🏯22)─1─仮面ライダーの「生き抜く覚悟」。武士道の「死ぬ覚悟」と「残心」。〜No.41 ③ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 葉隠「武士道と云は,死ぬ事と見付たり」。
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 武士・サムライは、日本だけにいて中国や朝鮮にはいない特殊な身分であった。
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 2021年10月8日号 週刊ポスト仮面ライダー 変身の系譜
 スペシャルインタビュー 藤岡弘、
 本郷猛の『変身』と『変心』
 ──『仮面ライダー』主人公のもうひとつの戦い──
 〝国民的ヒーロー〟の人気と影響力が大きくなるほど、演じる者の苦悩もまた、大きくなっていった──。『仮面ライダー』主演の藤岡弘、が当時を振り返り、〝ヒーローのあり方〟を語る。
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 1972年当時、僕は本郷猛の死に様ばかり考えていたんです。本郷猛の最後を、どう迎えるべきなのか。
 というのも、僕は役者として不器用なタイプ。心身ともに、その役になりきることでしか演じられず、その過程において演じる者の現在・過去・未来を考えてしまう。本郷猛の場合、現在と過去は放送回を重ねるごとに自然と明らかになっていった。じゃあ、その先の未来は──?
 そこで僕は、ある想いにたどり着きました。本郷猛は十分に、悪の組織・ショッカーと戦った。与えられた使命を果たしてきた。そんな本郷に残された戦いは自己犠牲を貫き、己の命を次の世代に繋いでいくようなものではないのか。その覚悟も固めていました。
 しかし、僕の想像は原作者の石ノ森章太郎先生の一言で木っ端微塵になった。 あれは石ノ森先生が初めて監督を務めた『危うしライダー! イソギンジャガーの地獄の罠』(1972年11月4日放送/第84話)のロケでした。撮影の合間に先生と千葉県・鴨川の砂浜を歩いていたとき、僕はさり気なく『仮面ライダーは、いつ死ぬのですか』と訊いたんです。そうしたら、先生はニコッと笑みを浮かべ、『死ぬ?藤岡君、仮面ライダーは死んじゃダメなんだ。永遠に死なない』といわれた。
 何があっても生き抜く覚悟
 ショックでした。〝死なない〟ということは、つまり〝死ねない〟と気づいたからです。本郷猛の正義を背負い、これからも永遠に戦い続けなければいけない。正直、それは死ぬことよりも辛いのではないか。と思いましたね。
 でも、先生の、『仮面ライダーは永遠に死なない』の言葉を受けて、自分なりに子供の夢や希望を奪い去らないためにも、やはりライダーは死んではいけない、そうでなければヒーローではないと解釈し、〝死にゆく覚悟〟から、何があっても〝生き抜く覚悟〟を胸に秘めるようになったんです。
 ありがたいことに、『3世代で仮面ライダーを観ています』など、今でもいろんな方から声をかけていただきます。
 30代の男性は『父親に正義の意味がわからなければ、本郷猛の生き様を見よ、と教えられました。だから、自分の息子にも、本郷猛の戦いを見なさい、と一緒に仮面ライダーを観ています』といってくれてね。その父親の横に、5歳くらいの男の子がはにかむように立って『本郷さん、握手してください』って、おずおずと小さな手をさしだしてくれたんですよ。僕はしゃがみ込み、小さな手をしっかり握り締めました。
 そのとき、ふと石ノ森先生の『仮面ライダーは永遠に死なない』の言葉が蘇り、改めて真意を理解することができましたよね。死ぬ覚悟より、ひたすら生き抜く覚悟のほうが尊く重たい歴史を紡げるものなんです。
 そういう心構えの積み重ねが結果的に『仮面ライダー』の放送開始50周年という偉業に繋がっているのではないでしょうか。
 相手は怪人ではなく己の心
 ただ、思い返すに、ショッカーに拉致され、改造手術を施されて仮面ライダーとなった本郷猛は、正義とか世界平和を守るだとか、そんな大それたことは考えていなかったんですね。
 では、何を考えていたか。まずは自分の心と向き合い、どのようにコントロールするべきかを自問自答していたんですよ。いわば最初に戦う相手の怪人ではなく、己の心だったんです。
 普通に考えてみても、いきなり改造人間にされたら、そりゃ自暴自棄になりますよね。それまで本郷猛は優雅な青年科学者の生活を送っていましたし。でも、哀しみに明け暮れているわけにもいかない。この途方もない力をどのように使うか。ここで己の心との戦いが始まる。
 自暴自棄の心のまま、ショッカーの魔の手から逃げ続け、好き勝手に生きるか。それとも、得た力で身近な人たちを守る戦いを始めようとするか。そこで本郷猛は葛藤し、〝変身〟ではなく〝変心〟を試みる。
 好き勝手に生きる道を選ぶような〝変心〟は簡単だ。しかし、ひとりでも自分に助けを求める人がいる限り、
たとえ苦しくても悪と戦う道を選ぶ〝変心〟をするべきではないのか。そう決意した瞬間、〝変心〟による〝変身〟が可能となる。
 結局、安易な自堕落な道を選ぼうとする自分を変えなければ、愛する人たちは守れないということ。
 考えてみれば、本郷猛の50年は、その繰り返しでした。そのつど、戦うのを止めてしまおうといった負の心に苛まれながら、それでもなお〝変心〟と〝変身〟を貫き通し、正義を熟成させてきたんですよ。
 その〝変心〟と〝変身〟は、その後も仮面ライダーとなり、必死に悪と戦っている後輩たちにも、受け継がれているはずです。」
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 2021年10月2日 MicrosoftNews MANTANWEB「歴史秘話 仮面ライダーヒストリア:50年の歴史振り返る 全仮面ライダー大投票中間結果も NHKBSプレミアムで今夜放送
 (C)石森プロ・テレビ朝日ADK EM・東映© MANTANWEB 10月2日放送の「歴史秘話 仮面ライダーヒストリア」(C)石森プロ・東映(C)東映東映ビデオ・石森プロ(C)石森プロ・テレビ朝日ADK EM・東映
 今年50周年を迎えた特撮ドラマ「仮面ライダー」シリーズの歴史を振り返る番組「歴史秘話 仮面ライダーヒストリア」が、NHKBSプレミアムで午後10時50分に放送される。昭和、平成、令和の32作を紹介し、仮面ライダーの変身や怪人の魅力に迫るほか、プロデューサーによる制作秘話も明かされる。
 NHKが実施している「仮面ライダー」シリーズの好きな作品、仮面ライダー、音楽を投票する企画「全仮面ライダー大投票」の中間発表も発表される。番組はNHK・総合テレビでも10月10日午後3時5分から放送する。
 「全仮面ライダー大投票」は、特設サイトで投票を受け付けている。10月17日まで。結果は、11月6日午後10時半放送のNHKBSプレミアムの番組「発表!全仮面ライダー大投票」で発表される。NHK総合では、テレビシリーズ第1作「仮面ライダー」第1話を10月10日午後4時に放送する。」
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 人生50年代の江戸時代、幕府や各藩の現役で役職に就く武士の年齢は15歳~40代が大半で、50代以上の多くは引退し隠居生活をおくっていた。
 役職で過ちを犯せば言い訳や弁明は許されず、10代であっても大人と見なされ切腹を命じられた。
 それが、世間・世の中・社会に出た大人の責任であった。
 孝明天皇崩御されたのは36歳。
 明治天皇崩御されたのは60歳。
 大正天皇崩御されたのが47歳。
 徳川家定が死去したのは34歳。
 徳川家茂が病死したのは20歳。
 徳川斉昭が死去したのは60歳。
 徳川慶喜が将軍に就任したのは30歳。
 阿部正弘が老中に就任したのは25歳、過労死したのは38歳。
 井伊直弼が殺害されたのは45歳。
 河井継之助が戦陣で没したのは41歳。
 島津斉彬が死去したのは49歳。
 吉田松陰が処刑されたのは29歳。
 久坂玄瑞が戦死したのは24歳。
 高杉晋作が病死したのは28歳。
 坂本龍馬が殺害されたのは32歳。
 近藤勇が処刑されたのは34歳、新選組結成時は29歳。
 土方歳三が戦死したのは34歳、新選組結成時は28歳。
 沖田総司が病死したのは24歳、新選組結成時は19歳。
 西郷隆盛が自決したのは50歳、明治維新時は40歳。
 大久保利通が殺害されたのは48歳、明治維新時は37歳。
 江戸時代は若年層の時代で、幕末・戊辰戦争明治維新・明治近代化を日本を背負って乗り切ったのは「死を恐れる老人」ではなく「死を恐れぬ若者」であった。
 現代日本で、彼らと同い年で同じような事ができる日本人は誰もいない、ましてや戦後民主主義教育世代とその薫陶を受けた有能・優秀な次世代はそれが言える。
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 日本の歴史は、若者の歴史であって老人の歴史ではなかった。
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 幕末・明治維新・明治近代化は、命を大事にする躍動感を嫌う老人の時代ではなく、命を捨てる血気盛んな10代~30代の若者の時代であった。
 戦後民主主義教育世代、現代シニア・デモクラシーの現代日本の老人では、幕末・明治維新・明治近代化の動乱を乗り切れず、確実に日本を滅ぼした。
 命を大事にする彼らは、日本民族の武士・サムライでも百姓や町人でもなく、当然の事ながら本当の意味での偏見と差別を受けた賤民や部落民でもなかった。
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 武士は食(く)わねど高楊枝(たかようじ) 。
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 現代日本には、武士道・士道は存在しない。
 現代日本人は、武士・サムライではないしその子孫でもない、さらには百姓や町人でもない。
 武士・サムライ、百姓や町人と言えるのは、日本民族だけである。
 日本民族と日本人とは違う。
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 現代日本において、武士道は正しく理解されていない。
 葉隠の「武士道と云ふ死ぬ事と見付けたり」や滅びの美学を口にする、肯定する者も否定する者も、しょせん同じ野狐禅に過ぎない。
 つまり、「論語読みの論語知らず」である。
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 真の武士・サムライとは文武両道・文系理系両系が当たり前で、武事・武道としての剣術・槍術・弓術・馬術・水練、軍学(戦略戦術)・築城、その他の熾烈な鍛錬を怠らず、文事としての漢籍支那語古典)、日本語古典・読物・物語・随筆、座禅、その他。領地の統治と経営としての土木工事・庭園造園・殖産興業・金融商売など多才能で優れた行い、芸事としての漢詩・和歌、能楽・歌舞、囲碁・将棋、茶道・香道、笛鼓・音曲、書画・絵画、骨董、工芸などから多趣味を持つ事である。
 そして、少ない家禄を補う為に副業として現金収入を得る為に、百姓や商人に頭を下げて内職仕事を分けて貰っていた。
 日本の専制君主世襲とは、家の跡継を産ませる事が必修であったが、同時に個人として教養を身に付ける事が求められた。
 儒教原理主義である朱子学(官学)に毒された武士は、金儲けの商売は穢らわしい行為と嫌い、武士たる者働かず領民・百姓に重い税金・年貢を掛けて搾取する事が正しい生き方だと信じていた。
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