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2020年5月11日 産経WEST「面編纂1300年、疫病も伝える日本書紀の魅力
神話や古代史の舞台となった奈良盆地。現在も大和三山などが歴史を伝える=奈良県橿原市、明日香村周辺(本社ヘリから)
遣隋使の派遣や壬申(じんしん)の乱、疫病(えきびょう)、地震…。そんな古代の出来事が記された日本書紀を読まれたことがありますか?奈良時代に編纂(へんさん)され、今年は1300年という記念すべき節目。国の正式な歴史が編まれた初の「正史」で、神代から持統天皇の時代までを伝える日本書紀の魅力とは-。
(岩口利一)
<国内に疫病多く、民の死亡するもの、半ば以上に及ぶほどであった>(講談社学術文庫判)
日本書紀の崇神(すじん)天皇五年にはそう記されている。天皇は自らの政治が良くないためではないかと恐れた。そして占いのお告げに従って大物主大神(おおものぬしのおおかみ)を祭り、さらに祭主を大田田根子命(おおたたねこのみこと)とするなどした。すると疫病は収まり、五穀も実ったという。現在の奈良県桜井市に鎮座する大神(おおみわ)神社は大物主大神を祭神とする。
日本書紀に続く続日本紀の天平九年(聖武天皇)=737年=にも恐ろしい記述がある。春に疫病が流行。筑紫から伝染して秋まで続き、政権を担った藤原4兄弟も含め、数え切れないほどの死者が出たという。
はるか昔の出来事だが、新型コロナウイルスの感染が拡大している今、こうした災いの記事は身近に感じられ、当時の苦難がしのばれる。
今年で編纂1300年を迎える日本書紀は、天武天皇の皇子、舎人(とねり)親王らの撰で、養老4(720)年に完成したとされる。
現存最古の歴史書とされる古事記は神代から33代推古天皇までを記載し、神話の時代に多くを割いている。これに対し、正史の日本書紀は41代持統天皇までが記され、記事に年月日が付けられている。
主な出来事としては、中国・隋に派遣された遣隋使や、中大兄(なかのおおえ)皇子(後の天智天皇)、中臣鎌足(なかとみのかまたり)らが蘇我氏を滅ぼし大化の改新の端緒となった乙巳(いっし)の変。さらに天智天皇の弟、大海人(おおあま)皇子(後の天武天皇)と天皇の子、大友皇子が戦った壬申の乱、飛鳥から初の本格的都城・藤原京(奈良県橿原市など)への遷都などがあり、興味深い。
『マンガ遊訳 日本を読もう わかる日本書紀』(西日本出版社)を監修した関西大の村田右富実教授は、日本書紀が書かれた背景として当時の世界情勢に注目する。
「中国・唐が脅威で、日本に大きな危機感があった。中央集権国家をつくっていく中で、何年何月に何が起きたかということをきちんと記したかったのだろう」と解説する。正式な歴史を記すことで国家としての主体性を獲得しようとしたことがうかがえ、古事記に比べて外交記事が多いのも魅力という。
とは言っても、一般には取っつきにくい面のある日本書紀。村田教授は「古事記を知っている人は読み比べてみると面白い。歴史好きの人は有名な壬申の乱や大化の改新などから入ってみてはどうでしょうか」とその世界へと誘う。
貴重な歴史書の編纂を成し遂げた舎人親王は、万葉集に歌も残すなど文化的素養があったらしい。松尾寺(奈良県大和郡山市)は親王が厄年だったため、完成と厄よけの願を懸けて建立したと伝えられ、親王の像もある。
こうした社寺やゆかりの地を知ることも、日本書紀に親しむきっかけになるかもしれない。」
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