✨51)─3─三島由紀夫「果たしていない約束」。〜No.209 ㊸ 

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 昭和45(1970)年7月7日 サンケイ新聞夕刊「果たしていない約束
 三島由紀夫
 私の中の25年間を考えると、その空虚に今さらびっくりする。『生きた』とはいえない。鼻をつまみながら通りすぎたのだ。
 25年前に私が憎んだものは、多少形を変えはしたが、今もあいかわらずしぶとく生き永らえている。生き永らえているどころか、おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまった。それは戦後民主主義とそこから生ずる偽善というおそるべきバチルスである。
 この偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終わるだろう、と考えていた私はずいぶん甘かった。おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。政治も、経済も、社会も、文化ですら。
 ……
 それよりも気にかかるのは、私が果たして『約束』を果たして来たか、ということである。否定により、批判により、私は何かを約束して来た筈だ。政治家ではないから実際的利益を与えて約束を果たすわけではないが、政治家の与えうるよりも、もっと大きな、もっともっと重要な約束を、私はまだ果たしていないという思いに日夜責められるのである。その約束を果たすためなら文学なんかどうでもいい、という考えが時折頭をかすめる。これも『男の意地』であろうが、それほど否定してきた戦後民主主義の時代25年間、否定しながらそこから利益を得、のうのうと暮らして来たということは、私の久しい心の傷になっている。
 ……
 25年間に希望を一つ一つ失って、みはや行き着く先が見えてしまったような今日では、その幾多の希望がいかに空疎で、いかに俗悪で、しかも希望に要したエネルギーがいかに厖大(ぼうだい)であったかに唖然とする。これだけのエネルギーを絶望に使っていたら、もう少しどうにかなっていたのではないか。
 私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかと感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。」
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