🏕38)39)40)─1─「日本人は自然を愛し衛生観念が高く綺麗好き」はウソである。1964年の日本。~No.72No.73No.74No.75No.76No.77  ⑧

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 2020年1月17日号 週刊朝日「1964年 当時中学生の池上彰が振り返る
 東京オリンピックの光と影
 スモッグ、ポイ捨て、立ち小便
 レガシーは日本人のマナー向上
 1964年10月10日の東京は雲一つない快晴だった。国立競技場の上空で、航空自衛隊ブルーインパルスが、くっきりと五輪を描いた。青空のもと、各国選手団が入場行進を始める。心躍る瞬間。東京オリンピックが始まった。
 しかし、あのときの東京の現実を、どれだけの人が知っているだろう。当時、私は東京都内に住む中学生だった。
 当時の開会式の映像を見た人は、東京がスモッグに覆われていたことを知らないだろう。『あんなに空気が汚いところでマラソン選手を走らせるのは人権問題ではないか』という海外からの批判の声が聞こえていたくらいだ。実は開会式前夜から未明にかけて大雨が降り、スモッグを洗い流していたので青空だったのだ。
 あの頃の東京は、高度経済成長の真っただ中。工場がモクモクと排煙を出すのは、豊かさへと進む日本の象徴だった。隅田川神田川多摩川には各家庭から出る生活排水が流れ込み、悪臭を放っていた。
 それまでの東京の街はゴミだらけ。誰もが道路にポイポイとゴミを捨てていた。これに危機感を抱いた東京都は、『ゴミはゴミ箱に捨てましょう』という一大キャンペーンを展開。街のあちこちにゴミ箱を設置した。私が住んでいた東京都内の住宅街でも、町内会を挙げて清掃運動が繰り広げられた。家の前を流れている排水溝から泥を掬(すく)い上げ、道路に放置。道路は舗装されていなかったから、泥はやがて土に還った。
 当時は大気汚染がひどく、痰(たん)を吐く人が多かったので、『痰は痰壺(たんつぼ)に吐きましょう』という運動も行われ、駅のホームには、白い陶器の痰壺が設置された。
 痰壺は、オリンピック後も長く駅のホームに居続けた。いまでも覚えているが、オリンピックが終わった後の1970年前後でも、山手線渋谷駅のハチ公口に降りるホームに白い陶器があったものだ。
 夏になると、上半身裸でステテコ姿の男性はごく当たり前。東京都がオリンピックを前に都内の各家庭に配布したチラシには、『立ち小便はやめましょう』と書いてあった。立ち小便が当たり前だったからだ。
 新幹線以外の長距離列車はトイレが垂れ流し。トイレに入ると、下に線路が見えた。沿線では洗濯物に黄色い斑点がつくことがあり、『黃害』と呼ばれた。驚くべき衛生観念。でも、これを当たり前だと人々は受け止めていたのだ。
 数年前、ロシアのハバロフスクからウラジオストクまでシベリア鉄道に乗ったとき、トイレの下に線路を発見。懐かしかった。
 東京オリンピックのレガシーとして新幹線や高速道路が挙げられるが、最大のレガシーは、日本人のマナー向上だったと私は思う。
 『五輪の名花』のその後
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 4年後に起きたチェコ民主化運動『プラハの春』に参加した彼女は、ソ連軍の戦車によって民主化運動が踏みつぶされた後、表舞台から姿を消した。
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 東西ドイツ統一チーム
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 中国は大気圏内核実験
 オリンピック期間中、私が最も驚いたのは、中国が核実験を実施したことだった。オリンピック開会式から1週間後の10月16日、新疆ウイグル自治区のロプノル実験場できのこ雲が上がったのだ。これで核保有国はアメリカ、ソ連、イギリス、フランスに次いで5番目となった。この核実験は大気圏内。つまり大量の放射性物資が大気中に吹き上げられ、偏西風に乗って日本上空へと飛来した。
 2日後の10月18日、新潟大学新潟市内に降った雨から放射能の塵を検出。これ以降、『傘をささないで雨に濡(ぬ)れると禿(は)げる』などという根拠のない噂が広まった。それにしても、世界のアスリートが集結している東京の風上で放射性物質をまき散らす神経に驚く。このときを選べば、世界にアピールできると考えたのだろうか。
 閉会式でハプニングが
 ……」
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 幕末から明治初期に来日した外国人は「日本の清潔で綺麗さと日本人の笑顔」を驚いて書き記していたが、それがウソのような汚く不潔な日本がそこにあった。
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 現代日本人は、中国人観光客のマナーの悪さやゴミを所構わず捨てる無神経さに嫌悪感を感じているが、昔の日本人は同じくらいかそれ以上に酷かった。
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 日本人が、食べ物を生産する農耕を神聖視した頃のお年玉は「餅」であったが、食べ物を輸入に頼り農業を軽視し金を稼ぐ産業を重視し始めるとお年玉は「金」に代わった。
 日本民族日本人は、自然・里山で生産して採れた農作物と山海の食物を神社に供えた。
 お年玉とは、新年に家を訪れた年神さまが新しい魂・命を授ける事であった。
 年神さまは、自然の中、里山に鎮座されていた。
 日本民族日本人にとって、自然、里山八百万の神々が住まう神聖か神域であった。
 日本人は、経済の為、金儲けの為に自然を里山を穢し壊した。
 そして、農業不要論が広がった。
 日本人を労働者にする為に、守るべきは日本農業であって日本人農家ではないとされた。
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 日本人は金儲けになるのであれば、里山を潰し、自然を壊した。
 日本人は、金が大事の現実主義者であって、理想主義者でもなければ夢想主義者でもなく空想主義者でもない。
 それは、昔も今も変わりはしない。
 真っ赤なウソが、日本人を毒する。
 日本人は「水に流す」をよろしく、全てのゴミ・汚物・廃棄物を川から海に流して目の前から消し去る事で自然を大切にしていると自慢していた。
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