関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・{東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
6万6000年前 箱根山大噴火で発生した火砕流は、現代の横浜市にまで達し、火山灰が積もり生き物が死に絶えた不毛な大地が出現した。
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2万5000年前 姶良(あいら)カルデラ桜島。鹿児島湾最奥部の桜島より北側に相当。直径約20Kmのほぼ円形。火山灰が150Km3も日本全国に堆積し(広域テフラ姶良Tn)、火砕流200Km3は数十mの厚さに達しシラス台地を形成し(入戸火砕流と呼ばれる)、大隅半島に大量の軽石を降らせた。火砕流は中国地方の山口にまで達し、九州に住んでいた縄文人や多くの生物が死に絶え地獄の大地となった。
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気が弱い日本人の信仰心とは、死後の天国における永遠の命と救済、安息ではなく、生前の苦痛・苦悩と死後の地獄に対する恐怖心であった。
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長谷川三千子「お参りをして頭を垂れることで。もし災厄(さいやく)が起こった場合でもすぐに対応し、収束させるための心構えができるわけです。
我々が生きてゆくうちには、人間の力ではいかんともしがたいこともある。そのときは、神様にでも仏様にでも頭を下げて祈るしかない。そういう『祈り』を忘れた社会は堕落すると思いますね」
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2019年1月27日号 サンデー毎日「今こそ、読みたい 工藤美代子
『日本の伝説 東北・北海道』 藤沢衛彦
地獄に行った人のために祈るのは
自分のためでもあるあるかもしれない
伝説。とにかく、この言葉が好きだ。いや、伝承でもいいし、神話でもいい。理性では割り切れない話にはいつでも興味をそそられる。
本書は藤沢衛彦(もりひこ)が昭和30年9月に刊行した『日本民族伝説全集3(東北・北海道)』を復刊したものである。新漢字にしてルビを補っている。全9刊で、これが3冊目。すべて刊行されたら、日本全土にわたる424の伝説がカバーされるという。そう聞いたただけで、やっぱり老後の楽しみはこれしかないだろう。
なにしろ、『古事記』も『日本書紀』もちゃんと読んだことがない不勉強者だ。しかし、スルメをちょっと囓(かじ)ってみるように、伝説の世界をほんの少しだけでも味わってみたい。それに、北海道と東北が断然身近に感じられる。
やっぱりありました。青森の恐山。本書では、ルビが『おそれやま』となっている。
そもそも母方の祖先が青森出身だし、高校を卒業した年の夏に、友人たちと青森一周の旅行の途中で恐山に寄った記憶もある。ずいぶんと寒々とした場所で、そこにあるお寺のお坊さんが、観光客と気楽にお喋(しゃべ)りをしていた。『霊感の強い人には、簡単には霊が降りてこない』とか言っていたような気がする。降りてこなくて当たり前だろうと18歳の私は思った。
さて、その恐山の章は『地獄と極楽との現実の相が、まのあたりに見られるという津軽の恐山、ここには恐るべき地獄の叫喚からのがれるために、血盆経を紙に包んで血ノ池に投げこむ風習を今に存しております』という書き出しだ。そうか、地獄から逃れるために行くところなのかと、なんとなく想像する。実は、地獄と名づけられて恐れられた山は、全国に8つもあったという。青森だけではなくて、阿蘇山とか浅間山とか箱根とかの地名が並ぶ。ああ、つまりは活火山が地獄に似ているからかと納得する。しかし、この中でも青森の恐山はいつ噴火するかわからないので上の人もいない上に、136も地獄があって『ところどころ号泣の声がする』のだそうだ。
そういわれて初めて、あの山の火山活動のすべてが、地獄そのものと思われていたのかと気づいた。火口内には多数の硫質噴気孔があって、それぞれ三途の川、賽の河原、剣の山、血の池、畜生道などなど刺激的な名前がついているらしい。続いて、ここのお寺に残る伝説の記述があって、人間でも鳥獣でも病むものは年に一度は必ず詣でなければならない。病まずとも一生に一度は行って、『地獄にあるもののために供養しなければならない』と書かれている。
なんで地獄に行った人を、自分が供養しなければいけないんだろうと首を傾(かし)げてから、はたと思った。勝手な解釈だが、人間は誰でも地獄におちる可能性がある。だったら、生きているうちに、その人たちのために祈った方がいい。地獄って他人が行く場所と思っていたけど、自分だってわからない。供養というのは、きっと親切な気持ちがあればできるのだろう。
他の伝説も含めて、意味がわからない部分がたくさんあったが、だからこそ面白かった。今から、この全集を本棚に積んでおいて、暇になったら辞書と地図を片手に読破しようと固く誓った」
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ウィキペディア
三途川(さんずのかわ、さんずがわ)は、此岸(現世)と彼岸(あの世)を分ける境目にあるとされる川。三途は仏典に由来し、餓鬼道・畜生道・地獄道を意味する。ただし、彼岸への渡川・渡航はオリエント起源の神話宗教からギリシャ神話にまで広く見られるものであり、三途川の伝承には民間信仰が多分に混じっている。
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日本の宗教観には、全知全能の創り主(唯一絶対神)と神の子(救世主・メシア)による恩寵と奇跡は存在しない。
祭祀王・日本天皇には、俗欲的な生き神としての霊力はなく、現人神としての恩寵や奇跡を起こし与える神力もない。
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日本で生死を分けるのは、偶然と幸運であって必然ではない。
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死後に行くであろう極楽浄土=天国と地獄を決めるのは、自分であって神や仏ではない。
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日本には、悪神や魑魅魍魎が住む黄泉の国はあったが、死者が生前の罪業で堕ちる地獄はなかった。
日本に極楽浄土(天国)と地獄を持ち込んだのは、外来宗教の仏教であった。
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日本の死後の世界である極楽浄土=天国と地獄は、中華儒教の中国や朝鮮とは違うし、キリスト教の西洋ともイスラム教とも違う。
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日本の死者供養とは、善業を積んで御仏によって極楽浄土に導かれた祖先ではなく、悪業の末に地獄に堕ちた祖先の為にする祈りである。
つまり、日本の宗教は善人ではなく悪人の為に存在していた。
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少子高齢化による人口激減で家族を持たない者は、死後、誰からも供養されず忘れられ捨てられる。
少子高齢化による人口激減で、子孫を持たない無縁仏が日本で溢れ出す。
少子高齢化による人口激減とは、死亡後の魂・霊魂の弔いや供養を拒否し、死後の救済や安息を拒絶する事である。
つまり、存在した事を否定し消し去る「無」を受け入れる事である。
それが、反宗教無神論の共産主義(マルクス主義)である。
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