🏯32)33)─1─武士と庶民の間の非武士身分、武家奉公人、徒若党、若党、中間、小者。~No.60No.61No.62No.63 ④ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 足軽は下級武士で、才能があれば上級職に登用されたが、一代登用で世襲にはなれなかった。
 上級武士で有能な跡取りが欲しい時、有能な足軽や庶民の若者を養子に取った。
 足軽で武士を廃業したい者は、下級武士の株を売り出した。
 武士になりたい庶民は、下級武士の株を買って足軽になり、才能があって野心があれば上級武士家の養子になって要職に就いた。
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 武家奉公人(ぶけほうこうにん)とは、文字通り武家に奉公する者を言う。江戸時代以前では主家に仕える(奉公する)武士も含めて単に奉公人と呼んだ。江戸時代以降はもっぱら非武士身分の中間や小者を指した。
 種類
 武家奉公人は若党、中間、小者などの呼称があるが、地域、藩、各武家によっても意味合いに差があり、厳密な区別はできるものではない。したがって下記にある若党、中間、小者に分けた解説はあくまで参考程度の内容である。
 若党(わかとう)
 『貞丈雑記』に「若党と云はわかき侍どもと云事也」とあるように本来は文字通り若き郎党を指したものであるが、江戸時代には武家に仕える軽輩を指すようになった。その身分は徒士侍と足軽の中間とも足軽以下とも言われた。「若党侍」とも呼ばれるが士分ではなく大小を差し羽織袴を着用して主人の身辺に付き添って雑務や警護を務めた。一季か半季の出替り奉公が多く年俸は3両1人扶持程度であったため俗に「サンピン侍」と呼ばれた。
 中間(ちゅうげん)
 脇差1つを挿し、時には戦いにも参加し、平時は雑用を行った。
 渡り中間に代表されるように、一時限りの奉公の場合が多い。
 一時限りの中間
 広く一般的に知られる中間はこれを指す。
 江戸期になると、年季契約や、必要な時のみ口入れ屋から雇い入れるということがしばしば行われた。多くは百姓の次男以下などが奉公したが、武家屋敷の多い江戸など大都市では屋敷を渡り歩く渡り中間のような専門の奉公人を雇うことも多かった。
 特殊な中間
 広く一般的に知られる中間とは異なり、世襲で藩に仕え、苗字帯刀が許されている者や幕末に特殊な事例に用いて採用されたりした者を指す。例えば、幕府の五役の御中間や米沢藩の御中間は、譜代の御家人および譜代の足軽格からなる卒身分であり、職制が組の名称となっていた。また、長州藩の蔵元の世襲の下級蔵役人としての中間身分であった山縣有朋伊藤博文が、資料などの記述で足軽扱いされるのは、本来の広く一般的に知られる一代限りの中間と紛らわしいためであろう。
 小者(こもの)
 私的武家奉公人。住み込みで主に雑用を行った。小人(こびと)、下男(げなん)とも言う。町方同心が捕物で使ったものを小者と呼ぶことがあった。平民身分。
 幕末の変化
 幕末になって江戸幕府及び諸藩は、火縄銃装備の「鉄砲組」を廃止し、洋式銃装備の「歩兵隊」や「銃隊」を作る必要に迫られたが、従来の足軽身分のものだけでは不十分なケースが多々見られ、こうした場合、新たに人員を募集し戦国時代の足軽隊に似た歩兵部隊を創設することがあった。これらの身分は足軽より下の中間(ちゅうげん)待遇とされた。
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 軽き武家奉公人(読み)かるきぶけほうこうにん
 世界大百科事典内の軽き武家奉公人の言及
 【奉公人】より
 …奉公人という称呼は,中世では上位の従者,家臣をさすものとして用いられるのが一般的であった。御恩・奉公【佐藤 堅一】
 【武家奉公人
 近世初頭までは侍身分の者をも奉公人のうちに加えていたが,江戸時代では将軍や大名,旗本・御家人や大名の家中に雇用された若党(わかとう),足軽,中間(ちゆうげん),小者(こもの),六尺,草履取(ぞうりとり),ときに徒士(かち)などの軽輩をさし,軽き武家奉公人ともいう。その平生の身分は百姓,町人であり,武家奉公中のみ家業として帯刀が許され,奉公さきの家来の取扱いをうけた。…
 ※「軽き武家奉公人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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 精選版 日本国語大辞典「徒若党」の解説
 かち‐わかとう ‥わかタウ【徒若党】
 〘名〙 徒歩で仕える侍。特に江戸時代、主君に徒歩で供奉(ぐぶ)する、中間や小者より上位の下級武士をいった。
 ※甲陽軍鑑(17C初)品一二「大将の馬に乗てよりは、歩若党(カチワカタウ)・中間小者身近き者なりとて」
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 小者(読み)こもの
 精選版 日本国語大辞典「小者」の解説
 こ‐もの【小者】
 〘名〙
 ① 年若い人。年少者。また、こがらな人。
 ※太平記(14C後)九「己れ程の小者(コモノ)と組で勝負はすまじきぞとて」
 ② 身分の低い奉公人をいう。丁稚(でっち)。小僧。下男。
 ※俳諧・誹諧之連歌飛梅千句)(1540)何第二「とくりをもたせ秋かぜぞふく 月かげは誰小ものめををくるらん」
 ※怪化百物語(1875)〈高畠藍泉〉上「主管(ばんとう)小厮(コモノ)が四表八表(よもやま)の」
 ③ 中世、近世に、武家に仕えて雑役に従事し、戦場では主人の馬先を駆走した軽輩のもの。室町時代には中間(ちゅうげん)より身分が低く、将軍出行のときは数名が随従し、草履(ぞうり)持ちなどをつとめた。江戸時代の小者は小人ともいい、幕府お抱えの小者はおもに使い走りや荷物の運搬にあたった。→小人。
 ※吾妻鏡‐建保元年(1213)五月六日「建暦三年五月二日三日合戦被レ討人々日記〈略〉此外小物郎等は不レ注」
 ④ 江戸時代、武士に雇われ、雑事に使役されたもの。若党(わかとう)、中間、草履取りなどと併称されることが多く、普通一年ごとの契約で雇い入れられ、主人に対し忠誠義務はほとんどなかった。
 ※禁令考‐前集・第四・巻三六・寛永八年(1631)一一月五日「小者身分として侍に成候者於有之は、本文主人え相断改之、急度曲事可申付事」
 ⑤ 江戸時代、町奉行の廻り同心の手先となり、犯罪の捜査、犯人の逮捕に従った下級役人。その職務は目明(めあかし)(=岡引)と異ならなかったが、同心から若干の給金を与えられ、公的な使用人であった。
 ※牧民金鑑‐一・嘉永三年(1850)四月「雇足軽並手附手代共召連れ候小ものへ、十手捕縄貸渡候心得方之儀」
 ⑥ 手腕や地位のない、したっぱの取るに足りない者。
 ⑦ ⇒こもの(小物)
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 日本大百科全書(ニッポニカ)「小者」の解説
 小者 こもの
 奉公人の一種。小人(こびと)ともいう。武家などに雇われ、走り使いなど雑役に従事した。室町時代以降からみられ、年季を切って随時雇い入れるところが多い。武家では中間(ちゅうげん)の下位に置かれ、軍役の員数外とされた。江戸時代、幕府や諸藩の職制中では、中間とともにさまざまな名称で使役されている。このうち幕府では、五役の者と総称されるのが中心であった。
 五役は、黒鍬者(くろくわのもの)(草履取(ぞうりとり)、荷物運送)、中間、小人(伝令、用品運搬)、駕籠(かご)者、掃除者で、いずれも世襲である。禄高(ろくだか)は役職により異なるが、10俵一人扶持(ぶち)から15俵一人扶持くらいであった。
 [佐々悦久
 [参照項目] | 小人
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 日本大百科全書(ニッポニカ)「中間」の解説
 中間 ちゅうげん
 古くからおもに武家方にみられた軽格の奉公人の一つ。戦国時代に広範に成立し、江戸時代には足軽と小者との中間の身分とされた。足軽、中間、小者は一括して軽輩と称されたが、このうち足軽のみが士分と称される侍(さむらい)・徒士(かち)と同様に戦闘員であったのに対し、中間は小者とともに非戦闘員に属した。戦時には小荷駄(こにだ)隊を形成し、平時には雑務に従った。苗字(みょうじ)帯刀はいっさい許されなかった。江戸幕府には550人前後の中間(役高十五俵一人扶持(ぶち)、御目見(おめみえ)以下、羽織袴(はかま)役、譜代(ふだい)席)があり、大・中・小の三組に編成され、各組に頭(かしら)は1人(若年寄(わかどしより)支配、役高八十俵持(もち)扶持、御目見以下、上下(かみしも)役、焼火間詰(たきびのまづめ)、譜代席)、組頭は大組に4人、中・小組に各3人(役料十俵一口)が置かれていた。城中諸門の勤番、将軍遠行の供奉(ぐぶ)などを役目とした。
 [北原章男]
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 百科事典マイペディア「中間」の解説
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 中間【ちゅうげん】
 公家(くげ)・武家(ぶけ)・寺院などで召し使われた男。仲間・中間男とも記され,身分は侍(さむらい)と小者(こもの)の間にあたるという。平安期からみえ,鎌倉期・室町期の武家の中間は主人の弓・剣などを持ち,警護を務め,また領主の強制執行などの使者も行っている。戦国期の武家奉公人には侍・中間・小者・荒子(あらしこ)の身分が生じていた。江戸時代には武士に仕えて小荷駄(こにだ)隊を結成するなどのほか,平時には雑務を行った。足軽(あしがる)は苗字帯刀を許されたのに対して,中間には認められず,奴(やっこ)・草履(ぞうり)取などともよばれた。また江戸幕府の職制でもあり,3組500余人から構成され,中間頭(かしら)のもとに城内の門番などに従事していた。
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 日本大百科全書(ニッポニカ)「若党」の解説
 若党 わかとう
 武家奉公人の一つ。中世では年輩の侍(さむらい)である老党に対し、主人の身辺に仕えた若輩(じゃくはい)の侍をいった。近世では大身の武家に仕えた軽輩をいい、その身分は徒士(かち)と足軽(あしがる)との中間に置かれ、始終主人の身辺にあって雑務、警固(けいご)に任じた。彼らは百姓・町人出身の一季・半季の出替(でがわり)奉公人であり、給金は一か年3~4両を相場とした。
 [北原章男]
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 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「若党」の解説
 若党 わかとう
 若い郎党,武士の従者の意。室町時代には「若党被官」の語がみられる。戦国時代には奉公人のなかに若党と呼ばれるものがあった。江戸時代には武家奉公人と呼ばれ,小者,中間 (ちゅうげん) ,草履取 (ぞうりとり) らとともに年季契約による雇用関係にあった。 (→家子郎党 )
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 郷士(ごうし)は、江戸時代の武士階級(士分)の下層に属した人々を指す。江戸時代、武士の身分のまま農業に従事した者や、武士の待遇を受けていた農民を指す。平時は農業、戦時には軍事に従った。郷侍(ごうざむらい)とも。
 概要
 人々の立場が流動的であった戦国時代が終わり、徳川幕府下で新しい階級制度(武士・百姓・町人)が形成される中、武士と農家の中間層に分類される層(地侍土豪など)が在郷(城下でなく農村地帯に居住すること)する武士として扱われたもの。武士身分と同じく藩・幕府に士分として登録され、苗字帯刀の特権も与えられている。しばしば混同されるが、苗字帯刀を許されている層には郷士以外の階級(豪商・豪農・学者など)も含まれているため、「名字帯刀=郷士」という認識は誤りではないが正確でもない。
 郷士は「(武士階級である以上、その特権として)苗字帯刀を許されている」のに対し、郷士以外は「(武士階級ではないが、特に働きがあったため)苗字帯刀を許されている」のである。名字帯刀が基本的に武士の特権であること、それが与えられることは名誉に違いはないが、武士身分と一緒になっている訳ではない。論者の中には名字帯刀に加えて知行を持つ事を郷士の条件として、「地頭帯刀」という用語を用いる場合もある。
 分類
 農民・商人から下層・中層の武士階級までは、士分株の売買などを通じて、かなりの階級の流動性が保たれていた。したがって郷士においても、時代が下るにつれて古参郷士とは別に、新興郷士とも言うべき人々が次々と現れた。また、古参郷士でも背景となる戦国時代以前の立場については様々であり、一様ではない。
 戦国時代に士分(この場合は存続している戦国大名の家臣団名簿に登録されている事を指す)であった人々の内、藩士としての地位を与えられながら理由あって在郷領主としても行動した者。
 兵農分離以前からの半農半兵(兵士の自給自足・農民の自主自衛)の伝統から、士分の中には自前の農地(多くの場合、一般より大規模な農地を有していた)を直接管理して家計の支えにしている層がいた。彼らの内、規模の大きい者は豪族と呼ばれ、より規模の小さい者は土豪地侍と呼ばれた。彼らは江戸時代に「在郷藩士」として各藩の士分階級に取り込まれ、従来通り平時の農地管理と非常時の軍役を両立し続けた。土佐藩では旧領主である長宗我部氏の家臣のうち、地侍にあたる一領具足を下士として登用した。
 乱世の中で所属していた大名家が滅亡して士分を失った者達は再仕官を拒絶したり、逆に叶わなかったりして帰農したものも多かった。その中には旗本や家老などの重臣クラスが土着した例もあり、新しくその土地を領有した藩の支配者が旧領主を支持する勢力への懐柔としてそうした人々を藩士に取り立てる場合があった。その場合、多くは一般藩士ではなく城下城内での勤務や栄達を禁じられた「在郷藩士」として扱われ、今まで通りに農地管理を主な生業にした。
 江戸時代初期までは農民階級・商人階級に属していたが、何かしらの理由で上記と同じ身分を与えられた者。
 大名家に対しての献金や新田開発の褒美として郷士に取り立てられた者。1に近い地位を持ちながら、郷士身分の範疇から漏れていた者が後から取り立てられたという側面が強い。
 売却されていた士分株の内、「郷士株」を購入して身分を買い上げたもの。純粋に太平の世で身を立てて、その栄達として立身した者が多い。著名な郷士である坂本龍馬も祖先である豪商の坂本直益が土佐藩より郷士株を購入、曽祖父の代から郷士身分を得ている。
 元は一般藩士であったが城下で家禄のみによって生計を維持できず、城下郊外または農村で農業を営む為に郷士身分へ下ったもの。
 特別の所以があるもの(十津川郷士など)。
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