🌏40)─2─日本陸軍の日清戦争帰還兵約24万人防疫事業の成功を欧米列強は賞賛した。〜No.116No.117 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。  
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 日本軍による旅順虐殺事件はウソである。
 旅順虐殺事件を言いふらす日本人は信用するべきではない。
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 日露戦争まで、諸外国は戦争をしている両軍に観戦武官を派遣して全般にわたる調査をしていた。
 各国の報道機関は、報道の自由から軍司令部から戦場に至るまで従軍記者を派遣して臨場感ある報道合戦をしていた。
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 連戦連勝で快進撃を続ける日本軍には、世界から一人前の近代国家として認められるために、直近の作戦以外は隠す事が少なかった。
 日本人の性分として、勝利や成功は誰彼構わず自慢話をしていたが、敗北や失敗は知られたくない為に不機嫌に押し黙る。
 つまり、教訓や手本は、勝利や成功から採用し忘れず記録に残したが、敗北や失敗からは導き出さず忘れ記録に残さなかった。
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 御立尚資「初期段階では、単純に『わかっていなかった』だけだったのだ。データを集めたとき、いま何がわかっていて、何がわかっていないかを見極めなければ希望的観測で決断を下してしまう恐れがある。意志決定とは往々にして不完全な情報のもとで行わねばならず、だからこそ科学的知見をベースとして情報峻別能力が必要なのだ」
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 2002年の武漢ウイルスに汚染されたクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号に対する、政府と厚労省・官僚・医官の検疫による後手後手の不手際、遅々と進まない事態対応が目立つ。
 その時、国会・政治家は、メディア・報道機関は、SNSの書き込みは・・・。
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 ヴィルヘルム2世「この方面では世界一と自信をもっていたが似島(にのしま)の検疫所には負けた」 
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 2020年6月号 正論「今なすべきは次なる国家緊急事態への備え 
 渡辺利夫
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 戦争を勝利に導くものは、もちろん前線で戦う将兵である。しかし、日清戦争という日本初のこの大規模な対外戦争に勝利するには、戦線の後方にあって戦略の全体を練り、これにもとづく作戦指導に当たるという任務がある。戦略や作戦をスムーズに展開するためには、軍事装備品の調達、補給、整備、修理ならびに兵士や装備品の輸送のための船舶の確保などの後方支援、要するに『兵站(へいたん)』の確保がきわめて大きな重要性をもつ。陸軍次官としての児玉の功績は、兵站においてみせた水際だった手腕であった。
 もう一つ、特筆すべきものに、戦争に勝利・凱旋する兵士の検疫事業がある。コレラマラリア、ペスト、アメーバ赤痢などに罹患した兵士を検疫なく帰郷させるわけにはいかない。悪疫の国内感染を入国前に何としても阻止しなければならない。日清戦争後に児玉の構想によって実現した検疫事業は、当時の西欧にも類のない規模と効率性をもって展開され列強を驚かせた
 実際、児玉は兵站と検疫事業という軍政の功績により、日清戦争後の明治29(1896)年の10月には陸軍中将に昇格した。
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 日清戦争と『コレラ禍』
 戦争が終われば戦地から大量の兵士が帰還してくる。兵士の検疫をどうするか。陸軍次官の児玉が抱えた切迫の課題であった。若い記憶が児玉の脳裏をよぎる。明治10年に西南戦争が勃発、戦線でコレラが発生、帰還する兵士を通じて国内各地にコレラ汚染を招いてしまった。痛恨の記憶である。往事(おうじ)、コレラは致死率が8割にも達する『死病』であった。明治16(1883)年にロベルト・コッホによってコレラ菌が発見されるまで、この感染症には打つ手は何もなかった。
 罹患者らしき者をみつけて、これを『避病院(ひびょういん)』といわれる隔離病舎に収容しておく以外に対処の手はなかった。行政への不満と不信ははなはだしく『コレラ騒動』『コレラ一揆』が頻発した。
 日清戦争からの帰還兵は西南戦争に比べてはるかに多い。日清戦争での日本兵の戦死者は1,417人であったが、病死者数が1万1,894人、とりわけコレラの汚染が著しい。検疫事業はのっぴきならない課題として児玉のうえにのしかかった。
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 児玉は検疫事業は陸軍省で担おうと腹を固めていた。帰還兵は6月初旬から10月末まで24万人、1日1,600人、多い時にはその3倍ほどの検疫が必要となる。それだけの数を一ヵ所でこなすことは不可能とみて、宇品の似島(にのしま)、大阪の桜島、下関の彦島の3つの離島に検疫所を設置することに決した。離島で短期間に24万人の兵士を検疫するには、広大な敷地に400棟以上の兵舎をつくり、大型の蒸気式消毒罐を相当数導入しなければならない。児玉は後藤にそう伝える。
 後藤は、さすがに迅速な決断をする人物だと児玉を仰ぎみた。
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 似島での大検疫事業──後藤の復権
 大事業が開始された。明治28(1895)年6月初めから10月末までの期間が設定され、その間に数百艘の船舶と24万人の兵士を検疫することになった。月当たり4万8,000人、多い時には1日に5,000人から6,000人になる。似島彦島桜島の3ヵ所、広島宇品島沖の似島が9,300坪と最大規模である。
 ……
 検疫にいたる、時間のかかる煩雑このうえない手順に、一刻もはやく故郷に勝利の錦を飾りたいと帰心矢のごとき兵士たちに多いなる不満が募る。指揮を執る後藤に対しての非難には囂々(ごうごう)たるものがあった。〝これがあの酷(むご)い戦争を戦い抜いた兵士を迎えるやり方か〟。不満は爆発寸前にまでにいたる。暴動になりかねない。これには後藤も手を焼き尽くし、児玉に訴える。児玉にはひらめきがあった。
 旅順に出陣していた征浸大都督の小松宮彰仁親王が5月22日に凱旋される。親王を説得して、兵士と同じ手順で検疫にのぞんでいただければ兵士の不満は一気に収まる、というのが児玉の直感であった。親王は説得に諾(だく)として応じた。一瞬の閃いた児玉の機略により、全兵士の憤懣(ふんまん)は収まり、検疫事業が再開されることになった。
 ……難題を果断に次々とこなす児玉の非凡な判断力……
 後に報じられた記録によれば、この3ヵ所の検疫所で罹患が証明された兵士の数は、真性コレラ369人、疑似コレラ313人、腸チフス126人、赤痢179人であった。おの数の罹患者が検疫なくして国内の各地に帰還していった場合の事態の深刻さは、いかばかりであったか。
 戦争に明け暮れていた欧州諸国は日本の検疫事業に強い関心を寄せ、その規模と迅速性に称賛を惜しまなかった。鶴見祐輔『正伝 後藤新平』(第二巻 「衛生局長時代」、藤原書店)にはこう記される。
 《後に編纂された『臨時陸軍検疫報告書』は、和文と英文の二様に作成され、陸軍省から欧米諸国に寄贈されたが、ドイツ皇帝がこれを読んで感嘆措(お)くあらわなかった》
 日清戦争後のこの検疫事業により、後藤は相馬事件の汚名を雪(そそ)ぐことができた。内務省衛生局長に復帰させよとの辞令を受け、次いで第4代台湾総督に任命された児玉に同道、総督府民政長官として、『土匪(どひ)』制圧、アヘン漸禁策、土地・人口調査、南北縦貫鉄道建設、基隆・高雄築港、糖業振興、阿里山開発など、世界の植民地経営史にその名を遺す数々の偉業を成し遂げるにいたる。
 国家緊急事態対処とは何か
 以上は、明治時代のストーリーである。民主制度・機構・人権・私権尊重といった概念において往時と現代とでは大きな隔たりがある。しかし、国家緊急事態、〝国が滅ぶのか否か〟という観点に立つならば、民主主義や専制主義といった統治の方法を超えた強力で迅速な事態への対処方法が発出されねばならない。西修駒場大学名誉教授によれば『緊急事態対処規定』を設けていない憲法は、教授の調べた104ヵ国の中で日本以外、皆無だという(『憲法の正論』、産経新聞出版)。
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 明治の教訓は、少なくとも私どもに二つのことを語りかける。一つは、コレラという往事にあっては治癒の方法がまるでなかった感染症に対して、限られた資源をあたうる限り凝集して事態に対処しようという危機意識、この危機意識を指揮者が共有したこと。二つには、事態の対応にあたる指揮官に有力な人材を抜擢・配置し、彼らにほとんど全権を与えてことに望んだ、この二つに違いない。
 理非は歴史が証明するという、気概と豪気もあったのであろう。
 耳を澄ませば、いくつもの国家緊急事態のことが聞こえてくる。中国による尖閣諸島侵攻、北朝鮮の核ミサイル攻撃、南海トラフ地震、首都直下型地震、重大サイバー攻撃テロリズム、ああ、想像すれば切りがない。
 緊急事態とは、重大かつ即座に対応しなければならない、そういう事態のことである。人権や私権が日本の憲法においてきわめて大きな重要性をもつこと、これは誰も否定しない。否定してはならない。しかし、国家緊急事態を想定せず、平時の丸腰で事態に立ち向かうというのであれば、肝心の人権・私権それ自体が雲散霧消してしまう。
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 その時、国家緊急事態を憲法に書き込む、そのための準備を粛々と進めていかねばならない。国家緊急事態において、なお人権・私権の尊重を言い募るのであれば、それは人権・私権の自殺である。
 われわれが今なすべきことは、新型コロナウイルスとの並大抵ではない過酷な戦いに身命を賭している、医療従事者を初めとする多くの関係者に深い敬意を表すると同時に、次なる緊急事態への対応に怠りなきを期することに他なるまい」
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 真面な日本人は2割、真面じゃない日本人は3割、自分では考えられず誰かに従う日本人は5割。
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 日本陸軍は、戦争で悪い事をしかかもしれないが、それ以上に良い事もしていた。
 現代日本歴史教育は、戦前は悪、軍部は悪、陸軍は悪の原則から、悪い事のみ強調・誇張して教えるが良い事はなかった事として教えず歴史から抹消している。
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 日本民族日本人は、天皇、皇族、皇室の下で一つにまとまる事ができるが、宗教のキリスト教イデオロギー共産主義では不可能であり分裂崩壊し消滅してしまう。
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 現代日本人は、昔の日本人に比べて劣っているところが多々ある。
 昔の日本人が賢く偉かったからとて、現代日本人も同様に賢く偉いわけではない。
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 戦後の緊急事態における政府の対応は、時の総理としての素質以前に個人的な性格が色濃く滲み出る。
 阪神淡路大震災時の村山富市東日本大震災時の官直人。武漢肺炎時の安倍晋三
 国会・政治家、官公庁・官僚、地方自治体の首長・官吏によって、被災民の苦難の度合いが変わる。
 村山富市「初めてのことだった」
 官直人「私は理系の人間。専門家だ」
 安倍晋三「説得したが法的拘束力がない」
 その時、ディア・報道機関は・・・。
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