気持ちから”逃げるが勝ち”という意味
「聞くは一時(いっとき)の恥、聞かぬは一生の恥」とは、知らないことを聞くのが恥ずかしいからと聞かなければ、一生知ることができずその方が恥ずかしいという意味で、知ったかぶりをしたりごまかしたりせずに、知らないことは積極的に質問して学ぶべきだという教えです。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」は、無知を取り繕いたいという気持ちから「逃げるが勝ち」とも説明できます。
「逃げるが勝ち」の英語表現とは?
「逃げるが勝ち」の英語表現を紹介します。
「逃げるが勝ち」は英語で”Discretion is the better part of valor.”
「逃げるが勝ち」と同じ意味の英語のことわざに“Discretion is the better part of valor.”があります。
直訳すると「思慮分別が勇気の大部分」という意味で、”逃げるが勝ち・君子危うきに近寄らず”に相当することわざです。「discretion」は”思慮分別、慎重さ”、「valor」は”(戦場などにおける)勇気”という意味です。
「He that fights and runs away lives to fight another day.」(戦って逃げる者が、生き延びてまたいつの日か戦う)という欧米の古いことわざも、”逃げるが勝ち・負けるが勝ち”と同じ意味を持ちます。
まとめ
「逃げるが勝ち」は、単なる敵前逃亡や、負け犬の遠吠えを表すのではなく、「無駄な争いは避けるのが得策」という合理的な考え方を教えることわざです。
「逃げるが勝ち」をそのままタイトルにした自己啓発本や、「逃げる勇気」「逃げ出す勇気」「逃げる力」といった類似の表現のタイトルの本もたくさん刊行されています。「逃げるが勝ち」は、生き方や考え方の指針として説得力を持ち、ふと立ち止まって考えたくなる言葉なのではないでしょうか。
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ことわざを知る辞典「負けるが勝ち」の解説
負けるが勝ち
つまらない争いは避け、その場の勝ちは相手に譲るのが賢明で、最終的な勝利につながる。
[使用例] 大人も「お兄ちゃんだから負けてやりなさい。負けるが勝ちでしょう」と、弟たちにはわからない勝利感のあることを教えてもくれた[佐藤貞雄*私の剣道修行|1976]
[使用例] 負けるが勝ちという考えをもっている宗教の勝ちだと思います。つまり、彼らのいうことを、彼らなりに叫んでも、だれも聞かぬ状態が宗教であると思う。具体的効果をめざすというのは政治の世界であって、宗教というのは具体的効果がないのが宗教であると思うのです[遠藤周作*こころの不思議、神の領域|1988]
[使用例] “大阪立身”とは“大阪立身、負けるが勝ち”という手まり歌からとられている。大阪は常に江戸の政治権力に負ける。しかし名より実を尊んで、商売では必ず儲けるという意味が、この歌にこめられている[桜井秀勲*出版界・表通り裏通り|1995]
[解説] 形式的論理でいえば、勝ちは勝ち、負けは負けにきまっていますが、あえて「負けるが勝ち」と言い切ることで、深く考えさせる逆説的表現です。低次元な勝ち負けや体面にこだわらず、広い視野から将来を見据えることが大切ということになります。
江戸いろはかるたによって広く親しまれた表現で、絵札には韓かん信しんの股くぐりが描かれていました。韓信は漢の武将で、若いころ無頼漢にからまれても屈辱に耐えて、後に大成した人物です。
〔英語〕He who fights and runs away, may live to fight another day.(戦って逃れる者は、生き延びてまたの日に戦える)
〔中国〕一分度量、一分福(一分の寛容に一分の福)
出典 ことわざを知る辞典ことわざを知る辞典について 情報
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故事ことわざ辞典
負けるが勝ち
【読み】 まけるがかち
【意味】 負けるが勝ちとは、場合によっては、争わないで相手に勝ちを譲ったほうが自分にとって有利な結果になり、自分の勝ちに繋がるということ。
【負けるが勝ちの解説】
【注釈】 一見負けたように見えたとしても、あえて争うことを放棄していったん相手に勝ちを譲ることのほうが、結局は勝ちに結びつく例が多いことから生まれたことわざ。
「負けるは勝ち」ともいう。
『江戸いろはかるた』の一つ。
【出典】 -
【注意】 「負ければ勝ち」というのは誤り。
【類義】 三十六計逃げるに如かず/征服のための屈服/逃ぐるが奥の手/逃ぐるをば剛の者/逃げるが一の手/逃げるが勝ち/負けて勝つ
【対義】 -
【英語】 Yielding is sometimes the best way of succeeding.(譲歩も時には成功の最善策である)
He stoops to conquer.(勝たんとて身を屈する)
【例文】 「ちょっと待て、ここは黙って様子をみよう。下手に攻撃しないほうが、負けるが勝ちになるかもしれない」
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人間関係の悩みと解決、人間関係改善の心理
心理学総合案内「こころの散歩道」/臨床心理学入門・いやしの道/勝とうとしない
勝とうとしない、でも負けない
人間関係の悩みと解決の心理
ウェブマスター碓井真史による新刊
2011.10発行 『史上最強図解 よくわかる人間関係の心理学 』
心理学の知識とテクニックで人間関係を良くしよう
人間関係の悩みと癒し
やられたら、やり返したい。誰だってそう思います。そうしなきゃ気が済まないし、それが正義だ、相手のためだとさえ思います。では、どのように戦い、人間関係に勝ちましょうか。
あなたを乱暴な言葉でばかにしてくる人がいたら、こっちも言い返してやりましょう。もっと乱暴な言葉で、もっと大声で。戦って勝つためには、相手と同じ土俵にあがり、相手よりも強くならなくてはなりません。
大声には、もっと大声。下品な悪口には、もっと下品な悪口。失礼な態度には、もっと失礼な態度。イヤミには、もっとイヤミな言葉。皮肉には、もっと皮肉たっぷりなお返しをしてやりましょう。
油断はできませんよ。相手は、いつもそんなことばかりやってますから、かなり上手です。横暴で、ずる賢いやつです。あなたが多少の反撃をしても、もっと強烈な、しっぺ返しが返ってきます。だから、勝つためには、がんばって相手の上を行きましょう。もっと、乱暴で失礼で横暴な態度でいきましょう。
* *
でも、おやおや、それでは、あのイヤなやつと同じことをしていることになってしまいます。少なくとも、周りからは、そう見られます。同じ種類の人間だと。イヤな人間が二人、みにくい争いをしていると。そう思われても、かまいませんか。
それに、あなたが無理してどんなにがんばっても、たいていの場合、相手の方が上手です。なかなか勝てません。負けます。それでも、必死にやって、なんとか勝ったとましょう。その時には、相手の激しい恨みを買います。もともと乱暴でイヤミなやつが、次回は、いつも以上の怨念と復讐心に燃えて、あなたに襲いかかります。この準備もお忘れなく。
さて、そんなのはいやだ、あいつと同じ人間には成り下がりたくない、恨みを持たれたくないとお思いでしたら、別の方法でいきましょう。戦うのをやめることです。少なくとも同じ方法で正面からぶつかるのは、やめましょう。勝てないし、勝ったとしても人間関係がこじれるだけです。
* *
戦うのを止めるためには、「勝とう」と思わないことです。相手に勝とうと思うことが、人間関係をこじらせ、人間関係の悩みを深くします。ます。人間関係をよくするコツは、勝とうと思わないことです。でも、だからといって、やられっぱなしでは困ります。あなたが負けて、つぶされて、退職に追い込まれたりしたら困ります。だから、負けない工夫をしましょう。
あなたを怒鳴りつける上司は、ちょっと乱暴な人ですが、実はたいていの場合は、それほど悪人ではないのです。頑固で融通はきかないけど、とても仕事熱心だったりするんですよね。
怒られたら、一応素直に聞きましょう。まともに聞いていない態度をとると、ますますしつこく激しく怒られます。下手に口答えすると、怒りに火を注ぎます。でも、怒られながら、うつむいて、小さくなって、目に涙なんかためていたらダメです。それでは負けてしまいます。「私は、あなたに人間性を無視されるほど怒られても当然の人間です」と相手に伝えることになります。あなたは、次の機会でも、怒鳴りつけられるだけです。
きちんと前を向き、しっかりお説教を聞きましょう。怒っている理由をきちんと理解していると、相手に分かるようにしましょう。そして、怒られながらでも、口を開きましょう。「すいませんでした」「以後、気をつけます」 謝りの言葉ですから、相手からも怒られません。何にしても、口を開くと勇気が湧いてきます。怒られても、負けません。
ひとしきり怒鳴った後は、相手も冷静になるでしょう。そうしたら、こちらの事情もきちんと説明しましょう。あなたも、あなたなりに仕事に熱心に取り組もうとしていると、わかってもらいましょう。怒鳴り付ける上司は、仕事熱心な人ですから、仕事に意欲的に取り組む人のことは好きなのです。あなたの能力と意欲を知れば、意外と仲良くなれるかもしれません。
いやみを言ってくる人は、面と向かってハッキリ文句を言う度胸のない人です。言いたいことがあるなら、ハッキリ言ってもらいましょう。「それは、私の意見に反対ということですか」こんなふうに言うと、たいていは、「いやあ、そういうわけじゃあないけど...」などと言ってごまかすでしょう。
ただし、相手に恥をかかせるのが、目的ではありません。相手に勝とうとして攻撃しても、人間関係が良くなることは、めったにないでしょう。相手に勝とうとは思わない、でも負けないための努力をする、これが人間関係のコツです。
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日本列島・日本民族は、古代から、いつ侵略してくるか分からない海の外の敵に囲まれた四面楚歌状態にあり、絶海の孤島ゆえに後ろに逃げられない背水の陣という絶体絶命の状況に追い込まれていた。
侵略されて、船で太平洋に逃げても生きられない、助からない。
太平洋は、大陸とは違って人間が生きられない生命力の乏しい不毛地帯である。
「海は世界に開かれ、全ての国・地域に国境なく繋がっている」とは、ウソである。
海は陸地と違って、水と食べ物があろうとも、辛抱して頑張って歩こうとも、踏破できないのである。
日本民族は、後がない残酷な運命の自然環境で「死を覚悟して生きてきた」がゆえに、朝鮮人・中国人はおろか西洋人などの全ての大陸民とは、全面的に、根本的に違っていたのである。
歴史的事実として、「日本人は大陸で失敗する敗北すると海に守られた日本列島に逃げ込んで殻に閉じこもった」はウソである。
嘘を信じ込んでいる現代の日本人・日本国民には、死を覚悟して生きてきた昔の日本人・日本民族は理解できない。
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日本の政治家や官僚は侵略者に対して踏み留まって戦う事をせず、自分と自分の家族だけが助かりたい為に国民を置き去りにして我先に逃げ出す。
そこには、一生懸命の武士・サムライはおろか一所懸命の百姓などの庶民も存在しない。
国家・政府、政治家や官僚の発言を信用するととんだ災難に襲われ、最悪、命を落とす。
国民を捨てて逃げる政治家や官僚は、リベラル派・革新派に多く一部の保守派にも存在する。
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数万年前の石器時代・縄文時代の昔から、中国大陸や朝鮮半島の戦乱や天災から多くの避難民が日本列島に逃げてきたが、が、その逆に日本列島から中国大陸や朝鮮半島へ逃亡した人々はいなかった。
それが歴史の事実である。
それ故に、歴史的な難民受入れ国家であった日本は、難民を送り出してきた地獄のような中国や朝鮮に感謝する必要はない。
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敵に囲まれた四面楚歌の日本国は、後ろに逃げられない背水の陣に追い込まれてきた日本民族は、侵略して来る巨大な敵を海の外で食い止めるべく積極的に前に出て防塁を築いた。
海の外の防塁が、西洋キリスト教列強に備えた南の琉球、ロシア・ソ連・国際共産主義勢力に備えた北の蝦夷地・北方領土・千島列島、樺太、中国に備えた西の朝鮮であった。
それが、国家戦略における逃げの隠れもしない積極的自衛策としての大日本帝国と大東亜共栄圏である。
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戦国時代。中世キリスト教会や白人キリスト教徒商人は、日本人をアフリカ人同様に人間以下の奴隷として金儲けした。
江戸時代後期。ロシアは、日本を植民地にするべく侵略してきた。
大正時代以降。ソ連・国際共産主義勢力は、天皇制度を打倒しようとした。
日本人共産主義者テロリストとキリスト教系朝鮮人テロリストは、昭和天皇や皇族を惨殺する為につけ狙っていた。
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日本民族の祖先は、アフリカで誕生した下等な猿である。
つまり、日本人を軽蔑して見下す偏見と差別の蔑称である「イエローモンキ」あるいは「ジャップ」は正し呼び名である。
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日本列島には、自然を基にした日本神話・民族中心神話・高天原神話・天孫降臨神話・天皇神話が滲み込み、その上に石器時代・縄文時代、弥生時代・古墳時代と日本民族が住んできた。
日本民族は、石器人・ヤポネシア人、、縄文人・日本土人、弥生人(渡来人)、古墳人(帰化人)が乱婚して混血して生まれた雑種である。
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日本民族の生き方は、仲間・友と一緒に小さな櫂(かい)を漕ぐ丸木舟生活である。
つまり、日本の集団主義とは海で生きる船乗りの集まりである。
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ヤポネシア人とは、東南アジアの南方系海洋民と長江文明の揚子江流域民が乱婚して生まれた混血した雑種である。
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ロバート・D・カプラン「揺るぎない事実を私たちに示してくれる地理は、世界情勢を知るうえで必要不可欠である。山脈や河川、天然資源といった地理的要素が、そこに住む人々や文化、ひいては国家の動向を左右するのだ。地理は、すべての知識の出発点である。政治経済から軍事まで、あらゆる事象を空間的に捉えることで、その本質に迫ることができる」(『地政学の逆襲』朝日新聞出版)
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日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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柏木由紀子「主人(坂本九)を亡くしてから切に感じたのは、『誰もが明日は何が起こるからわからない』というこよです。私もそうですが、私以外にも大切な人を突然亡くしてしまった人が大勢います。だからこそ、『今が大切』だと痛感します。それを教えてくれたのは主人です。一日一日を大切にいきたい、と思い、笑顔になれるようになりました」
神永昭夫「まずはしっかり受け止めろ。それから動け」
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日本の本音。日本列島の裏の顔は、甚大な被害をもたらす雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、禍の神が日本を支配していた。
地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして奇跡と恩寵を売る信仰宗教(啓示宗教)は無力であった。
日本民族の「理論的合理的な理系論理思考」はここで鍛えられた。
生への渇望。
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仏とは、悟りを得て完全な真理を体得し正・善や邪・悪を超越し欲得を克服した聖者の事である。
神には、和魂、御霊、善き神、福の神と荒魂、怨霊、悪い神、禍の神の二面性を持っている。
神はコインの表裏のように変貌し、貧乏神は富裕神に、死神は生神に、疫病神は治療神・薬草神にそれぞれ変わるがゆえに、人々に害を為す貧乏神、死神、疫病神も神として祀られる。
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日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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日本の宗教とは、人智・人力では如何とも抗し難い不可思議に対して畏れ敬い、平伏して崇める崇拝宗教である。
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現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、科学、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして奇跡と恩寵を売る信仰宗教・啓示宗教は無力で役に立たない。
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助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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日本民族は、命を持って生きる為に生きてきた。
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日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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松井孝治「有史以来、多くの自然災害に貴重な人命や収穫(経済)を犠牲にしてきた我が国社会は、その苦難の歴史の中で、過ぎたる利己を排し、利他を重んずる価値観を育ててきた。
『稼ぎができて半人前、務めができて半人前、両方合わせて一人前』とは、稼ぎに厳しいことで知られる大坂商人の戒めである。阪神淡路大震災や東日本震災・大津波の悲劇にもかかわらず、助け合いと復興に一丸となって取り組んできた我々の精神を再認識し、今こそ、それを磨き上げるべき時である。
日本の伝統文化の奥行の深さのみならず、日本人の勤勉、規律の高さ、自然への畏敬の念と共生観念、他者へのおもいやりや『場』への敬意など、他者とともにある日本人の生き方を見つめなおす必要がある。……しかし、イノベーションを進め、勤勉な応用と創意工夫で、産業や経済を発展させ、人々の生活の利便の増進、そして多様な芸術文化の融合や発展に寄与し、利他と自利の精神で共存共栄を図る、そんな国柄を国内社会でも国際社会でも実現することを新たな国是として、国民一人ひとりが他者のために何ができるかを考え、行動する共同体を作るべきではないか。」
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昭和・平成・令和の皇室は、和歌を詠む最高位の文系であると同時に生物を研究する世界的な理系である。
武士は文武両道であったが、皇室は文系理系双系であった。
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徳川家康は、実理を優先し、読書を奨励し、経験を重視し、計算の数学と理・工・農・医・薬などの理系の実利で平和な江戸時代を築いた。
が、馬車や大型帆船は便利で富をもたらすが同時に戦争に繋がる恐れのあるとして禁止し、江戸を守る為に大井川での架橋と渡船を禁止した。
つまり、平和の為に利便性を捨てて不便を受け入れ、豊よりも慎ましい貧しさを甘受した。
それが、「金儲けは卑しい事」という修身道徳であったが、結果的に貧しさが悲惨や悲劇を生んだ。
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日本で成功し金持ちになり出世するには、才能・能力・実力が必要であった。
日本で生きるのは、運しだいであった。
日本の運や幸運とは、決定事項として与えられる運命や宿命ではなく、結果を予想して自分の努力・活力で切り開く事であった。
それは、自力というより、神か仏か分からない他者による後押しという他力に近い。
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左翼・左派・ネットサハ、右翼・右派・ネットウハ、リベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者には、日本民族ではない日本人が数多く含まれている。
彼らには、数万年前の石器時代・縄文時代と数千年前の弥生時代・古墳時代から受け継いできた日本民族固有の歴史・文化・伝統・宗教はない。
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日本民族は、石器時代・縄文時代からいつ何時天災・飢餓・疫病・大火などの不運に襲われて死ぬか判らない残酷な日本列島で、四六時中、死と隣り合わせの世間の中で生きてきた。
それ故に、狂ったように祭りを繰り返して、酒を飲み、謡い、踊り、笑い、嬉しくて泣き、悲しくて泣き、怒って喧嘩をし、今この時の命を実感しながら陽気に生きていた。
「自分がやらなければ始まらない」それが、粋でいなせな江戸っ子堅気の生き様であった。
江戸時代は、自助努力のブラック社会であった。
田代俊孝(仁愛大学学長)「『人は死ぬ』という厳然たる事実を、誰しも普段の生活では見て見ぬふりをしているものです。しかし、自分がいずれは『死すべき身』だということを意識すれば現在の生への感謝が生まれ、生きる気力が湧いてくる。つまり天命、死というものを知ることによって人生観が変わる。祖父母、父母、そして自分と、連綿と続く流れのなかで思いがけず命をいただいたのだ、と気づくのです」
植島敬司(宗教人類学者)「人生は自分で決められることばからりではありません。不確定だからこそ素晴らしいのです。わからないなりに自分がどこまでやれるのか、やりたいことを追求できるのかが大事で、それが人生の豊かさにつながるのだと思います」
平井正修(全生庵住職)「コロナ禍に襲われるずっと以前から人類は病に悩まされてきました。病気やケガで自由な身体が動かなくなり、人に介抱してもらうと、当たり前のことのあるがたさに気づきます。何を当たり前として生きていくのか、それは人生でとても大切なことであり、すべての人に起こる究極の当たり前が、死なのです」
「現代では死というものが過剰に重たく受け止められていますが、そもそも死はもっと身近にあるものです。考えようによっては、現世に生きているいまのほうが自分の仮初(かりそめ)の姿とさえ言える。
最終的には、誰もが同じところへと生きます。みんなが辿る同じ道を、自分も通るだけ。そう思えば、死も恐れるものではありません」
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