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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本人は賢くもないし優れてもいないし秀でたところも少なかった。
日本国と日本人は、特別ではなく、特殊ではなく、必然でもなく、ただ偶然と幸運そして勢いで生きてきただけである。
それは、農耕民ではなく、狩猟民でもなく、漁労民の生き方である。
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2020年1月19日号 サンデー毎日「今こそ、読みたい
スペイン語圏の人々に伝えたロジカルで率直な日本論
『コロンビア商人がみた維新後の日本』
ニコラス・タンコ・アルメロ 寺澤辰麿/訳 中央公論新社
工藤美代子
とにかく、明治時代に日本を訪れた外国人が書いた体験記はどれも面白い。
もちろん、好き嫌いや上手(うま)い下手はある。それでも江戸時代の文化が色濃く残る当時の日本が、旅行者や外交官、政府のお雇い外国人などの目にどのように映っているかは興味深い。
そして、彼らの作品が、外国語で発信されることによって、世界中の人たちが、東洋の島国に関する新たな情報を得た。その結果、中国とはまったく違う日本文化に対して、強い憧れを抱く芸術家や富豪たちが現れたのである。
こうした作品を読むのは、明治時代の庶民の生活が、実際にはどのようなものだったかを知る、またとない機会だ。そして、多くの読者は同じ問いかけを自分自身に発するだろう。はたして令和を迎えた私たちは、その本質の部分において変わったのだろうか、あるいは変わらなかったのだろうかと。
それは日本人にとっては永遠の課題だともいえる。これだけ国際化が進み、外国のニュースが映像と共にリアルタイムで映し出され、ネット配信の情報も世の中に溢(あふ)れている現代である。それでも私たちは以前として、他国の思惑や主張を理解するのが難しい局面に何度も立たされている。日本に来た外国人の言動に戸惑いを覚えることも多い。
だからこそ、先人たちが日本をどう捉えたのかは知識として必要なのだろう。
本書は南米のコロンビアの商人が、明治4年から11年の間に、何度か訪日した記録を綴(つづ)ったものである。スペイン語で出版されたのは明治21年だった。
著者であるニコラス・タンコ・アルメロはコロンビアの裕福な家庭で生まれ、初等教育をニューヨークで、中・高等教育をパリで受けたという。したがって、コロンビア人とはいうものの、彼の視線はきわめて欧米的である。しかも、日本へ旅するより以前に、商用で長く中国に滞在した。そのため、日本をしばしば中国と比較して論じる。さらに商人であるだけに、解説はロジカルだが文学的ではない。
それにしても、スペイン語で初めて書かれた日本訪問記が、なぜかくも長い年月、翻訳される機会がなかったのかは不思議だった。だが、なるほど、こういうことかと気づいたのは、本書を読了した後だった。
『日本人は、生まれつき怠惰(たいだ)で無気力であり、これはすぐに見て取れ、このことは、日本人の生き方と習慣に現れている。中国人と異なり、浪費家であり、生きていくためだけの金を稼げば、満足している。生来懐疑的であり、また、独善的でうわべだけを繕い、腹を立てている時でさえいつも口元に微笑みを浮かべ、そして激怒せざるをえないよになった時でも、どんなことでも、派手に大笑いしてかみ殺す』
これはどう見ても好意的な評価ではない。例えば、ヴェンセスラウ・デ・モラエスやラフカディオ・ハーンやピエール・ロチの筆致(ひっち)とは明らかに異なる。そのため、日本に紹介されるのが遅れたのではないかと思う。
しかし、商取引の場における日本人の態度を『スニーキー』(卑怯でずる賢い)と評する外国人にとって、今でも不変の真理であろう。
翻訳は正確でわかりやすい。まるで著者の自然な呼吸に合わせたかのような文体だ。著者と訳者の運命的な邂逅(かいこう)から生まれた貴重な一書というよう」
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良い日本人が2割、悪い日本人が3割、その時の空気・空気圧・同調圧力で何方かに転ぶ自我のない日本人が5割。
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世界の常識では、「日本は中国の一部であり、日本の文明・文化は中国の亜流である」と言う事である。
日本の高学歴出身知的エリートの中には、そうした世界の常識を信じている者がいる。
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日本は世界で愛され、日本人は世界で信用されている、とはウソである。
世界には、日本に好意的な言説や書籍より日本に悪意的な言説や書籍の方が多い。
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日本の常識は、世界に通用しない。
「世界が日本に期待している」は、ウソである。
「日本が世界を救う」は、ウソである。
さらに、日本の常識は中華世界、中国や朝鮮でも通用しない。
中華世界では、日本は中国や朝鮮の下位に存在している。
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人類史から見て、日本国・日本文明・日本民族日本人は滅び消え去る運命にある。
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人は、自分が知りたい事だけを信じ、自分説に都合の良い記録やデータのみを採用し加工して用いる。
なければ、平然と改竄し、捏造し、擬装し、誤魔化し、言い訳して恥じない。
知りたくない事や都合の悪い記録やデータは、無価値として否定し切り捨てる。
日本人は、その傾向が顕著である。
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世界において、親日派知日派と反日派敵日派は少数派で、無関心無興味が多数派である。
それは、アジアにおいても同様である。
それを知らないのは、知ろうとしないのは、国際感覚のない日本人、特に右翼・右派・ネットウヨクである。
それを知っているのは、反天皇反日発言を繰り返す左翼・左派・ネットサハである。
右翼・右派・ネットウヨクは、ポジティブに、能天気に日本を持ち上げ褒めちぎって希望と夢を拡散している。
左翼・左派・ネットサハは、ネガティヴに、日本の名誉を堕とす為に罪悪感を増幅強化して虚無と絶望を広めている。
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