🕯106)─1─日本の葬式仏教は祖先を大事にする伝統的宗教文化である。グリーフケア。~No.229No.230 ㉑

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 少子高齢化による人口激減と血縁親族の付き合いを嫌う核家族化で、日本民族の伝統的な家の葬式仏教は消え始めている。
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 2020年12月25日号 週刊朝日「後悔しない親との別れ方
 良い思い出を温かく思い出す
 自分を責めない葬儀を大切に
 心の支えだった親が亡くなると、多くの人はこう思うだろう。『実家に頻繁にかえればよかった』『もっと優しい言葉をかけておけばよかった』。たとえどんなに看病や介護をしても、悔いが残るのが親との別れだ。後悔や悲しみに苦しみ、押し潰されぬよう心得ておくべきことを専門家に聞いた。
 ……
 悲嘆が長引いている人は18~30%
 周囲の人が温かく見守る文化が必要
 ……
 国立がん研究所センター(東京都中央区)が今秋公表した調査で明らかになった。17年にがんや心疾患、脳血管疾患、腎不全で亡くなった患者の遺族を対象にしたもので、19年1~3月に調査して約2万1,000人から回答を得た。
 病気により割合は異なるが、気分が落ち込んで何もする気が起きないなど、他のことに影響するような『抑うつ症状』がある人は12~19%もいた。
 また、亡くなった人を思って心の痛みを感じたり、急に悲しみがこみ上げたりする『悲嘆が長引いている』人は18~30%にも上った。
 悲しみを引きずられないために何が必要か。同センターがん医療支援部長の加藤雅志さんは言う。
 『最終的には、「ああ、あの人と一緒にこういうふうに過ごせたな」と良い思い出を温かく思い出せるようになることが前に進む一歩につながります。同時に、胸がきゅっと締めまるような、切なくつらい感情が必ず出てくるでしょう。でも、それにも勝るような大切な人を思う温かい気持ちが伴えばよいのです。』
 自責の念に駆られてはいけないという。
 『1年ぐらいかけて徐々に立ち直っていく人もいれば、そうでない人もいます。人それぞれです。ただ、確実に言えるのはどんな人も必ず後悔するということ。決して自分を責めずにいてほしい』
 看取りまで一生懸命した人こそ『もっとやれたのでは』と苦しみがちだ。臨終に立ち会えなければ、その傷は深くなる。
 『立ち会えたからといって、最後にいいケアができたということではないのです。そこに至るまでの良い時間をできるだけ一緒に過ごしたということのほうが大切だからです。十分やれることをやっているはずです』
 周囲の理解も必要だ。『あなたのせいだ』と責めてはいけないことはもちろん、『いつまでもくよくよしないで』などの安易な励ましは遺族を傷つける可能性がある。
 『人の悲しみは簡単に消えるものではありません。悲しい人が悲しみを表現できる場があり、あり、周囲の人も温かく身守るような文化ができてくると良いと思います』
 また、グリーフケア(死別の悲しみからの立ち直り)に詳しい看護師で僧侶の玉置妙憂さんはこう話す。
 『人によって違いますが、1、2年かけて徐々に立ち直っていくものだと思います。自分のペースでやっていくことが大事です。亡くなるのが突然でも長い看護の末でも、結局は後悔することになります。だから「やったことがベスト」と受け止めるしかない。悔やんでも事実は変わりませんから、事実としてそのままのみ込むことです』
 自身も今年春に父を心不全で突然失い、思い出すたびに胸が痛む。だが、悔やむよりもきちんと悲しむことが大切だと考えている。
 『悲しいけれど、大切な人との別れは皆に起きることなのです。自分だけではないと思うことで、少しでも楽になれたらいいです』
 故人を偲ぶ遺族が集まる『月命日』
 日本古来の知恵がグリーフケア
 故人を偲(しの)ぶため月命日に遺族が集まる日本古来の知恵が、遺族の心のケアにつながる──。そう説くのは、米国の宗教学者京都大学特任教授のカール・ベッカーさんだ。
 『今やイギリスやアメリカの一部の病院でも取り入れられています。遺族を病院の会議室に招いて食事をしたり、歌を歌ったり泣いたり笑ったりしています』
 遺族の孤独や不安な気持ちを和らげ、不眠症やうつ、拒食症、過食症などを防ぐ効果があるというのだ。ベッカーさんは日本人の死生観に魅せられ、研究してきた。かつての日本は、魂は永遠と捉え、人は死んでもそばにいるという感覚があったという。だから、月命日に遺族が集まり、それがグリーフケアにつながった。
 『日本の習慣なのに、今や日本ではおろそかになっています。欧米ではcontinuing bonda(続く絆)と訳されて紹介されています』
 簡略化が進むのは月命日だけではない。仏壇を置かない家が多くなったほか、葬儀も火葬だけの『直葬』、通夜を行わない『1日葬』、通夜、葬儀の参列者を限定する『家族葬』を選ぶ人が増えてきた。だが、ベッカーさんは、葬儀をきちんと行うこともグリーフケアになると指摘する。
 『親が「葬儀は不要」と言い残したとしても、親しくしていた親戚や友人に声をかけて行うべきです。それが残された側の心の傷を癒やすだけでなく、そこでつながった人との交流が遺族のその後の人生の支えになるからです』
 『親が「やらなくていい」と言うのは子どもたちに迷惑をかけたくないという思いからで、遺族にとって葬儀がどれだけ意味深いかはわかっていないと思います。葬儀は故人の大切な人とつながるラストチャンスなのです』
 初七日法要と葬儀を一緒の日に行うことも多いが、ベッカーさんはこれにも異を唱える。
 『初七日、四十九日、初盆、月命日などで集まることで、遺族が早く立ち直れる。これはいろいろな研究で証明されているほど明白です』
           本誌・大崎百紀」
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 葬式仏教とは、本来の仏教の在り方から大きく隔たった、葬式の際にしか必要とされない現在の形骸化した日本の仏教の姿を揶揄した表現である。この言葉が誰によって始められたかは不明であるが、1963年(昭和38年)に出版された明治大学教授の圭室 諦成(1902年 - 1966年)の著書『葬式仏教』(大法輪閣) がきっかけとなって、巷間に知られるようになった。
 部派仏教
 釈尊の葬送に関する記述として次のようなものがあり、葬儀否定論者の根拠ともされる。
{アーナンダよ。お前たちは修行完成者(如来)の遺骨の供養にかかずらうな。どうか、お前たちは、正しい目的のために努力せよ。正しい目的を実行せよ。正しい目的に向かって怠らず、勤め、専念しておれ。修行完成者に対して浄信ある、賢いクシャトリヤバラモン、在家者がいる、アーナンダよ、彼らが修行完成者の供養をなすだろう。
 —  パーリ仏典, 長部大般涅槃経, Sri Lanka Tripitaka Project}
 釈迦は弟子に死後の遺骸の処置を問われた際に、比丘は遺骸の供養等考えず真理の追求に専念すべきだ、供養は在家の信者がしてくれる、と答えたとされる。 ただし、アーナンダは阿羅漢果をまだ得ていなかった状況から、修行途中の弟子に対しての戒めであり、葬送儀礼そのものに出家者がかかわることを禁じたものとは言い難い。
 また『浄飯王般涅槃経』では釈尊が父親である浄飯王の葬儀を行ったことや、また高弟であるシャーリプトラの遺骨を礼拝したなどの釈尊自身が葬送儀礼にかかわっていたことを示す記述がある。 『大般涅槃経』では釈尊は自身の卒塔婆を建立することや、葬儀の方法などをアーナンダに伝えており、その遺命によって在家信者によって転輪聖王の葬儀に準じた形で在家信者によって執り行われた。そして重要な荼毘の点火はマハーカッサパが行っているとあり、実際は出家者が葬儀にかかわっている。また初期仏教経典にも、釈尊が地域の風習や道徳で祖霊への供養を讃える箇所があり、先の記述は単純な葬式否定の根拠とはいえない。
 そもそもバラモン教では手厚い葬儀を人生の通過儀礼と重視していたので、それに対し仏教教団は業思想を背景に火葬、土葬などで簡素に葬儀を行っていた。
 日本において
 インドから中国へと伝播し民衆へと教化が行われるうちに、漢民族道教儒教に由来する先祖供養の民間信仰と習合した、仏教の葬送儀礼が日本に伝わった。例えば位牌は、儒教の葬礼に用いられる神主(しんしゅ)が変化されたものだと考えられている。
 仏教が日本に伝来したのは6世紀半ばの飛鳥時代の事である。仏教は豪族など上層階級の心を捉え、篤く信仰される様になった。
 平安時代の貴族の葬儀は、仏教寺院で行い僧侶が念仏し墓に卒塔婆を立てる等、大きく仏教的な影響を受けたものになっていた。
 鎌倉時代には庶民層にも仏教が広まり、庶民の間にも仏式の葬儀が行われる例が見られる様になる。
 江戸時代
 日本仏教が葬式仏教へと向かう大きな転機は、江戸幕府が定めた檀家制度である。
 檀家制度は、民衆は何れかの寺院を菩提寺としてその檀家となる事を義務付けるものであり、カトリック教会や不受不施派に対して禁教令を発布して、信徒に対し改宗を強制した。それに抗したキリシタンは「隠れキリシタン」となり、踏み絵をする事を強いられる。
 それまでの民衆の葬式は、一般に村社会が執り行うものであったが、檀家制度以降、僧侶による葬式が一般化した。
 また、檀家制度は、寺院に一定の信徒と収入を保証する一方で、他宗派の信徒への布教や新しい寺院の建立を禁止した。これらにより、各寺院は布教の必要を無くし、自らの檀家の葬儀や法事を営み、定期的に布施収入を得るばかりの、変化のない生活に安住する様になっていった。
 明治時代
 また明治維新時、大日本帝国(明治政府の国家神道政策)による神仏分離の推進と「肉食妻帯勝手たるへし」という布告により、それまでも浄土真宗以外の宗派では、現実的に破戒が常態であったのが、公然と妻帯が行われる様になっていった。このため戒律を順守する僧侶(比丘)ではなく、妻帯して僧職で生計を立てる(実質的に)者の子女が寺を継ぐという、世襲制度が他宗派でも一般化している。この事も葬式仏教化へと拍車をかけている一因と云える。
 平成時代
 2000年代(実際はそれ以前からと思われる)から、この様な葬儀や法事に依存した日本の仏教状況を批判する意味で、葬式仏教という言葉が使われる様になった。
 仏教界内部からも、この状況を反省し改めるべきだとする活動が様々に行われている。伝統的な宗派に属する寺院でも、不登校の問題や自殺防止などに取り組んだり、宗教家の立場で人々の相談に乗ったりする寺院等、人々の心の問題に取り組もうとする動きが、伝統的な仏教界にもみられている。また、葬式仏教的な現状に飽き足らない人々の中には、既成の宗派の枠やしきたりを超えた活動や、アジアなど世界に仏教を伝播しようと目を向ける人々もいる。
 また、近年では、過疎化等の進展で地域だけで葬儀が遂行できない事、逆に都市化やライフスタイルの変化、葬儀の在り方の多様化等により、「葬式仏教すら成り立たない」寺院も存在する。
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 祖霊信仰もしくは祖先崇拝とは、既に死んだ祖先が、生きている者の生活に影響を与えている、あるいは与えることができる、という信仰である。
 中国、朝鮮、日本など東北アジアのものが特に有名であるが、ズールー人など、世界的にも見られる。中国では祖先崇拝と呼ばれ、清明節などの習慣がある。日本では、学問的には祖先崇拝の名称が用いられているほか、祖霊信仰という名称も用いられている。先進国では、過去に存在しても、一神教などに置き換わられて、超越されている事が、一般的とされる。
 日本では社会学分野で「先祖祭祀」の用語が定着している。明治以降1950年代ごろまでは「祖先崇拝」が多く使用された。
 概要
 人間がこの世に生まれるのに親、祖父母、曽祖父母などの存在が必要で、これらの自分より前の世代を敬う傾向は世界的に遍く見られるが、それを「先祖」「祖先」「祖霊」として神聖視することは一部の社会における宗教行為である。たとえ生物学的・遺伝的には辿ることができたとしても、精神的・社会的には神聖視されるべき要素を持っていない、としている社会は数多くある。
 又、「先祖への神聖視」は、裏返すと「後裔への軽視」や「血縁のない人たちの軽視」という側面を持っている場合がある[要出典]。
 「先祖」を社会的に意味づけする社会においても、生物学的・遺伝的に見て繋がりのある先行者が全て「先祖」と見なされている訳では必ずしもない。特定のタイプ、カテゴリーの人間を「先祖」としている。
 祖先を崇拝する社会において、「先祖」とされる人は、その社会の親族構造と関連性がある。すなわち父系社会においては、父方の生物学的先祖であった人が「先祖」とされるなど、崇拝する側の親族構造・社会制度、「先祖」とされる対象のヒエラルキー・システムに、相関性・関係性があるのである。

 日本の祖先崇拝
 祖先の霊を祀り、崇拝する。日本では先祖を「遠津祖」、「祖神」、「ご先祖様」、「ホトケ様」と言い、一般家庭で祖霊社や位牌を仏壇の中央にまつる慣習、お盆や彼岸にこれらの霊をまつる行事が祖霊信仰に属する。
 なお、以下は主に日本本土における祖霊信仰について解説するが、奄美琉球奄美群島沖縄県)の地域における祖霊信仰については琉球神道の項を参照のこと。
 「琉球神道#沖縄本島の祖霊信仰」も参照
 概要
 死者が出ると、初七日・四十九日と法要を行い供養し(詳しくは中陰を参照)、さらに1年後に一周忌、2年後に三回忌、七回忌と法要を行う。その後、三十三回忌(地域によって差がある。四十九回忌、五十回忌のところもある)を迎えると、「弔い上げ」といって、このような法要を打ち切る。この「弔い上げ」は、生木の葉がついた塔婆を建てたり、位牌を家から寺に納めたり、川に流したりと、地域によって異なる。この「弔い上げ」を終えると、死者の供養は仏教的要素を離れる。それまで死者その人の霊として個性を持っていた霊は、「先祖の霊」という単一の存在に合一される。これが祖霊である。祖霊は、清められた先祖の霊として、家の屋敷内や近くの山などに祀られ、その家を守護し、繁栄をもたらす神として敬われるのである。前述の通り、先祖の霊を「ホトケ様」「カミ様」「ご先祖様」と呼ぶことにはこのような意味がある。
 起源
 祖霊信仰は、前述のように、盆や彼岸の行事などの形で日本全国に普通に見られる信仰である。縄文時代から環状列石による祖先崇拝を中心とした祭祀・儀礼が行われていた。祖霊信仰のような祖先崇拝は日本を除いては、中国や太平洋地域の一部の限られた場所にしか見ることしかできない。
 形態
 夏の7月15日を中心に行われるお盆の行事は、祖先の霊をまつる行事を言う。古くからインドで7月15日を中心に死者の苦悩を払い、死者の霊を慰め供養する盂蘭盆会 (うらぼんえ) の略語であるとされたが、実際に日本におけるお盆の行事は、それまでの日本の祖霊信仰と習合して発生した行事だと考えられている。また、春と秋に行われる彼岸という行事も、元々浄土思想に由来し、西方浄土を希求する中国の念仏行事であったものが、日本仏教において、先祖崇拝の行事になった。このような経緯からも日本における祖霊信仰という土壌を考えることができる。また、先祖の霊を祖霊社(地域によっては総霊社)という社に祀る場合もある。一般の家に神徒壇、神棚や祭壇を設けて、先祖を祀っている場合も多く見られる。
 民俗の祖霊信仰
 祖霊信仰に関連する事項として、民俗の両墓制について触れる。両墓制とは、死者が出た時に二つの墓所を作ることである。かつては遺体を埋葬する墓としての、埋め墓(捨て墓)と呼ばれる墓と、自分の家の近くや寺院内に建てる参り墓、詣で墓を作ることがあった。遺体を直接埋葬する埋め墓、捨て墓は、人が近づかない山奥や野末に作られ、埋められた遺体や石塔は時が経つにつれ荒れ果て不明になる。この埋め墓、捨て墓は、そこ自体を死者供養のための墓所としている訳ではないので、永く保存する事を目的としていない。一方の参り墓、詣で墓は家の近くや田畑、寺院など参詣に便利な場所に建てられることが多い。こちらの墓こそが、永く死者供養をすることを目的とした墓所になる。こうして、先祖の霊を居住地の近くに配置し、供養し、家の安泰を願うことも、祖霊信仰のうちの一つと言っていい。また、近世に至ると、直接遺体を葬った場所に墓所を建てることも多くなった。
 屋敷神
 祖霊信仰に関連する事項では、やはり墓所について屋敷墓の存在が挙げられる。屋敷墓は、自分の屋敷の中に墓を設けることである。史料や遺構で確認されるのは中世期である。この時代の墓制や葬送習慣についての詳細は、地域や身分階級によって異なるから、一概には言えない面もあるが、屋敷の中に死者を葬る特殊な墓制があるため、屋敷神としての先祖を家の中に祀った祖霊信仰の一種と考えることができる。
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 祖霊とは、先祖(家族または親族の祖先)の霊魂である。英語(事実上の現代国際共通語)では "ancestor spirits[2] (日本語音写例:アンセスター スピリッツ)" などという。この概念の下では、係る霊魂に正邪・善悪の区別は無く、子孫を祟る祖霊も、子孫をこそ祟る祖霊も、過ちを犯した子孫に制裁を加える祖霊(例:サン人)も、広く世界には珍しくない。
 しかしこれとは別に、古来日本で「ミオヤノタマ」「ミオヤノミタマ」[構成|日本語古語:御祖ミオヤ + …の + 霊タマ(御霊ミタマ)]と呼びならわしてきた祖霊の概念では、子孫に害悪をもたらす祖霊はあり得ず、先祖の霊魂のうち、守護神的属性を帯びていると見なされるもののみを指す。古来中国の概念も日本のものに近い。
 祖霊という概念が成立している社会において、その概念は、災禍をもたらす懲罰的なものと、恩恵ある守護的なものに大別でき、アフリカ諸社会の祖霊は前者の、東アジア諸社会の祖霊は後者の傾向が強い。
 現代の創作作品の多くで、先祖の霊に祟られる物語や世界観が見られるが、上述した広義の祖霊の概念の反映と考えられ、少なくとも東アジア古来の概念とは異なる。翻って言えば、このような害悪をもたらす祖霊を指す語として、日本語「祖霊(それい)」は(広義と捉えることで)問題無いとしても、「みおやのたま/みおやのみたま(祖霊)」を当てるのを適切とは言い難い。
 概要
 祖霊とは死者の霊のうち、死霊とはならず、死後の世界へ旅立った精霊(しょうりょう・しょうろう)のうち、直系の子孫が居るもの。
 柳田國男は、傍系の子孫や縁故者が弔いをされるものなどが祖霊と呼ばれているとした。
柳田國男は、神道の死生観では、人は死後、インドの仏教のように転生したり、日本の仏教のように地獄や極楽へ行ったり、キリスト教のような遠い死者の世界に行ったりするのではなく、生者の世界のすぐ近く(山中や海上の他界)にいて、お盆や正月に子孫の元に帰ってくると考える[要出典]、と解釈した。
 家系と祖霊
 祖先の霊から共同体の神へ
 精霊は祖霊にさらに神に昇化する[要出典]とする考え方もあり、そのような祖霊は祖神(そじん)や氏神(うじがみ)として氏族や集落などの共同体で祀られることになる。沖縄地方では7代で神になるとされていた。
 弔うことによりすべての霊は御霊となる
 柳田國男は、日本の民間信仰古神道)では、死んでから一定年数以内の供養の対象となる霊は「死霊」と呼び、祖霊と区別する。死霊は供養を重ねるごとに個性を失い、死後一定年数(50年、33年、30年など地域により異なる)後に行われる「祀り上げ」によって、完全に個性を失って祖霊の一部となる、とする。
 家系による祖霊崇拝の在り方
 祖先の霊を祀るために墓所や縁故の場所に小祠を設けたものを霊社、祖先の代々を合せた霊社を祖霊社と言った。その崇祀は子孫に限られ、他者を排する傾向があった。伊勢神宮の古代の私幣禁断には皇室の祖霊を祀る場所としての排他の論理があるという。
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 祖先崇拝
 百科事典マイペディアの解説
 家族・部族・民族などの祖先の霊をあがめまつる習俗。農耕民族の間に広くみられる宗教形態で,人の死後も霊魂は生き続けるという観念から生まれるとされる。崇拝の対象となる祖先には始祖・祖神・死者・死霊などの観念があって一定しないが,おもに祖霊・死霊の祭祀をさす。古代ギリシア,ローマでも行われたが,日本の場合は中国の祖先崇拝の形式と儒教の孝の観念と,日本本来の氏神信仰とが結合したとみられている。祖霊・死霊は常世(とこよ)の国にあると考えられ,祭祀の場合には霊が帰ってきて子孫との共食の宴が行われ,互恵的な結びつきを示す(盆)のが普通である。
 →関連項目琉球文化
 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
 家族や親族の過去の成員を崇拝し,畏敬し,その世話をすること。死者に対する恐れ,親愛の情から生じ,生前有力であった人の霊が死後一層強力になる,または死者が生れ変り現実の社会に戻るとする観念や,さらに古い死者の霊に対する漠然とした畏敬などから,祖霊に対する多様な儀礼が行われる。一般的には個別的崇拝が多いが,これに関連して家族,氏族,民族,国民などの集団全体によって行われることもあり,英雄などの特定の祖先が他の祖先よりも優先的に扱われ,また単なる死霊の概念をこえて神格化される場合もある。このような慣習や儀礼は古代の地中海沿岸の諸民族やヨーロッパ民族の間にも存在したが,アジア,アフリカ,太平洋地域の諸社会に顕著に認められ,特に中国では複雑な儀礼が日常生活のなかに浸透している。また日本では死後一定の期間を経てから初めて祖霊になると考えられ,盆,春秋の彼岸,正月などに先祖祭が行われる。
 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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 金倉寺かわら版
 日本古来の祖霊信仰
 2013年07月31日 | 仏教のこと
 さて、金倉寺でも明日より盆経(棚経)です。
 檀家さんのお家に回って、先祖供養を行います。
 ということで?3年前に金倉寺寺報「YUJ」第6号にて書いた先祖供養の記事を4日にわたり紹介したいと思います。
 以前の記事なので、いろいろとツッコミどころも満載だとは思いますが(^^;)
 人は亡くなるとどうなるのでしょうか。魂は存在するのでしょうか。
 魂があるとすれば、消滅してしまうものなのか、永遠に不滅のものなのでしょうか。
 残念ながら葬送を執り行う僧侶といえど、この問題に対して、正しく答えられる者はおりません。それはお釈迦さまが、このような形而上学的問題に対して、答えることを拒否されたからです(これを無記といいます)。
 この問題は、私達が「生きている」限り、想像するしかないでしょう。
 そこで、過去に答えを求めてみましょう。
 仏教が伝わる以前の日本の宗教を古神道といいます。古神道では、人の死について、次のように考えていました。
 人は死ぬと、肉体から魂が遊離し、精霊となって山を昇っていきます。
 精霊には二つの性格があり、一つは人に取り憑いて災いをもたらす荒魂、もう一つは雨や日光の恵みなどをもたらす和魂です。荒魂を供養することで和魂になり、清められた精霊を祖霊といいます。
 一定の歳月を経ることで、祖霊は先祖神へと昇華され、山中に鎮まるものと考えられていました。
 祖霊や先祖神は、盆や正月といった決まった季節に里に下りてきて、村人に福や恵みをもたらします。
 このため村人は、先祖の精霊が祖霊や先祖神となるように、供養や祭祀を行うようになりました。これが先祖供養の始まりです。
 これらの神々は、後に氏神として祀られるようになりました。
 このように当時の日本人にとって、「死」とは生滅ではなく、神になるための再生でした。そして神となった祖霊は、里に下りてきて、村人に福や恵みをもたらすという、生と死が循環する世界観を持っていたのです。
 このような祖霊信仰に対して、仏教はどのように関わってきたのでしょうか。
 追記
 ちなみに中西讃では、死者の霊は弥谷山に登ると考えられていたようで、このため、古くより弥谷山は霊山とされ、多くの修行僧が籠もったといわれています。
 弥谷寺さんが古くより多くの納骨がされていたのもこのためかと。
 うろ覚えですが、ある弥谷寺さんに県の調査が入ったとき、とある場所だけで6000余りの納骨?お位牌?が出てきたとか。
 これは本当に記憶が曖昧ですので、ご興味がある方は直接弥谷寺さまへお問い合わせくださいませ(笑)
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 現代の日本人には、歴史力・文化力・宗教力がなく、古き良き伝統が消えつつある。
 人と人の絆や家族の繋がりは、口先だけの言葉や紙の上の文字として存在するが実際にはなくなりつつある。
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 村八分で、村人全員から絶交されても、葬式と火災だけは村人は手伝った。
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 戦後平和教育戦後民主主義教育は、自己の自立を標榜して、日本民族が団結した家・家庭・家族を破壊してきた。
 その象徴が、靖国神社や各地の護国神社の祭礼である。
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 気の弱い日本民族は亡くなった家族、寿命で亡くなった父母・祖父母・祖先、寿命に関係なく病気・事故・災害など不慮の理由で若くして亡くなった子供・兄弟・身内を思い出す度に、自分が生きている事に罪悪感を抱き、自分に何かできる事があったのではないかと自責の念にかられる。
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 日本民族は、亡くなった家族を思い出した度に哀しみが込み上げてくる為に日本の葬式仏教にすがった。
 日本仏教や日本神道は、自分が生きている限り亡くなった家族・身内・親族を忘れない為の宗教であった。
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 現代日本では、伝統的葬式仏教は衰退し始めている。
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 現代の日本人は、自分を大事にし、先を生きる為に、亡くなった家族・身内・親族を忘れる為に記憶から消す事に神経を集中している。
 つまり、宗教を進ぜて幾ら祈っても「死んだ者は生き返らない」と言う事である。
 死んだ者を思う事は、ただ、悲しく、苦しく、せつない。
 ならば、いっその事、忘れてしまえばスッキリする。
 自然に生きる動物が幸せそうなのは、今この時を大切に生き、死んだ祖先を想わず、生まれていない子孫を思わず、生を考え、身近から死を排除する事である、と。
 若さと生のみを身近に置き、老いと死を遠ざける、それが現代日本の生き方である。
 死を遠ざける簡単な方法は、家の中から死を感じさせる仏壇を排除する事である。
 欧米の家庭には、亡くなった親兄弟の生きていた当時の写真はあるが、死を意識させる宗教的家具はない。
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 キリスト教に十字架は、死者を弔う為ではなく生者の信仰と亡霊・悪魔の排除の為にある。
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 生活が苦しい中で、自分を犠牲にし無理をして重度の認知症や動けない衰弱した老親を看病・介護すれば共倒れで命を失う危険性があれば、自分を守る為に老親は切り捨てるべく、だと。
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