⛩20)─3─江戸時代の短命と短身長の原因は粗末な和食・日本料理であった。〜No.42 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 江戸時代の平均的総人口は約3,000万人で、人生50年時代で、若者が多く老人が少なかった。
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 昔の和食は、栄養価が低い粗食であった為に、日本人は栄養失調で平均寿命が短く長生きできなかった。
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 日本料理・和食など自慢できるほどの料理ではなかった。
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 「和食は栄養価がよく身体によく健康に良い」は、ウソである。
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 伝統的和食は、明治中期以降に作られた新作料理であった。
 四つ足動物の肉を料理する食事は、伝統的和食ではない。
 白米の伝統的和食も、明治時代からである。
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 2020年3月14日号 週刊現代「今週のへえ~、そうなんだ
 江戸末期に日本人男性の平均身長は最低を記録した
 『なんて面白すぎる博物館』 斎藤海仁(著) 講談社
 あと少し背が高かったら・・・。そんな思いをしたことがある人は少なくないだろう。
 国立科学博物館のデータによれば、日本人の平均身長は、古墳時代をピークに下降線をたどり、江戸末期前後の男性で155cmと最低を記録する。西郷隆盛坂本龍馬が活躍した時代の日本人は、平安時代や戦国時代の日本人に比べて、背が低かったわけだ。
 身長が縮んだ原因は、栄養状態が悪くなったことにある。食糧を安定して得られる時代になったにもかかわず、栄養素が不足した背景には、『肉食禁止』によってタンパク質が欠乏したことが深く関わっている。
 飛鳥時代、仏教が伝来すると、動物の殺生を禁じる教えの影響を受けて、肉食が禁止されるようになる。『日本書紀』によれば、675年、天武天皇は狩猟を禁止。一般的な習慣で食べていた鹿や猪許されたが、牛や馬、鶏を食べることは禁じられた。それ以降も、例外的に雉(きじ)や兎を食べることはあったが、江戸時代末期まで、肉食は忌み嫌うべきものという考えが浸透していく。
 状況が一転するのは、明治時代。牛肉を食べることが文明開化の象徴と捉えられ、牛肉を使ったすき焼きが流行した。
 この流れに拍車をかけたのが、富国強兵政策だ。当時、海軍のあいだで問題になっていた脚気(かっけ)の原因が、タンパク質不足にあると突き止められ、軍隊食に肉が取り入れられるようになる。日露戦争では、戦場食糧として牛肉の大和煮缶詰や乾燥牛肉が導入され、従軍で牛肉の味を覚える庶民が増えた。こうして徐々に日本の食卓に肉が普及し、明治期以降の約100年で日本人男性の平均身長は約15cm伸びたのだ。
 ちなみに、焼き肉のルーツの地、お隣の朝鮮半島では、仏教の普及により一度は肉食が禁止されるも、13世紀にモンゴル帝国に侵略されて以降復活。14世紀に儒教国家の李氏朝鮮が成立してからも肉料理が根付いた。神風が吹かずに日本が元寇に敗(ま)けていたら、私たちはもう少し背が高かったかもしれない。(征)
 まめ知識
 平均身長と深く関係にある『食肉文化』トリビア
 兎を一羽と数える理由は・・・
 肉食の中では比較的寛容だった鳥肉になぞらえて、目くらましをした。
 猪を『山くじら』と呼び、言い逃れ
 江戸時代、猪鍋が流行したときに、咎められないように『くじら』と称した。
 和牛が生まれたのは明治時代
 明治期以前の日本の牛は農耕用で小型。品種改良で和牛が誕生
 海軍は洋食を強く推奨した
 上野精養軒を奨励。月末に精養軒への支払いが少ないと注意された
 1872年、明治天皇が牛肉を食す
 その後、肉食を穢れと見なす者が皇居に乱入。逮捕される事件が起きた」
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 現代において、伝統的和食といわれる日本料理は明治以降に作られた新しい料理が大半で、江戸時代の食事とは違う。
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 腹八分の食事とは、健康の為ではなく、満腹になるまで食べられなかった江戸っ子の痩せ我慢であった。
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 現代日本人が歴史に抱いているイメージとその当時の実態とは異なる。
 現代日本人が想像している日本の馬は、現代のアラブ種サラブレッドとは違う。
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 四つ足動物の肉食が禁止されたのは、殺生戒(せっしょうかい)を説く仏教の影響であった。
 狩猟で獣を殺すマタギ・狩人や殺した獣の皮・肉・骨を生活の糧に利用する職人は、血と死に塗れた穢れた民、卑しい部落民として嫌われ、苛められ、差別され、迫害された。
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 肉を食うのは鬼畜の所業で、人ではなく獣とされた。
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 日本で食用の馬・牛・豚の飼育が定着しなかったのは、日本の国土・自然・環境が原因であった。
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 肉食は、軍事力を高める富国強兵政策として官製で奨励された。
 日本を戦争ができない国にする最良策は、江戸時代のように肉食を禁止する事である。
 同様に、日本人が米・白米を食べ始めたのも軍事力に関係していた。
 ひ弱・脆弱な日本人を健康で体力のある兵士をつくるために米・白米と肉食の軍隊食が考案され、その無骨ながら栄養価が高い軍隊食がより旨く綺麗に盛り付けられ和食へと進化していった。
 つまり、現代の伝統的和食の原点は軍隊食である。
 その代表が、肉ジャガ料理、缶詰、乾燥食材などである。
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