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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
「もったいない」と「粗末にしない」の意味と行動は、昔の日本人と現代の日本人では違う。
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現代日本は、好きなだけ食糧が自由に輸入できる時代であり、料理の好き嫌いが言える飽食の時代であり、食べられるのに食料を捨てる食品ロスの時代である。
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江戸時代。異常気象で凶作になると広範囲で飢餓が発生した。
鎖国政策で中国や朝鮮など周辺諸国から食糧を緊急輸入できなかった為に、飢餓地帯で夥しい被災者が餓死した。
昔の日本人は、現代の日本人とは違って、生きる為の食べ物を確保するべく「もったいない」と「粗末にしない」を最重要の教訓としていた。
昔の日本人は、「人はパンのみの為に生きるのではない」といったキリスト教や「人は武器や食糧ではなく礼節の為に生きるべきである」といった儒教とは違い、「人は生きる為に食べる」事を最優先していた。
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平和な時代となった江戸時代、庶民は一日2食の食事を旨く美味しく愉しく食べられるかを、遊びと好奇心で工夫を楽しみながら、食材一つから多種多様な創作料理を数多く作り続けた。
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江戸時代。金持ちの寿司は、米糟から米酢が作る事で庶民の食べも物になって発展した。
日本文化は、金持ちや特権階級の文化ではなく身分低い貧しい庶民の文化であった。
現代日本には、生きた日本文化はない。
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NHK知恵泉
チャンネル[Eテレ]
2020年12月22日(火) 午後0:00~午後0:45(45分)
ジャンルドキュメンタリー/教養>歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養>カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養>ドキュメンタリー全般
番組内容新米の季節。日本人とコメの長い付き合いから、先人の知恵を探る。稲作と古墳の知られざる結びつき、将軍を救った御膳…美味(おい)しくて真似(まね)したい知恵満載
出演者ほか【出演】作家…平松洋子,はなわ,京都府立大学教授…佐藤洋一郎,【司会】新井秀和
詳細新米の季節。コメの神様・稲荷神社を訪ね、稲穂が刻まれた5円玉でお参りし、小腹がすいたらおいなりさんをほおばる。春は田の神様をもてなすために「花見」をし、秋は収穫を感謝して「月見」を行う。日本人とコメの長い付き合いから、先人たちの知恵を探る。稲作と古墳の知られざる結びつき、将軍を救った御膳、寿司(すし)を生んだコメの二次利用…美味(おい)しくて真似(まね)したい知恵満載。
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勿体ない精神とは。
食料ロスとして、まだ食べられる食べ物を粗末にして捨てる事がもったいないのではない。
使い途がないとしてゴミとして捨てているものがもったいないのである。もったいないから別の用途として再利用できないかと考え、創意工夫するのが勿体ない精神である。
もったいないとは、物を大事にする事ではなく、無駄なモノ・古い価値として捨てる中から新しいモノ・新しい価値を生み出すイノベーションの事である。
日本の伝統文化とは、尽きる事がないイノベーションの宝庫であった。
今・現在においてもったいない、のではなく、明日・将来に対してもったいなのである。
食べ物を捨てても恥じない現代の日本人には、昔の日本人が持っていたもったいない、勿体ない精神はない。
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ウィキペディア
もったいない(勿体無い)とは、物の本来あるべき姿がなくなるのを惜しみ、嘆く気持ちを表している、日本語の単語である。
「物体(もったい)」とは、元来は仏教用語である。また、「勿体無い」は、もともと「不都合である」、「かたじけない」などの意味で使用されていた。現在では、それらから転じて、一般的に「物の価値を十分に生かしきれておらず無駄になっている」状態やそのような状態にしてしまう行為を、戒める意味で使用される。
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mizkan
すしラボ HOME▶歴史
すしの歴史
今世界中で人気の握りずしは、1800年代前半に江戸で誕生しました。
当時の握りずしは、江戸前の魚と、飯に酢と塩で味付けしたすし飯を握ったもの。
握ってすぐに食べられる握りずしは、江戸っ子のハートを掴みました。
この握りずしのおいしさを支えた酢は、米酢に代わり新しく開発された赤酢。
この赤酢は、1804年に創業したミツカンの初代中野又左衛門が、尾州半田で研究を重ね、世界で初めて熟成した酒粕を原料に使って造られた酢です。
熟成した酒粕の風味や旨みが、すし飯に良く合うと評判となり、江戸でも「人気のすし屋」が次々に使い、今に至っています。
こちらでは、当時の資料とともにおすしの歴史を振り返ります。
すしの歴史(1) 日本古来の「発酵ずし」と、最古のすし屋「つるべすし 弥助」
日本古来の「発酵ずし」
1200年以上の歴史を持つ日本のおすし。
その最も古いかたちは、酢は使わない、そしてご飯は食べずに、発酵のために使うもの。ご飯を発酵させ、酸っぱくする保存食・発酵ずしでした。発酵ずしの起源は東南アジアでの魚、肉の保存食に由来します。
今、皆さんがイメージされるおすしとは違って、漬物にも似ています。 滋賀県の鮒ずしの由来でもあります。
魚を米飯と塩で発酵させた食べ物を「熟(な)れずし」と呼び、奈良時代の高貴な方々の食べ物として定着していました。
そういう「熟れずし」の時代は長く続きますが、外見的にも内容的にも姿を変えるのは室町時代のことです。まず発酵期間を短くして、ご飯も食べるようになります。
発酵を浅くてやめてしまいますから、魚もどことなくなまなましい。そこでこのような形態のおすしを「なまなれ」といいます。「なまなれ」の出現で、おすしには食べどきというものができ、食べる日から逆算して、おすしを作ることも可能になりました。
また、おすしが広く知られるようになったのもこの頃です。
続く江戸時代になりますと、おすしはさらに庶民へと浸透してゆきました。江戸半ばにはご飯を発酵させつつも、酢を混ぜることがめずらしくなくなり、18世紀になって、早ずしの完成となります。
ところがこれは一般庶民の話で、天皇家とか将軍家、大名家などでは、あい変わらずの「なまなれ」を食べていました。彼らにとって、伝統とは守るものであり、おすしも例外ではなかったのです。
ですから、幕末になっても、江戸初期以前の「なまなれ」を作ったり売ったりする店が、数少ないながらも残っていました。
古くから幕府御用や仙洞御所(譲位した上皇の御所)御用になっていた奈良の「つるべすし 弥助」も、そのうちの一軒でした。
最古のすし屋「つるべすし 弥助」
奈良県吉野郡下市町に現存する「つるべすし 弥助」は現在は「熟れずし」は作っていません。
鮎の押しずし中心の料理屋となっています。
49代弥助さんによると大昔から下市村界隈で鮎の熟れずしは作られていましたが、商売の記録としては400年ほど前の1600年、関ケ原の戦いの頃に京の朝廷に上納したのが最初らしいです。
鮎は身が薄いので、発酵熟成させる期間は5日ほどとのことでした。
今の店舗は昭和12年に火災で焼失し、翌年に建てられたものです。べんがら塗りの朱色の建物は、風情にあふれています。
館内には「すし桶」など、歴史を感じさせてくれるものが多く飾られており、歌舞伎ファンの聖地となっています。
歌舞伎の演目にも
「義経千本桜 鮓屋の段」に出てくるのは、「つるべすし 弥助」です。
歌舞伎や人形浄瑠璃の、「義経千本桜 鮓屋の段」に出てくる「つるべすし」は、鮎の熟れずし(なまなれ)で、入れていた桶が井戸水を汲む釣瓶(つるべ)に似ていたのが由来です。 現代の鮎の押しずし、箱ずしの源流です。
源平の戦いに敗れ、源氏の追手から逃れた「平維盛(これもり)」は、奈良吉野下市村の、つるべすし屋に匿われ、名を「弥助」と改めます。そこで看板娘の「お里」に惚れられながら平穏な生活を送りますが・・・
物語は源氏の追手、梶原景時がこのすし屋に来ることで急展開します。札付きの悪で勘当されたお里の兄「いがみの権太」が改心し、弥助を守ろうと奮闘する中、すし桶が重要な鍵となって佳境に入ります。
すし屋のことは俗に「弥助」と呼ばれ、「乱暴者」の意味で使われる「ごんたくれ」は権太に由来します。
すしの歴史(2) 江戸の握りずし文化と華屋与兵衛
それでは、すし飯で作る現在のおすしは、いつ頃生まれたのでしょうか?
それは、江戸時代中期1700年代前半頃になります。現在のおすしの原型となるお酢を使った『早ずし』が誕生しました。
『早ずし』は、飯にお酢と塩で味付けしたものです。
江戸時代中期には『箱ずし』『巻きずし』『棒ずし』など今でも愛されている様々なおすしが作られるようになりました。
ちなみに、江戸の街は『握りずし』が誕生する前は、『箱ずし』が人気だったそうです。
それでは『握りずし』はいつ頃生まれたのでしょうか?
それは、江戸時代後期にさかのぼります。1800年代前半頃、江戸の街で誕生しました。
当時の江戸の街は、100万の人々が暮らす大都会。
単身の男性が多く、『すし』『蕎麦』『天ぷら』などの屋台が人気でした。
では、屋台で人気の『握りずし』は、いったい誰が考案したのでしょうか?
残念ながら考案者は不明ですが、『与兵衛鮓』の主人、初代華屋与兵衛が大成したと考えられています。
当時の『握りずし』は、江戸前で獲れた魚貝を下処理したタネと、お酢と塩で味付けしたすし飯が握られており、その大きさは現在の2倍から3倍も大きかったようです。
すしの歴史(3) 握りずし文化を支えた半田の赤酢と中野又左衛門
1804年、ミツカンの創業者、尾州半田の中野又左衛門は江戸に下り、江戸の街で人気の『早ずし』に出会いました。
そのころ『早ずし』に使われていた酢は米酢。
又左衛門は、「米酢を粕酢にすることができたら、もっとおいしく手軽なすしが作れるはずだ」と考えました。
そして、半田に戻った又左衛門は粕酢の開発に力を入れ、熟成した酒粕を原料に使った粕酢を完成させました。
1845年頃には、最高級粕酢『山吹』が誕生しています。
又左衛門が作った粕酢は、粕酢の風味や旨みがすし飯に良く合うと、江戸でも人気の握りずし屋が使うようになりました。
そして、粕酢は、江戸っ子のハートを掴み、半田の港から江戸の港に弁才船で運ばれ、江戸の握りずし文化を支えました。
握りずしを大成させた華屋与兵衛の四代目の弟、小泉清三郎が書いた『家庭 鮓のつけかた』の中で、「鮓に使うのは尾州半田の山吹に限る」と称えました。かの北大路魯山人も『魯山人の料理王国』の中で、「上等な寿司」の条件の一つとして、「最上の酢(愛知赤酢・米酢)」を挙げています。
江戸の街から世界に広がるすし文化とミツカンの
酢の切っても切れない関係は、江戸の昔から始まったのです。
すしの歴史(4) 各種すしの歴史
箱ずし
すしが酢を使わず、発酵させていた時代。作り方としては2通りありました。一つは、できあがりが1匹の魚の形をしている「姿ずし」。ほら、アユずしとかフナずしを想像してみてください。頭も尻尾もついていて、まるで一匹の魚のようでしょう? でも、たとえばサケのおすしなんかはどうでしょう。あれは漬ける魚が大きすぎますから、サケを切り身にしてからご飯に混ぜて漬けますね。これを「切り身ずし」といいます。
発酵させるすしは、やがてご飯に酢を混ぜた早ずしへと変わってゆきます。この「切り身ずし」は容器の中に、すしご飯と魚の切り身が入っている、つまり「箱ずし」になりました。はじめは、具は生の魚ばかりでしたが、次第に、煮た野菜なども使われるようになります。押す箱も、うんと大きくなったり、逆に小さくなったり。さまざまなバリエーションが生まれます。
箱を大きくしたのが、山口県の「岩国ずし」や高知県の「こけらずし」でしょう。深い箱の中で何段ものすしを作り、切るときはノコギリのような大きな包丁を使います。長崎県の「大村ずし」は、昔は脇差を使って、すしを分け与えたそうです。
最も進化したといわれるのが、大阪の箱ずしです。江戸時代の半ばになると具の量を増やし、明治時代には2寸6分(8.5センチ)角の箱の中にサバやアナゴ、玉子焼きなどをきれいに並べつけ、「2寸6分の懐石料理」と賞されるものまで現れました。
巻きずし
江戸時代の半ば、宝暦から天明年間の頃でしょうか。とある昼間、江戸の町の料理屋の2階で、ひとり、酒を飲んでいる商店の主人がおりました。商店とはいっても大坂の大店ではなく、江戸の札差(米の売買の仲介人)の当主くらいなものです。そんな男が、酔いも回ってきたのか、料理人に文句をつけています。曰く、「オレはここにある料理なんか、食い飽きた。今までに食ったこともないようなもの、たとえばこのサバずし。メシと魚とがひっくり返ったすしにしてみろい」と。
いくら酔っているとはいえ客は客。料理人は一生懸命考えて、すしご飯とサバの位置を逆転させます。魚にご飯を抱かせるのではなく、魚を細い芯にして、その周りをご飯で固め、輪切りにして出そうとしました。ところがそれでは外側にご飯が出るため、手にべたつきます。そこですしの外側に、和紙や魚の皮を巻きつけました。しかし今度は、いちいち口の中から和紙や魚の皮などを出さなければなりません。同じことなら、そのまま食べられるもので巻いたらどうか?
こうして生まれたのが巻きずしで、やがて全国に広がります。海に近いところではノリやコンブ、ワカメなどが、山の中ではタカナの漬け物などが巻く材料として使われました。芯も、魚から卵焼きやかんぴょう、ニンジンなどへと、精進モノに変わってゆきました。
稲荷ずし
油揚げの中にすしご飯。私はこれも、姿ずしの変形であると思っています。というのも、この稲荷ずしは、出始めた江戸末期には、切られて売っていたのです。たとえば嘉永5年(1852)に出た『近世商賈尽狂歌合』には、提灯を灯した露天店で、稲荷ずし売りが包丁を前にしながら「一本が16文、半分が8文、ひと切れ4文」と歌うところが見えています。包丁を持って稲荷ずしを売り歩くのは、ほかの資料でもよくみられることでした。
このように稲荷ずしは切って売るのですから、油揚げは四角いのが決まりでした。しかし今日では、東日本は四角なのに対し、西日本は三角。境界線は石川県から岐阜県、そして三重県へと抜けています。このラインは「関東」と「関西」を分ける線(愛発、不破、鈴鹿の関を結ぶ線)とも一致し、正月雑煮の四角と丸の境界もほぼ同じです。
油揚げの形だけではありません。中に詰めるすしご飯も、何も混ぜないか、混ぜても麻の実やゴマていどの白いすしご飯である東方に対し、さまざまな具を混ぜた五目ずしを詰める西方と、これまたきれいに東西が別れます。
なお、稲荷ずしはふつうのすし屋では、あまり好まれるものではありませんでした。一つは油で、手がベタつくから。もうひとつの理由は、稲荷ずしはあまりに安いため、自分たちの握るすしとは違うのだと、黙って主張していたのかもしれませんね。
ちらしずし
江戸時代後期の料理本『名飯部類』(享和2年 1802)に「おこしずし」「すくひずし」というすしが出ています。すしご飯に具を切り入れて混ぜ合わせ、箱に詰めて重石をかけておくもので、食べるときはご飯をヘラで掘り起こします。今の時代にはほとんど見られませんが、それでも静岡県伊豆地方や京都府北部、佐賀県白石地方などには、わずかに残っています。
これらのすしは、宴席にはこのまま出されます。掘り起こすのは宴席にいる人、つまり昔は男の人でした。しかも、お酒が入っています。そういう人がスプーンを使いこなすのは結構むずかしい。酔った手で四苦八苦しながら、ようやく小皿にとりますが、とったすしは、せっかく押さえたのにグチャグチャ。見るも無残な姿です。
「それだったら、最初から押さなくてもいいんじゃない?」 こうして、すしの中ではただひとつ。めずらしい「押さないすし」ができたのです。これがちらしずしです。具材は「シンプルでもよし、豪華ならなおよし」。今では最も簡単にできるおすしとして知られています。
「ちらしずし」の類語に「五目ずし」というのがあります。「どちらも同じ」とするのが今の日本ですが、ある地方だけ、「このふたつのすしは違う」というところがあります。それは静岡県。ここでは、白いすしご飯の上から具をふりかけるのがちらしずし、具を混ぜてしまうのが五目ずし、なのだそうです。
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心理カウンセラーのブログ
Home>これからの社会>食べ物を粗末にしない
食べ物を粗末にしない
ちょっと、心には直接関係ないのですが、経済的なことを書いてみたいと思います。
最近の若い人たちはどうか分かりませんが、私たちの世代が子供だった頃は、
・食べ物を粗末にしない
・お年寄りを大切にする
といったことを、身近な大人たちやテレビドラマのセリフなどを通して、よく聞かされたものです。
その頃は、あまりそれらの言葉の意味を理解できずにいましたが、年を重ねた今、ようやく、それらの言葉の大切さが分かり始めたような気がしています。
今回は、このうち「食べ物を粗末にしない」について書きます。
デフレ経済に突入して以来、20年近くの間、テレビや新聞、雑誌などを見ていると
・経済を良くしなければならない
・株価を戻さなければならない
というようなことばかりに社会的な意識が向かい、何かといえば「景気対策」が話題になります。
(いまだに、「株価を戻す」という表現をしていることは滑稽です。)
詳しく説明しませんが、極論すれば、
・経済とは、お金を利用して、食物を配給するしくみ
ということが出来ます。
・働かざる者食うべからず
という言葉がありますが、この言葉もそのようなことを表わしているのかもしれないと思えます。
なぜなら、逆から言えば、
・働いた人は食べなさい
と解釈できるからです。
食事の後、お茶碗にご飯粒がついていると
・お百姓さんが一生懸命に働いて作ってくれたものだから、感謝して残さずきれいに食べなさい
・たった一粒と思うかもしれないけど、日本人が全員、ご飯を一粒ずつ残すと、ものすごい量になる。だから、残さずに食べなさい
といった話も、繰り返し聞かされました。
これらの言葉は、日本の歴史の中で、私たちの祖先が、「食べ物を粗末にすると、世の中の人が幸せになれない」と学びとり、日本の文化として根付いたもの(根付いていたもの)ではないかと思います。
「食べるために働く」という言葉は、一応、今でも使われていますが、「食べる」という意味が曖昧になってしまい、「お金のために働く」というニュアンスになってしまっているように感じます。
(「食べ物を買うために働く」という方が本質に近いと思います。)
そして、結局、お金の世界になってしまったように思います。
アベノミクスも良いですが、この国の舵を取る役割を担っている人たちは、まず、「経済の役割は、食べ物を人々に行き渡らせること」ということを押さえた上で、進むべき方向を定めていくべきだと思います。
大きなくくりで言えば、例えば、次のような考え方を取り払うことは大切です。
・「賞味期限」という考え方
・「規格外」という考え方
・「食べられるものを廃棄する」という考え方
全て、「食べ物を人々に行き渡らさせる」という経済の根本に逆行する考え方です。
細かいところを言えば、
・納豆に、使われるかどうか分からない「からし」を一律につける
ということも、食べられるものを捨てることと同じなので、そのような慣習がなくなるように働きかけた方が良いと思います。
「食べ物を粗末にしない」と似たような言葉に「ものを大切にする」というものもあります。
・捨てるものを作ること
・直ぐに壊れて捨てるものを作ること
・使えるものを捨てること
をやめれば、人々が過労死するような労働から解放されると思います。
日本はもともと、
・「ものを大切に作り、大切に使う」
・「食べ物を、ありがたいと思って食べる」
という八百万の神に感謝するような文化だったはずです。
そして、捨てる文化ではなかったはずです。
日本の舵取りをする人は、日本文化の流れを生かした舵取りは出来ないものかと思います。
「改革には痛みが伴う」とよく言われますが、貨幣経済にばかりこだわった改革もどきでは、痛みはあっても、次に待っているのは、次の「痛みをともなう改革もどき」、つまり、いつまで経っても痛みだけしかないような気がします。
経済の本質(食べ物を人々に行き渡らせること)を押さえない経済対策は、それを繰り返すだけだと思います。
そうやって、20年もの月日を費やしてきたのです。
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この記事は、ピュアハート・カウンセリングの心理カウンセラー 田中 順平 が書いています。
心理カウンセラー 田中 順平
〒561-0871 大阪府豊中市東寺内町3−7 エーデル緑地101 → アクセス
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天台宗
TOP一隅を照らす運動とは実践3つの柱と一隅を照らす日MOTTAINAI(もったいない)
3.共生 MOTTAINAI(もったいない)
今、「MOTTAINAI(もったいない)」という言葉が世界の注目を浴びています。
アフリカ人女性として初のノーベル賞を受賞したケニアのワンガリ・マータイさん(※注1)は、「もったいない」という日本語を知り、「ものを大切にし、心豊かに生きてきた日本人の心・生き方そのものだ」と感激されました。そして、「この言葉を考え直すことで、大量生産・消費型のライフスタイルを変革できる」と考えて「もったいないを世界に」と提唱されました。今、その輪が国内外に広がっています。
「地球環境保全」というと、あまりに大きなことで、自分が関われることだろうかと思ってしまいます。また、「大切なことはわかるけれど、面倒なことはしたくない」と思う方もおられるでしょう。
「もったいない」…日本人でさえ忘れかけているようなこの言葉を、もう一度私たちの意識に呼び覚ますことで、環境問題やゴミ問題などにごく自然に関わっていくことができるのではないでしょうか。
※注1 … アフリカの植林活動に尽力し、環境分野の活動家として史上初のノーベル平和賞を受賞したケニアの女性活動家。
食べ物を残したらもったいない
子供の頃などに、「ご飯を粗末にするとバチがあたる」と言われたことがある方も多いのではないでしょうか?
お米の中に神様が何人もいる、お米は八十八の手間をかけて作られているなど、様々な理由で私たちは食べ物の大切さ、食べ物のいのちを粗末にしないこと、食べ物やそれを作ってくださった方への感謝の気持を教えられてきました。
今、日本は飽食の時代。お金さえ出せばどんな食べ物でも手に入り、食べるに困ることはありません。「グルメ番組」が流行り、食べることに時間とお金をかけるのを厭(いと)わないことがもてはやされています。
そんな中で、お茶碗の中のお米を最後の一粒まで残さずに食べることは当たり前ではなく、むしろ「格好の悪いこと」と思う人も増えているのではないでしょうか? 食べきれないほどの食べ物を注文し、残してしまうことに何の後ろめたさも感じないばかりか、残さずに食べきることは「恥ずかしい」ことだと考える人も増えているのではないでしょうか?(※注2)
食べ物をありがたくいただき、残したら「もったいない」と考えることは、すべての環境問題の出発点であるように思います。
家庭での実践例
余分な食材は、冷蔵庫で保存する時、調理する時、処分する時、すべていのちとエネルギーの無駄遣いになってしまいます。自分の食べられる量だけ買い求めましょう。冷蔵庫の中やストックしてある食品の賞味期限を確かめましょう。
※注2 … 日本では、年間2千万トンの食品廃棄物が飲食店・コンビニ・家庭などから放出されます。
家庭の調理くず・食べ残しなどはその半分の約1千万トンで、その90%(食べ残し40%、調理くず37%、賞味期限切れ13%)は生ゴミです。食べ残しの内訳は、多い順から、手つかず食品38%、ご飯8%、パン類5%、肉類3%などとなっています。
今、世界では8億以上の人々が、毎日を空腹のまま終える生活を余儀なくされています。人災や自然災害の被災者およそ5千万人が、深刻な飢餓の脅威にさらされています。毎日5歳未満の子どもが1万6千人亡くなっていますが、その主な原因は栄養失調です。飢えのために5秒に1人のペースで子どもが亡くなっています。
「もったいない」を探そう!
不要なアイドリングはストップしよう
コンビニなどに行くと、ガムを一つだけ買ってもレジ袋に入れてくれることがあります。ガムに買ったことがわかるようにシールを貼ってもらえば、レジ袋は必要ありません。レジ袋をもらっても、たちまちゴミになってしまうだけです。
たとえば、見てもいないのにテレビをつけっぱなしにしたり、電灯をつけたままにしていることはありませんか? たった一杯のお茶を飲むのに、ヤカンに半分ほどのお湯を沸かしていませんか? 1枚着込んだだけで充分温かいのに、薄着のままで暖房をつけていませんか? 車を停めている間のアイドリングは必要ですか?………
家庭での実践例
エアコンの設定温度を適正(夏は28度以上、冬は20度以下)にして、衣服で調整しましょう。(※注4)
電気はこまめに消し、あまり使わない電気器具はコンセントを抜きましょう。(※注5)
冷蔵庫に食品を詰め込み過ぎないでおきましょう。(※注6)
不要な車のアイドリングはやめましょう。(※注7)
※注3 … 家庭でのエネルギーの消費量は、多い順にエアコン、冷蔵庫、照明器具で、この3つで60%近くを占めています。これらで省エネをすれば大きなエネルギー節約になります。古いエアコンや冷蔵庫などは効率が悪いうえに、大きな電力を消費します。場合によっては大事に使うより、買い替えたほうが省エネになることがあります。
※注4 … エアコンの温度設定は、暖房を2度低く、冷房を1度高くすることで、約10%の電気代節約になります。
※注5 … 機器を使用していないときにも消費される「待機電力」は、家庭の全消費電力量の10%台といわれています。
※注6 … 冷蔵庫内に食品を詰め込みすぎると、庫内の冷気の循環が悪くなり、消費電力量が増加します。また、庫内にものを詰め込みすぎると、どこに何が入っているのかわからず、扉を開けている時間も長くなりますし、食品の使い残しを出す原因にもなります。
※注7 … 乗用車(2000ccガソリン車)で10分間アイドリングをすると、0.14リットルの燃料を消費し、90グラムの二酸化炭素を排出します。一般家庭用のガソリン車なら、厳寒期以外暖機運転は必要なく、1キロ程度はゆっくり運転をすれば充分です。
まだ使えるものを捨ててしまうのは「もったいない」
兄弟姉妹で服のお下がり「お下がり」という風習があります。兄弟・姉妹や親戚、近所の人などで、一つのものを大切に使い切る風習でした。
今は一つの物を長く大切に使うのが困難な時代かもしれません。電気製品を修理しようと思っても、「買ったほうがお安いですよ」とか、「新しい製品のほうが電気代が安いですよ」などと言われたりすることがあります。パソコンなどは「寿命は3年」と言われ、最初から長く使うことは期待できません。
最近はガレージセールやフリーマーケットなどが盛んに開かれるようになって、使う予定のない新品、中古ながらまだ充分使えるものなどを「流通」させる機会が増えました。また、インターネットのオークションなども盛んです。
出品されている物には、新品や新品同然のものはもちろん、「こんなもの、誰が買うだろう?」と思うような品物までありますが、不思議と欲しい人が現れてなくなっていきます。
品物を活かすことができるフリーマーケットも盛ん
「もったいない」という視線で見てみると、いろいろな物が再利用できたり、リサイクルできます。
例えば、毎日家庭から出るゴミの約35%は生ゴミだといわれていますが、この生ゴミも処理をすると、堆肥などとして再利用することができます。
生き物だけではなく、「物」のいのちも大切に生かす、「もったいない」という気持ちが大切です。
家庭での実践例
自分は要らなくなったけれどまだ使えるものは、知人などに譲るか、バザーやフリーマーケット、ガレージセール、リサイクルショップなどへ提供・交換・出品しましょう。また、提供されたものを使いましょう。インターネットのオークションも試してみては? 最近は、古い和服を欲しがっている人も増えています。
自治体の資源ゴミの対象になっているものは、できるだけ回収に回しましょう。
食品トレイ・牛乳パック・古紙など、大型店舗や地域の学校が回収しているものは、捨てずに回収に出しましょう。
家庭から出されるゴミの約半分は、食べ残しや調理くずなどのいわゆる生ゴミです。生ゴミ処理機やコンポストなどを使って、生ゴミを減らすと共に、堆肥を作ってみませんか?(※注8)
割り箸のリサイクルも行われています。日本人が1年間に使い捨てている割り箸は、約250億膳。これに使われる木材で120平米の家が1万7千戸建てられます。
◎王子製紙株式会社|割り箸回収活動
(http://www.ojipaper.co.jp/culture_sports/community/chopstick_2.html)
一隅を照らす運動では使用済の切手のリサイクルを行っています。
※注8 … 家庭用生ゴミ処理機の購入に対し、その費用の一部を補助する自治体が増えています。お住まいの自治体にお尋ねになってみてはいかがでしょうか。
もう一度、「勿体ない」
「勿体」(もったい)とは、世の中のすべてものは繋がりあって成り立っている、それ単独で成り立っているのではないという仏教の言葉です。「もったいない」はそんな存在価値や意義が、ないがしろにされ、あるいは十分に活かされていなくて惜しいという意味です。
繋がりあって成り立っているせっかくのものであるのに、その縁を断ち切って空しくしてしまう行い。たとえば、まだ使えるものを捨ててしまったり、価値があるものの価値を損なって無駄にしてしまうような行い。それらはすべて、私たちと繋がりつつ共に生きている「いのち」を粗末にする、あるいは、ものを生かすことをしない「もったいない」行為です。
ただ「物」を大切にするというのではなく、私たちと繋がりあって生きている森羅万象(しんらばんしょう)の「いのち」を大切にする行い、それが一隅を照らす運動がおすすめする「もったいない」です。
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アルファポリスビジネス(運営:アルファポリス)の提供記事です
東洋経済
「もったいない」の日本語に隠れた本当の意味
私たちは支え合って「生かされている」
大來 尚順 : 浄土真宗本願寺派僧侶
2017/01/16 15:00
{浄土真宗本願寺派僧侶でありながら、通訳や翻訳も手掛ける大來尚順氏による連載『訳せない日本語~日本人の言葉と心~』。エンターテインメントコンテンツのポータルサイト「アルファポリス」とのコラボによりお届けする。}
注目された言葉
2004年に環境分野で初のノーベル平和賞を受賞したケニア出身のワンガリ・マータイさん。この方が環境を守る世界共通語として「MOTTAINAI(もったいない)」を広めることを提唱し、国内外で「もったいない」という言葉が注目を浴びたことは、多くの方がご存知だと思います。
その後、地球環境に負担をかけないライフスタイルを通して、持続可能な循環型社会の構築を目指す活動として「MOTTAINAIキャンペーン」がスタートしました。そのキャンペーンの説明によれば、マータイさんは、日本語の「もったいない」という言葉を知り、この言葉の意味に該当する別の言葉を他言語にも探したそうです。しかし、「3R+Respect」という精神のすべてを網羅する言葉を、「もったいない」以外には見つけることはできなかったそうです。
「3R」とは、「Reduce(ゴミ削減)」「Reuse(再利用)」「Recycle(再資源化)」のことを指し、最後の「Respect」はかけがえのない地球資源に対する尊敬の念のことです。マータイさんは、これらをすべて包括するのが「もったいない」という言葉だと定義されたのです。こうして日本語が大切な精神として世界から注目を受けたことはとても誇らしいことだと思います。
しかし、私たち日本人にとって「もったいない」という言葉がどのようなものか振り返ってみると、ごく当たり前の言葉として日常生活の中で使い、時には心の中で呟くような言葉だということに気がつくと思います。
「もったいない」の意味のいろいろ
実際、どのような場面で「もったいない」という言葉を使うか整理してみます。一番多いのが、①食事の際の食べ残しや、何か物を処分するときだと思います。そして、②無駄な時間や物を使うときにも、つい口にすると思います。また、③過分なお気持ちや物、チャンスや機会などを得たときにも使います。さらに、④それらを失ったときにも「もったいない」を使います。これらは「もったいない」を使う代表的な場面だと思いますが、こうしてみてみると、「もったいない」にも場面によって微妙に日本語の意味が異なることに気がつきます。
四つの代表的な場面での「もったいない」を英語に訳すと、その意味の違いが明確になります。
{① It’s wasteful. (それは粗末にすることだ)
② That’s a waste of time. (時間の無駄だ)
③ It’s too good for me. (私には良すぎる)
④ How stupid of me! (私はなんて愚かなんだ)}
英語での表現はすべて異なるものです。しかし、日本語の「もったいない」は、これらの意味をすべて一単語で表すのです。日本語で使う場合は、一単語で複数の意図が伝えられる便利な言葉だと思いますが、英語で「もったいない」ということを伝えようと思うとき、これらの意味を把握しておかなければトンチンカンな表現になりかねません。
これは私自身の経験ですが、渡米して間もないころ、「もったいない」という日本語を「粗末にしてならない」という意味でしか理解しておらず、常に「That’s wasteful.」という表現で英語を話していました。しかし、どうもしっくりこないと思うようになり、その原因が私の日本語の理解力の低さにあったときは、恥ずかしい思いでいっぱいでした。
そして、改めて「もったいない」という言葉を学び直すため国語辞典で調べてみると、新たな発見がありました。それは、「もったいない」という言葉は、仏教思想に由来していたということです。
「もったいない」の根底
国語辞典では「もったいない」は「神仏・貴人などに対して不都合であること」「不届きであること」「過分のことで畏れ多いこと」「かたじけない」「ありがたい」「無駄になることが惜しい」を意味するとあります。今日、私たちが使用している意味とは異なる意味もあることが分かります。
しかし、語源を辿ると「もったいない」は「勿体無い」という漢字になります。これは和製漢語のようです。「勿体」とは、「重々しい」「尊大なさま」を意味するようですが、元来は異なる意味だったようです。
本来、「勿体」は「物体」と書き、「物のあるべき姿/物の本質的なもの」を意味していたようです。これが派生し、「重々しい」「尊大なさま」という意味になったと説明があります。
よって、この「物のあるべき姿/物の本質的なもの」を「無い」で否定するわけなので、「もったいない」というは「物の本体はない」ということを意味していたことになるのです。
ここで注目すべきことは、この「もったいない」の本来の意味が仏教の「この世に何一つとして独立して存在しているものはない」という「空」(くう)の思想や「物事はすべて繋がって存在している」という「縁起」(えんぎ)の思想に通ずるということです。
つまり、すべて当たり前ではなく、何一つとってもすべては有難い(有ることが難い)ことであり、私たちは支えあって「生かされている」という真実が「もったいない」という言葉の根底にあるのです。
こう理解すると、「もったいない」の意味に「神仏・貴人などに対して不都合であること」が含まれていることに納得できます。つまり、目には見えない力や働きに助けられていることへの懺悔の念と感謝の気持ちです。
これらの意味をすべて含めた場合、「もったいない」を英語にすることはできません。ひょっとしたら、マータイさんは、この「もったいない」という言葉の奥深さにも触れられたのかもしれません。いつか、「もったいない」が「MOTTAINAI」として英単語になることを願い、その意味を多くの方と共有できる日がくればと願っております。
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