💄63)─1─明治31年の民法制定。日本の伝統的家文化は、夫婦別姓で夫婦同姓ではない。~No.127No.128 ⑬ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 江戸時代の夫婦別姓と、現代論じられている夫婦別姓とは意味が全然違う。
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 男尊女卑は、儒教によって日本に持ち込まれ、キリスト教によって日本に定着した。
 日本神道は、女尊男卑であり、男尊女卑ではない。
 明治までの家文化では、家の相続は娘が多く息子は少なかった。
 江戸時代、女性は大事にされていたが、個人の生き方は勝手気儘であった。
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 2022年4月号 WiLL「夫婦別姓に思う
 小名木善行
 夫婦別姓に関して、国内の賛成論者は海外では普通だと言い、反対論者は日本の伝統文化に反すると言います。どちらも決め手がないから、じゃあ選択性にしでどちらも選べるようにしようと、こうなると政治を通り越して、もはや茶番です。
 歴史を振り返ると、我が国が夫婦同姓になったのは明治31年の民法制定からのことです。ではなぜ昔は夫婦別姓だったのかと、今とは社会慣習が違ったからです。
 現代では働いた所得は働いた個人に支払われます。しかしかつての日本では世帯に支払われるのが常識でした。
 わかりやすいのが俸禄(ほうろく)をいただいている武士です。俸禄は、城に出仕している武士本人に支給されるのではなく、その世帯に支払われました。これは知行地を持つ武士も同じで、禄はあくまでその家に支給されました。商家や農家も同じで、収入はあくまで家に支給されました。
 各家では、世帯の所得の一切の切り盛りを、その家の奥方が行いました。旦那が隠居して家督を倅(せがれ)に譲り、その倅が結婚して妻を迎えると、家督管理もまた、奥方から新妻へと移行しました。『老いては子に従え』は、まさにそうせざるを得ない社会慣習があったのです。
 ところが(滅多にないことですが)、その新妻が役者に家の財産を貢(みつ)いだ挙げ句、駆け落ちしてしまったなどという事態が起こった場合、旦那の家は、妻の実家に損害の補塡(ほてん)を求めました。このような仕組みが背景にあったから、どこの世帯でも安心して家督管理を妻に委(ゆだ)ねることができたのです。かつての夫婦別姓には、妻の行動の責任は生涯にわたって妻の実家が連帯保証するという意味があったのです。現代は個人主義の時代で、こうした概念はすっかり失われていますが、これが永く続いた我が国の伝統的慣習であり、いまでも結婚式のとき、新郎新婦双方の家が結ばれるという言い方が残るのも、こうした伝統が背景にあるからです。
 では、なぜ明治31年から現在の夫婦同姓になったのかというと、ちょうどこの頃が日露戦争の前の時期であったことによります。大国ロシアと一戦を交えるとなれば、我が国は総力戦です。すでに徴兵制が敷かれていましたが、戦い兵隊さんの給料は、明治以降、兵隊さん個人への給料です。そうなると家という概念が希薄になる。兵の強弱は個人の資質ではなく、責任感の大小です。
 一般から徴兵した兵たちに、戦場の恐怖に打ち勝って最後まで持ち場を死守する覚悟と責任感を持たせるには、兵に『両親を背負わせる』ことが最も有効と考えられました。兵隊さんが恥ずかしい振る舞いをすれば、それは、かつて妻が実家を背負っていたのと同様、父母に恥をかかせることになるのです。そしてこうした社会的ニーズのもとでは、母も同性であることが望ましいとされたのです。
 つまり、夫婦別姓にせよ、夫婦同姓にせよ、それぞれの時代において、我が国の安全と安心を譲る必要から、生まれた仕組みとして成立していたものです。
 ところが、昨今の夫婦別姓の議論には、『これからの日本をどのような国にするのか』という視点がありません。少子化が大きな社会問題になっていますが、それなら夫婦で力を合わせて子育てをするためにも、むしろ夫婦同姓で、給料も個人ではなく、その家の口座に入れるくらいの仕組みを考えるべきかもしれません。このような状況においては、夫婦の絆を強め、安心して子育てができる社会を築くためにも、むしろ、いまは夫婦同姓を継続すべきといえるのではないでしょうか。
 いつの時代にあっても法制度というものは、その時代に応じて考えられ、発布せられるべきものです。少数のワガママが全体の社会制度に影響を与えることは、あってはならないことです。」
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 法務省
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 我が国における氏の制度の変遷
徳川時代
 一般に,農民・町民には苗字=氏の使用は許されず。
・明治3年9月19日太政官布告
 平民に氏の使用が許される。
・明治8年2月13日太政官布告
 氏の使用が義務化される。
 ※ 兵籍取調べの必要上,軍から要求されたものといわれる。
・明治9年3月17日太政官指令
 妻の氏は「所生ノ氏」(=実家の氏)を用いることとされる(夫婦別氏制)。
 ※ 明治政府は,妻の氏に関して,実家の氏を名乗らせることとし,「夫婦別氏」を国民すべてに適用することとした。なお,上記指令にもかかわらず,妻が夫の氏を称することが慣習化していったといわれる。
・明治31年民法(旧法)成立
 夫婦は,家を同じくすることにより,同じ氏を称することとされる(夫婦同氏制)。
 ※ 旧民法は「家」の制度を導入し,夫婦の氏について直接規定を置くのではなく,夫婦ともに「家」の氏を称することを通じて同氏になるという考え方を採用した。
・昭和22年改正民法成立
 夫婦は,婚姻の際に定めるところに従い,夫又は妻の氏を称することとされる(夫婦同氏制)。
 ※ 改正民法は,旧民法以来の夫婦同氏制の原則を維持しつつ,男女平等の理念に沿って,夫婦は,その合意により,夫又は妻のいずれかの氏を称することができるとした。」
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 明治民法
 世界大百科事典内の明治民法の言及
【家族制度】より
 …しかし,その際には,往々にして,深刻な政治的・心理的抵抗を伴うものである。以上,家族制度一般について述べたが,日本において家族制度という場合,1898年(明治31)に公布された民法(明治民法)に規定された〈家〉制度を指すことが多い。次に,これについて述べる。…
家族法】より
 …ボアソナードが中心となって起草した旧民法は,一度公布をされながら,〈民法出デテ忠孝亡ブ〉(穂積八束)というような攻撃を受けて,施行が延期され,別の新たな民法がつくられて1898年から施行された。 この明治民法では,戸主権と長男単独相続の家督相続とに支えられた戸主を家長とする〈家〉の制度がとられていた。これは家族制度(家族の制度一般という広い意味ではなく,明治民法におけるように戸主権という家長権で家長が家族員を支配するという狭い意味で用いたもの),あるいは家制度と呼ばれる。…
【旧民法】より
 …現行民法である1947年の民法は,1898年の民法(親族・相続の2編)を全面的に改正し,これに伴い1896年の民法(総則・物権・債権の3編)も,部分的な,しかし原理的な改正を受けた。したがって,96年・98年の民法は,現行民法と区別する意味で,明治民法と俗称されている。もっとも,現行民法からみて,98年の民法を旧民法と呼ぶこともあるから注意を要する。…
【戸籍】より
 …(2)1898年の戸籍法 法典論争により,1890年民法(いわゆる旧民法)は施行が延期され,93年に設置された法典調査会が新たに民法を編纂した。その結果98年に公布・施行された民法(いわゆる明治民法)の親族編,相続編は,〈家〉制度を中心として構成されていた。〈家〉制度は,戸主権と家督相続を要素とするが,それは1871年の戸籍法の運用過程において,戸籍上の手続として積み重ねられてきた親族的身分関係の諸規制を,民法上の制度として再編成したものにほかならない。…
 ※「明治民法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
 出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
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 江戸時代・明治初期までの家伝統として、女性にも家財産の相続権はあったし、家の中の主導権は妻・女性が握っていた。
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 日本の伝統的家文化として、夫婦別姓には妻の権利と責任が認められ、そして妻の実家には連帯保証として重い義務が負わされていた。
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 江戸時代の神道夫婦別姓現代日本が目指しているリベラル的革新的夫婦別姓とでは、意味が全然違う。
 神道的とは、女性神最高神で、男性神は八百万神として女性神の臣下とされた。
 女性神の子孫が皇室とされ、天皇は唯一の神の裔とされた。
 それ故に、宮中祭祀とは皇室の唯一の祖先神である天照大神への女性神崇拝である。
 初代天皇である男性の神武天皇は、首座の女性神天照大神に対して次席の神様とされた。
 女性神最高神として崇拝するローカル宗教を否定したのが、宗教ではキリスト教イスラム教・ユダヤ教イデオロギーでは儒教(特に朱子学)とマルクス主義共産主義であった。
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 夫婦同姓とは、家族を人質に取った家族の連帯責任で、親の罪・子の罪は家族全員が背負う事を意味する。
 罪科が家族に及ぶのを避ける為に、家族の縁を切る「勘当」、一族・親族からの「縁切り」、ムラ共同体からの「村八分」、ムラ地域からの「追放」。
 地域社会との縁が切れて根無し草となれば、一個の人間として生きようが死のうが本人の自由・勝手で、無宿者・爪弾き者とされ誰も一切助けないし手を貸さなかった。
 日本に於ける自由とは、生半可な気持ちは許されず覚悟が入る事で、命に関わる深刻な意味合いがあった。
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 夫婦別姓と言っても、女性神最高神と崇める神道価値観の日本と、男尊女卑の儒教価値観における中国・朝鮮の夫婦別姓や家父長制度のキリスト教価値観における西洋とは意味が全然違う。
 一番の違いは奴隷制度で、日本にはなかったが西洋・東洋にはあった。
 日本の奴婢は、世界の奴隷や中華の家奴とは違っていた。
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