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関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
感染した病院で働く医者や看護婦は、周囲から病気をうつされると恐れられ、子供を託児所に預けようとすると他の子供に病気が広がる危険があるとして拒否されている。
日本人は自分可愛さから、自分が助かる為なら医療崩壊になっても意に返さない。
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日本は、ブラック社会として人助けが差別の生み出し幸福ではなく不幸をもたら。
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日本人の本性は、僻み根性が強く、嫉妬深く、下品でえげつない。
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日本民族日本人は、「お人好し」として人に嫌われても人に尽くそうとする。
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精神薄弱な日本人は、御上や権力者に弱い。
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真面な日本人は2割、真面でない日本人は3割、揺れ動く日本人は5割。
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2020年4月18日 msnニュース 東洋経済オンライン「「村八分」日本人が意外と知らない本当の意味 感染症の恐怖からうまれた「言い伝え」とは
© 東洋経済オンライン 「村八分」から「火事」と「葬儀」が漏れた理由とは?(写真:Cotswolds/PIXTA)
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しかしこれまで人類は、幾度となくこうした疫病と戦い乗り越えてきました。世の中が騒がしくなると、さまざまな信仰がうまれ、各地で祭祀が営まれていきました。疫病や死に対する恐怖から、各地でしきたりや迷信がうまれ、慣習として今日まで伝承されているものも数多くあります。
もちろん昔の慣習が現代にそのまま当てはまるわけではありませんが、「なぜそのように言われているのか」という考え方はどこか今に通じるものがあるような気がします。
「死者に夜通し付き添った人」が謹慎する理由
通夜といえば、現代では親しい人とのお別れの場として儀式が行われるものですが、もともとは死者の側に近親者が夜通し付き添う行為のことで、夜伽(よとぎ)とも言われていました。
通夜において死者と共に過ごした人は、一定期間(7日~10日程度)の忌みがかかるとして、外に出ることは許されず、喪家で過ごすこととされていました。
それを「忌み籠り(いみごもり)」といいますが、死をもたらした原因が何かわからなかった時代では、死者の周囲から感染が広がっていくという事実に対し、「忌み籠り」という言葉を使って一定期間の謹慎を強いていたのかもしれません。
なお、夜通し故人の側にいる理由として、「寂しくないように」、「死者の魂に寄り添って生き返ることを願う」など諸説ありますが、中でも死臭を察して寄ってくる野獣から守るため、という説は現実味を帯びているのではないでしょうか。
また「線香やロウソクを絶やしてはいけない」ともいわれますが、これも「故人が成仏できるように」という願いだけではなく、野獣除け、虫除け、死臭を消すため、という目的もあったと言われています。
通夜や葬儀・告別式の後、「通夜ぶるまい」や「精進落とし」「精進上げ」と称される食事が振るまわれる地域が多いと思います。
こういった一連の葬送儀礼の中での食事については、喪家は口を出さず、隣近所にまかせるという方式をとっていた地域が多くあるのですが、これも得体の知れない疫病と無関係ではなさそうです。
家族は故人と生活を共にし、納棺・通夜などを通じて密接な関係にあります。その家のかまどを使い、今でいう「濃厚接触者」である家族が料理をすることは衛生的にNGだったのでしょう。
通常用いる火とは別の火を使用することを「別火(べっか)」といい、通夜ぶるまいや精進落とし等でふるまわれる料理は、他家で準備されるものでした。また喪家とは別のかまどで炊いた握り飯を持参するところもあったそうです。
村八分から「火事」と「葬式」が漏れた理由
村八分とは、村社会の秩序を維持するために行われた処分のことで、共同決定事項に違反したり、共同労働を行わなかったり、あるいは犯罪行為をはたらいて秩序を乱した場合など、その家に対して交際を絶つなど人付き合いが制限されました。
八分とは冠・婚・建築・病気・水害・旅行・出産・年忌の8種のことで、これらは制裁が加えられる対象となるわけですが、残りの2種である火事と葬儀は別とされていました。
火事は、村全体へ火が回ってしまったら自分たちの生命や財産が危うくなるから、葬儀は村人への疫病の伝染を防ぐため、やむをえずであっても助け合わなければいけないというものです。
家族は、臨終から通夜等を通じて故人の側にいるため、感染症が原因であれば「濃厚接触者」である状態です。自分たちで葬儀の準備等を行い家の外に出ることによって、感染が拡大してしまうことも考えられるでしょう。死体の処理ができず放置されてしまったら、さらに事態は悪化してしまいます。
若い男性は墓穴を掘り、女性は台所でまかない仕事などを分担します。こうして死穢(しえ)を遠ざけようとしていたのでしょう。
一定期間の忌み籠りが終わることを「忌明け(いみあけ)」といいますが、かつてはこれをヒアケと呼ぶ地域がありました。ヒアケは「火明け」と書きますが、これをもって近隣の人と喪家が同じ火を使って調理することが可能となるそうです。それまでは死穢のある家の火を他人の家の火と混ぜると死穢が伝染し、拡散していくと考えられたのでしょう。
このように一定期間を過ぎると、死者を不浄視するような物理的条件が取り除かれていきます。戦国時代では、家族の死後数週間は主人の館に出仕できず、その期間が過ぎると衣服を着替えて参上したとか、漁村では四十九日を過ぎると漁が解禁になるというところもあったようです。
また、四十九日餅といって、四十九日にお供えされるお餅もあります。これは喪家でついた餅で、これを隣近所に分けたり、寺や墓に持っていくことで喪家にかかっていた穢れは解かれるというもの。霊的な恐怖というより、目に見えない疫病から一定期間遠ざけるための方法として、先人たちが生み出した知恵なのかもしれません。
なぜ塩が「穢れ」を払うのか?
『古事記』にはイザナギノミコトが海で禊祓い(みそぎはらい)をした神話から、塩は民間信仰のひとつとして「清め」のシーンで多く使用されていました。
塩そのものに殺菌性や防腐性はありませんが、塩を使うことによる作用により殺菌・防腐の効果が認められることもあります。そのため、昔の人は葬儀を終えた後、疫病を遠ざけたいという意味で塩を身体に振りかけたり、塩を踏んだりしてから家に入っていたのかもしれません。
他にも米、味噌、大豆、魚、餅、団子などを食べることで「清め」とする地域もあります。また小豆も赤飯や煮豆、粥といったものに形を変え、葬送儀礼のシーンでは広く食されていました。これらを食することで残された人がしっかり力を蓄え、免疫をつけておきたいという願いが込められていたことも伺えます。
土葬の場合、埋葬するためには穴を掘る作業が必要となりますが、穴掘り役は多大な労力を費やすだけではなく死体に接することから、身体を守るためにさまざまな工夫がなされ、そこからしきたりが生まれました。
穴を掘る人は、精力をつけるため握り飯や豆腐などを持参したり、届けられたりもしたそうです。酒を持っていくところもあるのですが、これは消毒の意味もあるのかもしれません。また、必ず火を焚きながら掘るというところもあります。
なお、持参したり届けられた握り飯や酒は、残さず食するか、そのまま置いて帰ります。穴掘りに使用した道具も持ち帰らずに、そのまま墓地に一週間程度置きっぱなしにするそうですが、これも感染症対策と無関係とは言い切れないような気がします。
ちなみに現在でも、火葬場に持っていったものや、火葬場で購入したものを持って帰ってはいけないと言われているところもありますが、こういったしきたりの名残ではないでしょうか。」
【参考文献】
『民俗小事典 死と葬送』 編:新谷尚紀・関沢まゆみ(吉川弘文館)
『知れば恐ろしい日本人の風習』 著:千葉公慈(河出書房)
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