🏞97)─2・A─琉球・北谷の住民は難破したイギリス船の乗組員67人を救助した。1840年。~No.375 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 1840年=天保11年。 
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 海洋国家日本の近海で、難破・座礁する外国船が絶えず、日本人(日本民族琉球人)は難破船を襲い惨殺し高価な荷物を強奪するような事はせず二次被害を恐れず遭難者・漂流者を助けていた。
 日本には、水軍や倭寇はいたが海賊はいなかった。
 但し、海賊になった日本人はいた。
 日本人には善人ではなく悪人もいた。
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 2021年5月13日 MicrosoftNews 沖縄タイムス「180年前沖縄に漂着 住民に救助されたイギリスの難破船 遊具で再現
 © Okinawa Times インディアン・オーク号の遊具リニューアルを祝う野国昌春町長(左から2人目)ら=北谷町・安良波公園
 沖縄県北谷町北谷の安良波公園内にある船型の遊具「インディアン・オーク号」がこのほど全面改修された。琉球王国時代に、北谷の人々が助けた英国の難破船「インディアン・オーク号」をイメージした遊具で、滑り台のほかロープで作ったアスレチック遊具などが備わっている。
 町によると、同船は英東インド会社の輸送船。1840年に台風で難破し、北谷間切の海岸に漂着した。難破船は略奪されることが普通だったが、北谷の住民は乗組員67人を保護し、再出航するまでの45日間の衣食住を賄ったとされる。
 遊具は、町が1995年に設置し、老朽化のためこのたび作り替えた。工事費約1億9千万円で、そのうち約1億6千万円は一括交付金を充てた。
 リニューアル記念式典が4月12日、同園であった。野国昌春町長は「善意ある史実を後世に伝えるための遊具。ぜひ憩いの場として利用してほしい」と呼び掛けた。
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 沖縄県立博物館・美術館
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 考古部門収蔵庫の逸品(Ⅱ)-イギリス船インディアン・オーク号-
 最終更新日:2014.01.30
 写真1沖縄県立博物館・美術館所蔵 インディアン・オーク号の積荷
 写真2インディアン・オーク号の座礁地付近のリーフ
 写真3海底に散乱する中国清朝磁器
 写真4海底に散乱する中国褐釉陶器
 写真5海底に散乱するバラスト石(船を安定させる重り)
 前回のコラム051(2011/09/03)で、博物館の収蔵庫は先輩達が長い年月をかけて蓄積した資料(遺物)が満載されている巨大なビックリ箱であることを書きました。その結果、時としてビックリな遺物との出会いがあることを。あの時は半年ではその全容を把握するのは極めて困難であることを書きました。それからはや2年が立ち、おかげさまでどんどん収蔵品を把握することができてきました。・・・が、やはりまだまだあるのです、隙をついて現れるビックリな遺物が!
 寒い冬のある日、あいかわらず収蔵庫にこもって資料調査(物色?)をしている時、それは発見されました。たったひとつの小さなグレーのコンテナに「北谷沖 1983年7月24日」と書かれています。これを見ただけで、蓋をされたこのコンテナの中身が何なのか、およそ想像することができました。『何故、県博にこの遺物が!!!』と、ドキドキしながら蓋を空けると、中には中国や東南アジアの陶磁器、ヨーロッパガラス製品、沖縄のものとは思えない石などが入っています。中には、珊瑚等の石灰分が付着した遺物も見られます。さて、これらは何でしょう(写真1)。「北谷沖」とは何を示しているのでしょうか。
 これらは、琉球王国末期に北谷沖で座礁・沈没したイギリス船インディアン・オーク号の積荷なのです。
 1840年8月14日、イギリス船インディアン・オーク号が北谷沖で珊瑚礁に乗り上げ、座礁・沈没しました。何故、琉球王国の海域にこのような船が座礁・沈没したのか、その答えはイギリスと中国清朝との間で勃発したアヘン戦争にあります。「アヘン戦争」、中国の歴史の授業で学びましたよね。忘れた方はぜひ教科書を調べてみて下さい。インディアン・オーク号はこの戦争に参加したのですが、移動中に台風に遭い、琉球まで漂流し、北谷沖で座礁・沈没という悲劇的な海難事故に遭ってしまいました。
 琉球王国は中国と君臣関係を結んでおり、当時、イギリスが中国と敵対していることを知っていましたが、結局、琉球王府は遭難者を救助しました。乗組員67名は琉球人の救助活動によって保護され、無事に中国へ戻ることができたようです。
 それから約140年の時を経た1984年、北谷町教育委員会が地元ダイバーの協力を得て、インディアン・オーク号の座礁地点で本格的な海底調査を実施しました。その結果、中国清朝陶磁器・ヨーロッパワイン瓶・ヨーロッパ陶器・船体の一部(銅板や銅釘)、バラスト石(船を安定させるための重り)などが発見されました。これらの遺物は北谷町教育委員会で保管され、一部は展示されています。
 私は沖縄の水中文化遺産の調査・研究を行う過程で、インディアン・オーク号の座礁地の調査を行ったことがあります。過去に北谷町教育委員会が調査を実施したことは知っていましが、自分の目でその遺跡を見て、現状を知りたかったからです。その海域には、干潮時に姿を現す広大なリーフがあり(写真2)、中国清朝磁器(写真3)や中国や東南アジアの褐釉陶器壺(写真4)、木造の船体を安定させるために大量に積まれたバラスト石(写真5)などが今も散乱する状況を見ました。また、過去に海底から回収された遺物には木造の船体を補強するために使用されていた銅板(写真6)やそれを打ち込んだ船釘(写真7)も多数発見されており、銅板に空いた穴と船釘のサイズがピタリとあっています(写真8・9)。
 140年前に座礁・沈没したイギリス船インディアン・オーク号の残骸は今も海底に残されているのです。
 以上の経緯があったため、2013年のとある寒い冬の日に、収蔵庫で「北谷沖」というコンテナを見たとき、中身が何であるのか想像することができたのでした。
 座礁地の海岸である安良波公園のビーチには座礁・沈没の歴史を伝える石碑とインディアン・オーク号の遊具が設置されています。「ええ、あの遊具が!」と思われた方も多いかと思います。知らない方はぜひ行ってみて下さい。私も学生時代は何度もあの公園に足を運び、インディアン・オーク号の遊具に上って夕日などを眺めていましたが、石碑など読みもせず、まさかこんな歴史的経緯があったとはまったく知りませんでした。
 また、この海難事故と琉球人による救出がきっかけとなり、2000年に行われた九州・沖縄サミットではイギリスのブレア首相が北谷町を訪問しています。このサミットでは各首相がそれぞれ様々な地域を訪問しているのですが、ブレア首相が北谷町を訪問した経緯にはこのような歴史的背景もあったのですね。
 さらに、琉球王国末期を舞台にして話題となった小説「テンペスト」、そのドラマで仲間由紀恵扮する寧温が見事解決した異国船座礁事件はこのインディアン・オーク号がモデルとなっているようです。
 文献に記録された異国船座礁事件、その実際の現場を示す物的証拠が今も海底に残されており、我々に事件の実態を伝えてくれます。そしてその一部は、沖縄県立博物館・美術館の収蔵品としてしっかりと保管されていることがわかったのでした。
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 平成26年度博物館特別展は「水中文化遺産~海に沈んだ歴史のカケラ~(仮称)」を開催予定です。会期は平成26(2014)年11月8日(土)~平成27(2015)年1月18日(日)、ただ今準備中ですが、今回、そして前回のコラムで紹介したオランダ船ファン・ボッセ号の積荷や、イギリス船インディアン・オーク号の積荷は当然展示します。みなさんぜひご来館下さい。
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