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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本の笑いの原点は、天岩戸神話における、太陽の日差しを失った深刻な状況下で八百万の神々がどんちゃん騒ぎをしながら、皆が演芸を見ながら爆笑した事である。
神々が、笑い転げて、バカ騒ぎをする事で太陽が姿を表し、世界は光を取り戻し、世は平らかとなり、静で穏やかな日常が戻った。
日本の笑いは、西洋や中華(中国・朝鮮)のような高度な知識と教養で創作されるユーモア、ジョーク、エスプリとは違ってレベルが低い。
日本の笑いは、下級な神々による低俗な滑稽である。
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現代日本では、男は人前で声を出して笑う事は軽薄に見えるとして嫌われている。
男は、人前では笑わずしかめっ面でいる事がよいとされた。
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2020年10月29日号 週刊新潮「変見自在 高山正之
笑みが消えた
明治初期、富士の美しさを世界に紹介した英人ウイリアム・ディクソンは日本人もこう紹介している。」
『西欧の日常にある心労に拉(ひし)がれた顔はまったく見られず、誰もが微笑み、世の中に悲哀など存在しないかのように思える』と。
仏人画家フェリクス・レガメも『日本人の微笑みはすべて礼儀の基本で、それがどんなに耐え難く哀しい状況でも消えることはなかった』と書いている。
エドワード・モースは横浜の大火の折にレガメの言う微笑みを目撃した。『涙や苛立ちは見なかった。人々は祭礼があるかのように微笑みを浮かべ、再建に取り掛かっていた』
英詩人エドウィン・アーノルドは『日本の風景は優美で、人々は神のように優しく魅力的で礼儀正しい』と詠った。
明治22年に日本を訪れたラドヤード・キプリングも同じことに感嘆し、ただそれがいつまで壊れずに続くのかを心配した。
米国人も似たようなことを言った。日本を脅して乗り込んできたタウンゼント・ハリス『日本は新しい時代を迎える。敢えて問う。それが日本にとって真の幸福となるだろうか』と憂いを口にした。
しかし、この商人上がりの外交官は食わせ物だった。
彼は幕府との交渉で通貨レートを『1ドル銀貨1枚と1分銀3枚を等価』とさせた。ただハリスは金銀交換比率には敢えて言及しなかった。
結果、銀貨4枚で小判3枚という嘘みたいなレートで金を得る裏道ができた。
米国はこれで数十万両を手に入れ、リンカーンは南北戦争の戦費をほとんど賄えた。
ハリスももちろんぼろ儲けした。
キプリングはそれを知って『いずれ日本は米国の属領にされ、ボタンや鉤(かぎ)ホックお作る工場にされるだろう』(『キプリングの日本発見』)と予見した。
実際、米国人は日本を理解する気もなかった。ラフカディオ・ハーンですら通夜で笑む遺族を『不可解』と言い切っている。
米国にとって日本はカモでしかなく、あとは不可解で一括りにした。
だから日本が強国ロシアに勝つとセオドア・ルーズベルトは日露仲介を装って日本に1ルーブルの賠償金も与えないように仕切った。
唯一、与えた満州の権益もフーバーが無効にし、フランクリン・ルーズベルトは米経済立て直しのために対日戦争を始めた。
昭和20年8月30日、日本に進駐した米軍兵士は日本人の対応に戸惑った。
日本人は原爆を落とした彼らにもレガメの言う『すべての礼儀の基本』の温かい微笑みで迎えた。
マッカーサーは教養がなかった。レガメとミドリガメの区別もつかなかった。
彼は逃亡黒人奴隷のようにひたすら怯え切った日本人を予想していた。
それで勝者の快感を味わうつもりだったのに彼らは微笑んでいた。
なぜ笑う。マッカーサーはフィリピンで日本軍に追われ、屈辱の敵前逃亡を強いられた。
一瞬、卑怯な彼らを冷笑しているのかと思った。
あるいはGHQ憲法に賛意を示した東大の宮沢俊義のように強者に媚びる卑屈な笑いなのかとも思った。
どっちにせよ不愉快だから『曖昧な笑いをやめさせろ』と指令をだした。
指令を徹底するため日教組を組織させ、学者にそう書かせて教科書に載せた。
麻布小学校で担任の長瀬先生も『曖昧な笑いをやめろ』と教えていた。
マッカーサーは将来にわたってそれを定着させるため、そんな学者で組織する『学術会議』を置いた。
『マッカーサーがきて目に見えない革命が起きた』と真顔で胡麻をすった宮沢が最初に選ばれた。
日本から笑みが消え、顰(しか)め面(つら)が増え、傘を傾けてすれ違う人が消えた。
隣の子が朝鮮人に攫(さら)われても『憲法九条万歳』と他人ごとに言う。そうなったすべては学術会議のせいだと知ってほしい。」
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日本人の笑いは、中国人や朝鮮人の微笑みとは違う。
中国人や朝鮮人の笑い・微笑みは、儒教的上位者意識による下位者を見下す冷笑や嘲笑であった。
現代日本人の笑いは、中国人や朝鮮人の笑いに近い。
戦後教育は、笑いは軽薄で馬鹿な証しと子供たちに教え、子供から笑いを奪った。
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日本人の笑顔とは、多発する複合的自然災害、疫病、大火、戦火などの救いがたい状況の中から哀しみを内に秘めて自然と滲み出る笑顔である。
日本人の笑いとは、自然の中をそよ風が吹き抜けるような笑いである。
哀しく辛く苦しいほど、日本人は笑顔を絶やさなかった。
「耐えて笑い飛ばす」のが日本民族日本人の気質であった。
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日本民族にとっての笑いとは、生に対しては歓喜であり、死に対しては悲哀である。
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死とは、生の長短、運不運はあっても避ける事なく訪れた状況の中で「よく頑張って生きた」証しであったが故に、泣き崩れ慟哭して葬るのではなく、「あっぱれな生き様」と褒め笑って送り出す事であった。
苦しい時ほど笑う、それが日本民族日本人であった。
それ故に、日本民族日本人は笑って死出に旅立っていた。
救いのない完全な死であるカミカゼ特攻や万歳突撃には、イスラム教原理主義の自爆テロのような陰湿で悲惨さはない。
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リンカーン大統領は、日本から詐欺まがいの手で奪った金貨(小判)を戦費にして南北戦争に勝利した。
南軍は、イギリスから多額に戦費を調達したが敗北した。
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世界常識を持った諸外国は、日本が理解できない為に嫌悪し敵意を抱き、日本人を軽蔑し差別した。
その矛先は、血筋を正統とする万世一系の男系天皇に向けられた。
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世界は幾ら話し合っても分かり合う事はできない。
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西洋史において、非白人非キリスト教徒日本民族日本人はアフリカ系黒人同様に白人キリスト教徒の奴隷であった。
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