🌈78)─1─日本姓約30万種には民族の歴史・文化・宗教の物語と自然の神話が詰まっている。~No.134No.135 ⑮ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 日本人の姓名は、中国や韓国・北朝鮮では低レベルな教養なき非常識な姓名である。
 中国や韓国・北朝鮮が、日本人に対して偏見、嫌悪、憎悪を持ちたくなる原因の1つは、儒教文化から理解できない、ふざけた様な「日本姓」にある。
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 儒教文化において、自分の・我が家の姓名は汚してはならない神聖な姓名であった。
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 中国姓、   約4,000種類。
 朝鮮・韓国姓、約286種類。
 アメリカ姓、 約150万種類。
 イタリア姓、 約35万種類。
 ドイツ姓、  約30万種類。
 イギリス姓、 約35万種類。
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 Home トピックス 中国人を戸惑わせる日本人の「姓」=歴史の変転刻む
 中国人を戸惑わせる日本人の「姓」=歴史の変転刻む
 社会 2018.12.29
 井上 雄介 【Profile】
 日本人にとって中国人と名刺交換するのは、少し気が重い。
 相手はしげしげとこちらの名前の字面を見てから、中国語の発音で名前を読み上げる。ローマ字の振り仮名が振ってあると、さらに眉根を寄せて考えもする。彼らが予想していた中国語読みの漢字音とずいぶん異なるためだ。
 私の名前・井上を例にとると、日本語読みの発音は「Inoue(イノウエ)」だが、中国語の発音では「Jingshang(正確な発音ではないけれど、あえてカタカナにするならチンシャン)」となり、日中双方の言葉を理解しない者には同じ人物とは判別できない。日中で大きく異なる漢字の発音は日本人にとっても、中国人にとっても同じようにコミュニケーション上の大きな障害だ。
 さらに中国人にとっては、日本人の名前はどこまでが「姓(family name)」で、どこからが「名前(given name)」なのか、はっきりしない。
 しかも日本人の名前は一般に中国人より長い。例えば今では日本でも少なくなってきたが、安倍首相の亡父「安倍晋太郎(Abe Shintaro)」氏の3文字名前のケースを考えてみよう。
 中国には1文字の姓が多く、「安」さんというのもあるので、もし「安」で切ると、後ろには「倍晋太郎」の4文字が残る。
 さすがにこれでは中国的な名前としては長過ぎる。
 「太郎」は比較的国際的にもポピュラーな典型的な日本人名の一つだし、たまたま現在の財務大臣・麻生さん、外務大臣・河野さんも「太郎」さんだ。だとすると、「『倍晋』は何だ!日本人にはミドルネームがあるのか」ととんでもない方向に話が広がりかねない。
 おまけに姓の種類があまりに多い。
 たとえば「江尻(Ejiri)」さんなどは「尻」という怪しい漢字を使っている。尻は中国語でも臀部(でんぶ)を意味する。中国人の苗字に使用されることはまず考えにくい。
 トイレを意味する「御手洗(Mitarai)」さんは日本語の読みが「みたらい」となり「おてあらい」とは異なるので日本では印象が違うだろうが、中国語の「洗手間」と相通じる言葉なので漢字で考えると、食事中には名乗りにくい、ということになる。
 犬を養う「犬養(Inukai)」や、イノシシ=中国語では「豚」の意味=を飼育する「猪飼(Ikai)」などまるで職業みたいな姓もある。実際、国語の辞書にも犬養は犬、猪飼は豚をそれぞれ飼育することを職としていたと紹介してある。
 単純に樹木の下を意味する「木下」、川の上流を意味する「川上」、田んぼの中を意味する「田中」など、先祖がどんなところに住んでいたかが丸分かりだ。
 また「我孫子」は中国語ではそのまま「わが孫」、「我妻」は「わが妻」と読むことができる。「自分の名刺に『わが孫』だって?」「いったい何を言ってるの、誰の孫で誰の妻なのか」
 氏名を知らせるはずの名刺が、かえって相手を戸惑わせてしまうのだ。
 日本人が、中国人を含む外国人と交際する際、ローマ字表記を使う方が実用的と筆者は思うが、日本ではまだ一般的ではない。ただ、日本人の「姓」は、漢字文化圏の人々との交流の際、格好の話のネタにはなってくれる。
 日本人の「姓」30万種
 中国、朝鮮半島、日本、ベトナムなど漢字文化圏の国々は、箸や大乗仏教など中国発祥の文化を数多く共有している。その1つである姓は各国とも、もともと主に血族集団を示し、その後ろに個人の「名」を置く。ただ、日本の姓は一説には30万種もあるとされ、各国の中で飛び抜けて多い。
 漢字文化圏で随一の大国である中国でも姓の数は約6000、朝鮮半島では約300と言われる。ただ、少数の姓に人口が集中しており、中国では李、王、張など上位100が全国人口の約9割、朝鮮半島では金、李、朴、崔、鄭の5つで国民の半数を占めるそうだ。あるネット情報によると、ベトナムでもグエン( 阮)、チェン(陳)、レ(黎)の上位3つで国民の60%、上位14で9割を占めるという。
 日本では佐藤、鈴木、高橋など上位10で全人口の1割を占めるに過ぎない。
 実は日本人の姓も、かつては数が限られていた。現代の日本では「姓」も「苗字」も同義として使われており、英語にすればどちらもfamily nameとなるが、この苗字には他の漢字圏諸国と異なる日本独特の歴史がある。
 武士の時代に急増した苗字
 8世紀、日本で中国の唐朝をモデルにして戸籍が生まれ、一般庶民も姓を持つようになった。
 12世紀の鎌倉時代、姓から分岐した苗字が爆発的に増えた。
 各地の武装勢力が自らの領地を支配する地方割拠の時代となり、武士にとって何よりも大切な土地の地名を苗字として名乗るようになった。これが30万種とも言われる苗字が生まれるきっかけだ。
 そして現在、さまざまな「苗字」を名乗る日本人も、先祖を1000年さかのぼると天皇から下賜された「源平藤」(「源(Minamoto)、平(Taira)、藤原(Fujiwara)」)の三つの姓にたどり着くという(「先祖を千年、遡る」丸山学著、幻冬舎新書)。日本は1つの王朝が延々と続いているので、子孫が多い。同書によると、日本に多い「田中」は平氏、筆者の「井上」は源氏由来が多いそうだ。
 こんなわけだから「苗字」は中国の姓ほどの歴史を持たない。ただ、中国の人から見ると一見適当に付けたようにも見える日本人の苗字だが、鎌倉時代以来800年以上の歴史が背景にある。日本には苗字の由来を調べるウェブサイトもあって、自分のルーツを知りたい人や、歴史愛好家らに人気だ。
 この文章を読んでいるあなたが外国の人なら、日本人の友人に会う前、ちょっと調べてみてはいかがだろう。
 「あなたのお名前は、源氏の流れですね」などと言えば、相手は目を丸くするに違いない。
 バナー写真:名刺交換する新興企業幹部と証券会社の担当者(東京・中央区東京証券取引所、2011年01月19日)=時事通信
 井上 雄介INOUE Yūsuke経歴・執筆一覧を見る
1963年東京生まれ。早稲田大学法学部卒。 天津南開大学に留学し中国語を学ぶ。元共同通信記者。衆院議員政策秘書、経済紙記者などを経て現在フリーのライター。」
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 名字(みょうじ、苗字)は、家(家系、家族)の名のこと。法律上は氏と呼ばれ(民法750条、790条など)、一般には姓(せい)ともいう。
 概説
 世界を見渡すと、アメリカやドイツのように移民が集まる国では名字(ファミリーネーム)の数が多くなり、世界中の名字が集まっているような状態になっており、アメリカ人の名字は100万種以上とも言われている。それに対して中国や韓国では一文字姓が原則とされているので種類が少なく、韓国では約280種類しかないと言われている。
 日本の名字
 日本の名字は、元来「名字(なあざな)」と呼ばれ、中国から日本に入ってきた「字(あざな)」の一種であったと思われる。公卿などは早くから邸宅のある地名を称号としていたが、これが公家・武家における名字として発展していった。近世以降、「苗字」と書くようになったが、戦後は当用漢字で「苗」の読みに「ミョウ」が加えられなかったため再び「名字」と書くのが一般になった。
 「名字」と「姓」又は「氏」はかつて別ものであった。たとえば、清和源氏新田氏流を自称した徳川家康の場合は、「徳川次郎三郎源朝臣家康」あるいは「源朝臣徳川次郎三郎家康」となり、「徳川」が名字(苗字)、「次郎三郎」が通称、「源」が氏(「姓」、本姓とも呼ばれる)、「朝臣」が姓(かばね)(古代に存在した家の家格)、「家康」が諱(いみな、つまり本名)ないし実名(じつみょう)になる。
 日本での名字の数は、たとえば「斎藤」と「斉藤」を別として数え、たとえば「河野」の読み方を「こうの」と「かわの」で区別して別に数えるなどという方法をとれば、一説には「20万種にも達する」などとも言われるが、「20万種は多すぎる、実際には10万種ほどだろう」という見解を示す人もいて、正確な推定は難しい。それでも世界的に見れば多いほうである。これほど名字の数が増えた理由の一つとして、日本人は他国・他地域の人々と比べて「同族」という意識よりも「家」の意識を重要視したので、同族であってもあえて名字を変えて「家」を明確にしたり、地名を用いて「家」を明らかにしたりしたことがある。また明治時代の明治新政府が、国民に名字を持つことを義務付け、その結果、庶民はそれまでもともと通称として持っていた名字をその機会に名乗ったり、またそれまでの名字を変えて名乗ったりしたので、明治時代に一気に名字の数が増えた、ということもある。一説によると、幕末期と明治期を比べると、一気に数倍に増えたと言う。
 明治時代以前の「姓」
 庶民の名字
 古代の庶民は主に、豪族の所有民たる部曲の「○○部」という姓を持っていた。例えば「大伴部」「藤原部」というようなものである。しかし部曲の廃止や支配者の流動とともにその大半は忘れられ、勝手に氏を名乗ることもあった。
 名字(苗字)は、姓(本姓)と違って天皇から下賜される公的なものではなく、近代まで誰でも自由に名乗ることができた。家人も自分の住む土地を名字として名乗ったり、ある者は恩賞として主人から名字を賜ったりもした。
 江戸時代には幕府の政策で、武士、公家以外では、原則として名字(苗字)を名乗ることが許されなかった。これをもって「江戸時代の庶民には名字がなかった」と語られることがある。だが庶民といえども血縁共同体としての家があり、それを表す名もある。また先祖が武家で後に平民になった場合に先祖伝来の名字が受け継がれる場合もあった。そうした私称の名字は寺の過去帳や農村の古文書などで確認することができる。また商人がしばしば屋号をそのような私称として使った。
 しかしそれでも、庶民は、名字として公的な場で名乗ることはできなかった。この習慣は、江戸時代に特有ではなく、それ以前の中世の鎌倉時代室町時代の段階から存在していた。名字が武士身分の象徴として意識される一方で、庶民の間では、名字の公称が自主規制されていったのである。同時に、村の中でも、名字の私称は、上層の百姓の特権として認識されるようになった。
 明治時代以後の名字
 明治政府も幕府同様、当初は名字を許可制にする政策を行っていた。幕府否定のため幕府により許可制で認められていた農民町人の苗字を全て禁止し(慶応4年9月5日)、賜姓による「松平」の名字を禁止したり(慶応4年1月27日)する一方、政府功績者に苗字帯刀を認めることもあった。明治2年7月以降、武家政権より天皇親政に戻ったことから、「大江朝臣孝允木戸」のように本姓を名乗ることとした時期もあった。
 明治3年(1870年)になると法制学者細川潤次郎や、戸籍制度による近代化を重視する大蔵省の主導により、庶民への名字を原則禁じる政策は転換された。9月19日の平民苗字許可令、明治8年(1875年)2月13日の平民苗字必称義務令により、国民はみな公的に名字を持つことになった。この日にちなんで、2月13日は「名字の日」となっている。明治になって名字を届け出る際には、自分で名字を創作して名乗ることもあった(たとえば与謝野鉄幹の父礼厳は先祖伝来の細見という名をあえて名乗らず、故郷与謝郡の地名から与謝野という名字を創作した)。僧侶や神官などに適当につけてもらうということもあったが例は少ない。
 明治4年10月12日には姓尸(セイシ)不称令が出され、以後日本人は公的に本姓を名乗ることはなくなった。氏・姓は用語も混乱していたが、この時点で太政官布告上は、いわゆる本姓は「姓」、氏・名字は「苗字」、かばねは「尸」というように分類されたのである。明治5年(1872年)5月7日の「通称実名を一つに定むる事」(太政官布告第149號)により公的な本名が一つに定まり、登録された戸籍上の氏名は、同年8月24日の太政官布告により、簡単に変更することができなくなった。また婚姻後の妻の苗字については、明治8年(1875年)、石川県より「嫁いだ婦女は、終身その生家(実家)の氏とするか。嫁が家督などを継ぐなど、夫家の氏とせねばならぬ場合はどう示すか」との伺があり、同年11月9日、内務省は判断に困り太政官伺を出した。その結果、明治9年(1876年)3月17日の太政官指令として、夫の家を相続しない場合の妻の苗字は「所生ノ氏」つまり婚前のものとし、但し夫の家を相続した場合の妻の苗字は「夫家ノ氏」とするとされた[7]。なお、現在と同じ夫婦同氏の原則に統一したのは明治31年(1898年)に明治民法が成立してからである。
 外来名字
 近代になって国際化がすすむにつれて日本に帰化する外国人が必ずしも「日本風」の氏名でなくても許可されるようになり、アメリカ人だったドナルド・キーンは「キーン ドナルド」で日本国籍を取得している。逆に鼓呂雲恵理駆や三都主アレサンドロのように新たに作った者もいる。
 外国人と結婚して氏を改める(1984年戸籍法改正)例も増え、外国由来の名字を持つ日本人が増えてきている。中でも中東圏は父親の名字を継承する習慣があるため、日本人女性と結婚し日本国籍を取得しても、アラビア語ペルシャ語の名字をそのままカタカナ表記で使用している事が多い(ダルビッシュ有の父親など)。
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 福山大学孔子学院
 中国人の姓と名
 2020年11月21日
 中国人の姓と名
 中国人の姓と名のあり方は如何なるものか。漢姓を中心に紹介していきたい。
 苗字の数については定説がないが、ある統計によると1万個以上あると言われ、一時文献に出ていたが、後に消えてしまったものも少なくはないという。今使われている漢姓は約3000種類あり、この中で100ぐらいが常用のものである。姓のうち、一文字の姓を「単姓」で、二文字以上のものを「複姓」という。単性が多数を占めており、復姓には「欧陽、司徒、司馬、諸葛、端木、上官、令狐、皇甫、夏侯、公孫、鐘離、慕容、南宮、東方、東門、西門、呼延、中行、羊角、長孫」といったものが挙げられる。三文字以上の「複姓」は非常に珍しくて漢姓ではほぼ見当たらない。また、姓として使われる場合は、普通と違った読み方をする漢字もあるので注意が必要である。例えば、種(chóng、zhǒng)、不(fǒu、bù)、句(gōu、jù)、黒(hè、hēi)、角(jué、jiǎo)、会(kuài、huì)、牟(móu、mù)、能(nài、néng)、区(ōu、qū)、折(shé、 zhé)、洗(xiǎn、xǐ)、解(xiè、jiě)、員(yùn、yuán)、 査(zhā、chá)、単(shàn、dān)などの類である。(前者は姓としての読み方で、後者は普通の読み方。)
 最新の統計によれば、上位5つの姓は王(9468万人)、李(9276万人)、張(8550万人)、劉(6882万人)、陳(5673万人)となっている。
 姓の由来は、原始社会の部落の首領の名を姓としたもの、古来人々が拝んだ動物の名前を姓としたもの、祖先の国や爵位、官職名などを姓としたもの、住んでいる地域の方位や周囲の景物などを姓としたもの、職業を姓としたもの、などさまざまである。
 姓名の語順は簡単で、姓が先で名が後に置かれる。名は二字のものが最も多くて、次いでは一字のものもある。従来、一家族の同世代の兄弟や姉妹の名には共通した一字をつける習わしがあった。これは家族における長幼の序列を明確にするもので、名前の第一字は必ず宗族が決めた字を用いなければならない家族が多かった。そうして、宗族間の親戚関係や対人呼称などが自ずと分かり、家族の絆もより強固なものになるのである。しかし、一人っ子政策、人口の流動化、名づけの個性重視などの影響で、そういうネーミングの方法に拘らない家庭も数多くあった。
 「名」以外に「字」(あざな)または「号」(ごう、「別号」とも)をつける人もいた。「字」は成人した時に(昔は男子20歳、女子15歳)家族が付けてくれるもう一つの呼び名である。「字」にはその人の人徳を称賛し、又は出世してほしいという期待が込められていた。昔の人はほとんど、「名」と「字」の両方を持っていた。例えば、孔子は名が「丘」、字が「仲尼」である。自ら名乗る時には「名」を使い、他人を呼ぶときにその人の「字」で呼ぶのが普通だった。1919年に勃発した新文化運動によって、一人一名制度が提唱され、「字」をつける習慣が次第に廃止されてしまったのである。
 更に、昔の文人たちは、「字」以外に「号」をつける人も多くて、それを文章や書画など創作発表する際に使用していた。言わば、現代のペンネーム、筆名に当たるものである。「号」は自ら付けて、パーソナリティーなどを示すものが多く見られる。唐の大詩人李白は名が「白」、字が「太白」、号が「青蓮居士」であり、北宋の文学者蘇軾(そしょく)は、名が「軾」、字が「子瞻(しせん)」、号が「東坡居士」で、後世の人は、彼のことを蘇東坡(そとうば)と呼ぶことが多い。「居士」は出家をせずに家で修行を行う仏教の信者のことであり、唐、宋の時代にどれだけ仏教が盛んであったかが窺える。「居士、山人、隠士、道人」など隠逸志向を匂わせる言葉は「別号」として文人たちに愛用されていた。
 現代中国人の名には何かの意味を含む漢字が多く使用されている。例えば、たくましく育ってほしいという親の希望を示す「健康の健、偉人の偉、英雄の雄、豪傑の傑、剛胆の剛、天に昇る龍」とか、綺麗で淑やかな女の子になるようにという親の期待が込められた漢字には、「華麗の麗、みやびの雅、佳人の佳」といったようなものが挙げられる。
 中国では「夫婦別姓」で、子供は父親かまたは母親のどちらかの姓を名乗らなければならないという決まりがある。最近は、同名になることが回避できるように、父親と母親の姓を組み合わせ「子供の姓」にして名前を付けるケースもあるが、ただし、法律では新しい「複姓」とは認められておらず、やはり最初の一字だけは子供の姓としてみなされている。最も人口が多い姓名の上位3つは張偉、王偉、王芳で、どれも30万人前後の使用人口を有しているが、中国では皆マイナンバーを持っているので、社会生活を営む上ではさほど支障が生じることがないだろう。
 昔は女性の社会的地位が低かったので、一部の人は苗字だけで、名はなかった。結婚後、自分の苗字を旦那さんの苗字の後ろに付け加えて、例えば、劉家の娘が趙家に嫁入りしたら「趙劉氏」と呼ばれていた。
 名付けにはいろいろなタブーも存在していた。皇室、貴族、高官、祖先、親、尊敬されるべき人などの名前を直接に口に出すことは禁物で、そういう人達の名の漢字を自分の子供の名前に使うことも認められなかった。
 歴史上の人物、あるいは文学作品の主人公の名前に、特別な意味を付与されることがあり、これらは一種の文化的符号と言えよう。例えば、「西施」は春秋時代(紀元前770年~紀元前476年)の越国の美人で、後になって美人を象徴する言葉になっている。また小説『三國演義』のキャラクターとして登場する三國の豪傑勇将の関羽は、義を重んじるシンボルで、彼を記念するために各地で関帝廟が建立されている。一方、同じ時代の諸葛亮は知恵を備え、賢明な知恵者で計略に富む人の化身になっており、「三个臭皮匠、顶个诸葛亮」(三人寄れば文殊の知恵)の格言として言い伝えられている。これらの言い回しを修辞手段として文章などに使用すると、言葉を生き生きさせることができるのみならず、言葉に秘められた深層的で文化的意味の理解にもつながるに相違あるまい。
 昔から姓に関する資料を蒐集し、それぞれのルーツや人口分布などを検証する書物は数多く刊行されているが、最も影響力が大きかったものは『百家姓』である。この本は今から千年ほど前の北宋時代(960年~1127年)の初頭に編纂され、作者は不詳である。後世に追加された部分も含め、現在の流布本には単姓444、二字の復姓60の合計504個の漢姓が掲載されている。韻を踏みながら4文字を1句として書いており、しめくくりの「百家姓終」という文言を含め全体で568文字となる。『百家姓』は学びやすく覚えやすいため、『三字経』や『千字文』と同様に私塾の啓蒙教育などで学童に漢字を教える学習書の一つとしても広く利用されていた。宋の国姓は趙であったので、趙の苗字から書き出されている。冒頭の部分はこんな具合である。「趙銭孫李、周呉鄭王。馮陳褚衛、蔣沈韓楊。朱秦尤許、何呂施張。孔曹厳華、金魏陶姜。⋯」(掲載部分は全て単姓)。
 家族の結束やコミュニケーションを図るため「族譜」を編纂、又は改訂・増訂する作業が昔から各地で盛んに行われている。「族譜」とは同姓一族の家系図に当たり、家族のルーツ、血縁関係、構成序列、親族関係、重要人物、重要事件、人口流動などを記載した文書である。「族譜」にはその一族の家訓なども載せられている。なお、最近では社会的気風をより豊かにするために、代々承継されてきたその家その家の「家訓・家風」の重要性を改めて意識するようになっている。           2020年11月 
  福山大学孔子学院副学院長(中方院長) 郭 徳玉 記
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 YAHOO!JAPANニュース
 夫婦別姓、子どもは父親の姓を名乗ることが多い中国で、今起きている「想定外」の現象
 中島恵 | ジャーナリスト
 6月23日、「夫婦別姓」を認めない民法と戸籍法の規定が、憲法に違反するかどうかについて争われた日本の特別抗告審で、最高裁大法廷が両規定を「合憲」とする決定を下しました。日本では「夫婦別姓」を認めないという判断です。
 日本のような夫婦同氏制は世界的に見て珍しいといわれていますが、隣国の中国ではどうなのでしょうか。
 中国では夫婦別姓
 中国では原則として「夫婦別姓」です。1950年に定められた「婚姻法」によると、男女平等の観点から、自分の姓名を使用する権利が認められ、夫婦双方が自分の姓名を用いることができる、と規定されました。
 中国では「王」さん(男性)と「李」さん(女性)が結婚しても、李さん(女性)の姓は一生変わりません。
 同法は1980年に改正され、子どもが生まれた場合、子どもの姓は両親のどちらかの姓を選択することになっています。2001年にさらに改正され、夫婦平等がより強調されましたが、中国では法律が定められる以前から、伝統的に、子どもは父親の姓を名乗ることが多い、といわれてきました。
 しかし、1979年から2015年まで続いた「一人っ子政策」の弊害により、近年はこれまでになかった、まったく新しい現象が起きています。
 中国では2016年から子どもは2人まで認める、いわゆる「2人っ子政策」を実施してきましたが、これにより、子どもが2人できた場合、1人目は父親の姓にし、2人目は母親の姓にする、という動きが起きたのです(5月31日、政府は産児制限をさらに緩和して、3人目まで認める方針を発表)。
 なぜなら、現在、出産可能な年齢にある夫婦はたいてい1980年以降の生まれで、両親自身がすでに一人っ子。その子どもが父親の姓を名乗った場合、母親の姓はそこで途絶えてしまうという問題が発生するからです。
 法律では、子どもは夫婦どちらの姓を名乗ってもいいということになっているため、たとえば長男は父親の姓、2人目の長女は母親の姓を名乗るという人が、2016年頃から、北京や上海などの大都市で少しずつ増えてきています。
 きょうだいの姓が違うことで起きる諸問題
 ところが、ここで新たな問題も生じてきました。母親の姓を名乗るというケースがまだ一般的ではないため、たとえば「同じ父母から生まれたきょうだいなのに、父親が違うのではないかと勘違いされて、学校でいじめられる」、「1人目が女の子で父親の姓を名乗ったが、2人目に男の子が生まれたので、母親の姓にしようとした。すると、父親側の親族一同から猛反対に遭ってしまい、大問題となった」、「母親が離婚し、再婚後に2人目が生まれたのだろうと、勝手に誤解されてしまう」「きょうだいや家族の連帯感が生まれにくい」といった問題です。
 そのため、やはり基本的には、子どもは父親の姓を名乗ることがまだ多いのですが、中には苦肉の策として、こんなケースもあります。
 それは、子どもが父母双方の姓をダブルで名乗るダブル姓、というものです。父親が「陳」、母親が「王」だった場合、通常なら子どもはどちらかの姓を名乗って「陳、あるいは王(姓)+(名前)」になるはずですが、「陳王+(名前)」にしてしまう、ということ。
 しかし、「陳王」という姓にはできないので、実際はどちらかの姓を選ぶしかないのです。つまり、「陳(姓)+王+名前(名前)」という奇妙なやり方。実際の日常生活では、「王」はつけず、下の名前部分のみ名乗ることが多いようです。この場合、「王」は姓ではなく名前のほうに組み込まれるわけですが、形式上、フルネームには「王」という文字は残り、双方の親もある程度、満足するというのです。
 中国メディアの報道を見ると、このように、双方の姓を残そうとする例も一部で出てきているようです。
 また、どちらかの祖父母のきょうだいが女性しかいない場合で、父母に2人目の子どもが生まれた場合、2人目は父親か母親の姓を名乗らず、1つ前の代、つまり祖父の姓を名乗ることもある、という話も聞いたことがあります。家族の人数が少なくなり、姓をついでいくことが難しくなってきたからこその策、といえるでしょう。
 中国の姓は少ないのだが……
 中国では日本と比較して姓の数が非常に少なく、約6000といわれています(日本では約30万)。しかし、実際に多い姓は王、李、張など100程度しかなく(百家姓と呼ばれる)、約100個の姓が人口の9割を占めています。
 中国の姓は漢字一文字の単姓(王、李など)が多いですが、漢字二文字の復姓(欧陽、司馬など)もあります。復姓は数が少ないですから、もし子どもが1人だった場合で、母親が復姓なら、母親の姓を名乗らせる、という人が増えていくかもしれません。
 私の知人の在日中国人で、現在は日本名を名乗っていますが、本来の姓から「楊」の字を取って「楊子」さん、としている方がいます。このような形で自分の姓をずっと残していく方法もあるのか、と感心しました。
 香港の行政長官の姓
 さて、夫婦別姓という元の話に戻すと、かつて、中国では「冠夫姓」という、女性の姓の前に、結婚相手の男性の姓をつけることがありました。「劉」という女性が「呉」という男性と結婚した場合、呉+劉+名前と名乗るやり方です。
 これは香港などで現在でも一部、その風習が残っており、香港の行政長官である林鄭月娥氏(キャリー・ラム氏)は夫の姓が「林」で、自身の姓は「鄭」。結婚後に夫の姓を自分の姓名の前につけた「冠夫姓」を今も使っています。林鄭月娥長官のような「強い女性」でも、夫の姓をつけていることに意外な印象を持ちましたが、香港で50代以上の女性では、ときどき見かけます(ちなみに、彼女の英語名、Carrie Lam の Lamは「林」(広東語読み)で夫の姓です)。
 中国の姓はそれ自体、数は多くないのですが、自分が生まれたときから使ってきた姓を大事にし、それを子孫にも残したいという気持ちを持っている人は多いと思います。その結果、子どもの姓を夫婦どちらの姓にするかという問題で悩む人は、これから先、もっと増えていくのではないかと思います。
 中島恵
 ジャーナリスト
 山梨県生まれ。フリージャーナリスト。著書は最新刊から順に「中国人のお金の使い道」(PHP研究所)、「中国人は見ている。」、「日本の『中国人』社会」、「なぜ中国人は財布を持たないのか」「中国人の誤解 日本人の誤解」、「中国人エリートは日本人をこう見る」(以上、日本経済新聞出版社)、「なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか?」、「中国人エリートは日本をめざす」(以上、中央公論新社)、「『爆買い』後、彼らはどこに向かうのか」、「中国人富裕層はなぜ『日本の老舗』が好きなのか」(以上、プレジデント社)など。中国、香港、台湾、韓国などの文化、社会事情&ビジネス事情を取材し、ネットや書籍に執筆している。
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 朝鮮人の姓の一覧
 現在使われている朝鮮人の姓は286種類である。最も一般的な朝鮮人の姓(特に韓国)は金であり、李と朴、崔、鄭がそれに続く。この5つの姓が朝鮮民族の人口の半数を占める。
 朝鮮の姓
「漢姓#朝鮮」および「人名#朝鮮半島の人の名前」も参照
同じ姓の中でも、共通の始祖を持つとする氏族集団(門中、本貫)に分かれている。本貫とはもともと始祖に所縁の地を表示するもので、氏族を示す際には「金海金氏」「安東金氏」などと本貫を共に名乗るのが一般的である。
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