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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本人は薄情で冷血で情が全くない。
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世界は、江戸時代のキリシタン弾圧は日本を非人道的犯罪であったとして、日本を厳しくそして激しく非難している。
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2018年6月30日13:24 産経ニュース「世界遺産の登録審査開始 潜伏キリシタンは30日か
世界遺産の登録審査が始まったユネスコ世界遺産委員会=29日、バーレーン・マナマ(共同)
中東バーレーンで開催中の国連教育科学文化機関(ユネスコ)第42回世界遺産委員会は29日、各国が推薦した遺産候補の登録審査を始めた。諮問機関が先に文化遺産への登録を勧告した「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎、熊本)の審査は初日に行われず、30日に持ち越した。日本政府関係者によると、同日中に審査され、登録が決まる見込み。
遺産候補は28日時点で28件あり、7月2日までの4日間で審査。潜伏キリシタン関連遺産は30日の審査で3番目の予定だが、他の審査状況次第では変更の可能性がある。
潜伏キリシタン関連遺産は、国宝の大浦天主堂(長崎市)や、信徒が暮らした集落など12資産で構成。江戸時代から明治初期のキリスト教禁制下で独自の信仰を保った歴史を伝え、事前審査した諮問機関から5月に登録勧告を受けた。
世界遺産委は、世界遺産条約の締約国から選ばれた21カ国で構成。開催地のバーレーンが議長国を務めている。(共同)」
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豊臣秀吉は、中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人が日本人を奴隷として金儲けしている事に激怒して、奴隷交易に関与したバテレンの追放を命じたが、スペイン・ポルトガルとの南蛮貿易は許した。
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徳川家康は、スペイン・ポルトガルとキリスト教会の日本侵略を警戒したが、南蛮貿易を望んでいた。
イギリスやオランダなどのプロテスタント諸国は、日本からカトリック教会やスペイン・ポルトガルを追放するように江戸幕府に助言した。
江戸幕府は、日本をキリスト教会の宗教侵略から守る為に鎖国令とキリシタン禁止令を発布し、キリシタン狩りを行った。
中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人による日本人奴隷交易は廃止された。
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中世キリスト教会と現代のキリスト教会は別である。
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悪いのは、キリスト教会やキリシタンではなく日本人である。
日本人を奴隷としたのは日本人である。
奴隷として売られていった日本人を見捨てたのは日本人である。
日本人が犯罪者であり、日本人は積む深い。
キリスト教会やキリシタンには罪がない。
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1945年8月9日以降 日本人は自分が生きて帰国する為に、女性をロシア人共産主義者に人身御供として差し出し、強姦されて帰ってきた女性を「穢れた女」として軽蔑し爪弾きした。
日本人ほど酷い人間はいない。
特に戦後の現代日本人は酷い人間である。
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6月30日17:54 産経ニュース「長崎、天草の「潜伏キリシタン」が世界文化遺産に決定 22件目
国宝の大浦天主堂。開国後、潜伏キリシタンが神父に信仰を告白する「信徒発見」の舞台となった=長崎市(長崎県提供)
バーレーンのマナマで開催中の国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は30日、約250年続いたキリスト教禁制と独自の信仰の歴史を示す「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎県、熊本県)を世界文化遺産に登録することを決めた。
事前審査を担うユネスコ諮問機関のイコモスから助言を受け、当初の推薦書を見直したことが奏功した。日本国内の世界遺産は昨年の「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」(福岡県)に続き22件目。文化遺産が18件、自然遺産が4件となる。
潜伏キリシタン遺産は、現存する国内最古のキリスト教会の国宝「大浦天主堂」(長崎市)や、禁教期に形成された集落など12の資産で構成。神社の氏子を装ったり、離島に開拓移住したりなど多様な潜伏のしかたを表している。
政府は当初、キリスト教解禁後に建造された教会堂の建物を中心に、伝来から約400年の経過を示す「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」として、平成27年1月に推薦書を提出。28年夏の登録を目指した。だが、イコモスから禁教期に焦点を当てるべきだとの指摘を受けて見直した。新たな推薦書を29年2月に提出し、イコモスが今年5月、登録を勧告していた。
構成資産の多くが人口減少と高齢化の著しい離島や半島にあり、遺産を保護する担い手の確保が課題となっている。
政府は来年の文化遺産登録を目指し、国内最大の前方後円墳「仁徳天皇陵古墳」(堺市)を含む「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」(大阪府)を推薦している。今年6月に推薦を取り下げた自然遺産候補「奄美大島、徳之島、沖縄北部および西表島」(鹿児島県、沖縄県)について、環境省は早ければ32年の再挑戦を目指す。」
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6月30日19:42 産経WEST「守った信仰、先人の営みに価値 大阪の大司教、世界遺産登録に感慨深く
記者の質問に答える前田万葉大司教=6月30日、大阪市中央区(須谷友郁撮影)
国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の登録が決まった。禁教政策下に信仰が維持された集落など12の資産で構成する。潜伏キリシタンの子孫でカトリック大阪大司教区の前田万葉大司教(69)は、「建物よりも迫害に耐えて信仰を守ったことや、棄教も含めた人間の営みにこそ世界遺産の価値がある」と言う。自らのルーツに重ねた思いを聞いた。(坂本英彰)
前田大司教は28日、ローマ・カトリック教会で法王に次ぐ高位の聖職者である枢機卿に就任した。
島原の乱など江戸初期の禁教は有名だが、長崎・五島列島出身の前田氏にとって禁教は遠い歴史ではない。明治初期の弾圧は家族史の一部として、子供のころに聞いて育った。
「五島列島・久賀島(ひさかじま)にいた父方の曾祖父家族9人が捕まり、6坪の牢に200人も閉じ込める拷問を受けた。21歳だった曾祖父は8カ月の入獄を生き延びたのですが、3人の妹が命を落としたのです」
「信徒発見」と迫害
最後の大弾圧は皮肉にも江戸幕府が開国した後に起きた。在留外国人のための大浦天主堂(構成資産のひとつ)が長崎に建てられた翌1865年、潜伏していたキリシタンが訪れて神父に信仰を告白したのだ。
〈ワタシノムネ、アナタトオナジ〉
この出来事は「信徒発見」として西洋に衝撃を与えたが、信徒たちが次々と信仰を表明して禁教に抵抗し始めたため幕府には好ましくない事態となった。やがて厳しい取り調べや棄教の強制が始まり、それは1868年に明治となっても新政府に引き継がれた。
「五島列島・野崎島にいた母方の曾祖父は、平戸に連行された。曾祖父は拷問に耐えかねて転んだふりをして解放されたが、故郷に帰ってから罪の意識にさいなまれたと子供たちに話したそうです」
同じように野崎島に帰った信者たちは罪滅ぼしの印に、生活を切り詰めて教会を建てた。同島の旧野首教会を含む「野崎島の集落跡」は、こうした人々の思いが詰まった構成資産だ。
前田大司教は一方、弾圧を加えた側にも思いをはせる。
「取り調べの役人も職務でしているだけであって、拷問したいわけではない。ウソでもいいから転んだと言ってほしいという気持ちだったでしょう」
三尺牢の拷問
浦上四番崩れと呼ばれる大規模摘発では、3000人以上の信徒が長崎から諸藩に流された。津和野藩(島根県)は改宗が困難とわかるや拷問に転じ、足腰も伸ばせない三尺牢に閉じ込めるなどして37人が亡くなったとされる。前田大司教は広島司教だった平成25年、殉教者を福者や聖人に認めてもらう運動を始めた。「信教の自由や人権の大切さを訴えることができると考えた」と言う。
欧米諸国の抗議を受け禁教政策に事実上の終止符が打たれたのは明治6(1873)年。前田大司教は「先祖が命をかけて守ったものを受け継いでいるとの思いは強くあります」と話した。
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まえだ・まんよう 昭和24年3月、長崎県新上五島町生まれ。カトリック広島教区司教などを経て、平成26年から大阪大司教区大司教。」
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