🎑10)─1─講談。~No.20No.21 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本の伝統芸能と中国・朝鮮の伝統芸能とは違う。
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 日本の伝統的古典芸能に対し、好きな日本人は2割、嫌いな日本人は3割、魅力を感じず関心も興味もない日本人は5割。
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 日本の伝統的古典芸能とは、落首である。
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 江戸時代。徳川幕府は、御上の御政道を批判し将軍・老中を愚弄揶揄する伝統的古典芸能の幾つかを弾圧していた。
 ただし、政治性を伴わない、能楽師などの一部の伝統的古典芸能は保護され、精神修行の座禅や茶道と同様に武士・サムライの教養・嗜みとされた。
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 歌舞伎役者や落語家・講談師など生死を演じたり語る芸能の民は、浮薄の民、浮浪の民、下賤の輩、穢れた民として、身分は低く、軽蔑され、迫害を受けていた。
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 『赤穂義士伝』『忠臣蔵』を、武士・サムライは嫌い、庶民(百姓や町人)は好んだ。
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 現代日本では、滅私奉公や愛社精神の権化のような『忠臣蔵』は通用しないし存在しない。
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 2020年4月1日号 週刊朝日マリコのゲストコレクション 林真理子
 100年ぶりの〝講談ブーム〟の立役者であり、講談会の風雲児とも称される神田伯山さん。
 この2月に落語芸術協会の真打ち昇進し、講談の大名跡である伯山の6代目を襲名しました。
 〝絶滅危惧職〟と自虐ギャグを飛ばすこともあった講談師を生きる36歳の素顔に、マリコさんが迫ります。
 『ウソを明確にしゃべる』のが大事。講談の自由さに勇気づけられた。(林)
 ここまでくらい時代ってちょっと経験したことがない。(林)
 世間にどう発信していけばいいか。『人生見直そう』と。(伯山) 
 ……
 林 バブルのころ、リクルート社をつくった大金持ちの江副浩正さんという方が、『講談がすたれちゃいけない』と言って、講談師の方を何人も築地の高級料亭にお招きして、何席もやっていただいたんです。私も形だけの会費を払って聴かせていただいたんですど、……
 ……
 伯山 講談って、その日のいでたち、その日の天気、日時、状況を細かく描写するんですけど、ウソを明確にしゃべる。『ウソを明確に』というのが、講談にとっては大事なキーワードかもしれないですね。
 林 私たち作家が歴史小説を書くとき、年代とか日にちは正確に書かなきゃいけないけど、密室での話は好き放題書いていていいと思ってます。
 伯山 『赤穂義士伝』に『赤垣源蔵徳利の別れ』という有名な場面がありますよね。討ち入りの前日、兄貴のところを訪ねたら留守で、羽織に向かって別れの杯を交わすという。あれは、まず、源蔵には兄貴がいなかった。
 林 えっ、ほんとですか。
 伯山 さらに源蔵は下戸だった。
 林 あらら。
 伯山 しかも『赤埴(あかはに)源蔵』というのが本当で、『赤垣源蔵』ですらない。まったくのウソ。でも、そこに見事に兄弟の情愛が描かれるから後世に残っている。講談というのはここまで自由なんだと思って、僕、すごく勇気づけられました。
 林 たとえば武家の人の衣装を描写するときに、『なんとかの直垂(ひたたれ)に』とか言うじゃないですか。それ、若い人はまったくイメージできないですよね。
 伯山 今、『水戸黄門』もなくなっちゃいましたからね。ご老公といえば東野英治郎さんという、元のイメージがなくなっちゃってる。『大岡越前』で、お、林さんの年代とか、ギリ僕の世代だと、加藤剛さんがお小姓連れて出てきて、お白洲があって・・・という絵が浮かびますよね。あれが浮かばないというのは厳しいですよね。
 林 そうですよね。
 伯山 そこと闘っていかなきゃいけないんで、講談って大変だなとつくづく思います。『赤穂義士伝』に関して言いうと、神田愛山という先生は、『「義士伝」にはテーマがある。忠君愛国じゃないぞ、テーマは〝別れ〟だ』と言うんです。『赤穂義士伝』って300ぐらい講釈があるんですけど、確かに堀部安兵衛高田馬場の決闘は叔父さんとの別れだし、徳利の別れとか、南部坂の別れとか、ありとあらゆる別れのパターンが詰まっている。そういうアプローチで入っていくと、お客さんは比較的聴いてくれますね。
 林 ほぉ~、そうなんですか。
 伯山 『義士』を知らない子がいて、『テロリストじゃないの?』と言ったりするが、なぜこれが名作として知られているのかという講義も兼ねて、まさに講釈ですね。でも、若い世代はすごく純粋に聴きます」
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 ウィキペディア
 講談(こうだん)とは、日本の伝統芸能のひとつ。
 演者は高座におかれた釈台(しゃくだい)と呼ばれる小さな机の前に座り、張り扇(はりおうぎ)でそれを叩いて調子を取りつつ、軍記物(軍記読み)や政談など主に歴史にちなんだ読み物を、観衆に対して読み上げる。上方講談においては、張り扇と拍子木を併用する。

 歴史
 起源は戦国時代の御伽衆(おとぎしゅう)であると言われているが、寄席演芸としての講談の原型は、江戸時代の大道芸のひとつである辻講釈(つじこうしゃく、または大道講釈)に求めることができる。辻講釈は太平記などの軍記物を注釈を加えつつ調子を付けて語るものである。
 宝永年間には公許の常設小屋で上演されるようになり、「講釈」と呼ばれるようになった。文政年間には話芸としてほぼ確立し、幾つかの流派が誕生した。『守貞謾稿』の記述によると、興業は昼席が午の刻半ば~申の刻まで、夜席は六つ半~四つ時までが一般的で、料金は通常48文(未熟な演者は36文、子どもは半額)だったという。講談の享受層は幅広く、江戸時代に広く読まれた実録本との影響関係が見られるほか、講釈での人気演目が歌舞伎や人形浄瑠璃化されることもあった。
 江戸末期から明治時代にかけて、講釈は全盛期を迎え、明治時代以降、講釈は「講談」と呼ばれるようになった。「泥棒伯圓」とあだ名された二代目松林伯圓が出、明治政府より教導職を賜るのもそのころである。明治末期には立川文庫など講談の内容を記載した「講談本」が人気を呼んだ(その出版社の中に、講談社がある。講談本の成功ですぐに大手出版社になった)。また、新聞や雑誌に講談が連載されるようにもなった。しかし、明治末に浪花節、昭和に入っての漫才など他の人気大衆芸能の誕生、大衆メディアの発達など(「講談倶楽部」の臨時増刊「浪花節十八番」刊行に関するトラブルに象徴される)に追いつけず、次第に衰微していった。第二次大戦後はGHQにより、仇討ちや忠孝ものが上演を禁止され一時は大きな影響を受けた。その後テレビの普及によって、講談はますます衰退した。
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 日本民族日本人は、物事をハッキリさせる事を嫌い、本音をストレートに言う事を忌み、本心・本意を秘め、相手を慮って控えめに語る。
 日本の言霊信仰とは、そうした言葉である。
 日本の伝統的古典芸能とは、察し合う、空気を読む、人々である。
 嘘から出た誠。
 嘘も方便。
 現代日本人のウソと昔の日本人の嘘とは、別時限的に違う嘘である。
 中国人や朝鮮人には、日本民族日本人の微妙な心情は理解できない。
 共産主義者のウソと日本民族日本人の嘘は違う。
 日本民族の歴史、日本神道の宗教には、嘘が数多く混じっている。
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 武士・サムライは、嘘偽りを述べる事は恥とされ、嘘偽りが露見すると切腹させられた。
 庶民(百姓や町人)は、嘘偽り・法螺・滑稽を言いあって生きていた。
 笑いは、庶民の娯楽で、武士・サムライには無縁であった。
 武士・サムライは、質素で地味であった。
 庶民は、豪華で派手であった。
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 ローカルな日本古典的伝統芸能は、日本民族日本人と少数の親日派知日派外国人によって守られてきた。
 文化芸能におけるグローバル化では、ローカルは破壊され消滅していく。
 日本の伝統的古典芸能の多くは、特別な家系による家元制=世襲制である。
 日本の伝統的古典芸能に対する関心や理解力は、少数の日本人や親日派知日派外国人にはあっても、多数の日本人にはない。
 多数派の日本人は、欧米のカルチャーに魅了されるが日本の伝統的古典芸能には魅力を感じない。
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