💄28)─1─上杉謙信の裁定。中世武士の不倫は死刑。〜No.58No.59 

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 2021年12月7日06:00 MicrosoftNews JBpress「中世武士の不倫は死刑!?上杉謙信が巻き込まれた大スキャンダル
 © JBpress 提供 春日山城上杉謙信
 (乃至 政彦:歴史家)
上杉家中のスキャンダル
 戦国上杉家の史料を見るのが趣味な人ならたぶん誰でも知っているが、意外に一般書で紹介されたことのないユニークな事件がある。
 時は元亀2年(1571)から天正4年(1576)までの頃で、謙信が40代の時である。事件は上杉謙信の拠点・春日山城で起きた。事情を知った謙信は、すぐさま、裁きを下さなければならなくなったが、まずは事件の内容から見てもらおう(全3回)。
 証人が起こした事件
 まずは事件のあらましから述べよう。
 揚北(下郡。北越後)衆の鮎川盛長は、謙信に服属する証として家臣の須河原(菅原)なる父子を春日山城へ預けていた。当時の言葉でいう「証人」である。
 戦国時代、大名に従う領主は服属の証として人質を差し出し、主君の身近に置いて奉公をさせていた。これら証人には、妻子・親族のほか、重臣が選ばれることがあった。送る側も領主なので身分的な格式があって、1人や2人でなく、多くの人間を差し出していたようだ。彼らは大名の城下に住まい、城下町の形成に一役買っていた。
 須河原は自分の長男および、ほかの証人たちと一緒に春日山城で精勤していたと思われる。弟もいたが、鮎川のもとにいたようだ。ところが須河原の長男がちょっと愚かであった。
 大名は証人たちを、自分で管理するわけではない。自分の家族や重臣に管理させていたのである。謙信もまた、須河原父子を証人として、重臣の吉江景資に証人として預けていた。長男はまだ10代の少年であったらしい。
 須河原の大罪
 ところが若気の至りであろうか。須河原の息子はある女性に手を出した。
 ここまでなら、よくある話である。男女のことなのでどちらが誘ったのかは史料に残っていない。当人たちも意識していなかったかもしれない。これだけなら、この事件は歴史に残らなかっただろう。
 だが、相手が悪かった。相手の女性が人妻だったのだ。しかもそれだけではない。その人妻は、証人たちを管理する謙信の重臣・吉江景資の使用人の奥さんだった。
 使用人は「佐山」という者である。下の名前はわからない。この時かなり修羅場となったようだが、どうやら須河原の息子は身柄を拘束されたらしい。謙信またはその奉行は須河原の息子をひとまず謙信家臣で揚北の大雄である色部顕長のもとへ預けた。
 ここで謙信が裁きを考えることになった。
 中世武士の不倫は死刑
 生涯女性を遠ざけるほど、性的に潔癖だったとされる謙信の縄張りで、事もあろうか陪臣の息子(鮎川盛長重臣の長男)がやってはいけない大事件を起こしてしまった。謙信は、側近の腕試しに罪人を斬らせることがあったと言う。自ら手討ちにすることもしばしばあった。謙信個人の感情としては、自身の太刀か側近の手でさっさと斬り捨ててしまいたかっただろう。
 謙信が7歳の頃(天文5年・1536)、伊達家で作られた分国法『塵芥集』では、「人妻を密かに抱く事件に対しては、男女とも捕獲して殺害すること(人のめをひそかにとつく事、おとこ・おんな共にもつていましめころすへきなり)」と定められており、このほか四国土佐の長宗我部家の『掟書』にも「他人の女と交わる(他人之女ヲをおかす)」者は、男女ともに討ち果たすべきことが、近江の六角家の『式目』にも、「間男はその女も男も討ち果たすこと(妻敵之事、件女・密夫一同仁可討事)」が決められていた。
 不倫に関して明文化されている当時の法では、男女ともに総じて死罪と定められていたのであり、武士の密通は文字通り命がけだったのである。
 そもそも武家同士の婚姻は、夫婦が個人同士の好き嫌いで結ばれるものではなく、御家と御家の関係で、共同体の都合で縁づけられる政治的なものであった。
 これを脅かす者に厳格な制裁が加えられるのは、鎌倉以来の祖法『御成敗式目』34条「不倫すなわち他人の妻に罪をなすこと(密懐他人妻罪科事)」においても、犯人は「所領半分」を没収して、出仕停止を命じられることが定められていた。
 21世紀の時代にも「ハニー・トラップ」という女性を使って他国の政治家を籠絡させるスパイ活動があるのだから、謀略や暗殺の横行する戦国乱世代に、不倫の密通が厳しく取締われるのも、しごく当然だったといえるだろう。
 ここで謙信は、決断を迫られた。
 鮎川盛長の証人である須河原少年が行なった振る舞いは、普通なら問答無用で死刑とするべき大罪である。謙信の認識だと、これは「三ヶ条(窃盗・殺人・放火)」も同然の者である。ただ、問題があった。この若者は謙信直属の家臣ではない。鮎川盛長という忠勇あふれる領主の家臣の息子である。元服はしていたであろうが、一応まだ年少の若者である。
 どうする謙信──。
 ※謙信、信長、信玄...戦国最強武将たちは、お互いをどう利用し、利用されてしまったのか。乃至政彦氏の新シリーズ『謙信と信長』はこちら
 (https://www.synchronous.jp/articles/-/203
 (第2回に続く)
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