🌏40)─1・C─ロシアかぜ(お染かぜ)蔓延。世界での犠牲者は約100万人。明治22年~明治28年。〜No.115 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 ホームズ・ドイル研究ブログ
 更新不定期です
 « 大英図書館再開 | トップページ | 2回の船医と写真・上 »
 2020年7月27日 (月)
 ロシア・インフルエンザ・パンデミック
 1889年から1890年代はじめにかけてインフルエンザが
 世界的に流行した。日本の被害が少なかったからだろうが
 日本語で検索しても情報はあまり見つからない。
 けれども、英語で検索すると関連サイトがずらりと並ぶ。
 ホームズ関連サイトもある。以下、調査結果を手短に記します。
 ‘1889-1890 flu pandemic’がWikipedia英語版の項目名。
 「ロシア・インフル(Russian flu)」or「アジア・インフル」が このパンデミックの名称で、死亡者100万人。
 1889年5月に現在ウズベキスタンのブハラでスタートし、ロシアからヨーロッパ各地をへてアメリカまで拡がる。
 1889.10-1890.12が最初の流行で、1891.3-6に第2波があり、続く2回の波のあと、1895年はじめに終息している。
 ‘I HEAR OF SHERLOCK EVERYWHERE’サイト内’Influenza and Doyle’by James C. O’Leary,2020.3.26(クリック)はこのパンデミックとドイル家との関わりを記している。
 最初の流行時、1890.1.13にドイルの姉アネットがポルトガルリスボンで感染して死亡。第2波では1891.5.4にドイルがロンドンで感染する(やがて回復)。ちなみに5.8に神智学の教祖ブラバツキー夫人が同じロンドンで感染して死亡している。
 インフルエンザの何型だったか、その後諸説が発表されたようだが、近年、インフルエンザではなくコロナウイルスだったと唱える学者が現われたとのこと。さらなる新説が発表されるかもしれません。
 ↓パリ’Le Grelot’誌1890.1.12号に載った戯画。Wikipediaより。
   ・   ・   ・   
 ウィキペディア
 ロシアかぜ(Russian flu)あるいはアジアかぜ(Asiatic flu)[訳語疑問点]は、1889年から1890年にかけ世界的に流行した感染症。その後1895年にかけ何度も再流行を繰り返した。19世紀の最後の大流行であり、当時の世界人口15億人のうち、約100万人が犠牲となったと考えられている。
 1889年の5月にロシア帝国のブハラで最初に発生を確認。同月にはカナダのアサバスカやグリーンランドでも発生している。10月に入りサンクトペテルブルクで患者が発生すると、その後ヨーロッパ全域、アメリカ合衆国へと僅か4ヶ月で地球を一周した。拡大速度は非常に早く、航空機の発達した、のちのパンデミックに匹敵するものだった。
 日本では1890年に流行し、お染かぜ(お染風)の俗称で呼ばれた。江戸の人気芝居『お染久松』のお染から取られたもので、お染の侵入を防ぐといって「久松留守」や「お染後免」と書いた紙札が流行した。
 高齢者の致死率が異様に高い、神経症状が顕著に見られるなど、通常のインフルエンザパンデミックとは異なる点も見られた。致死率は0.1-0.28%、あるいは1%ともされる。
 ウイルス学が未発達であったため、原因となったウイルスは特定されていない。当時病原菌としてインフルエンザ菌が分離されたが、後に否定された。その後は、H2N2亜型あるいはH3N8亜型といったA型インフルエンザウイルスのほか、2005年にヒトコロナウイルスOC43の可能性があると発表されている。またこれに関連して、2019年に発生した新型コロナウイルス感染症と症状が似ていると主張する研究者も存在する。
   ・   ・   ・