🌏41)─3─国家神道・札幌神社はキリスト教の宗教侵略を阻止する「神の盾」であった。〜No.133No.134 ⑦ 

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 札幌神社(現・北海道神宮)は、国家神道として明治2(1869)年に創建された新しい神社であった。
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 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力そして宗教力が乏しいか、歴史嫌い・宗教嫌いから全くない。
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 北海道神宮社務所
 所謂的神道(中国語翻訳)
 神道は自然の信仰に由来するので、「人間と神との共存は従うべき道」と言えます。古代人は、人間の知性が理解できる存在(御魂)を超えて神として崇拝しました。そして、神々の存在は、日本のことわざ「八百万の神」で述べたように、非常に多く存在します。神社の原型は、神宮の「御魂」が存在する聖域と俗世を区別するために作られています。
 所謂的神社
 神社では自然神と人間神を祭る。神社の特徴は、中庭の入り口に鳥居(境内)があり、聖職者や魔女(神社で聖職に従事する未婚の女性)がいます。比較的、寺院では仏像が奉献されていますが、仏教の伝来から江戸時代まで、神仏が調和し、2つの信仰が混じり合った時期なので、一部の寺院には「鳥居」があります。
 日本人の生活、文化、神社の間には密接な関係があります。
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 ウィキペディア
 北海道の神社の歴史
 本項では北海道の神社、神社行政について、主に歴史的な観点から概説する。
 明治の神仏分離以前は神道と仏教は混淆しており、古い寺社について仏寺と神社を明確に弁別することはできない。例えば現在は厳島神社と称する神社の多くは、仏教的な弁天堂や弁天社と呼ばれていた。後述する脇澤山神社の鰐口には弥陀信仰の銘が刻まれている。
 ここでは神仏分離後に神社として存立したものを神社とみなし、神仏分離以前のものについても「神社」と表現する。
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 北海道神宮は、北海道札幌市中央区にある神社(神宮)。円山公園に隣接する。1964年(昭和39年)までは札幌神社。旧官幣大社であり、現在は神社本庁別表神社。また、全国一の宮会より蝦夷国一の宮に認定されている。
 概要
 北海道の開拓当時樺太・千島に進出を進めていたロシア帝国に対する守りということで、大鳥居が北東を向いている。末社である開拓神社には間宮林蔵などの北海道開拓の功労者が数多く祀られている。
 北海道神宮崇敬奉賛会がある。
 『北の志づめ』という小冊子が社務所から発行されている。
 祭神
 大国魂神(おおくにたまのかみ)
 大那牟遅神(おおなむちのかみ、大国主命〈おおくにぬしのみこと〉の別名)
 少彦名神(すくなひこなのかみ)
 明治天皇(めいじてんのう)
 開拓三神
 北海道の開拓は明治初年から懸案事項となっていたが、開拓にあたって、明治天皇は北海道鎮護の神を祭祀するよう勅を発した(明治2年9月21日)。北海道開拓の守護神として、大国魂神・大那牟遅神少彦名神開拓三神が奉遷されることになった。北海道鎮座神祭が行われ、開拓長官の東久世通禧以下23名らが参列した。神祇伯中山忠能によって祭祀が行われ、三面の神鏡が東久世通禧に託された。
 仮社建設まで
 これより古く、安政4年(1857年)から福島出身の早山清太郎が札幌に住み着いていた。早山清太郎は豊平街道と元村街道の辻に小祠を建て、周囲からは当時一般的な山神を祀るべきだと言われるにもかかわらず、出雲神を祀っていた。
 札幌に着任した島義勇は、明治天皇から預かった開拓三神を既に早山清太郎が札幌で祀っていたことに感銘を受け、1870年(明治3年)5月に北海道 (令制)石狩国札幌郡創成川河畔に仮社殿を造り、官舎から神代を移して開拓神勅祭社とし、北海道一宮と称した。
 札幌神社の成立
 1871年明治4年)6月14日に勅旨によって札幌神社と命名され、国幣小社に列せられた[8][4]。当時の東久世通禧の日誌によると、明治天皇の勅命によって奉斎されたことから、札幌神社は勅祭社と同様の扱いとされた。
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 明治天皇は、北海道の開拓と守護の為に出雲系神(大国魂神、大国主命、少彦名)を奉遷した。 
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 現代日本歴史教育は、ロシアの日本侵略と蝦夷地、北方領土アイヌ人を現実・事実に基づいて正しく評価していない。
 それどころか、アイヌ人を日本民族とは血の繋がらない別種の先住民族とし、アイヌ人の目線から和人(日本国・日本民族)を侵略者・犯罪者と子供達に教えている。
 悪いのは加害者である日本国と日本人で、アイヌ人は良い人・善人で被害者である、と。
 その象徴が、明治2(1869)年に北海道開拓の鎭守として創建された札幌神社である。
 昭和39(1964)年に、昭和天皇は、北海道開拓を勅許した明治天皇を合祀して北海道神宮に改称した。
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 天皇家・皇室にとって、南の沖縄と北の北海道・北方領土4島には重要な意味がある。
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 北海道と北方領土4島を日本国土としてロシアから死守する為には、土地勘のあるアイヌ人を味方にする事が絶対条件であった。
 それは、南の沖縄でも同じ事で、琉球人が敵に味方して日本を攻撃してくれば沖縄は奪われた。
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 現代の日本人には、北方領土4島全島を取りもどそうという本気度は少なく、2島だけでも構わないという妥協案を抱く日本人さえ存在する。
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 日本の近代化は、北から侵略してくるロシアから日本国・日本民族そして日本天皇を軍事力で防衛する為の国家改革であった。
 ロシア軍の物理的侵略を撃退する為に、東北諸藩の派遣兵士に替えて旧武士団の屯田兵及び庶民志願者の開拓団を蝦夷地・北方領土に送り込んで半永久の防禦陣地を築いた。
 日本の屯田兵・開拓団は、北米大陸やオーストラリアなどへの先住民からの国土強奪目的移民ではなかった。
 ただし、先住民であったアイヌ人が日本と共にロシアと戦ってくれるのか、ロシアの味方して日本を攻撃するか、それが判断できなかった。
 キリスト教ロシア正教)の精神的侵略を撃退する為に、国家神道として札幌神社を創建し、屯田兵・開拓団らの地域神社創建を促した。
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 アイヌ人にとって、日本政府の蝦夷地開拓と国土防衛は生活圏を侵害する犯罪行為であった。
 明治新政府は、ロシアの侵略に備えて、アイヌ人に対する土人保護法を制定した。
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 徳川幕府や当時の日本人がキリスト教を怖れ嫌ったのは、中世キリスト教会が白人キリスト教徒商人の日本人奴隷交易を仲介して布教活動費を稼いでいたからである。
 それ故に、ロシアとキリスト教に対する尊皇攘夷運動が下級武士や庶民(百姓や町人)・賤民・部落民・芸能の民など貧しい下層民の間に広がり、彼らが天皇崇拝の狂信的な尊皇派・勤皇派となり祖国防衛戦争を訴えた。
 幕府・大名・上級武士、豪農・豪商らは、日本を崩壊させる対ロシア戦争の原因となる尊皇攘夷運動には反対もしくは消極的であった。
 開国派の井伊直弼は、対外戦争を防ぐ為に、安政の大獄天皇を担ぎ出そうとした尊皇攘夷派を弾圧した。
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 明治維新戊辰戦争は、ロシアの侵略に対する日本防衛選択戦争であった。
 佐幕派は、徳川将軍家を中心とした地方分権の諸大名連合体制国家を目指していた。
 倒幕派は、近代天皇を中心とした挙国一致の中央集権体制国家を目指した。
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 日本が教訓とすべきは、清国の中国ではなくムガル帝国のインドであった。
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 明治新政府は、日露戦争において軍国主義中央集権体制と国民軍=日本軍は戦力差のあるロシアの大軍と一ヵ国で孤独に戦い、苦しい戦争の末、夥し犠牲者を出しながら辛勝(しんしょう)し、ロシアの侵略から日本を守った。
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見方によっては狂信的な尊皇派・勤皇派は天皇主義テロリストであったが、だが、世界の、現代の宗教テロリストと違っていたし、共産主義イデオロギー革命家とも違っていた。
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 江戸時代後期。ロシアは、極東アジアに領土を広げ新たな植民地を獲得し、太平洋へ侵出するべく日本に侵略してきた。
 徳川幕府は、ロシアの侵略から日本を守る為に、東北諸藩に蝦夷地と北方領土樺太南部への派兵を命じた。
 ロシアは、ナポレオン防衛戦争とオスマン・トルコ侵略戦争に主力軍隊を派遣していて日本侵略に差し向ける軍隊がなかった。
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 反日派・敵日派の清国(中国)と李氏朝鮮は、極秘にロシアの日本侵略に賛同し協力していた。
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