・ ・ ・
関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
産経新聞IiRONNA
関連テーマ
後藤新平の「教訓」はどこに消えた?
新型コロナウイルス感染拡大の対応をめぐり、後手の印象が拭えない日本とは対照的に、適切な措置を講じた台湾に称賛の声が集まっている。そんな台湾で、100年前に蔓延した感染症撲滅に寄与したのが日本の政治家、後藤新平だった。かつて「防疫先進国」と讃えられた日本だが、後藤の「教え」はどこに消えたのか。
100年前「防疫先進国」に後藤新平が導いた日台の明暗
『青山佾』 2020/04/19
青山佾(明治大名誉教授、元東京都副知事)
関東大震災後の東京復興に全精力を傾けたことで知られる後藤新平は、明治維新後、測量学校の学生から医学校に転身、医師となって病院長を務めた後は、内務省に入省してドイツに留学した。ところが、内務省衛生局長となったとき、子爵家のお家騒動「相馬事件」に巻き込まれ失職することになる。
だが、浪人中に日清戦争が終わると、後藤は、陸軍の責任者として同次官の職にあった児玉源太郎から大陸からの帰還兵の検疫を一任される。しかも、勝ち戦から凱旋して、一刻も早く故郷に錦を飾り家族と再会したい数十万という途方もない数だ。それでも、後藤は見事に検疫をやってのけたのだが、果たしてどのように実現させたのか。
臨時陸軍検疫部事務官長に就いた後藤は、最初に広島の似島(にのしま)、下関の彦島、大阪の桜島などに宿舎を突貫工事で建てた。そうした上で、征清大総督の小松宮彰仁親王を乗せた船が清から下関に凱旋してくると、児玉は真っ先に船に乗り込み、拝謁を求めた。
小松宮に「陛下に報告のため拝謁なさる前に、殿下が検疫をお受け頂く準備はできております。いかが致しましょうか」と尋ねると、「もちろん、まずは自分を消毒してほしい」と承知した。児玉は二人が問答することで、他の将兵も検疫を受けざるを得ない状況をつくったわけである。
その結果、7月からの2カ月だけでも687隻、23万余りの兵を検疫した。このあと作成された「臨時陸軍検疫部報告摘要」は独文版も作成され、世界各国に寄贈された。
報告書を読んだドイツ皇帝が、「世界に戦勝国はたくさんあるが、検疫をきちんとやった国は他にない」と日本を激賞したという話が残っている。後藤の時代、日本は防疫の先進国とされたのである。
日本は日清戦争に勝利し、台湾の領有権を得た。しかし当初、台湾統治は上手くいかず、欧米からは「やはり日本に植民地経営は無理だ」と言われた。政府は切り札として、児玉を台湾総督に任命し、児玉は後藤を民政局長(のち民政長官)に起用した。
当時の台湾では、毎年のように数千人のコレラが発生していたほか、各種の疫病が蔓延していた。日本から赴任した人たちも次々病に倒れ、日本に送り返されていた。
後藤は「伝染病の予防は上下水道の設置から始まる」と述べ、自分が台湾産業振興のために敷設した道路ネットワークも活用しながら、上下水道の整備を進めた。
上水道では、台北郊外を流れる淡水河から水を引いて、大規模な沈殿池を整備した。さらに、台北城の城壁を壊し、環状道路を建設する一方で、城壁を壊した石でつくった大きな排水パイプを敷設し、下水道とした。雨水処理については、道路に沿って開渠(かいきょ)式の下水を通した。
台湾を代表する対日関係の専門家、謝森展は著書『台湾回想』で「当時、下水溝の装置は台湾の如き理想的なものは少ない。これは後藤民政長官の発案による」と記した。われわれは今日、台湾各地の博物館で後藤の顔写真や銅像と共に、これらの功績を容易に知ることができるし、一般の書店には並べられている歴史書等の記述にもお目にかかることができる。
ひるがえって、感染が拡大している新型コロナウイルスへの対策は世界中で急務だ。中でも、台湾が実施した中国に対する入境禁止やクルーズ船の寄港禁止といった水際対策、学校の休校措置のような国内の蔓延対策が早かったこと、マスクの流通管理などIT活用をはじめとした情報管理の優秀さが、日本でも報じられている。各国政府の対策を評価するのは尚早だが、台湾の防疫政策が進化していることだけは間違いない。
後藤の防疫対策は、初期における防疫対策としての水際作戦、そしてその前段階におけるインフラ整備の両面において優れていて、今日の防疫対策の基本を押さえているといってよい。
これに対して、日本では、感染が蔓延している地域からの入国を本格的に制限する措置が3月に入ってからと大幅に遅れてしまった。他にも、陽性・陰性を判定する検査態勢整備の遅れ、感染症指定医療機関の病床確保の遅れ、さらにはマスクや消毒用アルコールなどの買い占め対策の遅れなど後手に回った感が否めない。このような現状に接すると、100年以上前の日本の防疫対策に比べて退歩している印象が強い。
防疫対策は、一般的に政治家には向いていない。国民に不人気な対策や、他国に厳しく外交上マイナスに働く対策が中心を占めるからである。今からでも遅くない。現場を知る専門家と実務家を登用し、判断・実施させ、責任は政治家がとるといった姿勢を明確にした方がいい。
今は、水際作戦よりもウイルスの感染拡大を防ぐ封じ込め作戦の成否が鍵となる。防疫は、病気治療や公衆衛生の範囲を超えて、国家的危機管理の範疇である。このままでは、生活も経済も政治も「一時停止」しかねない。
2001年の米同時多発テロでは、ニューヨークの世界貿易センター(WTC)ビルがハイジャック機2機の衝突で崩壊したが、ビルの地下にある駅は犠牲者を出さなかった。何かあったときには駅にいる人を避難させて無人にするというシンプルなマニュアルが早期に発動されたからである。想定外の事態に陥ったとき、人々をいかに安全な場所に避難させるかが危機管理の基本である。
世の中では、想定を超える事象や自然の猛威に対し、われわれの文明はまだ不十分なものであるという認識のもと、危機管理という方法が発達した。危機管理では、「実社会では予測しづらい事故や事件が発生する」という謙虚な姿勢が前提にある。だから、それに備えるため、過去の失敗を教訓として蓄積するところから出発する。この原点に返ることが大切だと思う。
クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」が横浜に入港したとき、かつて東京都副知事として危機管理を担当した私がイメージした感染対策は次の通りだ。まず、自衛隊が埠頭にテントを張り、そこを専門家や実務家の防疫拠点とする。
そして、船内の乗客乗員を分類し、一定の人をテントに隔離したり、各地の隔離可能な施設や感染症対策病棟を有する病院に搬送するといったプロジェクトがスタートする。このような場合に対応するためのテントや防護服などの資材は、自衛隊や大規模自治体に相当程度の備蓄があったはずだ。
マスクについても、国が買い上げてどこかに配布するという報道があったが、いまさら買い上げても、流通に支障が出るだけだ。自治体によっては、相当大量の備蓄があることも、一方では報じられている。
国に備蓄がなかったとすれば、そもそもパンデミック(大規模感染)に対する危機感が欠如している。政府と関係者は100年以上前の日本の為政者に学ぶ必要がある。
・ ・ ・