🌈70)71)72)─1─日本民族の石碑文化。江戸時代に急増した石碑。~No.118No.119No.120No.121No.122No.123  ⑬ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本の石碑文化は、中華・西洋など世界の石碑文化とは違い。
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 日本民族日本人は、自然災害、疫病感染爆発、飢餓・餓死、大火など複合的災害多発地帯である日本列島で数万年生きてきた。
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 2020年6月3日 読売新聞「文化  歴史
 石碑に刻んだ災厄
 江戸時代に設置急増
 安政コレラ禍 万人講の祈り
 天命飢饉 備蓄の教訓 
 『えり抜きのメッセージこめて』
 石碑に刻まれた文字の中には、疫病や飢饉など過去の惨状を今に伝える貴重な情報が残されている。関根達人弘前大教授の新著『石に刻まれた江戸時代』(吉川弘文館)では、北海道から九州まで全国で調査した江戸時代の石碑を通じて、苦難と向き合った先人の教訓を紹介している。
 江戸時代は、識字率の向上や石を運搬する海上交通網の整備などを背景に各地で多様な石造物が建てられ、災害や大火などの被害を伝える石碑も急増した。『死者を弔う供養碑は、それまでも盛んに造られていたが、江戸時代の人たちは子孫に教訓を残すため、より実用的なメッセージを碑に残そうとしたのだろう』と、関根教授は分析する。
 東日本大震災を機に、過去の津波の到達点などを示した地震関連碑の重要性が注目されたが、新型コロナウイルスの流行で関心が高まる疫病の記録が刻まれた石碑も各地に存在する。」
 『去年の7月はかり いとあやしき疾(やまい)出来(しゅったい)』。埼玉県越谷市の安国寺にある供養碑は、安政5年(1858年)のコレラ流行の様子を伝える一文から始まる。医者を迎える間もなく、数え切れぬ人々が命を落とす中、周囲の村から安国寺に集まった人々が様々な物を仏前に供え、昼夜を問わず死者を弔った。この『万人講』に参加した人は病にかからず、功徳が報われた証しに石碑を建てたという。
 青森県八戸市の対泉院にある天明の飢饉(1783~84年頃)の供養塔には、作物が実らず、疫病が流行し、多くの死者が出て村の被害状況が刻まれる。蕨(わらび)の根を掘り、海草や山草のみならず、稲の茎や稗(ひえ)の茎も切って食物としたが、餓死者が絶えず、押し込み強盗なども相次いだ。領内では、人口の半数に近い3万人余りが亡くなるなど、前代未聞の事態だったという。
 〝コレラ禍〟を乗り越えた信心深い住民の団結力、餓死者が相次ぐ村の悲劇──。いずれも、医学が未発達な江戸時代における闘いの貴重な記録だ。不特定多数の目に触れぬ屋外の石碑は、より多くの人にメッセージを伝える点で効果的だった。対泉院の供養塔には飢餓に備えて、『米穀などはきちんと貯蔵しておくべきである』と食糧備蓄の戒めも刻まれている。
 『古文書などと比べ、歴史研究で軽視されがちな石碑の文章だが、多大な労力をかけて石に文字を彫る以上、選ばれ抜かれたメッセージが込められている』と、関根教授は重要性を強調する。未曽有のコロナ禍の教訓を後世に残す意味でも、石碑に託された先人の思いの強さに学ぶべきことは多い。(文化部 多可政史)」
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 ウィキペディア
 石碑(英語: stele, stela,Stone monument)とは、人類が何らかの目的をもって銘文(碑文ともいう)を刻んで建立した石の総称。「碑(いしぶみ)」ともいう。墓石としてなど他の目的を持たず、銘文を刻むこと自体を目的とするものをいう(ただし、英語の stele の場合は、木製のものや墓碑も含む場合がある)。なお、何かの記念として建てられたものを記念碑(きねんひ)、和歌・短歌や歌の歌詞を刻んだものを歌碑(かひ)、俳句を刻んだものを句碑(くひ)、詩を刻んだものを詩碑(しひ)という。
 概要
 石自体がひとつの彫刻になっている場合は、「石彫」と呼んで区別することが多い。また、岩絵が刻まれているものは、「石碑」とは呼ばず、文字が刻まれて、一時的にも建立された、または建立する意識がみられるものを指す。形状は、縦長で表面が平坦な石が用いられることが多いが自然石をそのまま用いる場合もある。
 王朝の起源、伝説、王の業績などの歴史的事件を刻んで王室の権威を高めるプロパガンダに用いられることがあったため、石碑を建てた権力者が倒されると、石碑が倒されたり銘文が削られたり破壊されたりすることが多かった。マヤの諸都市に建てられた石碑もその好例である。新たな権力者は自分の権力の正統性を石碑に刻ませた。
 石碑として残されるのは、輝かしい事績ばかりとは限らない。慰霊碑や災害記念碑のように、悲劇的な事象が再び起こらないよう、後世への戒めとして建てられている碑も存在する。
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 江戸時代は、悲惨な時代であった。
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 日本の石碑の多くは、神や権力者・偉人などの人間を讃える石碑ではなく、疫病・飢饉・天災などの悲惨な事件があった事を子孫・後世に伝える石碑であった。
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 日本人は物事を忘れやすい性質を持っている為に、祖先は子孫に警告するべく石碑・古文書・祀り・祭りなどを残した。
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 現代日本人は、本当の言霊を知らない。
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 日本人は歴史が好きである、はウソである。
 日本人は歴史が好きだ、と言っているうちは日本人は無智無能である。
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 戦後歴史教育を受けた現代日本人、特に1980年代以降の歴史教育を受けた現代日本人には歴史力がなく、災厄を生き抜いた祖先が残した石碑が読めないしその価値が理解できない。
 その為、阪神淡路大震災東日本大震災で責任を逃れる為に「初めてだった」あるいは「想定外だった」という説明を繰り返している。
 そうした発言をするのは高学歴出身知的エリートに多く、その言葉で自分は日本の歴史を知らないと告白しているのである。
 つまり、自分たちは祖先の事が理解できないと。
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石に刻まれた江戸時代: 無縁・遊女・北前船 (歴史文化ライブラリー)